出雲方言が縄文語に最も近いかも知れない! | 日本の歴史と日本人のルーツ

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出雲方言に東北方言と音韻の類似する面があることは、ブーズー弁が共通していることなどで、すでに良く知られた事実である。また、ある書籍によると、「関東在住の出雲出身者及び出雲在住の出雲人のDNA解析の結果、出雲人のDNAと東北人のDNAとが非常に近い位置にあるという驚くべき結果」が得られているとか!そして、出雲方言は縄文語を正当に受け継いでいる本流の言語であろうと主張している。

実は、出雲を含む山陰地方は、弥生時代後期、縄文人と同族の殷人の末裔の国の斉や秦からの渡来人の上陸地であった。彼らは出雲地方の地元の縄文人と同族で、日本語が互いに通じたのであった。そして、この出雲弁はズーズー弁と言う癖のある方言ではあるが、日本全国の日本語とそんなに変わるものでは無かった。

ところで、弥生時代初期から中期の渡来系弥生人とは、揚子江中下流域の呉あたりから主に九州あたりに渡来した銅剣文化圏の人々と、越あたりから主に関西あたりに渡来した銅鐸文化圏の人々であった。

この二つの勢力の狭間となった出雲を中心とする山陰地方に殷人の末裔たちが上陸し、勢力を拡大したのであった。彼らは、平安時代の遣唐使が終了する頃まで、日本に帰化(渡来)し続けたのであった(参考)。


雑談1

ところで、京阪式アクセントは渡来系弥生人のアクセントと言うより、古墳時代より後の白村江の戦いの敗戦後に渡来してくる百済人らの上代日本語八母音の方言と考えている(参考)。さらに、平安時代の京の都の公家の中古日本語は唐の長安で喋られたようだ(参考)。


雑談2

稲作をもたらした初期の渡来系弥生人は揚子江中下流域の呉・越あたりから渡来したが、日本語としてより、むしろ稲作文化をもたらした。彼らの方言は九州と東日本の無アクセントの地域に主に残留している(参考1参考2)。


雑談3

古事記に出雲神話が特に紙面を割いて書かれているのは、天皇家以下、支配者層の故郷だったからであろう(参考)。

天瓊を以て滄海を探るの図(小林永濯・画、明治時代)右がイザナギ、左がイザナミ。二人は天の橋に立っており、矛で混沌をかき混ぜて島(日本)を作っているところ。

亡骸は、『古事記』によれば出雲と伯伎(伯耆)の境の比婆山(現在の中国地方にある島根県安来市伯太町)に、『日本書紀』の一書によれば紀伊の熊野の有馬村(三重県熊野市有馬の花窟神社)に葬られたという。

すなわち、記紀の神代は考古学的には弥生時代後期に相当するようだ。そうすると、初代天皇の神武天皇のヤマトでの即位は、実は邪馬台国の卑弥呼の居た古墳時代初期の直前に相当するのかも知れない。

魏志倭人伝では卑弥呼が擁立されて倭国大乱が鎮まったとされるが、神武天皇の東征ルート上での戦いが倭国大乱に相当するのかも知れない。


雑談4

出雲族について(wikiより)



出雲族は①地祇系・海神系と②天神系・天孫系の二つに分けられるが、まとめて出雲族とするのは違和感があるとする研究者がいる。

実は、前者は縄文時代の日本語を喋る縄文人(Y染色体ハプログループD2の山の民とY染色体ハプログループ C1の海の民)であり、後者は縄文人と同族の渡来人(殷人の末裔でY染色体ハプログループ D2)で矢張り日本語を喋っていた。

だから、元々から日本語を喋る人々として出雲族と総称しても差し支えない。


参考

① 縄文人はどんな言葉を話していたか? ~縄文語と出雲方言~

READY FOR(2018.10.20、参考)

日本語のルーツに関しては、アルタイ語(蒙古語・満州語・朝鮮語・トルコ語などが属するらしい)と似ていると言われているが、どうも、未だ答えがでてなくて、日本語は、世界の言語の中でも特異の存在(日本語が属する言語が世界にない)で、日本列島で長い間に形成された独特の特色を有しているようだ。

