<満福寺訪問> 20213

先日ボヤ騒ぎで報道された湘南の満福寺というお寺を訪問。火事報道で初めて知ったのですがこのお寺は昔、源義経が鎌倉の兄、源頼朝に逢いに行こうとしたが拒絶され止むなく逗留し兄に対する詫び状を書いたとされる場所です。この手紙こそ地名の腰越にちなんで命名された有名な「腰越状」です。さほど大きくないお寺ですが正面に義経と弁慶の像があります。

何でも下書きは弁慶が行ったらしくその下書きが残されているようです。書いているときにコオロギが鳴いたので弁慶が「うるさい!」と嗜めると鳴き止み、その後このお寺ではコオロギが鳴かないとか・・本当でしょうか?お寺の内部には義経や静御前を描いた襖絵があり得も言われぬ雰囲気を醸し出しています。

 

 

しかし義経ですが平家打倒の大仕事を果たしたのに軍監である梶原景時の讒言や老獪な後白河法王に利用され頼朝の許可を得ずに法王から官位を授けられたのが頼朝の逆鱗に触れました。義経は弁明のため京都から鎌倉に向かったのですが前述のようにここ腰越で足止めされ弁明状を書いたのですが無視され悲しく帰っていったという顛末。鎌倉まではすぐの距離なのに・・。しかしこの弁明状ですが結構、恨みがましい文言で綴られており「何で許してくれないの??」という懇願トーンが目につきます。一説には後世で内容がゆがめられたのではないかと?

 

 

義経は戦の天才で対平家戦連戦連勝。ただおそらくは気配りの効かない人でサラリーマン的に言うと営業成績は抜群だけど社内調整のできない人なんでしょうね。個人的にはそれの何がダメなの?と思いますが。今も昔も忖度ができて調整が上手い人の方が出世するんでしょうね。その後、義経は頼朝の追討から逃れるため諸国を転々とし最終的に奥州平泉で命を落とします。残念な最期です。しかし悲劇の主人公というアイコンを確立したのも彼。後世での人気は凄まじく「判官贔屓」という言葉も生みました。来年の大河ドラマでは菅田将暉が演じる義経ですがこの腰越状を書く場面も出てくるのでしょうか?

 

さて小腹も空いたので・・というか実はお寺の前に行ったのですが近くに豪州発祥のカフェのbillsがありそこで昼食と洒落込みました。「世界一の朝食」というキャッチフレーズで有名で昼だけど朝食メニューを頼みました。卵がふわふわで美味しかったです。パンケーキも有名ですがさすがに甘さの爆弾みたいで避けました。江ノ島を臨める絶好のロケーションです。義経の頃にはbillsはまだなかったはずですが(当たり前か)、もしあれば鬱々と兄からの返事を待つ間の気分転換になったろうし豪州発祥のbillsだから「そうだ、奥州ではなくて豪州に逃げようか?」と思ったかも・・・。