らんまん、牧野富太郎、長田育恵、北村総一朗、南国土佐を後にして、踊る大捜査線、ローハイド、高知県、アメリカ ワイオミング州、松坂慶子、宮崎あおい、神木隆之介、浜辺美波、志尊淳、岡本知高、NHK 朝ドラ、ドラマ、歌謡曲、洋楽。

 

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音路128.老練 ローレン、老輩は負けない!
【愛らんまん.6】



本ブログ「歴音fun」では、しばらく「夏メロ」特集を行っていましたので、コラム連載「愛らんまん」をお休みしていました。
今回から、先日までのNHK朝ドラ「らんまん」の主人公のモデルである植物学者の牧野富太郎(1862・江戸時代の文久2 ~ 1957・昭和32 / 享年96歳・満94歳)や植物に関連した連載「愛らんまん」を復活スタートいたします。


◇長田育恵さんの「らんまん」

植物学者の牧野富太郎とその家族を描いた、NHKの朝ドラ「らんまん」が、9月29日に最終回をむかえ、終了しました。

個人的に、朝ドラ「らんまん」は、たいへん素晴らしい作品だったと思っています。
朝ドラの歴史の中でも、秀作のひとつであろうと思います。

脚本は、劇作家の長田育恵(おさだ いくえ)さんが担当されました。
劇団「てがみ座」の主宰もされているそうです。

申し訳ありませんが、私は、これまで長田さんの作品に触れたことがなく、まったく存じ上げませんでした。
朝ドラ「らんまん」が初めての経験となりました。

私は、今回の朝ドラ「らんまん」を見て、さまざまな内容の主張がしっかりと込められ、緻密に練り上げられた構成と脚本に、さすが戯曲作家・劇作家だと、長田さんの才能に驚かされました。

* * *

NHKの「朝ドラ」では、数回に一度、実在した歴史上の人物の生涯を、その名前を変え、新たな魅力を加えて、ドラマとして表現することがあります。
史実や通説に基づく「大河ドラマ」とは異なる、歴史上の偉人たちへのアプローチ手法です。

私の印象では、NHKが、朝ドラで歴史上の人物を扱う場合に、歴史的視線や歴史観をしっかり持った脚本家を選択しているように感じます。
史実や通説にこだわるがゆえに、再現型の歴史ドラマでは、歴史の表面しか描けなかったり、もう一段踏み込んだ展開や表現が難しくなったりもします。
歴史再現ドラマより、むしろ朝ドラのほうが、その時代の本来の歴史観がしっかり表現されているかもしれませんね。

今回の朝ドラ「らんまん」では、今の現代人の感覚では理解することが難しい歴史観や、その時代の問題を、その時代に即して表現されていたように感じます。
もちろん、現代感覚も混ぜながら…。

ドラマ番組というだけでなく、歴史考察番組として見るならば、半年間という放送期間は、なんとも短いという気がしてなりません。
個人的には、時間をかけて、もっと掘り下げて表現してほしい内容が、たくさんありました。

* * *

さて、歴史を扱った連続ドラマの中では、ドラマ展開の面白さを持続させるということよりも、視聴者に面白くないと言われようと、作家や脚本家が、歴史的意義や主張を優先する放送回が作られることも少なくありません。

朝ドラ「らんまん」の最終週の最初の月曜日と火曜日の放送内容も、ドラマ展開とは直接に関係してはいませんでしたが、たいへん素晴らしい内容で、今回の130回の放送回の中でも、非常に大切な回であったのだろうと思っています。

今の東京・練馬区の、牧野一家が暮らした場所が、無料で入園できる、今の「牧野記念庭園」になるきっかけと、その意義を伝える内容でした。
そして、脚本家の長田育恵さんの個人的な思いがしっかりつまった放送回だったと思いました。

その回では、万太郎(富太郎)の祖母を演じ、放送の中盤で退場となった女優の松坂慶子さんと、ドラマの最初からナレーションのみを行ってきた女優の宮崎あおいさんが登場されました。

私の予想(希望)では、牧野富太郎と親交があり、一緒に「新・秋の七草」の選定者でもあった、作家の与謝野晶子役で、宮崎あおいさんが最終週に登場すると予想(希望)していたのですが、別の方の役で登場されました。

その役とは、牧野富太郎の死後に、彼が残した標本などを整理し、保存と調査に尽力された山本正江さんがモデルのようです。
彼女なくして、今の「牧野記念庭園」はなかったかもしれません。
牧野富太郎の功績が、しっかり後の世に残るために、たいへん貴重な役割を果たした女性でした。

* * *

私は、松坂慶子さんが演じた、万太郎の祖母が、ドラマの中盤で死去しドラマを去る前に、ナレーションの宮崎あおいさんとの映像内での共演も期待はしていましたが、かないませんでした。
それが最終週で意外なかたちで実現したのです。

松坂さんと宮崎さんといえば、大河ドラマ「篤姫(あつひめ)」の際に共演され、日本のドラマ史の中でも、名コンビとして残っているキャスティングでしたね。
その「篤姫」は、大河ドラマの中でも名作の誉の高い作品です。

薩摩(さつま:今の鹿児島県)から江戸に将軍の妻としてやってきた娘時代の「篤姫」(演:宮崎あおいさん)を、鍛えなおし、世話をし、導き、将軍の正妻となった後も、篤姫を支え続けた大奥の女性を松坂慶子さんが演じられました。
今回の朝ドラ「らんまん」でも、二人の共演シーンを期待したドラマファンも多かったはずです。
長田さんは、最後に、しっかり期待に応えてくれたのだろうと思います。

