西郷隆盛の写真があった! | 日本の歴史と日本人のルーツ

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西郷隆盛とされる長崎歴史文化博物館所蔵の写真と若き日の西郷従道とされる一枚の写真が丸きりソックリと言えそうである。

西郷従道は1843年6月1日、現在の鹿児島県に、薩摩藩士である西郷吉兵衛の三男として生まれる。兄の隆盛とは15年の年齢差があり、当時であれば、ほとんど親子といえるような兄弟関係であり(参考)、また隆盛は太った時期もあり、二人がソックリなことに一族・親族・縁者を除く周囲の者は、特に東京府では、誰も気がつかなかったのであろう。

西郷従道は、眉毛もギョロ目も隆盛そっくり、大西郷を少し痩せさせたような顔立ちであったため、〝小西郷〟といわれていた(参考)。


追加: 2018.6.28に長崎歴史文化博物館から高精細度の写真が入手出来たので、実子の菊次郎と弟の従道を交えて詳細に比較分析した結果、西郷隆盛の鹿児島県に下野する前の最盛期の写真であった(参考)。


参考

① 長崎歴史文化博物館所蔵の西郷隆盛の写真(参考)

西郷隆盛、高貴写真09の中央を拡大


② 西郷従道の写真(参考)

西郷従道、、、①の長崎歴史文化博物館の写真の額と頭髪の生え際とを特に比較して欲しい。目元から耳の辺りも似ている。

西郷従道(wikiより)

27歳の西郷従道、、、写真修正あり

明治3年、欧州の軍事視察を終え、米国経由で帰国するときニューヨークのブロードウエイの写真館で初めて撮った写真

転載:角川学芸出版刊 石黒敬章著「幕末明治の肖像写真」から(参考)


③ 西郷従道のその他の写真や肖像画

西郷従道(参考)、、、④の西南戦争時の西郷隆盛と比較して欲しい。

西郷従道の肖像画(参考)


④ 西南戦争を報じたルモンド ・イリュストレ紙のイラスト、最もリアリティーのある自刃直前の本陣に控える西郷隆盛と同志達(参考)

上の写真の拡大、頬髭あたりが③の晩年の西郷従道に似ている。目元も手前の左目より右目の方が幾分大きく見える。


⑤ 西郷隆盛の特徴を考慮して復元した錦絵(参考)

小林清親《鹿児嶋征討戦記》〔太田記念美術館蔵〕をベースに復元