<新井城 2020年7月>

三浦半島のほぼ南端、油壷にある新井城址を訪問しました。油壷マリンパークのすぐ近くにあります。お城といっても建物はもう何もなくしかも中心部は立ち入り禁止で周りだけの散策となりました。お城の入り口は冥府魔道に続く道のようでちょっと不気味。このお城は鎌倉時代以来の名門三浦氏の末裔の居城で最期の当主は三浦同寸(義同)、義意の親子。三浦同寸は戦国時代初期の人であの北条早雲の最強のライバルと言われた人。あしたのジョーでいうところの力石徹、ドラゴンボールでいうところのフリーザみたいなものでしょうか?この人は、伊豆を皮切りにどんどん東に勢力を伸ばす北条早雲に危機感を抱き徹底的に対抗してきました。いわば守旧派のボスみたいな人ですが武勇にすぐれ今残る僧衣をまとった肖像画は武蔵坊弁慶的というか「るろうに剣心」の志々雄真実みたいな感じもします。

 

彼は幾度も早雲の行く手を阻んで戦い続けるのですがだんだんと劣勢になり領土だった三浦半島もどんどん侵攻され最終的にはこの南の端の油壷の新井城(三崎城とも)まで追いつめられました。ここは相模湾に突き出ている地形で三方が海に面しており天然の要害となってなかなか攻めにくいお城。この城に籠って長らく篭城していたのですがついに精魂尽き果て、一族はここで討ち死に、そして自決。一族はどんどん崖下の海に落ちていきました。一説によると湾内がどすぐろい血で染まったのでその後、油壺という名前になったとか。三浦同寸の辞世の句は「討つものも討たるるものも土器(かわらけ)よ。くだけて後はもとの土塊(つちくれ)」というもので現代人の胸にもぐさりと響く言葉です。三浦同寸のお墓はマリンパークの駐車場の裏手を入ったところにひっそりとありその後ろはすぐ崖でした。こういう場所から飛び込んで一族は死んでいったのかと思うと涙がほろり。

 

三浦同寸はあまりメジャーでなくほとんどメディアでも取り上げられたことはありません。小説でいうと北条早雲が主人公になっている司馬遼太郎の「箱根の坂」、伊東潤の「黎明に起つ」富樫賢太郎の「北条早雲」等に登場します。まあ今風に言うと規制改革反対の東京都議連のボスとか伝統ある会社でGAFA等の新しい価値観が生み出す業界の革新に背を向けるリーダー的でとかくヒール的な感じですが頑固一徹しかも強いところが好きです。

 

さて小腹も空いたので油壺で食事と思い、「風工房」という陶器やガラス細工の制作体験ができ隣接してレストランがあるというところに行きました。芝生でテントを張ったところでランチをしたんですが広々として気持ちよくおすすめの場所です。ヨットハーバーがすぐ横にありました。昔々、悲劇があった油壺も今はヨットハーバーしかりハイソは街になっているようです。