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音路120.あの人は花.4「雑草という草はない」
【愛らんまん.4】


今回の植物と庭…大王松、オオイヌノフグリ、牧野記念庭園

 


今回のコラムは、連載「愛らんまん」の第四回で、「あの人は花」の第四回です。
今のNHK朝ドラ「らんまん」の主人公のモデルである植物学者の牧野富太郎(1862・江戸時代の文久2 ~ 1957・昭和32 / 享年96歳・満94歳)に関連した連載です。

今回も、東京都練馬区の「牧野記念庭園」のこと、朝ドラ「らんまん」のお話し、植物や庭のお話し、付随したお話しに、音楽を添えてみたいと思います。


◇猫や犬のいる庭

前回コラム「音路119.あの人は花.3 ~ わが植物園(愛らんまん.3)」で、牧野富太郎の旧邸宅のイラスト図を載せましたが、その中に富太郎の愛猫が、たくさん描かれていることをご紹介しました。

くつろぐ際の富太郎の傍らには、愛猫が よくいたようで、牧野家では、代々の猫の名を「チーコ」とされていたそうです。
富太郎がチーコを抱いた写真が、幾種類も残っていますね。

富太郎は犬も飼っており、引っ越しの際に、風呂桶に犬を入れて運んだようです。
そのくらい、大切にしていたのでしょう。

愛犬の名は「ポチ」だったという記述を、ネット上で見つけましたが、私は確認はとれませんでした。
ですが、当時の犬の名の人気ナンバーワンこそが、この「ポチ」だったはずです。

* * *

日本には犬を意味する言い方に、「犬」のほかにも「ワンちゃん」、「ワンコロべえ」、「ワン公」などがあり、召使いのような従順な人間を意味する時にも「〇〇の犬」と使用することがありますね。

英語でも、「dog(ドッグ)」のほかに、「pooch(プーチ)」、「doggy(ドギー)」、「puppy(パピー)」などがあり、やはり人間のタイプに例えることがあります。

日本では、ある頃まで、犬の名前として絶対的な人気の地位を誇ったのが「ポチ」です。
名前を知らない犬に向かって、とりあえず「ポチ」と呼ぶのは日本の昭和生まれ世代の特徴ですね。

ポチ人気を決定づけたのが、この歌です。
もともと、古くからあった民話を歌にし、1901年(明治34)に発表された「幼年唱歌」です。


♪はなさかじいさん

 

1901年(明治34)以前の この民話には、犬に「ポチ」という名前はなく、「白い犬」としか登場してきません。
ここに、英語「プーチ」由来と思われる「ポチ」という名が加わって、この歌ができ上がったのかもしれません。

忠実で正直な白い犬… それが「ポチ」です。
富太郎が生きた時代…、犬の名前の人気ナンバーワンが「ポチ」だったのだろうと思います。


◇ポチのナニ…

さて、富太郎の命名した花の名前に、「オオイヌノフグリ」という花があります。
その意味は、大きな「犬のキン◎◎袋」という意味です。
「犬の身体全体が大きい」のではありません。
「袋が大きい」という意味です。
もちろん、その形からの命名ですが、後に、「ホシノヒトミ(星の瞳)」に改名するか議論になりましたが、変更されませんでした。

おそらくは、富太郎の愛犬「ポチ(?)」のナニが、その名の由来であったのかもしれません。
愛犬由来なら、ゆずれませんね。

この「犬のナニ」は、大きく3種類に分けられます。
「イヌノフグリ」、「オオイヌノフグリ」、「タチイヌノフグリ」です。

くれぐれも、結婚式のあいさつの時に、あの「三つの袋」と間違えないように…。

 

 

富太郎が命名した植物の名称には、哀愁漂うもの、発想豊かな素晴らしい表現がある一方、面白系の名称も結構あります。
そこが、ただの生真面目な学者とは違うところ…。
でも、花にとっては、「キン◎◎袋」は、ちょっと可哀そう…。

富太郎は、死語になっていたような植物名を復活させたり、自身で、妙な命名をしています。
古い和名の中に隠された、教訓や歴史、生きる知恵も復活させたかったのかもしれません。

