長崎歴史文化博物館の西郷隆盛の写真の分析 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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一族・親戚・縁者からは、「西郷従道は、眉毛もギョロ目も隆盛そっくり、大西郷を少し痩せさせたような顔立ちであったため、〝小西郷〟といわれていた」とされている。

今回、長崎歴史文化博物館所蔵の西郷隆盛の高精細度写真を入手したので、弟の西郷従道と実子の西郷菊次郎の二人と比較する。

結論を先に述べれば、まさにダイエットの後の西郷隆盛であり、明治6年の鹿児島県に下野する直前の絶頂期の姿であった。


特徴 1: 目元(参考)
一族共通で左右非対称で、右目の方が大きい

特徴 2: 額から頭髪の生え際
弟の従道とよく似ている。

特徴 3: 左側頭部の禿げ(参考)
キョッソーネの肖像画やその他の類似の画にもあるキセルで火傷して出来た禿げが額の左側頭部に明確にあるはずだが、この写真では判断しにくい。従道や菊次郎の同じ位置と比較して、やや広く禿げているかな?と言う程度である。

特徴4: 顎
鼻髭が手入れで変化するので鼻から口元は除外して、顎に着目すると、よく似た輪郭になっている。

特徴5: 耳たぶ
キヨッソーネ系の肖像画では巨大な福耳となっているものが多いが、以下の三人とも普通の耳たぶと言える。

特徴6: 顎の下の咽頭あたりの垂れ下がった皮膚
激太りの後にダイエットをしても膨張した皮膚は縮まない。余った皮膚が顎の下の咽頭あたりに垂れ下がる特徴が明確に存在する。これが従道や菊次郎の写真と明確に異なる点である。

西郷隆盛、長崎歴史文化博物館所蔵の写真の拡大

西郷従道その1(参考)、二番目の弟

西郷従道その2(参考)、二番目の弟

西郷従道その3(参考)、二番目の弟

西郷菊次郎、隆盛の長子、母は愛加那、1861年、奄美大島の龍郷の生まれ(wikiより)


参考

① 画像の出元: 長崎歴史文化博物館(参考)



② 床次正精の西郷隆盛(参考)

床次は薩摩藩士族で西郷とは面識があったようで、耳たぶと目元の特徴は逃しているが、顎のあたりと禿げの位置(左側頭部)と大きさが最も近い。

大きすぎる耳たぶとギョロ目で左右対称な目元を修正すれば、激太りの時期の西郷隆盛のイメージに近そうだ。

鹿児島市立美術館藏


③ 西郷隆盛の写真があった!