青谷上寺地遺跡で出土した渡来系弥生人の男性は縄文人と同じY-DNA D2を持っていた | 日本の歴史と日本人のルーツ

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青谷上寺地遺跡で出土した人骨のうち32体をミトコンドリアDNA分析した結果、ほぼ全員の31体が渡来系弥生人であった。そして、その内29体が血縁関係が無かったという。

大陸での争いを避けて、家族を見失ったまま大慌てで渡来した直後で家庭を再建出来ていなかった時期の遺跡であったと想像される。まるで、昭和時代の敗戦で家族を見失って大陸から日本に戻った引揚者の状況によく似ている。

また、「中心部の溝からは、老若男女の人骨が少なくとも109体分、散乱した状態で出土。鋭い武器で切られたり、刺されたりした殺傷痕が残るものもあった。戦闘など凄惨な行為があった」と考えられており、日本列島に上陸した直後までに争いがあったか、傷ついたままで渡海した可能性がある。家庭を作って一つの村を構成してからの争いなら、何人か同じDNAを持つ血族を構成してグループ化していたはずである。

そして、下関市の土井ヶ浜遺跡の弥生人の食生活と比較する為に骨の成分を分析すると、海産物を多く食べるなど、よく似ていた。この食文化は現代まで続いており、また現代日本語の方言のアクセント分布を見ると、出雲地域を除いて、下関から鳥取辺りにまで広がる山陰方言の文化圏の人々となっている。また、下関の綾羅木郷遺跡から土笛が完形品として出土しているが、この土笛は北九州の宗像以東から山陰沿岸に出土して、やはり山陰文化圏を構成していた。

すなわち、土井ヶ浜遺跡の弥生人と同族で、中国大陸の山東半島の臨淄(春秋戦国時代の斉国)で出土した斉国人と同族と言うことになる。この斉国人とは、秦の始皇帝の一族(秦氏)や羌族(現在のチャン族)と男性遺伝子Y-DNA Dの観点で同族であり、また縄文時代の山の民(いわゆる縄文人)が男性遺伝子Y-DNA D2を持っているとされている。

青谷上寺地遺跡の人骨の男性遺伝子の分析は未だこれからとのことで、結論を今の段階では出せないが、男性達は男性遺伝子Y-DNA D2を持ち、全員が原日本語を喋っていたと期待される。





鳥取市青谷町青谷 青谷上寺地遺跡

現代日本語のアクセント分布(wikiより)


追加(2019.3.4)

青谷上寺地遺跡の弥生人は、母系は渡来系で父系は縄文系との結果がDNA分析で判明した。

すなわち、渡来人の男性は日本列島に従来から定住する縄文人と同族であり、男性達はY-DNA D2を持ち、全員が原日本語を喋っていたことになる。

結果を発表した篠田副館長は未だ、渡来系弥生人の男性が元々、日本列島内の在来の縄文人と同じY-DNA D2を持っていることに気がついていない。


参考

① 弥生人骨、予想覆し「渡来系」大半…鳥取の遺跡

読売新聞(2018.11.18、参考)


鳥取市青谷町の青谷上寺地遺跡で見つかった弥生時代後期の人骨について、鳥取県埋蔵文化財センターや国立科学博物館などが実施しているDNA分析調査の中間報告会が17日、同町の市青谷町総合支所で開かれた。大半の人骨のルーツが大陸からの渡来系だったといい、同博物館の篠田謙一副館長は「日本人の成り立ちを知る重要な手がかりだ」と話す。

遺跡からはこれまでに約5300点の人骨が出土。調査では、頭蓋骨約40点から微量の骨を削り取り、DNA分析を行っている。報告会では、母から子へ受け継がれるミトコンドリアのDNA配列を分析し、母系の祖先をたどった調査結果を篠田副館長が説明。市民ら約130人が聞き入った。