* * *

下記に、草花たちには可愛そうな、復活名を…。

◎ヘクソカズラ(屁糞葛)…万葉集には「クソカズラ」でしたが、わざわざ「屁」を付けなくても…。
下記映像が、ヘクソカズラ(屁糞葛)です。
植物も、人間も、匂いは大切!
屁の香水で、自身を守らなくても…。

 

◎ママコノシリヌグイ(継子の尻拭) …継子(血のつながっていない我が子)の尻を、とげのある布で拭くような、意地悪なという意味。
「尻ぬぐい」に憎しみが…。
血がつながっていないからって、罪のない子供に意地悪するなよ!
実際に、かわいい花なのに、茎が意地悪!
下記映像が、ママコノシリヌグイ(継子の尻拭)です。

 

◎ジゴクノカマノフタ(地獄の釜の蓋) …別名「医者殺し」「医者泣かせ」。地獄の釜に落ちないで済む(死なずに済む)ほどの、薬効成分?
下記映像が、ジゴクノカマノフタ(地獄の釜の蓋)です。
今は、しっかりとした薬品がある時代ですので、クチにしないで!

 

他にも、ワルナスビ、ハキダメキク、ウシコロシ…、怖い花名がいっぱい!
植物分類学…結構 面白い!

* * *

富太郎が、猫や犬たちといっしょに撮った写真は、結構 残っています。

彼のことですから、猫や犬たちに、相当に語りかけたことでしょうね。
「犬のふぐり、猫のふぐり… ほら見せてみい!」
猫や犬たちも、「ご主人さま、ナニ見てんの?」と聞いていたことでしょう。

「牧野富太郎 チーコ」でネット検索されると、富太郎と猫の写真を見ることができます。
ただ、牧野富太郎の愛犬ポチの写真をネット上で見つけることはできませんでした。
「牧野記念庭園」で配布されているパンフレットには、庭で富太郎と愛犬がいっしょにいる写真が掲載されています。

それにしても、彼の観察眼は、植物だけでなく、動物や人間にも向けられていましたね。
富太郎は、周囲の人間たちにも、相当に面白い別名を付けていたに違いないでしょう。
きっと人間界にも「◎◎フグリ」がいたに違いありません… ワン!


◇名前があってこそ… 雑草という草はない

富太郎は、草花に名前がないことは、まるで草花の存在を否定されていると感じていたのかもしれません。
そのあたりの草、雑多な草… 「雑草」という呼び方は、存在を認めていないことと同じだと考えていたのかもしれません。
個性や価値を認めていないどころか、ただただ無関心、ただただ「ひとくくり」にされることを、許せなかったのかもしれません。

雑草、雑木林、雑魚、雑巾、雑貨、雑記、雑食、雑感、雑物、雑用、雑事、雑仕事、雑誌、雑曲、雑所得、雑費…。
「雑」と付く言葉表現は無数にありますが、特定の存在を強く感じることはありませんね。
「名前なんて知らなくていい、個性や内容なんて必要ない、その他大勢のひとくくり」といったところですね。
ついついクチにしてしまう、「雑」という言葉です。

* * *

吉川英治の小説「宮本武蔵」の最後部分のくだりです。

波騒(なみざい)は世の常である。
波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚(ざこ)は歌い、雑魚は踊る。
けれど、誰か知ろう、 百尺下の水の心を。水の深さを。

「波騒(なみざい)」と「潮騒(しおさい)」は、私は別のものだろうと思います。
決闘の地から舟で戻る宮本武蔵のことを語った 見事な文章ですね。
海面近くで踊り騒ぐ雑魚たちは、海の深い部分のことをまったく知らず、のん気に騒ぎたてています。

歴史の中の、宮本武蔵と佐々木小次郎の剣豪二人による、1612年(?)の実際の「巌流島の決闘」は、この小説とは 若干異なる部分もありそうですが、武蔵は、この決闘を最後に実戦の個人戦の決闘から退きます。
後に、「大坂の陣」、「島原の乱」の戦場にも登場しますが、1643年には、今の熊本県の霊巌洞(れいがんどう)に入り、あの「五輪(ごりん)の書」の執筆に入ります。

「五輪の書」とは、地・水・火・風・空の五つに分類された兵法等を記した書物で、密教の「五智(法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)」に由来するといわれています。
「百尺下の水の心」までは、相当に深いので、このお話しは、このあたりまで…。

