<岡豊城・浦戸城訪問> 2020年11月
高知県の岡豊(おこう)城・浦戸城を訪問。この2つは一時、四国をほぼ制覇した長宗我部元親の居城だったところです。まずは岡豊城ですが遺構としては曲輪跡とか柱石の跡とかが残っているのみで当時の建物は何もないし再建もされていません。小山のような感じでてっぺんからは高知の平野を見渡すことができます。隣接に高知歴史民俗資料館があり長宗我部氏関連の物が展示されていますが現在リニューアル中で休館。資料館前には元親の小さな像がありました。
元親像といえば初陣の時に先勝祈願をしたという若宮八幡宮というところに元親の銅像があります。車でだいぶ走らないといけませんがこれはかなりカッコいいです。
さて浦戸城ですが桂浜の有名な坂本龍馬の龍馬記念館のすぐ横に天守閣跡が残っておりすごく狭い台形型の場所です。坂本龍馬は有名ですが元親は左程でもなく浦戸城なんて観光客はほとんどいないようです。実は岡豊城が手狭になったので大高坂城(今の高知城)に移ったのですが数年でこの浦戸城にまた移っています。理由としては高知城は地盤が弱いとか朝鮮出兵には海のすぐ横の浦戸が便利とか言われてます。今は道路が横切っているのでお城の全体像がよくわからないのですがまあ海に近くて確かに船での出入りは便利かと。
さてこの元親ですが小さい頃は姫若子とか呼ばれ軟弱そうで期待されてなかったようですが初陣で手柄をたて家臣の信頼を得、本山氏、安芸氏、そして名門一条氏を倒して土佐を完全統一。そして今で言うと徳島、香川、愛媛県の有力大名(三好氏、十河氏、河野氏等)を撃破してほぼ四国制覇を成し遂げます。農民を兵士団として組織した一領具足というシステムも功を奏していたようです。しかしさすがの元親も豊臣秀吉には勝てず一時、抗戦しますが降伏に至ります。ここで華やかな戦国大名としての元親のキャリアは終わったような感じがします。今で言うと地方出身のコンビニなんかが地場ではがんばっていたが全国展開をしている大手コンビニの侵攻には勝てず買収されちゃったって感じでしょうか。その後、秀吉の九州侵攻作戦で阿呆な大名の仙石某かの傘下に組み入れられ拙い采配が理由で島津氏に撃退され非常に優秀で可愛がっていた長男の信親を失います、以降は人が変わったように猜疑心が強くなり四男の盛親を跡継ぎにするため他の息子や家臣を粛正しています。元親死後、関ヶ原の戦いで跡目を継いだ盛親は不本意ながら西軍につき負け組になり改易の憂き目に。土佐は山内一豊に与えられます。盛親は大阪冬の陣に豊臣側として参戦。夏の陣で戦死。名門長宗我部氏は滅亡することになってしまいました。残念です。一連の流れは司馬遼太郎の「夏草の賦」「戦雲の夢」に描かれていますので興味のある方は一読ください。TVドラマでもほとんど取り上げられたことないので是非、大河ドラマでやってほしいですね。
さて小腹も空いたので桂浜で「龍馬ラーメン」なるものを発見。一体、何が入っているのか興味本位で注文したら何とラーメンの上に鰹のタタキが!いやあ、これは合わない。鰹の生臭さとラーメンの中華味が喧嘩して共演NGの一品でした。