篠田副館長によると、九州北部の遺跡から出土した弥生前期の人骨の分析では、在来の縄文系と渡来系の遺伝子が見つかった。当時の人が両方の祖先を持っていたことを示しており、青谷上寺地遺跡の人骨についても、両方の遺伝子が検出されると予想していたという。しかし、今回DNAを抽出した人骨32点のうち、31点が渡来系で、縄文系は1点だけ。DNAの型は29種類に分かれ、血縁関係がほとんどないことも分かった。

青谷は遺跡の発掘調査から、大陸などとの交易拠点だったと考えられており、分析からも、多くの渡来人が入ってきて、交易で栄えていたことがうかがえるという。また、従来の研究では、稲作の普及や定住生活の広がりに伴って弥生後期には日本人の中に渡来系と縄文系が交ざっていたと考えられていた。しかし、今回の調査結果は定説に当てはまらず、篠田副館長は「これまでの説について発展的に考える契機になる」と述べた。

共同研究では今後、細胞核のDNAから父系のルーツについても分析する。2019年3月には、鳥取市内で最終的な研究成果を発表する予定で、篠田副館長は「当時の人々がどのように暮らしていたのかを明らかにしていきたい」。報告を聞いた同市の会社員男性(64)は「青谷でどんな人が暮らし、自分たちのルーツはどこにあるのか、興味をかき立てられた。研究内容に注目したい」と語った。

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同町の青谷上寺地遺跡展示館では17日、研究に用いられている人骨5点の展示も始まった。午前9時~午後5時。月曜、祝日の翌日は休館。無料。終了日は未定。問い合わせは同展示館(0857・85・0841)。(河合修平)


② 弥生時代に謎の大量殺戮? 大量の人骨をDNA分析、弥生人のルーツたどる 鳥取・青谷上寺地遺跡

産経WEST(2018.8.15、参考)


鳥取県埋蔵文化財センター(鳥取市)や国立科学博物館(東京都)などが連携し、鳥取市青谷町の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡から出土した弥生時代後期(2世紀後半~3世紀)の人骨のDNAを分析する研究を始めた。

弥生後期は、大陸や朝鮮半島からの渡来人と在来の縄文人の混血が進んだ時期と考えられるが、人骨の出土例は全国的にも少なく、DNAが本格的に分析されるのは今回が初めて。日本人の成り立ちの解明につながる成果が期待される。

研究には国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)も連携する。同センターが保管する頭蓋骨など人骨約40点からサンプルを採取。ミトコンドリアDNAを分析して塩基配列の特徴を調べ、世界のヒト集団の特徴と比較し、同遺跡の弥生人のルーツをたどる。

また、血縁関係・親族構造など集落内での人と人のつながりや、髪や瞳の色、直毛か、毛深いかといった身体的特徴の解明も試みる。最終的な研究成果は、今年度末に発表される予定だ。

低湿地にある同遺跡は、大気から遮断されて腐敗菌の繁殖が抑えられたことなどから、保存状態の良い遺物が多数出土し「弥生の博物館」と呼ばれる。中心部の溝からは、老若男女の人骨が少なくとも109体分、散乱した状態で出土。鋭い武器で切られたり、刺されたりした殺傷痕が残るものもあった。戦闘など凄惨(せいさん)な行為があったと考えられるが、その背景は明らかになっていない。

「魏志倭人伝」「後漢書」などの書物には、この時期に「倭国大いに乱る」とする記述もある。同センターでは「大量殺戮(さつりく)の謎にせまれれば、大きな成果となる。『倭国乱』で何が起きたかを示す、唯一の痕跡になる可能性がある」と話している。


③ 「安定同位体分析からみた土井ヶ浜弥生人の食性」米田穣(東京大学総合研究博物館教授)

第18回土井ヶ浜シンポジウム 『全容が見えた土井ヶ浜遺跡―土井ヶ浜遺跡発掘調査報告書刊行記念』(2014年3月15日、海峡メッセ下関、参考)