とはいっても、「篤姫」の時のような、松坂さんのチカラ強い、気合いの一喝はありませんでした。

* * *

その「らんまん」放送回で、私が度肝を抜かれたた台詞が、二つありました。
冒頭のほうで、万太郎の妻の寿恵子が、万太郎(富太郎)に語ります。
「万太郎さん、私、やりとげました」。

ドラマ内では、寿恵子が、万太郎(富太郎)の成功や、家族が安心して暮らせる土地と家の購入、植物標本などの保存環境を整えること、植物園造りの目途をさして、「やりとげた」と語ったと思います。

こうして考えてみると、今に残る「牧野富太郎の植物ワールド」の完成までのレールを敷いた人物こそ、この寿恵子であったのだろうと思います。
万太郎(富太郎)ひとりだったら、今の時代にここまで残っていないだろうと思います。
このドラマのもうひとりの主人公こそ、この寿恵子でしたね。

ただ、私は、この台詞「万太郎さん、私、やりとげました」を耳にして、瞬間的に、脚本家の長田さんが、牧野富太郎に向けて語った言葉とも受け止めました。
「私、やりとげました」。
そのとおりだと、私も思います。

* * *

もうひとつ、その放送回の最後の宮崎あおいさんの台詞も、とても印象的なものでした。
「次の方に渡すお手伝い…私もしなくちゃ」。

牧野富太郎の功績を残していくことは、あの時代に、並大抵の決意と努力では行えなかったと思います。
関東大震災、太平洋戦争、生活困窮…。

そして、これから、世代が変わってもおそらくは同じでしょう。
まさに、チカラ強い決意の台詞に感じました。

長田さんの「らんまん」には、そうした意味合いが、しっかり詰まっていましたね。

* * *

この放送回の内容は、一見、ドラマの展開とは関係ないのかもしれませんが、ものを創る人間として、その価値や意義、目的をしっかりと視聴者に伝えたいという脚本家の思いが込められていたように思います。

東京都 練馬区に、今に残る「牧野記念庭園」の重要な意義が、その中で、しっかり語られていたと思います。
これほどの庭園や資料館が入場無料だとは信じがたいですね。
それだけでも、遺族や関係者の方々の、強い気概を感じます。
寿恵子が残したものなのかもしれません。

現代人が歴史を見る時に、現代人の感覚や思想をそのまま当てはめると、見誤ることも少なくありません。
人間は、時代や環境に大きく影響されますので、各時代によって生き方や考え方が大きく変わります。
歴史研究をする者たちは、それぞれの時代にあわせて、目線や考え方をシフトさせていきますが、それぞれの時代の人間たちの成果物や結果だけでなく、どのような生き方をしていたのかを、後世に残していくことは、とても大切なことであろうと思います。

先人たちが残してくれた、結果も、成果物も、そして生き方も、現代に生きる私たちにとって、たいへん貴重なものであるのは間違いないと思います。

長田さんや制作スタッフ、俳優さん方が、残してくれた映像作品「らんまん」も、植物学の歴史の中で、燦然と輝くものになったであろうと、私は思っています。
やりとげた皆様に、感謝!

* * *

さて、私は、「らんまん」の最終週に、前述の与謝野晶子のほかにも、最後に、昭和天皇と富太郎のエピソードが描かれるものと思っていました。
私の想像ではありますが、皇室におられます、昭和天皇の皇子(みこ)の上皇陛下、お孫様の天皇陛下や秋篠宮皇嗣殿下、ひ孫の皇族方ら、皇室の方々も、ひょっとしたら楽しみにされていたかもしれません。

登場がなく、私は残念でしたが、そのかわり、最終週に、ものすごいサプライズがありました。

万太郎(富太郎)が上京して暮らした東京の根津の長屋には、あるシェークスピア好きの文学青年がいたのですが、ドラマの中ではいつのまにか、ス~っといなくなっていました。
それが、最終週にひょっこり戻ってきたのです。

なんと なんと、坪内逍遥(つぼうち しょうよう)がモデルの人物として。
早稲田大学に演劇博物館を残した、あの劇作家・小説家の坪内逍遥です。
私のイメージでは、牧野富太郎に負けないほどの、ユニークな個性を持った「変わり者」の坪内逍遥です。
今でも、早稲田大学を目指す受験生たちが、いろいろ無視していい人物ではありませんね。
そして、演劇人も…。

ドラマ「らんまん」の初期の頃に、「東京根津の遊郭の女性に熱をあげる青年学生」として描かれたときに、ピンとくるべきでした。
まさか、坪内逍遥を、「らんまん」に登場させるとは!
東京大学の内情の一連の話の中に、早稲田を、まさか ぶち込んでくるとは!
逍遥こそ、あの「南総里見八犬伝」の滝沢馬琴の大ファンだった人物です。
それで、寿恵子も それが好きということか…。

ドラマ「らんまん」の最終週の中では、坪内逍遥をモデルとした人物が、こんな台詞を言います。
「なんで、俺まで…」。

調べましたら、牧野富太郎と坪内逍遥は、出逢った記録がないようです。
根津の長屋で、実際に二人がいっしょに過ごしたとは想像もできません。

「なんで、俺まで…」。
その応えは…
「らんまんは、長田さんの脚本だから…」!