近代オリンピックのあのシンボルマークとの関係性は、はっきりとはしていません。
1896年に始まった「近代オリンピック」は、フランスの教育者クーベルタンの大きな功労によって開始されました。
彼が、当時の日本の特に武術をよく知っていたのは間違いありません。

宮本武蔵は、「五輪の書」を書いた後、1645年に亡くなりました。

剣術の「二刀流」は、古来、戦闘スタイルとしてはありましたが、相当に難しい技術で、宮本武蔵の「二天一流」により、実戦というだけでなく、高い精神性の境地に達しました。
今の大谷翔平の「二刀流」も、雑魚には知ることのできない境地なのかもしれませんね。

私は、「雑」とは、何も特定できない、何も知られていない、空しいもののようにも感じてしまいます。
ですが、「雑」に扱っていいというものでは、決してありませんね。

* * *

20歳台に記者をしていて、後に作家となった山本周五郎は、牧野富太郎を取材した時に、彼に言われた言葉を憶えていました。
記事にはしませんでしたが、後に周囲に語ったようです。
それを周囲の人間が記述したことで、富太郎の有名な言葉として残ったようです。
その言葉とは、「雑草という草はない」。

山本が、植物の大家の富太郎の前で、「雑草」という言葉を安易に使った時のエピソードです。
たしかに「言葉」の選択は難しいものですが、失敗してくれたおかげで、富太郎の素晴らしい言葉と思想を引き出すことができましたね。

朝ドラ「らんまん」の中でも、万太郎(富太郎)は、実際そうであったように、スーツの正装をして、植物採集に出かけていきます。
そうした姿勢と、この言葉が結びついているのは明らかですね。
この言葉の説得力において、富太郎以上の人物はいないだろうと思います。

(富太郎の言葉)
きみ、世の中に、雑草という草はない。
どんな草にだって、ちゃんと名前がついている。
私は、雑木林(ぞうきばやし)という言葉が嫌いだ。
松、杉、楢(なら)、楓(かえで)、櫟(くぬぎ)…みんな それぞれ固有名詞が付いている。
それを世の多くの人々が、「雑草」だの、「雑木林」だのと無神経な呼び方をする。
もし きみが、「雑兵(ぞうひょう)」と呼ばれたら、いい気がするか。
人間には、それぞれ固有の姓名がちゃんとあるはず。
ひとを呼ぶ場合には、正しくフルネームできちんと呼んであげるのが礼儀というものじゃないかね。

* * *

1965年(昭和40)から、昭和天皇の侍従(じじゅう)を務めた田中直(たなか なおる)が残したエピソードがあります。
それを、侍従長だった入江が、後に書き残しました。

侍従の田中は、昭和天皇が那須の御用邸で静養されているあいだに、皇居内の庭園の一部の植物を刈り取るように指示を出し、それが実行されました。
那須から戻られた昭和天皇は、田中に言います。
「どうして庭を刈ったのかね」。

田中侍従は応えます。
「雑草が生い茂ってまいりましたので、一部お刈りいたしました」。

昭和天皇は、田中侍従の返答に対して、次のように述べられ、田中をたしなめました。
「雑草ということはない。どんな植物でも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。人間の一方的な考え方で、これを雑草として決めつけてしまうのはいけない。注意するように」。

おそらく、これは植物だけのことをお話しされたものでは ないでしょう。

昭和天皇は植物や生物に造詣の深い御方で、牧野富太郎とも親交がありました。
富太郎は楽観的で明るい性格、ものおじしない、肝のすわったところのある人物です。
万葉集に詳しく、言葉の表現力も豊かで、会話好き。
昭和天皇と、植物談議をたくさんされたに違いないと思います。
おそらくは、好きな甘味の談議も…。
面白いエピソードもありますが、また別の回でご紹介します。

朝ドラ「らんまん」にも、昭和天皇と富太郎の親交について、ぜひ盛り込んでほしいと、私は強く思っています。
別のあのエピソードも ぜひ…。

* * *

富太郎が語ったように、人間には、それぞれに名前が必ずあります。
人生が始まった時に、名前が付けられますね。
人を、番号や役職名、地位名称で呼ぶのは、特別なケースだけです。
ペットたちにだって、名前が付けられますね。