次に14:15東京大学・米田穣教授。東京大学総合研究博物館・研究部放射性炭素年代測定室。ええとC14はいわずもがな、なんと「同位体生態学を用いた骨化学という新しい分野を開拓する日本で唯一の研究室」とのこと。理学博士でいらっしゃいますな。土井ヶ浜弥生人の骨の成分から、何を食べていたか調べるそうです。「ナポレオンの毛髪から砒素が」のもっと進んだかたちかな。

まずはお礼、おつかれのところ安定同位体という科学の話。うんまあ、土井ヶ浜シンポジウムは主体が人類学ミュージアムだけあって理系の講演も多いのだけど、たいていの参加者は考古学の話と思ってるものね。ご本人は米に田に穣(みのる)がお名前なので研究テーマとしたと。毎回言ってるだろソレ(笑)

縄文時代から弥生時代への移行は、狩猟・採集から農耕社会への変化でもあると。ヒトがどうやって食物を獲得してきたか、重要だが難しいテーマ。難しい理由のひとつは、遺跡に残る資料が限られること。


例として、北海道網走市のモヨロ貝塚(オホーツク文化)の貝層。残るものとしては土器などの道具で、釣り針があれば魚を捕っていたことがわかる。でも野菜や果実などは消化されて残らない。そこで、食物の証拠が残っているものとして人骨を調べる。コラーゲンというタンパク質。コラーゲンは生前は骨の20%~25%含まれる。3本の鎖からなり、非常に強い。この骨の化学組成で材料を探っていく。


骨は歯と違い、少しずつ動くので、例えば骨折はなおる。人骨を分析すると、死ぬ10年前くらいからの食物の結果がわかる。注目するのは炭素12と炭素13、窒素14と窒素15。同位体の数値から植物⇔草食動物⇔肉食動物と食物連鎖もわかる。炭素同位体では雑穀類のC4植物、ドングリやイモやコメやムギのC4植物という違いはわかるが、ドングリとイネの比率はわからない。窒素同位体だと貝・魚はわかる。髪の毛にも食生活の変化が記録されている。雑食の女性がベジタリアンの男性と結婚してベジタリアンになると、グラフ的には雑食時の蓄積傾向からベジタリアンな動きにかわり、つまり結婚後は夫と同じような動きになる。


ここから分布図を示してそれがなにをどう表しているか簡単な説明と土井ヶ浜弥生人の傾向がどうかという話。正直、図がないと何がなにやら。とりあえず、今回は土井ヶ浜弥生人32個体中31点から保存状態のよいコラーゲンが見つかってそれを利用。N15とC13では海陸のいろんなものを食べていたことになり、他分野先行研究ともほぼ一緒の結論。


土井ヶ浜遺跡は青谷上寺地遺跡(鳥取県)に似ている。いわゆる北部九州弥生人である隈・西小田遺跡(福岡県筑紫野市)は稲作をしていたが、少し違う。深堀遺跡(長崎県)・大友遺跡(佐賀県)とも逆方向に少し違う。一方、縄文時代の東名遺跡(佐賀県)は水稲がなくても近い。違うところは水稲による差か。ただ津雲遺跡(岡山県)は縄文時代でももっと広範囲に分布するので、いろんなものを食べていると。なお、現代人に比べると海産物をたくさん食べていることになる。


年齢差について。乳児は窒素が高く、母乳による栄養か。どの遺跡でも乳児は窒素が高く、年齢とともにさがる傾向。乳幼児は炭素が低いが、おかゆのせいか。男女差は、男のほうが窒素が高いので、漁労に従事して魚を食べやすかったか。特異なものはなく、極端に偏った食物ではなさそう。個人差は大きくないので身分があって食べ物が違うとかそういうことはなさそう。これからの研究で格差がでるかもしれない。


というところで時間オーバー。うーむ、骨から生前に何を食べてたかわかるとはおそれいったぜ。



④ 土笛(参考)