坪内逍遥は東京大学出身ですが、早稲田大学の教授になった人物です。
その早稲田大学出身の劇作家が、長田育恵さんなのです。
演劇人にとって、早稲田大学出身者にとって、特別な存在の坪内逍遥を登場させるあたりは、さすがというか、「チカラ技」ですね。

ドラマ内では、長田さんの演劇に対する思いが、しっかり逍遥の言葉となって表現されていた…「かもしれないよね!」(ドラマ内の逍遥の台詞)

坪内逍遥を最後に登場させたことは、立派というしかありません。
多くの演劇人を納得させたことでしょう。

* * *

放送期間が半年間ですので、いたし方ありませんが、牧野富太郎の渋谷時代、練馬時代が、あっという間の詰め込み内容で、少し口惜しい気もしないではありません。
万太郎(富太郎)の「日本全国植物行脚」のお話も、高知での西洋音楽普及の取り組みも、ドラマの中では描かれませんでした。
個人的には、相当 楽しみにしていました。
大河ドラマと同じ一年間で描いてほしい物語でしたね。
関東大震災あたりから富太郎の死までの内容で、あらたな半年間の「らんまん2」を描いてほしいくらいです。
私は、確実にヒットすると予想しています。

今回の朝ドラでは、主役の万太郎役の神木隆之介さん、妻の寿恵子役の浜辺美波さんだけでなく、多くの役者さんの配役が素晴らしく、その役柄も俳優さん本人もとても魅力的に見えました。

役者を輝かせる脚本でしたね。


今回のドラマの登場人物のたいはんは、実在のモデルがいます。
そのモデルの方々は、ほぼ故人となっていますが、何か、今でも生きているような気持ちになります。
それほど、登場人物たちが、それぞれ個性的に活き活きと描かれていました。

タケオ役の志尊淳(しそん じゅん)さんや、万太郎の長女の園子役の幼児の、まさに主役級の人気ぶりにも驚かされましたね。
「タケオロス」、「ソノちゃんロス」という言葉も耳にしました。
タケオが、その後に何度も復活登場したのは、当初からの予定…?

ともあれ、「らんまん」という作品は、朝ドラの歴史の中でも、燦然と輝く存在になったのだろうと感じます。
やりとげた 長田育恵さん、本当に素晴らしい作品をありがとうございました。

* * *

この朝ドラ「らんまん」には、歴史に名を残す偉人たちがモデルとなった人物が、これでもかというほど たくさん登場し、単に登場するだけでなく、それぞれの思いを語っていました。
歴史ファンからみても、たいへん満足できる内容だったと感じます。

朝ドラ「らんまん」の放送は終了しましたが、本コラム連載「愛らんまん」は、もう少し続けてまいります。
そうした歴史の内容についても、できる範囲で、書いていくつもりでおります。

牧野富太郎のこと、関連した内容、関連した植物、ドラマ内で描かれた人物や内容などを、音楽や歴史とともに書いていきたいと思っております。

連続掲載ではなく、間に他の内容のコラムの回もはさみながら、断続的に連載「愛らんまん」を続けてまいりますので、よろしくお願い申し上げます。

私は、このドラマ「らんまん」をきっかけに、植物の花部分だけでなく、葉、茎、種、根っこ、植生地、進化の歴史に非常に興味を持つことができました。
「植物園は、花だけではない。植物鑑賞だけではない。」ということが わかりました。
コラム連載「愛らんまん」では、そんな植物のお話を書いていきたいと思っています。

最後に、ドラマ内の スエちゃん(演:浜辺美波さん)の台詞を…。
「私がいなくなっても、いつまでも泣いてちゃだめですからね…」

ス、ス、スエちゃん…。


◇南国土佐を後にして

ここからは、昭和生まれの世代にとって、「高知といえば、この曲」ともいうべき楽曲「南国土佐を後にして」のお話を書きたいと思います。

高知県佐川町出身の牧野富太郎も、当然、耳にし、クチずさんだことでしょう。

このお話は高知県人であれば ご存じの方も多いですが、その他の県の方は、ほぼ知らない内容です。
高知県人でも、若い世代の方々は、この楽曲の本来の姿を知らないかもしれませんね。

* * *

歌手のペギー葉山さん(1933~2017)の、1959年(昭和34)の大ヒット歌謡曲で、昭和世代の方なら、まず知らない方はいないと思います。

この大ヒット曲は、1953年(昭和28)には すでに作られており、作詞作曲は、愛媛県に生まれ、亡くなるまで高知市で暮らした 武政 英策(たけまさ えいさく)です。

実は、ヒットしたこの楽曲には、元となった楽曲があります。
完成された楽曲と言っていいかわかりませんが、元歌があります。
作詞作曲者は不明です。

この元歌は、1959年(昭和34)に大ヒットした歌詞とは少し異なり、メロディも確立したものではなかったのかもしれません。
人々の間で、愛唱された、ふるさとを想う歌でした。
おそらくは、高知県の中で、人々の間で、自然と作り上げられていった音楽だったように思います。

* * *

さて、終戦まで存在した、大日本帝国陸軍の中に、「第40師団」という師団があり、さらにその中に「歩兵第236連隊」がありました。
「第40師団」は、日中戦争の中で、中国大陸に派兵された部隊で、四国出身者の兵士が多数いました。