良名だろうと、悪名だろうと、変名だろうと、その特徴を示す個性的な名前や、想いのこもった名前があってこそ、そこに「存在」「生きている」という大きな意味が生まれてくると、富太郎は考えたかもしれません。

名前というものは、価値を生み、居場所をつくり、未来をつくるのだろうと、私は感じます。

名前の付いていない植物に名前を付ける…、植物の名付け親になる…、富太郎が生涯の最後まで貫いたことでしたね。


◇富太郎とハチ公

さて、犬の「ポチ」が登場したところで、次は「ハチ」です。

富太郎は、植物と昆虫が共存する深い関係性を熟知していたはずですから、昆虫たちが嫌いであったとは考えにくい気がします。
私は、富太郎が、猫や犬はもちろん、鳥を含め動物たちを相当に好きであっただろうと想像しています。

このコラム連載「愛らんまん」では、牧野富太郎一家の東京・渋谷で暮らした時代のことも、いずれ書く予定です。
牧野一家が渋谷で暮らしたのは、1919年(大正8)から1926年(大正15・昭和元)までの7年間です。
渋谷の後に、今の練馬区・東大泉の「牧野記念庭園」の場所に引っ越しました。
牧野一家が、関東大震災(1923年・大正12)で被災するのは、渋谷で暮らしていた時代のことです。

* * *

この1919年(大正8)から1926年(大正15・昭和元)までの渋谷での7年間、牧野一家は、渋谷駅周辺の4か所に移転しながら暮らしますが、実は、この期間は、渋谷駅にいた「忠犬ハチ公」の時代と少し重なります。

秋田県生まれの忠犬ハチ公(1923~1935)が、渋谷駅近くで暮らしていた、東京帝国大学(今の東京大学)の上野英三郎 教授の家にやって来たのが1924年(大正13)です。
上野教授が急死したのが1925年(大正14)です。
ハチ公が、渋谷駅で亡き上野教授を待ち続けたのが、1927年(昭和2)から1935年(昭和10)です。

牧野一家が渋谷に暮らしたのが、1919年(大正8)から1926年(大正15・昭和元)までの7年間ですので、1924年から1925年までの間、富太郎が、ハチ公といっしょに散歩する上野教授と出会っていても不思議はありません。

牧野富太郎が暮らした家と、上野教授の家は、すぐ近くです。

牧野富太郎が、東京帝国大学に勤務したのが1912年から1939年まで。
東京帝国大学の理学博士になったのが1927年(昭和2)です。

上野教授が急死したのが1925年(大正14)ですから、富太郎が、上野教授と東大内のどこかで あいさつを交わした可能性もじゅうぶんにあります。
上野教授は、日本の「農業土木・農業工学の父」ともいうべき農学博士でしたから、富太郎とあいさつを交わしていないとは少し考えにくい気もします。
「今度、秋田から秋田犬が わが家に来てね…。秋田には植物採集に行ったのかね…」などの会話があっても不思議はありません。

富太郎が、上野教授の死や、渋谷駅の「忠犬ハチ公」のことを知らないはずはなく、以前に暮らした渋谷駅近くの出来事に興味を抱かないとは思えません。
富太郎やご家族が「ハチ公を見かけたよ」というような話しをしていたとか、何かエピソードが残されていないか、私は今、調べているのですが、見つかりません。
何か、ご存じの方がおられましたら、ぜひご一報を!

ちょっと思いました!
前述の植物「オオイヌノフグリ」とは、ひょっとして、「ポチ」ではなく、「ハチ」のナニ…?