北九州の宗像以東、下関市綾羅木郷遺跡から山陰沿岸に出土する土器が、鳥取県の青谷上寺遺跡からも出土している。


青谷上寺地遺跡で出土した土笛のモデル


土笛の出土地域、下関の綾羅木郷遺跡では完形品が出土している(参考)。


⑤ 斉は秦と同族の民(Y-DNA D2)が山東半島で稲作を身につけ、また海人族からの海の幸と交換する経済を確立していた!この斉は秦に滅ぼされて、海人族と共に日本の山陰沿岸に渡来した(参考)。


⑥ 日本語の起源(参考)


⑦ 古代の原日本語と現代の方言(参考)


⑧ 日本語の起源と騎馬民族(参考)


⑨ 弥生人、母系は渡来系、父系は縄文系か DNA分析で判明

毎日新聞(2019.3.4、参考)


国史跡・青谷上寺地(かみじち)遺跡(鳥取市)で出土した弥生時代の大量の人骨=2世紀ごろ=のDNA分析の中間報告会が2日、同市のとりぎん文化会館であった。国立科学博物館の篠田謙一副館長が、まだ途中段階で不確かだと断った上で「(人骨の)父系の遺伝子は縄文系に近いグループ」に多くが位置付けられると説明した。父系の遺伝情報が分かる「核ゲノム」分析の成果。

全国初となる弥生時代の人骨の本格的なDNA分析だけに、約430人が興味深そうに耳を傾けた。昨年11月の初回の報告会では、母系の遺伝情報が分かる「ミトコンドリアDNA」の分析により、人骨の大半は朝鮮半島や中国大陸などからの“渡来系”が多いとされていた。

当時の青谷地域では多様な遺伝グループが存在したと考えられ、日本人の起源の分析につながる可能性もあるという。今後はDNA分析を進めて各個体の特徴を調べる方針。【園部仁史】


10 <青谷上寺地遺跡>人骨の一部 渡来×縄文系

読売新聞(2019.3.3、参考)

DNAの解析結果について説明する篠田副館長(右、鳥取市尚徳町で)

弥生後期 国立科学博など解析

鳥取市青谷町の青谷上寺地遺跡で出土した弥生時代後期の人骨の一部は、母親が大陸にルーツを持つ渡来系、父親が日本在来の縄文系だったことが分かった。2種類のデオキシリボ核酸(DNA)を解析した国立科学博物館や県埋蔵文化財センターなどが2日、同市尚徳町のとりぎん文化会館でのシンポジウムで発表した。当時は大陸との間で人の交流が盛んだったことを示すという。

DNAは、細胞の核にある染色体と、細胞質内のミトコンドリアにそれぞれ含まれており、中でも男性が持つ「Y染色体」は父親から、ミトコンドリアは母親から受け継がれる性質がある。同博物館の篠田謙一副館長らは昨年、遺跡で見つかった32人分の骨からミトコンドリアDNAを抽出。配列を調べ、31人が渡来系、1人が縄文系であることを突き止めた。

今年はさらに、渡来系31人のうち、保存状態の良い6人についてY染色体のDNAを解析した。その結果、Y染色体が抽出できた4人中、3人は縄文系で、渡来系は1人だった。

3人の母親は大陸から日本に渡ってから日本の男性と結婚したか、大陸で日本の男性と結婚後に渡来した可能性があるという。今後は分析する個体数を増やすなどしてルーツを詳細に調べる計画で、篠田副館長は「人口の増減や混血の状況、個体の特徴などを明らかにしたい」としている。

コメント: 篠田副館長は未だ、渡来系弥生人の男性が元々、日本列島内の在来の縄文人と同じY-DNA D2を持っていることに気がついていない。


11 青谷上寺地遺跡の弥生人の身長は縄文人より高く、渡来系であった(参考)



12 響灘文化、北九州の弥生人とは異なった文化を持ち、山東半島の臨淄辺りから渡来した