西郷隆盛の本当の顔 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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実男子の菊次郎と寅太郎、弟の従道と小兵衛、そして従兄弟の大山巌に共通する遺伝的特徴があった。すなわち、西郷隆盛も持つべき特徴である。それにも関わらず、キヨッソーネの西郷隆盛も上野公園の西郷隆盛もこの特徴を持っていなかった。その他の西郷隆盛と言われる肖像画も、少なくとも以下の三例を除いて、この特徴を明確に持っていない。

すなわち、従来の知りうる西郷隆盛の肖像画と言われるものは、この三例を除いて、どれもこれも西郷隆盛とキッパリとは言いにくいものであった。

その答えをストレートに言って仕舞えば、実は右目が大きく二重瞼、左目がやや小さい一重瞼(隠れ二重かも?)であったことである。だからキヨッソーネの西郷隆盛も上野公園の西郷さんも、さらに、これらをモデルにした多くの肖像画も、親戚縁者から見れば西郷隆盛のものとは言えない代物である。

この本物の西郷隆盛の肖像画の条件に合格するのは、月岡芳年が明治21年に出した錦絵と小林清親の錦絵、そして最近発見された西郷南洲顕彰館に展示された西郷隆盛の西洋画の三例である。

西郷南洲顕彰館に展示された肖像画は従来の西郷隆盛の精密化・本物化した西洋画とも見えるが、月岡芳年や小林清親らが描いた西郷隆盛は錦絵だから写実性が無いと見做され従来は無視されて来たもので全く新しい容姿である。

月岡芳年の西郷隆盛は明治21年に出されたもので、西郷の死からでも11年後である。さすが当代一流の画家、スケッチか本人の記憶かどうかは分からないが、誰も気がつかなかった特徴を覚えていたことになる。だから、愛犬との散歩中の西郷隆盛の肖像画にもダイエットの効果を描き込んでいた。すなわち、顎の下の弛んだ皮膚であった。

もう一つ共通な特徴があった。それは例えば西郷従道から大山巌の五人の様に下顎が突き出ていることである。その意味では西郷隆盛の肖像画の口髭の中に突き出た顎が隠れているはずである。

①-1 明治21年に出版された西郷隆盛、、、ダイエット後、すなわち激太り前の幕末の志士時代と同様であり、妻の糸さんが見慣れた本来の西郷隆盛

月岡芳年の西郷隆盛の顔面拡大

左目より右目が大きく開いている。ダイエット後の顔の為、顎の下に皮膚が余って弛んだように描かれている。左の目尻の上のコブのあるべき所辺りに突起が描かれている。惜しいことに禿げたところが明らかではなく、広い額として描かれている。



次の小林清親の錦絵は出版年次は不明だが、ほぼ正面から描いた西郷隆盛である。西郷南洲顕彰館の最近発見された肖像画と複数の特徴が一致している(参考)

①-2 もう一枚の錦絵の西郷隆盛、、、鹿児島県に下野する直前の容姿を写生

小林清親《鹿児嶋征討戦記》〔太田記念美術館蔵〕

目元については左右を入れ替えて、大きな二重瞼は右目、小さな一重瞼は左目であるべきである。左(画面の右)の瞼の上のコブや禿げは位置的には正しい。最も西郷隆盛本人に近い肖像画である。


② 最近発見された西郷隆盛、、、陸軍大将として激太りの時(参考)、東京府民には最もポピュラーな顔か!

親類縁者によると最も西郷隆盛の特徴を備えている。

枕崎市で最近発見された西郷隆盛(参考)、西郷南洲顕彰館に展示

実は、子供時代の怪我がもとで右腕が不自由になっていることから(参考)、左手でキセルを持ったとすると、左(画面の右)の瞼の上にコブや禿げを入れ替えるべき。構図からして、この絵もキヨッソーネの絵をベースに作られているようだ。


参考

⑴ 以下、西郷従道、西郷小兵衛、西郷隆盛の実男子二人、大山巌、そして錦絵の西郷隆盛の六人の目元や顎の特徴を比較する。

西郷従道(wikiより)、実弟、左目(画面の右)の上にコブと禿げを加えれば、兄の西郷隆盛になりそう。

西郷小兵衛(参考)、実弟、現代でも芸能界で通用しそうた。

西郷菊次郎(wikiより)、愛加那との間の男子、左(画面の右)の瞼の上にコブや禿げを加えれば、長崎歴史文化博物館所蔵の西郷隆盛の写真と似ている気がする。

西郷寅太郎(wikiより)、糸さんとの間の男子

大山巌(参考)、従兄弟、キヨッソーネの絵の下半分に採用されたが、むしろ、鼻から下を隠して上半分の方が似ていそうだ。

絵師: 月岡芳年
作品名:「西郷隆盛」「永山矢一郎」
 (参考)


⑵ 以下、参考にキヨッソーネの西郷隆盛像と上野公園の銅像を添付する。

従来のキヨッソーネの西郷隆盛(wikiより)、頭髪の禿げた部分は誤り、本来は左(画面の右)に修正すべきだ。多くの錦絵にも表現されて庶民にも知られていた目元の左右非対称が描かれていないことが、大きな欠点である。

上野公園の西郷隆盛、糸さんが泣く筈だ!キヨッソーネの絵にも似ていない。服装も含め品が無い。


⑶ 西郷隆盛の写真と思しきものが少なくとも2件(長崎と大阪造幣局)はありそうだ!(参考)

長崎歴史文化博物館所蔵の西郷隆盛は、弟の西郷従道の写真の一つにソックリ似たものがあり、これと実子の西郷菊次郎を交えて比較検討した結果、真正な写真でありそうだ(参考)。


⑷ キヨッソーネが初めて描いた太った西郷隆盛の肖像画とそれによく似た多くの肖像画は、弟の西郷従道や妻の糸さんからすれば不本意ながら渋々、お墨付きを与えていたようだ!(参考)


⑸ 江戸時代までの武士は同じ階級の家同士で通婚していて、血族結婚をしていたようだ!(参考)

西郷従道の次男の従徳も同じく目元が非対称という特徴を持っていた。


⑹ 何故、西郷隆盛の写真は一枚も無いとされるのか?(参考)


⑺ 妻の西郷糸さんが上野公園の西郷隆盛の銅像を見て違うと泣いた!