* * *

牧野一家の渋谷時代のお話しは、またあらためて連載の中で書きたいと思います。
その時に、富太郎とハチ公のつながりが、何かわかりましたら書きたいと思っています。

さらに、同時期に渋谷で暮らした歌人で作家の与謝野晶子(1878~1942)と、牧野富太郎の関係のお話しも、その時に書きます。

渋谷時代の少し前の頃ですが、同じ高知県出身で、あの三菱の創業者の岩崎弥太郎(1835~1885)と弟の岩崎弥之助(1851~1908)の二人と、富太郎の関係についても、あわせて書きたいと思います。

富太郎は、ある頃まで お金に困窮し、そのままでは破産没落の道に向かった可能性もありましたが、彼のものすごい人脈と、植物の博識が、彼と一家を、何度かやって来る窮地から救ったように感じます。
あらためて、別の回で書きますね。

朝ドラ「らんまん」は、歴史上の有名人の登場が めじろ押しのドラマですね。
上野教授、ハチ公、与謝野晶子、岩崎弥太郎は登場してくるのか…?
ぜひ 登場してほしい!
もちろん、猫のチーコ、犬のポチも!

* * *

スアラ(2009・平成21)
映像は、映画「ハチ公物語」
♪舞い落ちる雪のように

 

ピンク・フロイド(1971・昭和46)
(天乃の意訳)
僕はいつも、家の中のキッチンにいるよ。犬のシーマスはいつも庭にいるけど…。
夕陽が沈みかけてきたよ… 僕の人生もそろそろかな。
なにはともあれ、シーマスは僕の隣に来て、鳴いているよ。
(そろそろ何か、欲しいのかい…、それとも…)
♪シーマス

 


◇杉と松

ここまでの連載では、東京都練馬区にある「牧野記念庭園」のお話しを書いています。

この庭園には、中国原産の「生きた化石」と呼ばれる巨木の「メタセコイア(あけぼの杉)」が植えてあります。
この庭のメタセコイアは、北米産の巨木です。
この巨木は50メートル級にも成長しますが、あと何年後かには…。

* * *

庭園内のメタセコイアの隣には、「ダイオウマツ(大王松)」が並んで立っています。
この庭では、自然界では隣に並んではいないだろうという場所に、草花が、ところ狭しと植えられています。

この「ダイオウマツ(大王松)」は、米国の南部に多く見られる植物で、日本の松より、相当に大きく成長する松です。
ミシシッピ川周辺にもたくさん見られます。

そういえば、朝ドラ「らんまん」の中では、万太郎(富太郎)の幼なじみの「広瀬祐一郎(ひろせ ゆういちろう)」(演:中村蒼さん)が、「米国に行く」と語り、「ミシシッピ川」を妙に強調していましたね。
この牧野記念庭園には、北米産の樹木がたくさんありますが、まさか、朝ドラ「らんまん」の中では、彼が持ち帰るのか!?

この「祐一郎」とは、後に偉大な「港湾工学の父」と呼ばれた「廣井 勇(ひろい いさみ)」がモデルです。
富太郎の高知時代の幼なじみです。
富太郎の高知時代からの ものすごい人脈や、「廣井 勇」については、またあらためて別のコラムで書きます。

園内には、そんな、巨樹の杉と松が、並んでそびえ立っています。
まさに、高知の佐川が生んだ、牧野富太郎と廣井勇という二本の巨樹のようですね。


◇大王松と三鈷杵

さて、弘法大師の歴史のお話しの中には、「三鈷(さんこ)の松」というものが出てきます。
言葉の意味は別にして、三本のとがった松葉が、ひとつにまとまって形成されている葉を持つ松のことです。
他の通常の松は、たいていが二本葉で形成され、ごく稀に、三本葉があります。
見つけられたら、奇跡の三本葉ですね。

ですが、「大王松」の松葉は、三本の長い松葉でできています。
ですから、「大王松」は「三鈷の松」に類するものと言っていいのかもしれません。

日本の真言宗、天台宗、禅宗などや、チベット仏教では、法具である「金剛杵(こんごしょ)」の一種に、三本歯の「三鈷杵(さんこしょ)」と呼ばれるものがあります。
お坊様が手に持ち、煩悩を滅するために使う、両側が三つに分かれた宗教法具のひとつです。(下記写真参照)
前述の「三鈷の松」とは、この「三鈷杵」に由来する名称です。

実は「大王松」の読みは、本来は「ダイオウマツ」ではなく、「ダイオウショウ」です。
「ダイオウマツ」でも間違いではありません。
「マツ」という日本読みは、もともと、同じ木を、日本で、漢字なしの「マツ」と呼んでいたためです。

