らんまん、牧野富太郎、シューマン、シベリウス、ヘンデル、シューベルト、タケニグサ、くるみの木、牧野記念庭園、東京都 練馬区、NHK 朝ドラ、リス、クラシック音楽。

 

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音路119.あの人は花.3「わが植物園」
【愛らんまん.3】


今回の植物と庭…タケニグサ、くるみの木、ミルテ、牧野記念庭園


今回のコラムは、連載「愛らんまん」の第三回で、「あの人は花」の第三回です。
今のNHK朝ドラ「らんまん」の主人公のモデルである植物学者の牧野富太郎(1862・江戸時代の文久2 ~ 1957・昭和32 / 享年96歳・満94歳)に関連した連載です。

今回は、東京都練馬区の「牧野記念庭園」、朝ドラのお話し、付随した歴史のお話しに、音楽を添えてみたいと思います。


◇牧野記念庭園(東京都練馬区)

前回のコラム「愛らんまん.2」は「あの人は花.2 ~ 草木の精」と題して、牧野富太郎と壽衛子(すえこ)夫婦の話しを書き、「牧野記念庭園」内にあります「スエコザサと胸像」の写真を紹介させていただきました。

 

富太郎の胸像と、愛妻の名を付けた「スエコザサ」が、ひとつのカップルの形式で作られている、まさに「愛らんまん」の光景です。

これがあるのは、東京都・練馬区(東大泉6-34-4)にあります「練馬区立・牧野記念庭園」(本コラム冒頭写真)です。
令和2年には、「東京都指定文化財・名勝及び史跡・牧野記念庭園(牧野富太郎宅跡)」に指定されました。

* * *

私は、2023年6月初旬に、この場所を訪れました。
自動車で、渋滞なしで、新宿あたりから約1時間で到着し、今の練馬区の西武池袋線の「大泉学園駅」南口にある商業施設に併設された大型駐車場に駐車しました。
牧野記念庭園までは、徒歩で10分もあれば行ける距離です。
都心から かなり離れていますので、空気もさわやかで、空も広く、なんとも すがすがしい東大泉の地域です。

* * *

この記念庭園のある敷地は、牧野一家が、1926年(大正15)から1957年(昭和32)までの約30年間にわたり居住された場所です。
つまり1923年(大正12)の関東大震災の3年後からです。
富太郎が生活と研究を行なった場所です。

1957年(昭和32)、富太郎は94歳で、この地にあった邸宅で亡くなり、その翌年の1958年(昭和33)に記念庭園として整備され開園しました。

* * *

下記は、この場所に以前にあった邸宅のイラスト図の一部です。
右側のイラスト図が邸宅で、この邸宅の左側に大きな庭園がありました。

下記のところどころに、富太郎の姿が描かれていますよ!
さあ、「ウォーリーを探せ」の要領で、富太郎を探せ!

答えは文末で!

 

この牧野記念庭園は、園芸を趣味とする方が作るような自宅の庭園ではありません。
まさに研究者が自宅に作った研究用も兼ねた庭園です。
富太郎は、自宅の庭を「我が植物園」と呼んだそうですが、まさに日本のみならず、世界の植物を集めた、趣味や鑑賞用だけのものではない植物園です。

私は、この庭園を見た瞬間に、これは「花」で飾られた「お花の庭」ではないと直感しました。
まさに、「緑の庭」、「牧野の庭」です。

とはいえ、季節ごとに、それぞれの花が咲き、一年中楽しめたことでしょう。
庭をゆっくり歩きながら、会話の花が咲くのも間違いありません。
若干の変更はあるのでしょうが、富太郎の「我が植物園」が、しっかりと遺されたことは、本当にうれしい限りです。

この庭にあります、富太郎が命名した植物の名を少しだけ書きます。
スエコザサ、ヒメアジサイ、ヘラノキ、キンモクセイ、オオキツネノカミソリ、ニシキマンサク、ウバユリ、タマノカンアオイ、シロヤマブキ、緑がく梅(りょくがくばい)、桜「仙台屋(せんだいや)」…。

 

 

この牧野記念庭園には、朝ドラ「らんまん」に出演している俳優さんも、お忍びで 来られたとか、来られていないとか…?
この場所に来たら、富太郎や壽衛子(すえこ)を、より身近に感じるのは間違いありません。
きっと演技にも熱が入り、俳優さんとしても、将来 大きな華を咲かせるに違いありませんね。
若竹のように、ぐんぐん伸びていってください!