「歩兵第236連隊」は、その師団の中で、中核をなす重要な戦闘部隊でした。
「歩兵第236連隊」は、高知市朝倉の「歩兵44連隊」を中心に編成された部隊で、隊長は小柴俊男 大佐(ノーベル物理学賞を受賞された小柴昌俊さんの父)です。
お二人の小柴さんは、高知県の出身ではありません。

この高知の「歩兵第236連隊」は、その土地柄から、「鯨部隊(げいぶたい・くじらぶたい)」とも呼ばれました。
高知にとって、鰹(かつお)と鯨(くじら)は特別な生き物で、暮らしと切っても切り離せない存在ですね。
昔から捕鯨にたずさわる漁業従事者も多かったはずです。
「鯨部隊」とは、高知にふさわしい、いかにも勇壮でたくましい印象を受ける名称ですね。

当時の日本軍のそれぞれの連隊は、それぞれの県の出身者が集めらていることも多く、山国や砂丘・砂浜のある県の出身者の多い連隊は足腰が強いとか、海の国の出身者の多い連隊は泳ぎが上手とか、雪国出身者の多い連隊は寒さに強いなど、それぞれの出身地の強味を活かすことも多くありました。
標準語があったにせよ、当時ですから、「お国言葉」や、ふるさとの話が共通ということも重要なことですね。

多くが高知県出身者で組織された部隊「歩兵第236連隊」の兵士たちの間で愛唱された、ある歌こそが、後に、この楽曲「南国土佐を後にして」になります。

* * *

終戦までの、この愛唱歌の歌詞は、戦後にヒットした時とは別の歌詞です。
元歌の歌詞には、戦時下特有の歌詞部分も出てきますが、とはいえ、特に戦時色の勇ましい歌詞内容は出てきません。
むしろ、ふるさと高知の光景や人々を思い出させてくれる、やさしい「ふるさとの歌」のように感じます。

中国の戦地で、兵士たちが陣地のたき火を囲み、故郷の高知の光景を思い浮かべながら、みなで合唱したことでしょう。

はりまや橋で、なんと、寺の坊さまが、女性への贈り物として高級な「かんざし」を買ってるよ…変装したって、すっかりバレてるよね。アハハ!
月の名所は、なんといっても桂浜! 今の、この陣地のたき火も、桂浜じゃき!
国(土佐)に暮らす親父が、「鯨をとったよ」と、戦地に便りをよこしてきやよ!
さあ、みんなで、大声で「よさこい節」でも歌うき!

厳しく、苦しい戦地の中で、兵士たちは、この歌を歌いながら、ひとときの安らぎを味わっていたのだろうと思います。
そして、決死の戦場に向かうときや、戦死した仲間の弔いの意味を込めて、この歌を歌ったかもしれません。
特攻隊もそうでしたが、直前に、こうした故郷のやさしい歌を合唱することも多かったと聞きました。

元歌の歌詞

元兵士による元歌の歌唱です。
映像

おそらくは、日本各地の連隊に、自身たちの故郷を想う「愛唱歌」があったのだろうと思います。
戦後、この「歩兵第236連隊」の愛唱歌の歌詞は、高知から東京や大阪に働きに出て行った若者が故郷を想う歌詞に作り変えられ、「よさこい節」のメロディをしっかり挟み込み、日本全国で愛される歌になりました。
地方出身者が、都会に働きに出てきて、感じる気持ちが、この歌の歌詞にはしっかり盛り込まれていますね。
元兵士たちも、遺族たちも、この歌の元歌を頭に思い浮かべ、戦後バージョンの歌を聴きながら、戦後の復興にがんばったのかもしれません。

ペギー葉山
♪南国土佐を後にして

 

南 里沙さんの、クロマチック・ハーモニカ演奏
♪南国土佐を後にして


元歌の意味や背景を知ると、この歌が、歴史の中に、しっかり残していかなくてはいけない楽曲だと、強く感じます。


◇音楽は、現場で聴かれている!

今回の本コラムでは、高知市出身の男性の名俳優のお話を、この後に書きたいと思っていますが、その前に、この大ヒット・テレビドラマのテーマ曲をご紹介します。

ドラマ「踊る大捜査線」(1997・平成9 ~ 1998・平成10)のシリーズ作品は、断続的にテレビ放送され、映画にもなりましたね。
主演は織田裕二さん、他にも、北村総一朗さん、いかりや長介さん、柳葉敏郎さん、深津絵里さん、ユースケ・サンタマリアさんなど、個性的な俳優さんが多数出演されていました。

ドラマ内での有名な台詞「事件は、会議室で起きているんじゃない!事件は、現場で起きているんだ!」は、さまざまに転用され、世の中で流行しましたね。
警察や建設業でもないのに、ビジネスマンも、学生も、主婦までも、「現場」とクチにしましたね。

「踊る大捜査線」テーマ曲
♪リズム&ポリス

 

* * *

近年、世界的に、昔の有名楽曲の編曲やサンプリングにより、新しい世代に、歴史の中に埋もれていた音楽曲が知られるようになり、再び大ヒットするケースが増えていますね。
かつての大スターが、新しい若いミュージシャンと、同じ楽曲で共演することもあります。
この曲も、それに似たケースと思われますね。

