ようこそ!!
好きなことを好きなように好きなだけ発信してます。
新地亜紀と同居人みっちゃんです。
いつもご訪問ありがとうございます。
*・・・*★*・・・*★*・・・*★*・・・*
大火傷による死から蘇った大国主神は、
大木に挟まれ、二度目の死を迎えます。
二度目も、母神の刺国若姫に助けられ、
何度も執拗に、命を狙われることを恐れた母神の助言に従って、
大国主神が身を寄せたのが、木の国 ( 現代の和歌山県 ) に住んでいた、
五十猛命ーいたけるのみことーでした。
ーいそたけるのみことーと呼ぶこともあります。
『古事記』では、大屋毘古の名で、
伊邪那岐命と伊邪那美命の御子神となっていますが、
『日本書紀』では、須佐之男命の御子神となっています。
『日本書紀』では、高天原より天降った須佐之男命は、
最初、五十猛命と共に、新羅の曾尸茂梨ーそしもりーに降り立ったとされています。
しかし、その土地が気に入らず、そこから出雲国へ渡ったのだそうです。
その時、かの国で「浮宝ーうきたからー = 舟」を見た須佐之男命は、
「日本に浮宝が無いのは良くないことだ」
と言い、
髭を抜いて、杉を。
胸の毛を抜いて、檜を。
お尻の毛を抜いて、柀ーまきーを。
眉を抜いて、楠を生み出されました。
そして、
「楠と杉は、浮宝の用材に、
檜は、宮殿の用材に、
柀は、棺桶に。
そして、様々な果樹や木の実も植え、
食料とせよ」
と仰せになりました。
須佐之男命と共に、新羅から日本に渡ってきた五十猛命は、
出雲に向かう須佐之男命と別れ、
妹神 大屋津媛ーおおやつひめー・枛津媛ーつまつひめーと共に、
九州から順に、大八洲国全土に、高天原から持ってきた各種の樹種と共に、
樹木を植えて回りました。
この事から、五十猛命と妹姫三神は、
樹木の神・植樹の神として、祀られています。
大八洲国を、緑豊かにした三神は、
木の国で、須佐之男命と再会すると、
須佐之男命の命で、そのまま、木の国に鎮座しました。
そして、須佐之男命は、熊成峯ーくまなりのたけー = 熊野山より、
「根の国」へと入って行かれました。
木の神様が住む土地は、一層緑豊かな土地となり、
「木の国」と呼ばれるようになりました。
ご神徳 農林殖産
木材・建設業守護
漁業
造船
航海安全
大漁
厄除け
病気平癒
開運招福
商売繁盛
悪疫退散 など
五十猛命は、「木の国」発祥の神様となっている訳ですが、
「木の国」と呼ばれる前の、現在の和歌山県が、
何という名前だったのか、調べてもわからないので、
まるで、卵が先か鶏が先か。みたいな表現になってしまっています。
まぁ、七世紀には、国として成立していたらしく、
他の地域に比べて、木が沢山あったので、
「木国ーきのくにー」と呼ばれていたのが、
「紀氏ーきしー」が治めていたことから、
「紀の国ーきのくにー」となり、
近畿方言として、
手を「てえ」、目を「めえ」などと発音することから、
地域の発音に合わせて、
「きいのくに」から「紀伊国」へと変化していったとされています。
また、『ホツマツタエ』では、須佐之男命は、
木の国で生まれたことになっています。
( 天照大御神は、富士山。月読命は、筑紫で生まれた )
何気に和歌山も、須佐之男命と縁が深い土地なのですね。
ここからは亜紀がお送りします。
五十猛命といえば和歌山県の伊太祁曽神社。
いたきそさん
と呼ばれてますね。
災難除けの木俣くぐりを一大決心で ( 笑 )
やったら出来たのが嬉しかったな。
五十猛命、名前からしても偉丈夫そうな感じ。
ごっつい感じ。
でもなんか須佐之男命とは、
親子だけど弟子のような感じなのかな。
親子とは言え、そんなに父親に対しては気軽ではないのか。
体の大きさごつさに気後れしそうですが、
持っている雰囲気は柔らかい。
居丈高にふるまう感じではなく、
穏やかに静かに人の話に耳を傾けてくださる感じ。
神社にある大きな木のエネルギーと似てるよね。
と、安心できる心地よいエネルギーで、
癒されたい人にもおすすめの神様。
まさに大樹に包まれるようなエネルギー。
五十猛命が祀られた神社で、
深い呼吸をしながら瞑想するといいかな。
*・・・*★*・・・*★*・・・*★*・・・*
【YouTubeチャンネル】
【登録してね!】
料理、スイーツ、日本の神様
漫画、イラストなど私たちのお気に入りをアップしています。
運氣予報も更新!
クリックで応援お願いします。