◇富太郎といっしょに!

この牧野記念庭園の入口を入ったところには、今、牧野富太郎の全身パネルが設置されています。

私は、このパネルに並び、富太郎の肩に手を回して、記念写真を撮ってしまいました。
実は、同じようなことをする方々が続出しているようです。
そりゃあ、「らんまん」ファンなら、したくなりますよね!

ここに来て、庭の植物を見ていたら、どこからともなく 土佐弁のやさしい声が…。
いっしょに、写真撮るき!

 

 

 

◇タケオ~、教えて~! タケニグサ!

この庭園には、奈良時代から現代まで、和歌や句に登場する、文字や音声でしか見聞きしたことがないような植物名の草花が、非常にたくさん植えられています。
信州出身の私でさえ、子供の頃から数十年も目にしていなかった、古い日本名の植物がここにはあるのです。
いや~、なつかしい!

そんな中から、ひとつだけ…。

この庭園にある「スエコザサ」のすぐ近くに、「タケニグサ」が植えてありました。
「笹」の隣に「竹似」かよ! …練馬区によるオヤジギャグ?

ただ、よくは知りませんが、両者には植物として似た部分もあるようです。

* * *

山に行けば、「タケニグサ」を あちらこちらで見かけますが、都会の街なかでは、あまり見ない植物です。
ただ、街なかの放りぱなしの荒地に、背を高く伸ばしている巨大植物として生えていることもあります。
人の背丈ほどにも高く背を伸ばしたタケニグサは、まさに存在感たっぷりですね。

そのオレンジ色の樹液に毒性があるため、山では嫌われもので、食べても相当にまずいそうです。
今は、昔のようにタケニグサを外用薬として使用することは否定されていますので、ご注意ください。
基本的に、知らない草花の汁を素手で触るのは危険性もありますので、やめましょう!
山に入る時は、消毒液や長袖シャツを忘れずに!

富太郎先生のような、ビシッときめたスーツの正装姿でなくても結構ですよ。

* * *

このタケニグサは、茎の中に空洞部分があり、太い茎を斜めに切ると、まるで竹の門松のように見えるところから、漢字で「竹似草(タケニグサ)」と表現することがあります。

他に、竹細工を作る時に竹を煮ることがあり、このタケニグサと竹を一緒に煮ると、竹が柔らかくなり、竹細工として加工しやすくなるからと、漢字で「竹煮草」と書くという説もあります。
ただ、タケニグサといっしょに煮ることで柔らかくなるというのは、実証されていないようです。

竹似? 竹煮? どっち?
竹雄!タケオ~!(演:志尊淳さん)教えて~!


◇超オタク

富太郎は、著書「植物一日一題」の中の「万葉歌のイチシ」の章で、万葉集に登場する「壱師(イチシ)の花」とは、どの花のことだろうかという内容を書いています。
最初、富太郎は「イチシの花」とは「タケニグサ」ではなかろうかと想像したのですが、最終的に、同じように毒性を保有する「ヒガンバナ(彼岸花 / マンジュシャゲ)」であろうと結論づけています。

下記サイトの中ほどの部分に書かれています。


植物一日一題

この書物「植物一日一題」は、植物学者が書くような文章には感じませんね。
まるで、歴史研究家が書くような文章です。
名立たる「植物学者」を凌駕する「超オタク」の富太郎がそこにいましたね。

彼の文章は、まさに超オタク文章…?

* * *

この「植物一日一題」は、「目からウロコ」の内容だらけの書物です。
私は、これを読んで、「ジャガイモ」と「馬鈴薯(ばれいしょ)」が違う植物だと初めて知りました。
富太郎は言っています… 混同しているのは、日本人だけだよ!