もともと「大王松」という漢字名は、古く中国から伝わったもののようで、その漢字を日本読みにしたものです。
今の中国では、この松を「長葉松(チャン イェ ソン)」と言うのだそうです。
実は「松」は、中国語で「松樹(ソンシュウ)」といいます。
日本読みの「ショウ(松)」と、中国語読みの「ソンシュウ」… 少し語尾が似ていますね。
「大王」は、中国語発音で「ダーワン」です。
日本での「大王松(ダイオウショウ)」という読みが、なぜ「ダイオウソン」には、ならなかったのか…?
どこかで、「ソン」と「シュウ(ショウ)」を、とりちがえた?
それとも、あえて…。
実は、日本には、各時代の学者たちによる、この「あえて」が結構あります。

私の勝手な想像ですが、「三鈷杵(さんこしょ)」と「三鈷の松」の存在が、何か影響したような気がしないでもありません。


いずれにしても、日本の「松竹梅」は、「ショウチクバイ」以外の何ものでもありませんね。
でも、注文する時は、「マツ」!
日本語… ムズカシイね!


◇大王が待つ!

いずれにしても、東京練馬区の「牧野記念庭園」の門を入った、すぐのところに、大きな「大王松」が、私たちを待っていたかのように、導くように、そびえ立っています。
見落とさないでね!

* * *

園内の大王松の根元に、下記写真のとおり、「まつぼっくり」のかわいい置物がありました。
まさか、富太郎本人が作ったものではないと思いますが、生前、彼が作って、子供たちに教育していても不思議はありませんね。

「まつぼっくり」くらべに、ビックリ!

それにしても、富太郎は、まさに 植物大王!
大王を待つ!

「大王松」が松の王様なら、前述の「忠犬ハチ公」も「待つ」の王様かな…。

大王松の長い三本葉、まつぼっくり比べ(一番左が大王松のもの)、金剛杵(三鈷杵)

 

「まつぼっくり」は、雌花(メバナ)が実になったもので、実の表面は「鱗片(りんぺん)」というウロコのようなもので覆われています。
この鱗片どうしの間にタネが挟まっています。
このタネには、なんと一枚の薄いプロペラが付いており、遠くまで自力で飛んでいけます。
雨の日や、湿気の多い日は、遠くまで飛んでいくことができないため、「まつぼっくり」は、湿気の多い日は、実の表面の鱗片(りんぺん)を閉じて、タネを濡らさないようにします。
そして、晴れた乾燥した日に、大きく鱗片(りんぺん)を開いて、タネを遠くに飛ばします。

本当に、松は、植物の大王!


「まつぼっくり」は、その時を待っています。

待つ ぼっくり!

まつぼっくりの開閉の様子

 

* * *

それにしても、さまざまな植物たちが持つ、それぞれ異なる特殊能力には驚かされることばかりです。
松は、湿度センサー、飛行力学を、いったい どこで学んできたのでしょうね。

私の勝手な想像ですが、昆虫のハチや蝶の羽根の動かし方は、「まつぼっくり」のタネのプロペラを見て思いついたのかも…。

子供たち… 松の葉が、どうしてあんなに細く 鋭く とがっているのか、どうぞ調べてみて!
あまりの頭の良さと、いさぎよい覚悟には、感動しますよ。
生きていくとは、こういうこと…。


◇ローマの松

ここからは、クラシック音楽史の中で、大きくそびえ立つ「松の音楽」をご紹介します。

イタリアの作曲家であるレスピーギの、交響詩「ローマの松」(1924年・大正13)です。

彼の「ロ―マ三部作」の中の一曲です。
ほかに、「ローマの噴水」、「ローマの祭り」があります。

レスピーギは、1926年に自ら指揮して、フィラデルフィア管弦楽団で演奏するにあたり、プログラムに次のように記述しています。

「ローマの松」で、私は、記憶と幻想を呼び起こすための出発点として自然を用いた。
極めて特徴をおびて、ローマの風景を支配している何世紀にもわたる樹木は、ローマの生活での主要な事件の証人となっている。
(ウィキペディより和訳引用)

* * *

ちなみに、「ローマの松」とは「イタリア・カサマツ」のことです。

大きな樹木の葉の「刈り込み」は、それぞれの国によって大きく異なりますね。
それぞれの民族の美意識が大きく影響しています。
特に「松」の刈り込み表現は異なりますね。

日本の皇居前の松の刈り込みを見て、外国の方々は、どのように感じているのでしょう。
えっ! これ松なの!