1998年5月に出版された言語学者故小泉保氏が「縄文語の発見」(青土社)が、縄文語について詳細な研究をまとめられている。

日本語は弥生時代を起源とするとの主流の学説に対し、「はたして、縄文時代の言語は弥生時代の言語に駆逐され、消滅させられてしまったのであろうか。六百年足らずの弥生期に弥生語は縄文語に完全に入れ替わったのであろうか。こうした弥生期における言語交替の証拠はどこにもない。」として、「出雲方言に東北方言と音韻の類似する面がある」ことに言及し、この裏日本的な音韻は、縄文語(裏日本縄文語)を受け継ぐものであるとされる。

つまり、出雲方言は、恥ずかしいズーズー弁ではなく、縄文語を正当に受け継いでいる縄文語本流の言語であるということである。

このことは、今回、関東在住の出雲出身者及び出雲在住の出雲人のDNA解析の結果、出雲人のDNAと東北人のDNAとが非常に近い位置にあるという驚くべき結果からも裏付けられる。

そもそも、出雲と東北とは日本海の海のルートにより、縄文時代から交流があったことは考古学上明らかになっている。縄文時代に交流があったということは、共通の縄文語(方言の違いはあるにしろ)が話されていたことは誰が考えても否定できないことである。

しかも、縄文後期から弥生時代。古墳時代にかけて、日本列島への渡来人の到来があったが、彼らは征服者としてやってきたのではなく、大陸から様々な理由で新たな新天地を求めてきた人々であり、最新のDNA研究の結果、ある時点を境に縄文人と弥生人が突然日本列島で入れ替わったのではなく、長い時と時間をかけて先住の縄文人と新天地を求めてきた大陸からの渡来人との混血・縄文系弥生人と渡来人との混血を繰り返しながら(その過程は、単純なものではなく複雑なものであることが最新のDNA研究から想定される。)、現在生きるヤマト人が形作られてきたことが、分かってきている。

他方、渡来人は渡来する前の大陸の本籍(初期の渡来民は大陸沿岸の海洋民族系か?)では中国語系統の言語を話していたと推測されるが、日本に渡来した後、中国語系統の言語を保持した状況証拠も見当たらない。

そうすると、大陸からの渡来人は、在来の縄文人が話していた言葉を学び、縄文人と渡来人の混血した弥生人は縄文語を承継しながら弥生語を形成し、現在の日本語に繋がっていったと考えるのが素直である。

そうである以上、今、我々日本人が使っている日本語に縄文語の流れをくむものがあって、当然であり、自ずと出雲方言が脚光を浴びざるをえない。

今回のプロジェクトは、日本語の成り立ちの解明のロマンにも繋がっている。


② 縄文語の発見(wikiより)

小泉保の著書。1998年5月に青土社から発刊された。弥生時代日本列島で話されていた言語のうちの一つが今の日本語につながるという推測に反対し、東北方言琉球語などの比較により、現代の日本語から縄文時代に話されていた「縄文語」に由来する要素をとりだすことを試みる。

構成


縄文語とは


第4章


第5章


第6章


本書の評価

本書はこれまでに例を見ない「縄文語」という基層語を題材にしていることから、革新的であると見られる一方、正統派言語学者からは批判の声もある。

書誌情報



③-1 出雲に近い鳥取県の青谷上寺地遺跡で出土した渡来系弥生人の男性は縄文人と同じY-DNA D2を持っていた(参考)


③-2 下関市の土井ヶ浜遺跡の渡来系弥生人は縄文人と同じ特徴を持っていた(参考)


④ 日本語の起源(参考)


⑤ 縄文人と同じY染色体ハプログループDを男性に持つ人々は日本列島の他、チベット、中央アジアから中国大陸東北部にかけたドーナッツ状に分布する(参考)、、、中空となった地域に漢民族が高密度に存在する。


⑥ 漢字の元となった甲骨文字を発明した殷人は縄文人と同族で、滅びることなく、日本に帰化(渡来)した(参考)


⑦ 揚子江中下流域から日本に渡来した稲作農民は、いわゆる渡来系弥生人はY染色体ハプログループO2で、縄文人のDとは異なるが、稲作用語に彼らの言語の痕跡が残っている(参考)、、、、彼らの言葉は、縄文人と殷人の日本語に圧倒されて飲み込まれたが、九州と東日本の無アクセントの地域に彼らが濃く存在しているようだ。