そうでした!
「竹」と「竹似」も、同じ植物ではありませんでした!
似てはいても、別のものです。

「竹雄」と「竹雄に似た男(竹似男)」も、まったく別人ですよね。

* * *

「タケニグサ(竹似草・竹煮草)」は、句や歌における、夏の季語です。

北原白秋は詠みました。
「白南風(しらはえ)の、暑き日照りの、竹煮草、粉にふきいでて、いきれぬるかも」

「白南風(しらはえ・しらばえ)」とは、梅雨明けの青い空に吹く南風のことで、「黒南風(くろはえ)」は梅雨の時期の曇り空に吹く湿った南風のことです。
「梅雨が明けて、カンカン照りの暑い中、タケニグサが、白い粉を吹き出しながら、勢いよく背伸びしている」という様子が目に浮かびます。

真夏、そんな汗まみれで塩をふく 若い労働者や、甲子園の球児…、やはり、そこに竹似たち!

* * *

ほかに…、前田普羅は詠みました。
「馬飼ひも、馬柵して住めり、竹煮草」

タケニグサは、柵にできるほど、竹のように群れを作って背を伸ばします。
でも、馬でさえ、危険過ぎて クチにしませんね。

* * *

6~7月は、タケニグサの白い花の季節。
葉をちぎったり、茎を折ったりすると、誘惑するようなオレンジ色の汁が出てきます。
絶対に汁を素手で触ってはダメ!
なめてはダメ!

昆虫たちは知っています… タケちゃんの、このオレンジ色に触れたら、ヤバいよ!

 

 

クマバチ と タケニグサ

 


◇草木が生い茂る書斎

この「牧野記念庭園」には、邸宅自体の大半は残っていませんが、庭園のほか、遺品や資料を展示する記念館、富太郎の書斎と書庫(再現ではなく実物)、講座やイベントが行われる講習室があります。
朝ドラ「らんまん」にも何度も登場してくる愛用品の実物が、たくさん展示されています。

下記は、「牧野記念庭園」に置いてある、なかなかセンスの良いパンフレットの表紙です。
たいてい、センスの良いパンフを作る施設は、施設自体も良かったりしますね。
牧野記念庭園に行かれたら、このパンフ(無料)は、ぜひ手にとってみて!

* * *

表紙には、植物採集時に採取した植物をおさめる入れ物「胴乱(どうらん)」と、愛用の剪定バサミ(植木バサミ)の写真が掲載されています。

「胴乱(どうらん)」は、古くからヨーロッパで愛用されたブリキ製やトタン製の小型カバンで、物語「ムーミン」の中に登場するヘルムも、同型の胴乱をぶら下げていますね。
頑丈で、それなりの大きさがあるため、トゲのある植物や大型の植物でも収納できます。
牧野富太郎の愛用品は、特注であったようです。

日本では、戦国時代や江戸時代の初期に、軍団の鉄砲隊の足軽たちが、火薬を詰めた入れ物「早合(はやごう)」や、弾丸などを入れた、小型の革製の携帯容器を持っており、その後、タバコやお金など、入れるものが変わっていきました。
今でいう、腰につける「ウエストバッグ」や、肩掛けの「ショルダーバッグ」に近いものです。
今でも、植物採集などでは使用されることも多いようですね。

 


下記の写真は、富太郎の実際の書斎です。
再現ではなく、実物です。

 

書斎の中央で目に飛び込んでくるのが、大きなガラスケースです。
上記の左上写真の畳の上に置いてあるガラスケースです。

これは「活かし箱」というもので、採取してきた植物を、水に入った小さな花瓶のようなものに入れ、実際に生えていた状態に戻し、このガラスケースに入れ、観察する道具です。
今でも、魚釣りをする方は、魚を死なさいように「活かしバケツ」、「活かしカゴ」を使いますね。

カメラでの写真や動画の撮影ができなかった時代に、植物の自然の状態を再現し観察するのは、相当にたいへんだったことでしょう。

* * *

左上写真の上部には、丸い穴らしきものがありますので、冬の時期用のストーブの煙突がここにあったのかもしれません。
富太郎は、タバコは吸いませんでした。

窓付きの障子(しょうじ)、すりガラスの戸、窓の格子、座机、板や棒で作っただけの本棚… 昭和の時代頃までは、日本中に、このようなスタイルの部屋がたくさんありましたね。
私の子供の頃の部屋も、これとそっくりでした。