レスピーギは、イタリアのローマにある有名な4か所の「松」を題材に、イタリアの歴史や美意識、思想を表現したように思います。
そうです…、この曲で、古代ローマ時代にタイムスリップしてみよう!

レスピーギ
♪ローマの松

 

この「ロ―マの松」という楽曲は、4つの部分に分けられています。

(1)ボルゲーゼ荘の松
この楽曲の冒頭部分は、ボルゲーゼ公園にある、松並木の中で楽しく遊ぶ子供たちの様子を描いたものです。
イタリアの「わらべ歌」である「ジンジロトンド」や「マグマドレ」などのメロディが随所に盛り込まれています。
「ボルゲーゼ」とは、イタリアの都市シエナをルーツとする貴族家のことです。
「ボルゲーゼ公園」は、1605年にボルゲーゼ卿がつくった大庭園で、その後、歴史の変遷をたどりました。

(2)カタコンベの松(2分57秒から)
「カタコンベ」とは、古代ローマ時代にあった地下埋葬地で、ローマ時代は秘密のキリスト教の礼拝場でした。
この部分には、あえて古代の聖歌を盛り込み、古代音楽のハーモニーの原点「5度のハーモニー」を強調して表現しています。
ローマの宗教の歴史を表現した部分です。

(3)ジャニコロの松(10分から)
「ジャニコロ」とは、ローマにある幾つかの丘のひとつです。
この部分は、ローマの自然を表現したもので、楽曲の最後に本物の鳥の鳴き声を流すという演出が行われる楽曲です。
この曲の発表時は、鳥の鳴き声が収録された指定のレコードを流すように、楽譜に指示されています。
今、そのレコードは存在していないようです。

その鳥とは、「ナイチンゲール」と呼ばれることもある「夜鳴きウグイス(和名は、サヨナキドリ)」です。
森の中で暮らし、夕暮れ時や朝焼け前に、美しい声で鳴く鳥です。
満月と松と鳥…、これが、この部分のテーマです。

(4)アッピア街道の松(17分9秒から)
古代ローマ軍の進軍道路として整備されたのが「アッピア街道」です。
楽曲の最後にむかって、古代ローマ軍の進軍の足音が徐々に近づいてきます。
ローマ兵とともに、この「ローマの歴史音楽絵巻」が終わります。

* * *

昔、NHKのテレビ番組「名曲探偵アマデウス」(2008~2012年に放送)があり、その中で、風景映像を含め、面白く紹介していました。
素晴らしい音楽番組だと思います。

 

4ヵ所の松は、イタリア・ローマの歴史と、常にともにあり続けました。
植物たちが、言葉を語れる存在であれば、きっと見てきた歴史を私たちに語ってくれるのかもしれませんね。

* * *

さて、松といえば、杉!
杉のクラシック音楽といえば、ドヴォルザークや、サン・サーンスですね。
杉の曲のことは、あらためて別の回で書きます。


◇ガーデンの洋楽

ここからは、タイトルに「ガーデン(庭)」が付いている洋楽の名曲を少しだけ…。
今回は「ガーデンの洋楽・前編」です。

* * *

「ローズ・ガーデン」は、西洋では、「バラ園」という意味のほか、バラ色の素晴らしい人生や生活を示す言葉ですね。
米国「ホワイトハウス」の中庭「ローズ・ガーデン」で大統領は演説しますね。

♪私はあなたに「ローズ・ガーデン」を約束したわけじゃないわよ、覚悟してバラ園に入って来なくちゃだめよ!
♪でも、あなたを救えるのは私だけなのよ。
…この歌詞には、男として降参です。どうか 私にも お水を飲ませてください。

リン・アンダーソン(1969・昭和44)
♪ローズ・ガーデン

 

* * *

西洋の楽曲の中では、「ガーデン」とは、時に「神様の庭」を意味しますね。
日本でいえば、「ハス(蓮)のお花の庭園」。
二人の神様の歌唱で…。

エルヴィス・プレスリー(1967・昭和42)
♪イン・ザ・ガーデン

 

