【龍蛇の神】第7話 〜天の理〜 前編
目次
【龍蛇の神】第1話 ~神の子~
【龍蛇の神】第2話 ~銭の世~
【龍蛇の神】第3話 ~民の鎖~
【龍蛇の神】第4話 〜法の末〜
【龍蛇の神】第5話 〜春の餞〜
【龍蛇の神】第6話 〜次の賭〜
時は、鎌倉時代末期。
それは、打倒・鎌倉幕府をめざす天皇の挙兵に加わるという、一族の命運をかけた決断であった。
しかしシンは、弟の三郎に、大和国を支配する
南都の親しき遊女・
シンは池に沈められるも、河内の商人を称する男に命を救われた。
昏睡状態にありながらシンは、
これは、幼い頃に川で溺れて死にかけた時と同じ、臨死体験であった。
目覚めたシンは、巌玄こそ雪を困窮させていた元凶であることを知り激昂するも、ただただ雪を救いたいという純粋な慈愛の芽生えに気づき、我にかえる。
シンは、まるで悪童と呼ばれていた頃のような大胆さを取り戻し、物の見事に巌玄を倒す。
そして、興福寺の支配から脱却するべく、戦いに身を投じる覚悟を決めた。
大和国
立夏を過ぎた大神神社にて。
シンは、境内にある見晴らしの良い高台にいた。
大神神社の祝。次男。満26歳。あだ名はシン。
多少の
故事にちなんで「
文観がやって来たかと思えば、興福寺の悪僧どもに池に沈められて死にかけたり、そして、その悪僧を打ち負かした時、自身の素性すらも明かしてしまった。
あれだけのことがあった後だ。
興福寺から何らかの制裁があると覚悟していたが、月が替わっても特にその気配はない。
巌玄は手もなく打ち負かされたことが明るみになるのを恥じて、訴えを起こさなかったのだろうか。
それにしても、かつてないほど慌ただしい日々だった。
このまほろばの大和
(国中=大和盆地の中央部。)
ましてや、己がそこに身を投じることさえも。
そういえば昨日、やっと
また、悪僧の巌玄から取り上げた借書をもって、興福寺と北条(鎌倉幕府)の繋がりを裏付けることができた。
こればかりはさすがに事が大きい。
シンの父・勝房は、借書を手に持ちつつ、いかにも由々しいといった顔で、近々このことを
大神神社の
しかし、シンにはまだわからないことがある。
政や世の動静ではない。
なぜ、龍蛇に救われたのかということだ。
幼い頃に
いや、今回については河内の商人に助けられたのだが、いずれも水で難に遭って死にかけた時、夢のように龍蛇が顕れる。
大抵の溺れたことのある者は、水に対して恐れを抱くものだが、龍蛇のおかげか、シンにはそれがあまりない。
神事を守り抜くためか、経世のためか、はたまたただただ命を永らえるためか。
己一人がこの
シンは、龍蛇に生かされた意味を胸に問うも、答えは出てこない。
三郎
「ほんま
初夏の空をどことなく眺めるシンの背中から、青草を踏みつけながら三郎が登ってきた。
大神神社の
シン
「おい、ここは俺の
三郎
「たまには行事に顔出せよ。んで、今更なにを考えてん?」
風に乗せられた
シン
「さぁ、天下国家の行く末でも憂いてみるか。」
三郎
「ふっ、アホくさ。」
この
シン
「たしかに、アホみたいやな。これだけ世が飢饉や疫病に喘いでるなか、天下の武家様は下手ばっかり打っても許されとるねんからな。」
シンがここでいう「武家」とは、鎌倉幕府および北条氏のことである。
三郎
「だからそれを潰すために、今いろいろ
シン
「分からんぞ。結局のところ、力さえあれば公儀、それで弱かったら賊になるねんからな。帝といえども、今回ばっかりはどうなることか。」
三郎
「ほら!勢いづいたと思えば、急にそうやって冷める。その気まぐれでどんだけ周りを振り回せば気が済むねん。」
三郎がそう吐き捨てるように言っても、シンは相変わらず西の方角に気を取られている。
呆れた三郎は、足元の適当な岩に腰を掛け、軽いため息を吐いた。
〝大っきいもんが強いとは限らんで。実はな、小っこいもんほど強いこともある。
シンの胸中で、ふと河内の商人が放った言葉が思い起こされた。
先月のことなのに、遥か遠い昔の記憶にも思える。
シン
「そうか…。逆転も有り得るな…。」
三郎
「ん?なにがや?」
三郎がそのつぶやきに反応したのもつかの間、シンは振り向いてさっさと虚空の丘を降っている。
三郎
「おいおい!今度はどこや!?」
シン
「河内に行く。あのオッサンの話を
打って変わって慌ただしいシンに、遅れまいと三郎が駆け寄ってゆく。
シンは、河内の商人の住処が記された
三郎