右上写真にある、布で巻かれた長い電線を巻き、裸電球が天井(てんじょう)からぶら下がる光景は当たり前でしたね。
傘の付いていない電球なども、そこらじゅうにありました。
傘を付けないのは、理由があります。
今も、田舎の納屋や蔵が そうですという方も多いことでしょう。

* * *

上記の右下の写真の右隅に、朝ドラ「らんまん」で何度も登場する、オレンジ色の文字が書かれた新聞に包まれた植物標本らしきものが積み上げられていますね。
彼の亡き後、そのままの状態になっているのかもしれません。

右下写真には、本の上に小刀のようなものが置いてあります。
おそらくは、植物採集時に、植物の根を掘り起こす際に使った「根掘り」という道具のようにも見えます。
富太郎は、「根掘り」と「剪定バサミ」さえあれば、とりあえず すぐに採集したことでしょう。

* * *

この書斎には、植物学者の伊藤圭介に書いてもらった「繇條書屋(ようじょうしょおく)」の額が飾ってあります。
「繇條書屋(ようじょうしょおく)」とは、「草木が生い茂る書斎」という意味です。

この額の文字を書いた伊藤圭介について、少しだけ書きます。


◇伊藤圭介

朝ドラ「らんまん」には、ドイツ人医師のシーボルトの助手をつとめた、名古屋の本草学者・医師であった伊藤圭介の孫として伊藤篤太郎(ドラマ内では伊藤孝光)が登場していますね。

日本語の「おしべ」、「めしべ」、「花粉」は、伊藤圭介の和訳です。
今では、「花粉(カフン)」と耳にしただけで 縮みあがる方もいますよね。
ちょっと怖さのある言葉「カフン」…、超有名用語は、伊藤圭介により作られた用語です。

伊藤圭介は、東京帝国大学(今の東京大学)理学部教授で、日本最初の理学博士でした。
植物名に「ケイスケ」と入っている場合は、たいてい、この圭介のことです。
名古屋の東山動植物園には、「伊藤圭介記念室」があります。

* * *

伊藤圭介が和訳した植物関連の書物は、富太郎の子供の頃の愛読書でした。
史実では、富太郎は、初めて上京した時に、尊敬する伊藤圭介のもとを訪ねたようです。
当時の富太郎からしたら、伊藤は雲の上の存在でしたから、富太郎はこの額「繇條書屋(ようじょうしょおく)」を、70年あまり 大切にしていたそうです。

富太郎は、孫の篤太郎とも交流がありました。
朝ドラ「らんまん」では、これから、この篤太郎をめぐって大騒動勃発か!?


◇わが植物園

1940年(昭和15)に発行された「牧野日本植物図鑑」は、この場所にある書斎で書かれました。

富太郎は、この書斎で、毎朝、自身で挽いたコーヒー(当時はインスタントコーヒーなど もちろんありません)を飲み、バターを塗ったフランスパンなどを食べていたそうです。
音楽家のベートーヴェンも、毎朝、コーヒー豆の数をきっちり数えてコーヒーをいれて飲んでいましたが、何か似た光景を連想します。

きっちり分類・整理・構築するタイプの人物は、朝にコーヒーを飲む…?

* * *

富太郎は、自宅の庭を、「我が庭」ではなく、「我が植物園」と呼びました。
「庭」ではありません。
「園」です。
「植物園」です。
富太郎と壽衛子の第一子は、「園子」という名でした。

今の名称は、「(記念)庭園」です。

当時は、街のけん騒を感じない、ちょっと寂しい東大泉の地域でしたが、大人数の家族と猫と犬…、そして珍しい草花たちに囲まれた、まさに「我が植物園」、「我が楽園」であったに違いないと思います。
昆虫たちも 山ほどいたでしょうね。

