こんにちは~
出雲大社の系列の神社の巫女を経まして。
教派神道の神職の資格を習得した占い師、白川葵です
本日も、お忙しいところ、ご訪問ありがとうございます。
初めての方も、よろしくお願い致します。
「古事記」と「日本書紀」は、
ほぼ同時期に成立した実在する
日本の歴史書ですが、
両者には、
内容に「違い」があります
今日の記事は、
どのような「違い」があるのか
なぜ「違い」が生まれたのか
についてです。
「古事記」が成立したのは、
奈良時代の初頭、
712(和銅5)年です。
時の天武(てんむ)天皇が、
天皇家の歴史が正しく伝わっていないことを嘆いていて
このままでは、国の存亡にかかわると思い、
「天皇家の歴史を正しく伝えよう」と
昔から伝わる歴史書の誤りを改め、
正確な歴史書を残すべく、
「古事記」の作成に取りかかるように命じたのです
674~677年頃のこととされています。
そこで
登用されたのが、官僚の
太安万侶(おおのやすまろ)と、
稗田阿礼(ひえだのあれ)だったのですが、
作業は難航し
天武天皇は、その完成を見ないまま
生涯を終え、
次の
元明(げんめい)天皇の時代にようやく完成し、
太安万侶から献上されました
「古事記」は、
上・中・下の3巻からなりますが、
上巻は、天地開闢(かいびゃく)から神武(じんむ)天皇の誕生までを
中巻は、神武東征から応神(おうにん)天皇までを
下巻は、仁徳(にんとく)天皇から推古(すいこ)天皇までを記録しています。
「古事記」はファンタジーな印象です。
しかし、
現実の天皇家の「正当性」を確保するという
当時の政治的意図があったのではと考えられています
そして、
天皇から
抜擢された稗田阿礼は、
大変頭が良く、
一度見聞したものは暗唱できる能力を持っていたので
天武天皇に、
「古事記」の元になった
「帝紀(ていき)」と「旧辞(きゅうじ)」を覚えるように、
命じられたのです
太安万侶は、
文章を書く才に秀でており、
稗田阿礼が覚えた文章を
文字におこするように
元明天皇から命じられたのです
稗田阿礼の役職は舎人で、
天皇家の雑用を行う下級官僚でした
太安万侶は
文官の「正五位上」という位の
やや下級の官僚でした。
二人共、
身分は高くないものの
能力を買われて、
異例の大抜擢をされたのです
太安万侶は、
後の歴史書にも記されていて、
実在の人物だったことが確認されているのですが、
稗田阿礼は、
「日本書紀」や「続日本記」に記されておらず、
「古事記」にしか登場しない
謎の人物です
それで、
実は女性であったとか、
藤原不比等と同一の人物であったとの説もあります。
そして、
稗田阿礼は、
「古事記」の元になった
「帝紀」と「旧辞」を全て暗唱していたとされていますが、
これがどんな内容だったのか
と言うと、
どちらも、
天皇家の歴史を綴(つづ)ったものなのです。
「帝紀」は、
一人の天皇が即位してから崩御(ほうぎょ)するまでの
あらゆる事柄を漢文体で記したもので
先代は誰か
天皇の御名は何か
皇后は誰か
子供は何人いたか
当時の重要事件は何か
など天皇にまつわることを
皇位の継承の順に記録しているのです
一方の
「旧辞」は、
伝説、歌物語を
やや崩した漢文体で記されていたと
されています。
これは、
「古事記」の上巻は、
「旧辞」を
中・下巻は「帝紀」の内容を多く含んでいることに
繋がるのです
この二冊がいつ存在したのか
は、
確証はないのですが、
六世紀中ごろの
継体(けいたい)・欽明(きんめい)天皇の時代には、
すでに成立していたという説が
主流になっています
そして、
この時から、
天武天皇が即位をした七世紀末までの
約100年の間に、
「帝紀」と「旧辞」の内容は誤りだらけになってしまったそうです
その原因は、
「帝紀」と「旧辞」は、
天皇家や貴族の
諸家に伝わっていたので、
各家が、
「それぞれの家に都合が良いように、
少しずつ改変されていった」ことで、
内容に違いがある異本が、
いくつも生まれてしまったという
説があるのです
それで、
「古事記」と同時期に成立した
「日本書紀」とは何か
と言うと、
「古事記」と同様に、
681年に
天武天皇の命により、
編纂が始まり、
720年に
舎人親王(とねりしんのう)により、
元正(げんしょう)天皇(元明天王の次の天皇)に献上された
歴史書です
全30巻と、系図1巻から成り、
神代から持統天皇までが
漢文で記録されています。
「古事記」と「日本書紀」の内容には、
大きな違いがあり、
「日本書紀」は、
神々よりも、
天皇の記録に重きが置かれています
「古事記」が、
「天皇統治以前」を主にまとめてあるのに対し、
「日本書紀」は、
「天皇の世」をまとめたものなのです
これは、
「古事記」には「天皇家の成り立ちの正当性」が、
「日本書紀」には「天皇家の記録」が書かれた
と言え。
両者の「違い」は、そこにあります
それなので、
天皇家の書かれ方も異なり、
例えば、
ヤマトタケルノミコトも、
「古事記」では、
荒々しい神ですが
「日本書紀」では、
父である天皇と良好な関係を築いた英雄と
なっています
それと、
「古事記」と「日本書紀」の内容に
「食い違い」があるのは、
それぞれが異なる
「帝紀」と「旧辞」をもとにしたためだと
されています
又、
日本書紀には、
ところどころに
「一書(あるふみ)に曰(いわ)く」との枕詞で、
異伝・異説が載せられています。
同じエピソードにも、
細かな「違い」を載せているのです
参考記事
昨年の10月以降に。
神社仏閣巡りのジャンルで、人気記事ランキング1位になった記事です
ご興味のありそうなものがございましたら、どうぞ
弁財天が語る「ダイエットに失敗して、お金を浪費する食器棚の収納法」
2021年のお願い事が叶うかどうか?を神様に「乗り移って」お答えいただく秘伝
神社の参拝法についての記事です。
いわゆる「ニ拝・ニ拍手・一拝」のやり方と「拝」と「礼」の違い
それでは、本日もお読みいただき、ありがとうございました
現在、神奈川県川崎市麻生区で対面鑑定、電話鑑定を行っております。
最寄駅は小田急線新百合ヶ丘です。
算命学・気学・西洋占星術による鑑定です。
鑑定料は60分12000円です。
ご興味のある方は、aries@mx1.ttcn.ne.jpまでお問い合わせいただくと、数日以内に詳細をご連絡致します。
鑑定のご案内は、こちらをどうぞ
ゆほびかGOLD2月号
「大金運の法則 2021」に掲載されました