1957年(昭和32)の、メキシコを代表する楽曲。
アントニオ・マシエル
♪El Cascabel


ラテン系の、高揚感とノリのいいリズム、そして漂う哀愁が たまりません!
Mariachi Chavez
♪El Cascabel


* * *

バッハ、ベートーヴェン、モーツァルトなどの歴史に残る偉大なクラシックの音楽家たちも、尊敬する先人の音楽作品を丹念に研究し、自作の音楽の中に盛り込んだり、自らが先人の曲を作り変え、無名だった曲を偉大な作品に創りかえることも少なくありませんでしたね。
作曲者不明の伝統民族音楽や民謡の旋律を、自作品の重要な主題にすることも多くありました。

トルコ民族に伝わる伝統的な音楽スタイルを気に入り、ハイドン、ベートーヴェン、モーツァルトは、「トルコ風」を、自分でしか表現できないスタイルで自作曲として作ってみせました。
トルコ風とはいっても、完全に、それぞれの音楽力を見せつけています。
「私に任せれば、どんな音楽スタイルでも、こんなすごい曲にしてやるよ」と言わんばかりに…。

クラシック音楽の歴史の中で、燦然と輝く作品を残した音楽家たちは、もちろん自身の音楽的権利を考えてはいましたが、それよりも、より多くの聴衆に自身の音楽を受け入れてもらえるかを重要と考えていた人物も多くいました。
とにかく聴衆の評価を気にしていた音楽家も多くいました。

一方、受け入れられる音楽は、時代によって変わり、さらに成長し、新しいものを生み出していくという感覚を持っていた音楽家も多くおり、目の前の自身の評価をまったく気にしない音楽家もいましたね。

中には、自身の死とともに、自筆の楽譜をすべて焼却処分したり、コンサート終了後に楽団に配布した楽譜をすべて回収した音楽家もいました。
そうした作品の多くは、当時、他人が、演奏を聴いた記憶から楽譜におこしたり、後の時代に研究され、楽譜になったものです。
音楽家たちは、今も昔も、権利に関して、それぞれの考えを持っていますね。
「ひとくくり」では ありません。

* * *

音楽好きの人間としては、過去の素晴らしい音楽作品が歴史の中に消えていくよりは、悪意のない、別の何らかのかたちであっても、作り直されたかたちであっても、今現代の私たちの耳に届けられることで、私たちの人生や暮らしが楽しいものになったり…、知らなかった外国の音楽を知ることになったり…、テーマ曲になることで、ドラマを見るのが楽しくなったり…、そうしたことこそが音楽の大きな役割のひとつなのだろうと感じます。

「踊る大捜査線」のテーマ曲が大ヒットした当時、世の中の多くの人が、勝負の仕事、スポーツの大事な試合、大切な受験などの直前に、このテーマ曲を聴いて、気持ちを高ぶらせて臨んだという方も少なくありませんでしたね。
日本で、このヒット曲が果たした役割は、たいへん大きかったと思います。

特定の権利を守りすぎることで、大切な音楽が消えていく…、新しい音楽による恩恵が社会に生まれない… そうしたことは、聴衆側にとって、社会にとって、できれば避けたいようにも感じます。

* * *

日本やドイツは、第二次世界大戦の敗戦国ですので、その後の国際社会のルールの中で、権利や行動の面で、さまざまなペナルティを受けていますね。
少しずつ緩和の方向にはありますが、日本やドイツが、国連の常任理事国になるのは容易ではありません。

世界には、権利や自由という概念は理解していても、国の体制や統治の中で、それを採用していない専制主義国家がたくさんありますね。

自由で民主主義の国際社会の国々で生まれた音楽作品の権利期間が、近年、延長し長くなり、訴訟のやり方も変更になりましたが、その理由の中には、間違いなく、そうした専制主義国家に対抗した意味あいもあります。

音楽家や音楽作品の権利を守ることが、音楽世界全体の成長や、新しい時代を守ることに通じるということはもちろんですが、音楽の持つ多様性や社会性において、弊害を生じさせてしまうこともあります。
人間や作品の権利をふまえ、ほどよくバランスを維持していかないと、音楽全体の崩壊にも…?
音楽は、地球の自然環境にも似ているのかもしれませんね。
健全に守られ、育まれてこそ、未来に継承できるものなのかもしれません。

音楽は、会議室で作られ、会議室で聴かれているわけではない!
音楽は、世界中の現場で作られ、聴かれ、楽しまれている!


◇スバルの光は、永遠!

さて、話しを戻します。

ここからは、文字通り「南国土佐」を後にされた、高知市出身の名男優で、前述のドラマ「踊る大捜査線」の中で、警察の湾岸署の署長である「神田総一朗」役を演じたのが、俳優の北村総一朗(きたむら そういちろう)さんです。
まさかの役名… かんだ そういちろう!