「今度は俺も連れてけよ!!一人で行くとか相手にケンカ売っとるようなもんやからな!」
シン
「わかっとる。支度しとくから、先に兄さんにこの
シンの人任せな言いつけに、三郎は舌打ちするも、供をつけたり他行を家に報告させるだけでもマシになったものだと感心する。
一人で無断でどこかへ出向いては、何日も帰ってこないという癖がシンには昔からあった。
危険極まりないことなのは当然ながら、これは相応の身分のある者にとっては考えられない素行なのである。
その日のうちに、シンと三郎は少しばかりの従者を伴って出立した。
元徳3年4月2日(1331年5月9日)
その館は、あたりを覆うなだらかな棚田を見守るように鎮座していながら、軽々と立ち入ることを許さないような荘厳さを呈している。
どう見てもこれは、この一帯を治める武家の館である。
困ったことに、これから進む道の先には、このもはや砦というべき規模の館ぐらいしかなく、そこに立ち入るほかこの旅の目的を果たす術がなさそうなのだ。
幾度と道ゆく者に尋ねても、河内の商人の所書きが指し示す場所は、この武家の館ばかり。
ここは、河内国
三郎
「兄貴、ここってまさか…。」
シン
「あぁ、そのまさか以上かもな。」
兄弟は、大和国と河内国を隔てる霊峰・
馬を降りて川に渡された橋を進み、
シン
「この館の
しばらくすると、
「大神殿。さぁさぁ、
ここの主は「総領」と呼ばれているようだ。
すると門が開かれ、シンたち大神一行は門の中に迎え入れられた。
少なくともこの館は、二重の堀に囲まれた堅牢な造りであることは分かる。
この一帯の田畑では、滞りなく
この館の主、すなわちこの水分の領主は、相当な手腕の持ち主であることが察せられる。
三郎たちは別室に留め置かれるなか、シンは母屋に案内され、
何もすることがないので、
水が張られた田で、牛が
すると奥の戸が開かれ、現れた偉丈夫は、吉事の真っ最中のような笑い顔で声を発した。
「おぉおぉ、よう来たな〜。」
顔を見れば、間違いなくあの気さくな河内の商人である。
しかし、その装いは頭には
〝商人〟と話した時にも、高い教養があることが窺えたが、今この目の前にいる〝武人〟は、まさにそれを体現しているような佇まいであり、くわえて品位すら感じる。
館の母屋という格式ある場所で出迎えている以上、間違いなくこの男は館の主である。
シン
「まさかな、アンタがそうとは思わんかった。」
シンは、驚きを通り越したという有様である。
そう、河内の商人が所書きで示したこの場所は、河内国水分一帯を治める武家・
そして、シンの目の前にいるこの男は、この居館の主にして楠木氏の当主——
覚悟を決めた面持ちで、シンは口を開く。
シン
「アンタがあの、
楠木氏の総領(当主)。鎌倉幕府の
(御家人=幕府直属の武士。)
正成
「うん。
河内の商人改め、楠木正成は上座につくわけでもなく、シンと向かい合うように、静かな一挙一動で板張りの床に座した。
顔はそのまま
シンにとっての驚きは、ただ自分を助けた河内の商人を称する男の正体が、御家人・楠木正成だったという奇遇に向けられたものではない。
目の前にいる男が、自身の
事は、15年前にまでさかのぼる必要がある――
大和国の
これが、世に言う「
越智氏の当主。大和国越智荘の豪族・領主。シンの伯父。
この越智邦永を自害に追い込んだ敵将こそ、当時22歳の楠木正成であった。
邦永の妹がシンの母親、つまりシンにとって邦永は母方の伯父にあたる。
事の始まりは、邦永の領地である大和国の
(六波羅探題=京都に置かれた鎌倉幕府の出先機関。)
六波羅の名目は〝租税を逃れた越智氏への沙汰〟というものだったが、これが全くの事実無根であることは、周知のとおりである。
越智氏は、収入の多くを根成柿の広大な田畑から得ていたが、これを
しかも、六波羅はこれに飽き足らず、邦永の領地の5分1を納めよとまで要求した。
このあまりに理不尽な仕打ちに激怒した邦永は、根成柿に居着いた六波羅の代官を殺傷。
さらに、籠城によって徹底抗戦する構えを見せ、ついに鎌倉幕府に反旗を翻す。
驚いた六波羅と幕府は、邦永を討伐すべく幾度となく精鋭を送り込むも、何百もの首を取られるばかりで邦永には全く歯が立たない。
この謀反は、世に大きな衝撃をもたらた。
邦永の非道を許さぬ義心、権威を恐れぬ豪胆さを知らしめたのと同時に、幕府の威信が地に堕ちることさえも決定づけてしまったのである。