東京都心から相当に離れた この場所に一家で移転できたのは、妻の壽衛子(すえこ)のおかげです。
彼女の決断と尽力がなかったら実現していなかったでしょう。

もし都心に邸宅があったら、今、私たちはこの記念庭園を見ることはできなかったと思います。
壽衛子の底力のお話しは、また別の回で…。

今回の「牧野記念庭園」のお話しはここまでにし、次回に庭園の続きのお話しを書きます。


◇樹木の歌

今回のコラム連載「愛らんまん」では、草花や樹木、庭に関連した楽曲を紹介しています。

今回と次回で、クラシック音楽の世界に、立派にそびえ立つ樹木の名曲を少しだけご紹介します。
古くからの伝統音楽もまじえます。

樹木たちは、私たちに、いろいろなことを教えてくれますね。


〔菩提樹〕

シューベルトの歌曲集「冬の旅」から「菩提樹(ぼだいじゅ)」です。
ドイツの詩人ミュラーの詩集の中の詩。

その菩提樹は、僕に言いました。
「さあ、ここにおいで。あなたの安らぎがここにあるよ」。
…今も、その声を思い出す。

シューベルト
♪菩提樹

 


〔もみの木〕

夏も冬も、「もみの木」である あなた様の葉は青々と…。
なんと誠実なこと…。
あなた様は、教えてくれる…、導いてくれる…。

ドイツ民謡
♪もみの木(O Christmas Tree)

 


〔サリー・ガーデン〕

アイルランド民謡「サリー・ガーデン(Down by the Sally Gardens)」です。
「サリー」とは、日本で言う「柳(やなぎ)」の樹木のこと。
「Down by the Sally Gardens」は、「柳の庭を降りて行ったところで…」という意味。

(歌詞概要)
二人は、柳の樹が茂る川のほとりで…。
彼女は僕に言いました。
「恋をあせらないでね…、柳がそよぐように…」。
でも、僕は若すぎて…。
今は、若かった頃の、愚かだった自分を思い出す…。

♪サリー・ガーデン(Down by the Sally Gardens)

 

♪サリー・ガーデン(Down by the Sally Gardens)

 

ケルトの笛演奏
♪サリー・ガーデン(Down by the Sally Gardens)

 

手嶌葵(てしま あおい)…谷山浩子さんのオリジナル日本語歌詞
♪家族の風景(Down by the Sally Gardens)

 

植物の世界は、本当に多様性に満ちていますね。
風に立ち向かわない柳のような生き方も、あっていい…。


〔オンブラ・マイ・フ〕

プラタナスの木陰を歌った曲です。
「プラタナス」の日本名は「スズカケ(篠懸)の木」。
修験者の山伏が山道を歩く時の上着「篠懸衣(すずかけい)」の飾りが、「スズカケの木」の実に似ているところから。

その愛すべき木陰は、誰よりも、どこよりも、私にやさしい…。

ヘンデル
♪オンブラ・マイ・フ

 

1987年(昭和62)のニッカのテレビCMで、この楽曲を知った方がたくさんいましたね。
CMディレクターは、ウルトラシリーズの実相寺昭雄さん。
歌手は、キャスリーン・バトルさん。
CM

 

現代では信じられないような、ボーイソプラノを維持するための男性への慣例や、教会内での女性の禁止事項が、1878年(明治11)までヨーロッパでは行われていました。
この楽曲も、男性のソプラノ歌手だけが歌う楽曲でした。
下記映像に説明文があります。
♪オンブラ・マイ・フ

 


〔樹の組曲〕

シベリウス作曲の、五つのピアノ小品「樹の組曲」です。
1.ピヒラヤの花咲くとき
2.孤独な松の木(1分41秒から)
3.ポブラ(4分から)
4.白樺(6分22秒から)
5.もみの木(7分55秒から)

上記の「ピヒラヤ」とは、日本の「ナナカマド」の一種。

植物の世界には、存在が地味すぎて、人に気づかれない草花も相当にありますね。
でも、よくよく見れば、そこに光る輝きと命があります… この楽曲のように。

シベリウス
♪樹の組曲

 


◇思い出す花

今回のコラムの最後は、ロベルト・シューマンが、愛妻のクララ・シューマンに贈った、愛の楽曲です。

歌曲集「ミルテの花」の中の一曲、「くるみの木」です。

日本では「新婦」を、「花で飾られたお嫁さん」、「花のように美しいお嫁さん」という意味も込めて、「花嫁」と表現しますね。
ロマンチックな花のイメージは、結婚のウキウキ、ワクワク、ドキドキ、ラヴラヴを上手に言い当てていますね。
新郎の「花婿」という表現も、それはそれで いいですが…。
やはり「花」は、お嫁さんのほう…。
いずれにしても、花園で いちゃつくカップルが頭に浮かんできますね。

