<八王子城訪問> 202012

八王子城跡を訪問しました。ここの見所は二カ所に分かれひとつは深沢山に配置された曲輪跡、本丸跡などいわば「戦闘モード」の場所で、もうひとつは御主殿跡といって言わば「生活モード」の普段、生活していた屋敷跡で、柱石跡の他、門、架け橋等が再現されています。前者の本丸に向かうコースですがこれはまさに登山。道が整備されてなくて段差もあり登るのに大変。結構、岩もころがっているのではっきり言って危ない。行き交う人は大体登山スタイルでした。頂上の本丸跡はすごく狭くて小さな祠があるだけ。ちょっと下に八王子神社と書かれたお堂がありましたが気の毒なほどボロボロでした。それでも途中で関東平野を一望できる箇所がありこれは絶景でした。

後者の御主殿跡に向かうコースですがこれはいい!復元された門とか架け橋は情緒があって門の付近は黒澤明の映画「乱」の世界に飛び込んだみたいでした。また大きな杉の木々の間から臨む景色は幻想的で、奥には滝があり(水はほとんど出てなかったのですが)何と秀吉軍に攻められて落城の際にこの滝の上から女性たちが自害して飛び込んで滝壺の水が三日三晩真っ赤に染まったという悲しい逸話があるようです。

このお城ですが、北条家四代目の氏政の弟の北条氏照が作った居城で元々、滝山城というお城に居たのですが豊臣秀吉との戦を想定し堅固な山城であるこの八王子城を建設し移ってきたと言われています。登ってみてわかりますがこれは攻めるのは大変。「難攻不落」を体感しました。しかしながらいざ秀吉との戦になった時、氏照は主立った家臣を率いて本社というべき小田原城に籠っておりこの八王子城が攻められた時は不在。攻め手は前田利家、上杉景勝、真田昌幸という歴戦の猛者で何とたった一日で落城してしまったようです。結局、その後小田原城も落城し氏照は主戦派と見られ氏政共々、切腹させられることになります。現代的に言うと北条財閥の副会長で支社長(八王子)も兼務していたがリーダー不在で支社の経営が立ちいかなくなり結局、会社そのものが全国制覇を目指す豊臣商事の侵攻で倒産してしまったということでしょうか?

ローカルの雄であったけれどもグローバル化についていけなかったという感じです。さて当主氏照ですが今まで彼はイケイケの武将で武力一辺倒の人かなと思っていましたが御主殿跡から中国の陶器とかヴェネチアのグラスなんかが見つかっており屋敷で庭を愛でて茶会等もよくしていたようで単に体育会系の武将ではなく外交能力があり文化的にも造詣が深くバランスのとれた非常に優秀な武将だったようです。伊東潤の「北条氏照」という小説があるようなので読んでみようかなと思っています。城跡の近くに案内所があり色々、ビデオも含め色々説明があり勉強になりました。

さて小腹も空いたので近隣のレストランを探しましたがあまりなくて埼玉県を中心にチェーン展開をしているという「やまだうどん食堂」という店に入りました。お店自慢の鍋焼きうどんを注文しましたが結構、旨かったです。あとでメニューを見ると埼玉B級グルメの「パンチうどん」ってのがあって何とパンチとはホルモンの意味でうどんにホルモンがのっているもの。面白いなあと思ったのは、八王子は東京都なんだけど埼玉の影響を非常に受けているという事。やはり関東一円にお城を持って支配した北条氏の影響が400年以上経った今でも根付いているのでしょうか?