当時、そのドラマ内では、警察署長と、副署長、刑事課長の三人が、面白い三人組として登場しました。
コミカルな雰囲気をかもし出しながらも、いざとなったら正義感と人情味を表にあらわす、ドラマ内の「ゆるキャラ」のような、ドラマの緊張感をやわらげる大事な存在でした。

この三人は「スリー・アミーゴス」と名付けられ、世の中で大人気の「おじさん愛されキャラ三人組」となり、テレビCMや、バラエティ番組にも たくさん登場しましたね。

下記CMの冒頭で歌を歌っている方が、北村総一朗さんです。


CM

CM

CM

このドラマに登場した、東京のお台場にある「湾岸署」でしたが、ドラマの終了後に、本当に「東京湾岸警察署」が作られました。
北村総一朗さんは、2008年(平成20)に、なんと本ものの「一日 湾岸署長」を務められました。
神田総一朗署長だったのか、北村総一朗署長だったのか… 私は捜査できていません。
スリー・アミーゴスなら きっと言います。
「大捜査せん…なんてね!」

一日署長の映像

* * *

ドラマ「踊る大捜査線」で、子供から高齢者までの幅広い世代の人気者になった北村さんですが、私は、外国映画やドラマに登場する、二枚目俳優の吹き替えの声の印象を強く持っています。
スマートな甘い声で、若々しい魅力的な言い回しは、いかにも二枚目スターの吹き替えにふさわしいと感じました。

映画「イージー・ライダー」(1969・昭和44)のジャック・ニコルソンの吹き替え


映像

ドラマ「地上最強の美女バイオニック・ジェミー」(1976~1978)の中の吹き替え


映像

他に、映画「華麗なるギャツビー」(1974・昭和49)のロバート・レッドフォードの吹き替え映像をネット上で探しましたが、見つけられませんでした。

北村さんの奥様の声も、皆様は、テレビで頻繁に耳にされていると思います。
ご夫婦の迫力ある美声での会話… 毎日の家庭も映画のシーンのよう…?

* * *

北村さんは、NHKの多数の大河ドラマや名作ドラマ、民放テレビ局の多数のヒットドラマ、多くの映画に出演されましたが、出演作は軒並み名作ぞろいですね。

テレビや映画を視聴した人たちの中で、北村さんの甘い声と、技量を感じる独特な台詞回し(せりふまわし)を、記憶しない方はいないでしょう。
見た人に、強烈な印象と感動を残す俳優さんですね。

実は、私は、高知が舞台の一部でもある、前述の朝ドラ「らんまん」の中で、高知県安芸市出身で、あの三菱財閥の創業者の岩崎弥太郎の役で、北村さんが出演されるのではないだろうかと思っていましたが、その希望はかないませんでした。
私が個人的に想像する、おそらくは「おしゃべり」であったであろう坂本龍馬の実際の「土佐弁」の言葉や口調も、ひょっとしたら北村さんのような感じではなかっただろうかとも思っています。
ユニークさを持ちながらも、抑揚をつけたチカラ強さと深さのある口調…。
言葉選びと口調は、坂本龍馬の武器のひとつであった気がします。

* * *

北村さんは、1935年(昭和10)、高知県高知市にお生まれになりました。
ちなみに、昭和10年は、日中戦争が始まる2年前で、忠犬ハチ公が亡くなった年です。
朝ドラ「らんまん」でいえば、寿恵子の死から7年後で、万太郎(富太郎)が日本各地で植物採集を行っていた時期です。
昭和11年に、富太郎は高知で植物採集を行っています。
北村さんが、牧野富太郎と出逢われたかは、私は知りません。

先ほど、北村さんのテレビや映画のご出演のことを書きましたが、もともとは、劇団に所属する舞台役者さんです。
劇団「文学座」、劇団「雲」を経て、1975年(昭和50)からは劇団「昴(すばる)」に所属されご活躍されています。

大病を乗り越えられた後、2017年(平成29)には、映画「ふくろう」の舞台版の演出を手がけられました。
下記映像は、2018年の映画祭の時に行われた、北村さんによるお話です。
戦争のこと、演出のこと、役者になるきっかけのことなどが語られています。


北村さんのトーク映像

* * *

北村さんは、2023年(令和5)の9月の誕生日で88歳となり、「米寿」をお迎えになりました。
ご自身のブログ「行住坐臥(ぎょうじゅうざが)」で、そのご心境を書かれています。

ブログ

 

あの湾岸署の署長さんは、定年退職後も、元気にがんばって活躍され続けておられますね。
元署長の「行住坐臥(ぎょうじゅうざが)」は、ますます「朗(ほがらか)」なり!

* * *

北村総一朗さま
大病や苦節を乗り越え、米寿をおむかえになられたこと、つつしんで言祝ぎ白し上げます。

米寿の「米」は、漢字の「光」にも似ています。
北村さまは、これからも、後から来る世代に「光」を照らし、「光」を差し伸べる先人であられるであろうと、私は思っております。
夜空に輝く「昴(すばる)」の光は、永遠!

これからもご自愛の上、朗(ほが)らかな日々をお過ごしになられることをお祈りしております。


◇まだまだ、達者です!

ここからは、米寿のお祝いの気持ちを込めて、北村総一朗さんに…。
そして、高知にゆかりの方々、そして、還暦、古稀、喜寿、傘寿、米寿、卒寿、白寿、百歳…をお迎えになられた方々やご家族、これを読んいただいている中高年世代の皆様に向けて、応援の意味を込めて、音楽曲をお届けしたいと思います。

* * *

ちょっと小耳に はさんだんだけど、今日は、あなたの誕生日なの?
僕も!
俺も!
私も!
あたいも!
おいらも!
そこのワンちゃんも!
みんな… 米寿なの?

ひとりで、しみじみとお祝いもいいけれど、みんなが…、亡きあの人たちが…、お祝いしてるよ!