* * *

ロベルト・シューマンは、そのロマンチックな音楽表現で、当時抜きに出た音楽家でしたね。
メロメロのロマンチック作品をたくさん残しました。

この歌曲集「ミルテの花」のタイトルにある「ミルテ(ドイツ語)」という花は、日本名で「ギンバイカ(銀梅花・銀盃花)」といいます。
日本名の漢字はいいのですが、読みの発音がきれいなイメージを抱かせないところは、少し残念!
ですが、「祝いの木」、「ギンコウバイ」、「ギンコウボク」という別表現もあります。

英語では「マートル(Myrtle)」、花言葉は「愛のささやき」。
夏に咲く白い花「ミルテの花」は、昔から結婚式のブーケなどに使われ、新郎新婦の深い愛や、永遠の愛を象徴する花として使われています。

* * *

シューマンは、歌曲集「ミルテの花」を、1840年9月、クララとの結婚式の前日に「愛する花嫁へ」と書いて彼女に贈りました。
音楽家にしかできない最高の愛情表現ですね。

この「ミルテの花」という名称は、複数の歌曲を集めた歌曲集全体に付けられた名称で、単体の楽曲のタイトルではありません。
歌曲集という「贈り物」自体に付けた名称です。

つまり、ロベルトがクララに結婚時に贈った「愛の歌曲集」の中の一曲として、「くるみの木」という楽曲があるということです。
今回のコラムは、樹木の音楽曲として、歌曲「くるみの木」のみをご紹介しますが、別の回でほかの歌曲もご紹介します。
クラシック音楽作品の中には「ミルテ」という花が登場する作品が少なくありませんね。

* * *

牧野夫妻の結婚時は、今の満年齢で、富太郎が26歳、壽衛子(すえこ)が15歳。
シューマン夫妻の結婚時は、ロベルトが30歳、クララが20歳です。
二組とも、おおよそ10歳の年齢差です。

牧野夫妻の場合は、妻の壽衛子が、今の満年齢の55歳で死去。
シューマン夫妻の場合は、夫のロベルトが46歳で死去。
二組とも、遺された者は、亡き伴侶への愛を生涯貫きました。

牧野壽衛子を思い出す植物が「スエコザサ」であるなら、クララがロベルト・シューマンを思い出す植物は、おそらく「ミルテの花」であろうと思います。

それにしても、人間が品種改良をしたわけでもなく、よく これほどの花の造形美を自然が作り上げたものです。

 

* * *


下記の「山想花(さんそうか)」様のブログ記事に「ミルテの花(ギンバイカ)」のの写真が掲載されています。

「山想花」様のブログには、街の花屋さんの店先に並ぶことはなくとも、山や野で ひっそりと けなげに生きる小さな草花や虫たちがたくさん紹介されています。
そうした草花の姿は、人間に見せようとするでもなく、着飾ろうとするでもなく、自然に生きる姿そのものです。
ブログの写真を よくよく見ていると、思わず、もの想いにふけ、さまざまな感情がわき上がってくる気がします。
山野の草花や虫たちに想いを寄せ、彼らのささやきが聞こえてきそうな、いつも学びの多い「山想花」様のブログです。
この度の、「山想花」様のご厚情に深く感謝申し上げます。

 

ミルテの花(ギンバイカ)



◇くるみの木

さて、歌曲集「ミルテの花」の中の一曲「くるみの木」です。

私は、くるみの大産地である山国「信州」の出身なのですが、実は「くるみの木」の「雌花(メバナ)」を肉眼で見た記憶がなく、いったいどんな花なのか想像ができませんでした。
実は、真っ赤な かわいらしい花をつけることを最近知り、ちょっとした衝撃でした。
まさか、こんな真っ赤な花を咲かせていたとは…!!

