9月25日に米寿を迎える事になった。

実は、私には誕生日が2回ある。

 

 

突然、世田谷区の高齢福祉部高齢福祉課から慶祝品として、商品券等が贈られて来た。

当然こんな事は初めてだから驚きもしたが「米寿」と言う「歳」の重さを改めて考えさせられる事になった。

 

そういえば、土佐の高知で成人式を迎えた時、自治体から式典の招待状を受けた事を覚えているが、あの時代は「今日から大人になったのだ」と言う不思議な高揚感が漲っていた筈だ。

私にとっての、勇み立つ重大な儀式でもあった。

ならばこの「米寿」の慶祝は、成人式ならぬ「老人式」なのだろうか。

 

しかし何故か、この「米寿」と言う儀式には「成人式」で味わった高揚感とは程遠い、暗闇の中から身を潜めて襲って来る、得体の知れぬ不気味な空気を感じ、私には、それを何としても防ごうと両手を広げて身構えている自分の姿が映って見えるのである。

 

話は逸れるが「米寿」の八十八と言う数字には、不思議な縁を感じる。

私の車のナンバープレートは、88であり、膵臓癌が見つかり、初めて重粒子線治療と抗がん剤の服用を経験しているのも、この歳であり、免許証を返納して、愛車を手放すのもこの八十八才と言う事になる。(誕生日に免許証返納と車両売却を決定)

 

ただ、これらは全てあくまでも単なる偶然に過ぎないとあえて付け加えておく。

 

偶然が三回重なれば、人はそれを奇跡が起きたと驚嘆する。

所詮人間は、弱い生き物なのだ。

 

思えば四十年近く、私は何処に行くにしても、公共の交通機関は殆ど利用せずに愛車と共に移動して来た。それだけに一念発起し慣れ切った日常生活の利便性からの決別には、正直しばしの熟考を要した苦渋の決断だった。

 

どう足掻いて見ても加齢と言う現実の絶対的メカニズムの冷酷さからは誰一人逃れられないのだ。

 

勿論、高齢者が、全てがドライバー失格というわけではない。

中には、若者の傍若無人な運転より遥かに優れた運転技術を目撃することもしばしばだ。

 

その一方で、近年、高齢者による交通事故が後を絶たず社会問題になっているのも、紛れのない事実である。

 

そこでもし、私がこのまま運転を続けていけば、あるいは悲惨な事故を引き起こし、自責の念に駆られながら残された余生を絶望と悔恨の中で暮らす事になるかも知れないのだ。

 

そして何より、被害者の方々は、家族を失った苦しみの傷をいつまでも引きずって、生きていかなければならない。

 

畢竟、誰にも先の事など分かりはしない。

一寸先は闇だ。

 

因みに事故は起こそうと思って起きるものではなく

起きてしまうのだ。

 

「ああ、これが俺の運命だったのだ」と己を恨み悲嘆に暮れる様なら、その前にここで、その運命とやらと堂々と勝負して自分の意思で、これを、自分の手に取り戻すことはできないだろうか。

 

私はその運命という奴を「免許証返納」と言う手段で、手中にしっかり握りしめるのです。

加害者と言う汚名を、自分の意思で抹殺するのです。

 

もし仮にそれぞれの運命が既に決まっているとすれば、人間何のために生きるのでしょうか。

あくまで運命は自分自身で掴み取るものです。

そのために、生まれて来たのではないだろうか。

 

たとえ達観した先人たちが「人生なる様にしかならないよ。」と嘆くとしても若者たちは、決して臆する事なく自分自身の人生のプランナーになるよう奮励努力しで欲しいと願います。

 

そして、身の回りの物品だけでなく、心の断捨離をする事にも心掛けたいと思うのです。

 

「どう言う結果になろうと、結局それが運命なのだよ。」とそんな野暮なことは今更言わない様にして下さい。

これは、あくまで私個人の状況下において、成立する事なのですから。

 

ありがとうございました。

皆様のご健康をお祈りしています。