ビートルズの1968年(昭和43)の楽曲。
ヨーコも、パティもいっしょだよ!
♪バースデー(2018ミックス・バージョン)

 

* * *

「しばてん」とは、「芝天狗(しばてんぐ)」のことで、高知や徳島に伝わる、河童に似た妖怪のことです。
「芝天狗」って、「芝居の天狗」のこと…?
春日八郎
♪しばてん祭り

 

* * *

「昴(すばる)」とは、夜空に輝く六つの星の連なりのことですね。
西欧では「プレイアデス星団」と呼ばれ、6~8個の大きな星を中心とした、無数の星が集まる星団のことです。

誰に言われることもなく、その星たちは そこに自然に集まり、一緒に演じ、一緒に奏で、一緒に輝きます!
そう、これからも ずっと…!

70年代のプログレッシブ・ロックにも心酔している、クラシック音楽の大家である吉松 隆さんの楽曲を二曲…。

吉松 隆

「プレイアデス舞曲集」第5集より
♪真夜中のノエル

 

吉松 隆

「優しき玩具」第3集より
♪木洩れ陽のロマンス


* * *

CM映像を二つだけ…。

楽曲は、竹内まりやさん の「人生の扉」。
「あの人の心が、折れませんように…」。

 

楽曲は、竹内まりやさん の「元気をだして」。
「おつかれナマです」。

 

* * *

自動車の免許証を返納したのですね。
愛車よ、さようなら。
愛車の新しい門出を祝して!

北村さんのブログ

 

♪達者でナ(1960・昭和35)

 

9月30日は、1955年(昭和30)に自動車事故で亡くなった米国の俳優ジェームス・ディーンの命日です。
24年の短い人生を、まさに激走!
今、もし生きていたら、今年で92歳。

ジェームス・ディーンが残した有名な言葉があります。
「Dream as if you'll live forever. Live as if you'll die today.」
(永遠に生きるつもりで夢を抱け! 今日死ぬつもりで、全力で生きろ!)

男はみな、ディーン!
自動車などなくとも、人生は疾走できます!
最後まで、そう、走り続けるのさ! 自分のチカラで!

原曲は、原田真二さんの、1977年(昭和52)の大ヒット曲。
ここは、2017年のロック仕様の「武道館バージョン」で…。
ジェームス・ディーンをまねながら…、まだまだ走り続けよう!
でぃ~ん たち!
原田真二
♪てぃ~んず ぶる~す

 

* * *

高知の太陽に負けない…、高知の風に負けない…、高知の海に負けない…。
高知の海に来(き)い!
高知の海に いにや!
井上陽水
♪海へ来なさい(セルフカバー・バージョン)

 

* * *

8月の「夏色」の高知の、美しい夕日の桂浜を散歩する、役者の男女がそこに…。
森山良子
♪さよならの夏(1976・昭和51)

 


◇老練!老練!老練!…老輩!

昭和生まれは、勉学に、就労に、幾度も ムチ打たれ ムチ打たれ、がんばり抜いてきましたね。
ちょっとやそっとじゃ、へこたれない世代!
「がんばれ」「がんばる」が、日常の挨拶ことば!

1959年(昭和34)にスタートし、何度 再放送されても好評の、まさに老練(ろうれん)のスーパードラマがありますね。
それが米国ドラマ「ローハイド(Rawhide)」!

* * *

「ロー(raw:生 ナマ)」と「ハイド(hide:皮)」… つまり「生皮(きかわ)」、「生皮製の鞭(ムチ)」、「生皮の鞭で打つ」という意味があります。
派生して、カウボーイがズボンの上から着用する革製のズボンカバーもさしています。

歌詞にある、あの「ローレン、ローレン、ロレーン」は、「Rollin', Rollin', Rollin'(行け、進め、進め!)」という英語表記ではありますが、米国ミズーリ州出身でモンタナ州で暮らした、カウボーイやインディアンなどのウエスタン映画文化に大きな影響を与えた画家のチャールズ・マリオン・ラッセル(1864~1926)が1921年に書いた小説「Rawhide Rawlins stories」の「rawlins」にも かかっているとも…?
この歌詞の「ローレン」とは、「Rollin'」ではなく、本当は「rawlins」ではなかろうか…?

「rawlins」とは、米国のモンタナ州の隣にある、中西部のワイオミング州にある、小さな街の名前です。
ワイオミング州の州都は、インディアンのシャイアン族ゆかりの名称の「シャイアン市」です。
ワイオミング州は、「カウボーイ州(Cowboy State)」という呼ばれ方もあります。
「ワイオミング」とは、インディアンの言葉が語源で、「大きな川床(かわどこ)」という意味だそうです。
ワイオミング州には、大きな川がいくつもありますが、全体的に乾燥地帯で農作に適さず、大放牧地帯です。
つまり、「ローハイド」のフェイバーさんやロディのような人たちが たくさんいた地域です。

カウボーイのお話であり、開拓時代を描いた西部劇でもある、ドラマ「ローハイド」でしたね。

スピルバーグの映画「未知との遭遇」のあの山「デビルズタワー」があるのも、ワイオミング州です。
下記映像の21分45秒あたりに、この山の伝説のお話があります。
おそらく、日本人観光客があまり訪れない州だと思いますが、雄大な自然と、ものすごい風景だらけの、素晴らしいワイオミング州ですね。
下記映像では、AI和訳字幕も表示できます。


ワイオミングの映像

ワイオミング州の「rawlins(ローリンズ)」に、バイクで向かう映像です。
まさにドラマ「ローハイド」の風景がそこにあり、今現代は鉄の馬で疾走!
1分59秒のところに、牛たちが登場します。野生の群れでしょうか…。
フェーバーさんは どこ?


