西南戦争を報じたフランスのルモンド・イリュストレ紙のイラストは現地の本陣で写生されている! | 日本の歴史と日本人のルーツ

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西南戦争を報じたフランスのルモンド・イリュストレ紙のイラスト(挿絵)は西郷軍の本陣で写生されているようだ!


その証拠として、目の瞼と眉の間に着目してほしい。ルモンド ・イリュストレ紙では左目、西郷南洲顕彰館の最新の肖像画では右目によく似たコブがある。このコブの存在は西郷隆盛の縁者から指摘されている。軍服に関しても似たようなディザインである。敢えて違いを指摘すれば、ルモンド ・イリュストレ紙の方が正確のようだ。その他、子供時代の怪我がもとで右腕が不自由になっていることも判別できる(参考)。


すなわち、ルモンド・イリュストレ紙のイラストは、西南戦争の現地の本陣で直接取材して写生しなければ分からない詳細な特徴であった。そうだとすると、このイラストそのものが正しく描かれていることになり、本陣に陣取る高官達の古式の鎧をまとった姿も真実であったと思われる。


さらに、西郷隆盛の顔全体の特徴として、アゴからホオのヒゲが弟の西郷従道のものとよく似ていることも指摘できる(参考)。


さらに、西郷隆盛を取り囲む武士達は頭の割に高身長で、薩摩藩士の特徴を如実にあらわしている(参考)


さらに、写真の右手に写る馬に乗った武士に注目して欲しい。高身長の武士が乗る割に馬が小さく無いどころか、むしろ大きくて脚が細長い。薩摩では江戸時代前からアラビア種の馬を飼育していた(参考)。



参考


① 西南戦争の本陣に座る西郷隆盛を描いたフランスのルモンド ・イリュストレ紙のイラスト

緑丸の中の瞼と眉の間にコブ、目元については左目より右目が大きく、まさに本物の西郷隆盛となっている。子供時代の怪我のある右腕は頼りなさげに右膝の上に乗せている。
Takamori Saigō et ses officiers à la rébellion de Satsuma (1877)

挿絵「西郷隆盛とその将兵たち、西南戦争にて」フランス新聞雑誌(英語版)ル・モンド・イリュストレ(フランス語版)』1877年刊行号に掲載された速報記事の挿絵。フランスの挿絵画家の手になるもので、西洋式の軍服を纏って椅子に腰掛ける中央の人物が、伝え聞きに基いて描かれたのであろう西郷隆盛。取り巻きがことごとく古風な重装備の武者姿なのは、フランス人の想像である。(wikiより)


② 西郷南洲顕彰館にある最新の西郷隆盛の肖像画

西郷隆盛の二重瞼と眉の間にコブ(緑丸)がある。
末裔の記憶ではコブが右目の上であるのに対し、ルモンド ・イリュストレ紙と錦絵ではコブは左目の上になっており、後者が正しい。


③ 西郷南洲顕彰館の最新の西郷隆盛の肖像画は真正