西郷隆盛の写真の存在の可能性あり! | 日本の歴史と日本人のルーツ

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西郷隆盛は写真嫌いで一枚も残っていない!とされている。しかし、それは間違いである。彼は日本画(錦絵)はたくさん残しているし、写真も僅かに残っているようだ!

現在、キヨッソーネの描いた西郷隆盛とされる太った肖像画やそのバリエーションが出回り定説となっているが、実はこの太った西郷隆盛こそが本物の写真などを否定する邪魔物になっている。この肖像画が一人歩きしてしまって、モデルにされた弟の西郷従道や従兄弟の大山巌としては引っ込みがつかなくなったようだ!西郷従道の決断で、西郷隆盛の親族、子孫たちは涙を呑んで沈黙してしまったようだ!

以下の二枚の写真は不鮮明で目元などの遺伝的な特徴を確認できないので断言出来ないが、信頼できる公的機関が保存しており、特に大阪造幣局の分は明治5年6月の明治天皇の行幸時に撮影されたとのことで、本物の可能性が極めて大きい。

もしも、鮮明な写真が発見されされた場合、目元に着目して欲しい。右目が大きい二重瞼、左目が小さい一重瞼となっている。顔の大きさの印象は、太っていた時期とそれ以外の時期で大幅に異なることを考慮する必要がある。


① 長崎歴史文化博物館の西郷隆盛

写真中央の紳士の頭髪の右(本人の左)の一部が白く見えるが、本物の西郷隆盛の禿げの位置と一致している(参考)。

西郷従道の写真の一つに、ソックリ似たものが見つかった。これと2018.6.28に入手した高精細度の写真と実子の西郷菊次郎を交えて比較した結果、西郷隆盛の真正な写真と判断された(参考)。

西郷隆盛(中央) 外四氏写真@前原一誠、江藤新平、桐野利秋、篠原国幹

長崎歴史文化博物館(参考)

西郷隆盛は陸軍大将だった明治5年6月、明治天皇に随行して長崎を訪れているが、その時の記念碑(明治天皇皇臨幸之址)が長崎歴史文化博物館の敷地内に建っている。


② 大阪造幣局での西郷隆盛(参考)

この写真左端の軍人が西郷隆盛であろう。痩せる途中で顔は痩せているが、胴回りが未だ太い。写真左下の洋犬が西郷隆盛の愛犬であることを連想させる。

さらに、写真左端の軍人と少年ラッパ手の間に隠れてもう一人の軍人の顔が見えるが、彼が本来の隊長であり、写真左端の軍人すなわち西郷隆盛を急遽、呼び寄せて撮影したと思われる。西郷隆盛は右腕に少年時代から障害があるため左手で錦旗を持ち、後ろの軍人が隠れて目立たなくなっている。近衛兵達は右手に銃やラッパを持って整列しているのに、写真左端の軍人のみが左手に錦旗を持ち、右手を下げていることになる(参考)。

明治5年6月の明治天皇の大阪造幣局行幸時の写真(左端が西郷隆盛)


③ 西郷隆盛が居るとされるニセ写真

以下の五枚の写真には西郷隆盛が居るとされるが、出所が不明であり、西郷隆盛の特徴(目元が非対称、左側頭部の禿げ)が全くないので否定される。さらに錦絵に描かれているように、西郷隆盛は弟の西郷従道によく似て、役者にも劣らないイケメンであった。

真の西郷隆盛なら、このようには右手に刀を持たない。

西郷隆盛は178センチの高身長であるが、多くの鹿児島城下士は同じくらい高身長である。写真そのものに違和感がある。

身長178センチの西郷隆盛より大久保利通の方がさらに8センチ程度は背が高くなくてはならない。弟の西郷従道は15歳年下で当時としては親子ほど歳が離れていた。

身長が特に高いようには見えない。

身長が特に高いようには見えない。


④ 西郷隆盛の本当の顔には、激太りの時の顔とダイエットして痩せた顔がある。真の西郷隆盛の顔には目元に特殊な遺伝的特徴があった!