* * *

前述の「山想花(さんそうか)」様のブログ記事に、くるみの木の「雄花(オバナ)」と「雌花(メバナ)」などの写真が掲載されています。

 

* * *

ともあれ、くるみの木は、食用に、建材に、家具に、薬に、タイヤに…、リスたちだけでなく、人間に なくてはならない植物ですね。
ですが、意外と、樹木や花ではなく、「くるみの実」しか見たことがないという方も多いと思います。

私も、子供の頃に、「五平餅(ごへいもち)」作りで、あれほど「くるみの実」や「くるみ味噌」を見ていたのに、真っ赤な「雌花(メバナ)」を知らなかったとは…。

赤いメバナと、緑のオバナ… リスたちは ちゃんと知っていて、ワクワクしながら、秋を待っているのでしょうね。
おそらく、「くるみの木」のほうは、リスが「くるみの実」を地中に埋めて保存すること、そして埋めた場所を忘れてしまうことを、ちゃんと知っているはず…。

 

 

* * *

リスは、くるみの実を割るのに、ひと苦労!
でも、ひとまず保存する!
中には、くるみをあきらめて、どんぐりに…。

 


リスは、漢字で「栗鼠」と書き、大昔は「リッス」と発音しました。
漢字のとおり、「栗を食べるネズミ」という意味ですね。

次回コラムで、「栗の木」のお話しを書きます。

* * *

さて、子供たちが夏休みに入り、体験型の動物園に行かれるご家族も多いと思います。
リス園のリスに限らず、そこにいる動物たちは、家にいるペットの犬や猫などとは大きく違います。
本来の野性に近い動物たちだということを忘れないように、間違っても、いたずらしたり、からかったりしてはいけません!
大きな代償を負わされることもありますので、ご注意を!
写真撮影の際は、特にご注意ください。
子供たちは、動物たちを、自然を、正しく学んでね!


◇待ち合わせは、くるみの木の下で…、愛をくるんで、愛にくるまれ…

さて、シューマンの歌曲「くるみの木」の歌詞には、大きなくるみの木の下で、根元に咲いている たくさんの花々や樹木とおしゃべりするクララの姿が描かれています。
彼女は、耳をすませ、花たちとおしゃべりしながら、間近にせまる結婚のことを思い、頬笑み、そして夢の中へ…。
そんな歌詞概要です。

* * *

下記映像の途中に、男女のカップルの映像が出てきます。
つまり、ロベルトとクララも、くるみの木の下で、こうしてデートをしていたのだろうと思います。

「くるみの木」は、二人の結婚前の思い出の場所だったのかもしれません。
きっと、前述の緑色のオバナと、赤いメバナ、そして両者の結晶の「くるみの実」も見ていたことでしょう。
リスたちも、二人のもとにやって来たことでしょう。

今の時代とは違い、スマホもない、音楽プレーヤーもない、ラジオもない… そんな時代でも、美しくかわいい草花や樹木がそこにあれば、二人にはじゅうぶんだったでしょうね。
二人とも楽譜を読めますので、楽譜を持参して、くるみの木の下で、二人で愛の歌を奏でたことでしょう。

有能な作曲家と、優れた女性ピアニストが、たくさんのロマンチックな愛の音楽を作り奏でることができたのは、この「くるみの木」があったからなのかもしれませんね。

若い頃のロマンチックな二人の時期を忘れかけてきた中高年のカップルの方々…、今度の週末は、お近くの大樹の下や、花園などに出向いて、植物たちのささやきを耳にし、やさしい空気と愛を、どうぞ味わってみてください。

字幕表示設定にすると、歌詞和訳が読めます。
♪くるみの木


「胡桃(くるみ)」ときたら、やはり次は、「栗(くり)」ですね。
栗の木のお話しは、次回に書きたいと思います。

* * *

さて、先ほどの「富太郎を探せ!」の答えです。

 

黄色の丸部分に、牧野富太郎。
ピンク色の丸部分に、牧野富太郎と壽衛子。
水色の丸部分は、家族一同で写真撮影をしたところ。

上記の図の中に、猫のチーコが4か所に登場していますよ!
…ヒントは、屋根と庭と縁側。
愛猫と愛犬のお話しは、次回に書きます。

このイラストは、全体の一部です。
右側のイラスト図の屋敷の左側に、「わが植物園」の大きな庭園がありました。
全体図は、東京都練馬区の牧野記念庭園の施設内にあります。

牧野富太郎と壽衛子を肌で感じることのできる、愛らんまんの「牧野記念庭園」に、ぜひ どうぞ…。

* * *

2023.7.17 天乃みそ汁

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