上記同曲を、カントリー歌手のアラン・ジャクソンで…。
歌詞表示設定で、英語歌詞が表示されます。
♪イン・ザ・ガーデン

 

* * *

海の底のタコが住むところ…、たしかにサンゴ礁が、庭のように きれい!
タコは、海の底で、光る石やビン、空き缶などを集めてきて、自分の庭に飾るそうです。
人間にも、同じようなタイプがいますね。でも、この歌詞のように親切かも…。

♪海の底は、台風で波が高くても平気…、誰も見てないから、騒いじゃえ!
♪海の底にあるガーデンは、楽しいぞ! タコ君も親切!
…という歌詞概要の歌ですが、当時のビートルズは、そんなお気楽な雰囲気ではなく、解散危機で深刻の極み!

ビートルズの中で、中和剤であり、緩衝材であり、いじられキャラだった リンゴ・スターの想いは… 届かず!
彼のボーカルの楽曲です。

ビートルズ(1969・昭和44)
♪オクトパス・ガーデン

 

♪オクトパス・ガーデン

 

作詞作曲のリチャード・スターキーとは、リンゴ・スターの本名です。
ですが、この楽曲は、ジョージ・ハリスンのチカラがなければ完成していなかった…かも。
たぶん、ポールだったらピアノ曲になっていた…?
たぶん、ジョンだったら…?

たぶん、三人の誰でも、リンゴになら手を貸したでしょうね。

 

ギター解説

 

* * *

ジョン・レノンが1980年(昭和55)に射殺された後に、エルトンが作った楽曲です。
作詞:バーニー・トーピン、作曲:エルトン・ジョン。

歌詞の一節だけ…。

Who lived here
He must have been a gardener that cared a lot
Who weeded out the tares and grew a good crop
And we are so amazed
we're crippled and we're dazed
A gardener like that one
No one can replace

(天乃の意訳)
ここに暮らしていたのは誰だったの?
ここにいた彼は、とても丁寧な仕事をする、世話好きのガーデナー(庭師)に違いないね。
彼は草をきれいに取り除き、きっと ここには素晴らしい果実がなっていたはず。

僕たちは、驚愕し、呆然とし、たたずむだけ…。
これほど素晴らしいガーデナー(庭師)の代わりなど、どこにもいないよ。
誰も、彼の代わりは、つとまらないのさ。


庭師である「庭の主」がいなくなった、空っぽの庭…。
エルトン・ジョン(1982・昭和57)
♪エンプティ・ガーデン

 

* * *

牧野富太郎の自宅庭園も、「ローマの松」の庭園も、当時の庭の主や庭師は、当然 今はいません。
ですが、そのハートを受け継ぐ 新しい庭の主や 庭師たちが、その庭をしっかり守っていますね。

「ガーデン(庭)」とは、植物だけが そこにあるのではなく、かつて そこにいた人々や、たずさわった方々の想いや心が、しっかり記憶されています。
植物にも、ガーデン(庭)にも、記憶するチカラが しっかり備わっていますね。


たとえ 荒れ放題になってしまったとしても…。

庭の植物たちは、新しい「庭の主」と庭師がやって来るのを、待っています…きっと。

* * *

2023.7.26 天乃みそ汁

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【連載「愛らんまん」概要】

第1回「あの人は花.1 ~ 草木の精」(2023.6.27)
富太郎のガマズミ、ウクライナのカリーナ、ボストンのスイート・キャロライン、あいみょんの「愛の花」、チッチ様

第2回「あの人は花.2 ~ 笹に願いを」(2023.7.7)
富太郎を支えた三人の女性、二人の竹雄、壽衛子との結婚、クールビューティ・スエコ、パワフル・スエコ、壽衛子の死とスエコザサ、織姫と彦星、青春と初恋の曲、牧野記念庭園、翠 様、すみれ様

第3回「あの人は花.3 ~ わが植物園」(2023.7.17)
富太郎を探せ、草木が生い茂る書斎、タケニグサと竹似草と竹煮草、伊藤圭介、シューマンのくるみの木、ミルテの花、菩提樹、もみの木、サリーガーデン、オンブラ・マイ・フ、リス、牧野記念庭園、山想花 様

 

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