幕府は最後の手段として、六千騎の手勢を邦永討伐に向かわせることに加え、後陣として当時22歳の御家人・楠木正成を差し向けた。
こうした始まった慈明寺の戦いは、壮烈さを極める。
邦永は初め、寡兵ながら勝ち進んでいたが、正成の奇襲によって軍の後方を遮断させられ、一気に苦境に陥ったのである。
正成が邦永の動きを封じ込めている隙に、幕府勢は勢いを取り戻して逆襲しにかかる。
こうして、ついに邦永の陣は完全に包囲された。
邦永は敵兵に囲まれながらも、太刀を大きく掲げ、こう絶叫したという。
「
そして邦永は、短刀で己の腹を思いっきり引き裂き、血に染まった
邦永の謀反、慈明寺の戦いはこうして幕を閉じる。
邦永が最期に放った言葉は、敵兵である幕府勢に向けられたものである。
幕府勢といえども、その多くが邦永と同じ大和国や畿内から徴用された者たちで、中には越智氏と良好な関係を保っていた氏族も幕府の〝番犬〟として参陣していた。
そのうえで、非道な幕府を〝東夷〟として蔑み、それでもなお幕府を恐れて異を唱えることさえしない武士たちに向け、邦永は己の死に様を見せつけることで、
若き〝猛将〟正成も、そのあまりに鮮烈な邦永の死を目の当たりにしていたことは言うまでもない。
正成は、幕府勢でさえ手を焼いた邦永の謀反を鎮圧したことで、瞬く間にその功名を畿内に響かせ、また恐れられた。
シン
「正直、驚きで今にも我を忘れそうで、なんのためにここに来たんかすら思い出せん…。」
正成
「いやぁ、驚かせるようなことをして済まなんだ。ここでは存分に
シンは心を落ち着かせるべく、朱塗りの茶碗からわずかにのぼる湯気を注視する。
シン
「その様子やと、俺のこと知ってたんやな?」
正成
「あぁ、知っとった。大神主水正殿が御子息、大神神二郎殿やな。そして、御母堂はあの越智八郎殿の妹君にあたる。」
越智八郎とは、他でもない邦永のことである。
シン
「南都で会った時から分かってたんか?」
正成
「もちろん。あんさんが誰よりも越智殿を慕い、そして尊敬しとったこともな。…ワシは恨まれてもしゃあないな。」
シン
「いや、これも世の常や。別にアンタに恨みはない。」
そうは言ったものの、シンはよく手入れされた庭の方にぼんやりと目を
慈明寺の戦いがあった、11歳の頃の記憶をたぐる。
シン
「…ただな、俺が悪の道に走るようになったんは、伯父があんな理不尽な死に方してからや。みんな、川で溺れてから俺がおかしなった言うけど、そうやない。」
正成
「詳しく聞かせてくれんか?」
シンは再び正成のほうに体を向け、切り出した。
シン
「伯父には、いろんな所に連れて行ってもらったし、いろんなことを教えてもらった。伯父が俺の根っこの部分をつくった言うても過言やない。でもな、別に伯父が討死したこと自体、俺はどうでもええんや。」
正成
「というと?」
シン
「元来から、戦で死ぬことが理想やった人やからな。厳しく己を律することを是としてた。幼少は病弱やったらしいから、その反動やったんやろな。」
正成
「その反動こそが、越智邦永という傑人を生み出したんか。」
シン
「そうかもな。人は誰でも何かへの反動でつくられる。それと同時に、俺を
正成
「それが、その〝理不尽〟への反動かな?」
シン
「あぁ、そうや。一言でいえば〝どれだけ非道なことをしてても強ければ正義になって、どれだけ道理を貫いても弱ければ悪にされる〟っちゅう理不尽やな。まぁ、大きく見ればこれも万物の摂理なんかも知れんけど。」
正成
「たしかに。ワシも昔はそのことでどれだけ悩んだことか。」
シン
「非道な強者こそ北条、道理の弱者こそ伯父や。…御家人のアンタの前で言うのもアレやけど。」
正成
「まぁまぁ、気にせんでええ。」
シン
「伯父が死んだのを知ってから三日三晩、俺は家に帰らんかったらしい。兄さんに見つけられるまで、山の中におった。なぜかその間のことは覚えてない。」
シンは体を後ろに逸らせ、床にべったり付けた両手の手のひらに重心を傾けて天井を眺めた。
シン
「幼いながら、伯父が死んだことで世の
正成
「道理が非道に負けるのは理不尽やな。」
シン
「それで、世の中ホンマ下らんなと思って、道理もクソもあるか、相手を打ち負かしたら勝ちじゃ言うて、悪
正成
「よう話してくれた。かたじけない。」
シン
「まぁ、もう大昔のことや。心の奥に封じ込めたけど、避けては通れん過去やな。」
後編へつづく。