<江戸城訪問> 2020年10月

今更ながらですが江戸城(皇居)を訪問。ここには何回か来た事があったのですがいつも皆さんがランニングをしている皇居周りを散歩するくらいで中に入ったことがありませんでした。今回、大手門から江戸城跡に入ってみてビックリ。こんな広い場所が中にあったのかと驚きました。

 

 

鯉が泳いでいる美しい庭園を抜けると広大な芝生が。ここはあの大奥の跡だったようです。その向こうには天守台跡がありました。今、天守閣の復元模型を近くの休憩所で展示中。その美しさを見るに、ずっと前から思っているのですが東京のランドマークとして江戸城天守閣を再現すべきと改めて確信しました。天文学的な予算が必要かもしれませんが100年の計で考えてインバウンド、世界への発信としてこれは作るべきかと。パリのエッフェル塔、シドニーのオペラハウスにも引けをとりません。以前、大阪城を見た海外のお客さんが目を剥いていました。日本人には目新しくないのですが外国人にとって天守閣は凄くインパクトのある建物だと思います。

 

 
その後、松の廊下跡(今は植え込みになってますが)、富士見櫓等を見学。無料だしなかなか楽しめました。しかし城壁の凄さ、堀の大きさを思うにこのお城絶対に攻略できなかっただろうなと思いました。

 

ところで元々江戸城は戦国時代の黎明期に太田道灌という武将が作ったそうですがこの人、室町時代のMBAスクールとでもいうべき足利学校に学んだと言われる秀才で、しかも頭でっかちでなく実戦に強い戦の天才でほとんど負けなし。文武両道の凄い武将でした。ただこの人、扇谷上杉家の家宰(番頭みたいなもの?)の家に生まれたのですが主人が上杉定正という若い人に代わって暫くして謀反の疑いで暗殺されました。風呂場で襲われ「当方滅亡!」というのが今際の言葉だったようですが「俺抜きでやっていけるの?」と言いたかったのでしょうか?これあまりにも太田道灌の名声が凄いので主人は嫉妬したんでしょうね。結果的にお家は没落。馬鹿な主人です。今で言うと二代目ボンボン社長が先代から使えた優秀な専務を煙たがって解任するという感じでしょうか?まあ彼の行動見てると社長承認を得ずに数々の案件を実行した形跡があるので若社長としては許せなかったのでしょうね。そんな太田道灌の像が東京国際フォーラムに展示されているので挨拶をしてきました。しかし彼も江戸城がこんなに大きくなるとは思わなかったでしょうね。「俺のときは木造二階建てのアパートだったのに今はタワマンやん」とでも思ってるかも。太田道灌ってあまり小説やドラマになったって聞いた事がありません。是非、TVか映画で取り上げてもらいたいです。伊東潤の「叛鬼」って小説に結構出てきますので興味のある方は是非。

 

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さて小腹も空いたのですがこの江戸城跡の中にはレストランがなく見学後やっと外に出ても付近になく、和田倉噴水公園のレストランが有名と聞き覗いたのですがバカ高くて断念。よく見ると地下街がありそこに幾つかお店がありました。空腹のあまり店を選ぶ余裕がなく江戸といえば蕎麦かなと蕎麦屋に飛び込み。腹が減っていたのでカレーライスとお蕎麦のセットをいただきました、ブログに乗せるようなメニューではないのですがいつも食べたものを載せているので載せときます。ということで江戸城見学が昼前後になる方は腹ごしらえの場所にご注意を。