ワイオミングの映像

* * *

昭和の子供たちが、どのように「ローハイド」の主題歌の英語歌詞を覚えたのかというと…。

英語の綴りや発音はともかく、とりあえず、カタカナで覚えちゃえ!
これなら歌える!話せる!読めんけど!
(英語学校の先生方、スミマセン)

Move 'em on(ムベオン)
head 'em up(ヘーレマ)
Count 'em out(Cut 'em out)(カトゥマウ)
ride 'em in(ライダミン)
rawhide(ロ~ハ~イ)

和訳付き
♪ローハイド


「フェーバーさん(演:エリック・フレミング)」のあの掛け声は忘れられません。
下記映像の1分5秒。
「Head 'em up ! Move 'em out !」
(ヘーレマ・ムーベマウ)

* * *

ローハイドの方々、まさか、あの格好のまま来日!
1962年(昭和37)のこと。
「フェーバーさん、日本には鉄の馬がいますよ!」


来日の映像

ロディを演じた、クリント・イーストウッドさんは、1930年(昭和5)生まれで、今年93歳!
やっぱり不死身の老輩ど!
最後の拳銃俳優!
前述のジェームス・ディーンが生き続けていたら、今のイーストウッドと同世代ですね。

私たちも、イーストウッドさんに、長生き年齢だけでも、負けたくない!
牧野富太郎は、今の満94歳まで、がんばった!

日本の老練世代も… ローレン!ローレン!ローレン!
まだまだ、ムチ打て!ヘァ~!パシッ!
老~輩! ローハイド!

ローレン世代は、みな長生き!
2007年、93歳までお元気だった、フランキー・レインの歌唱。
♪ローハイド

 


◇大切なもの

さて、朝ドラ「らんまん」の放送は終了しましたが、本コラムの連載「愛らんまん」は続けてまいります。
牧野富太郎のこと、富太郎が出向いた日本各地のこと、ドラマ「らんまん」に登場した内容に関連したこと、植物のことなどを、音楽や歴史などをまじえながら書いてまいります。

途中に、別内容のコラムも入ってきますので、断続的な連載とはなりますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

* * *

ここで、妻の寿恵子(壽恵子)が亡くなった後に、牧野富太郎が壽恵子について書き残した文章の一部を…。

「私の妻は私のような働きのない主人にも愛想をつかさず、貧乏学者に嫁いできたのを因果だと思ってあきらめてか、嫁に来たての若い頃から芝居も見たいともいわず、流行の帯一本欲しいといわず、女らしい要求一切を放って、陰になり陽になって絶えず自分の力となって尽してくれた。

この苦境にあって、十三人もの子供にひもじい思いをさせないで、とにかく学者の子として育て上げることは全く並大抵の苦労ではなかったろうと、今でも思い出す度に可哀そうな気がする」。

* * *

誰かが、誰かを支える。
支えた誰かは、他の誰かに支えられる。
人は、人に支えられ、応援され、見守られて、自分以上の自分になれる。
だからこそ、強くなれる、歩いて行ける。

マーティン・ハーケンス
♪ユー・レイズ・ミー・アップ

 

* * *

牧野富太郎の妻の壽恵子は、朝ドラの最後でも描かれたように、富太郎のために、人生を使い果たしたように感じますね。
まさに、天から与えられた使命・役割を、全力で全うするかのような人生でした。

人には、それぞれの役割が与えられているのかもしれません。
人前に立つ目立つ役割もあれば、人知れず地味であっても、たいへん重要な役割もあるでしょう。
誰しも、役割を意識し、それを全うするのは並大抵ではありませんね。

人は苦難に遭遇した時、いろいろなものを思い出します。
思い出さなくてはいけないのかもしれません。

あの決意の日…
あの涙の日…
努力した あの日々…
応援してくれた人たちの言葉…
昔、口ずさんでいた音楽…
あの時の感謝の気持ち…

苦難の中で、人は、自身の中に長い歳月をかけて蓄積された「大切なもの」を思い出します。
忘れてはいけない… 大切なもの。
人でも、思い出でも、仕事でも、植物でも、ペットでも、音楽でも…、それがあれば、乗り越えられるもの…、あなたの中にある太陽を思い出して!

高知県 宿毛市(すくもし)出身のソプラノ歌手で、お名前がまさに高知県の方の歌唱です。
作詞作曲は、「Kiroro(キロロ)」の玉城千春さん。
岡本知高(おかもと ともたか)
♪あなたに太陽を(2023・令和5)

 

* * *

最後に…

老練世代の方々、ご自身の「大切なもの」を思い出し、糧(かて)として、チカラにかえて、これからも人生の旅路を、しっかり歩んでいきましょう!

雑草という草はない!
名の知られていない草ほど強い!
老練な花は、たくましい!
老輩は、苦難に、時代に、年齢に、負けない!

♪大切なもの

 

2023.10.1 天乃みそ汁
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【これまでの連載「愛らんまん」】

第1回「あの人は花.1 ~ 草木の精」(2023.6.27)

第2回「あの人は花.2 ~ 笹に願いを」(2023.7.7)

第3回「あの人は花.3 ~ わが植物園」(2023.7.17)

第4回「あの人は花.4 ~ 雑草という草はない」(2023.7.26)

第5回「あの人は花.5 ~ 森の中の花」(2023.8.3)

 

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