西郷従道侯爵家と近衛兵 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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西郷隆盛の弟の従道の男子六人中の実子の四人とも目元の特徴もさることながら皆、高身長であった。ちなみに、母親の清子夫人の父親は西郷隆盛の同僚の薩摩藩士、得能良介である。180センチ級の高身長は薩摩藩士の特徴のようだ。

そして、薩摩から派遣された御親兵や後の近衛兵の主力は皆、高身長の意気盛んな品行方正な城下士だった。


参考

① 西郷従道侯爵家(参考)

従道(1843-1902 天保14-明治35 59歳没)、隆盛の実弟

従道の子供達

●庶子 政子  役人楢原陳政夫人
●実子 従徳  次代当主
●実子 豊彦  篠原乙次郎の娘雪江と結婚
●実子 従義  上村従義男爵となる 山本権兵衛伯爵の娘ナミコと結婚 
●庶子 従親  士族渡部富次の娘紀見子と結婚
●庶子 豊二  高羽惣兵衛の娘登志子と結婚
●実子 従志  小松従志伯爵となる 山口圭蔵の娘千代子と結婚
●庶子 栄子  士族平岡良助夫人
●実子 桜子  岩倉具張公爵夫人
●庶子 不二子 古河虎之助男爵夫人

従道を除く、一族の写真、右上の実子四人が高身長

男性左から 豊二 従親 岩倉具張 豊彦 従徳 従義 従志
女性左から 桜子 豊彦の妻雪江子 政子 清子夫人 従徳の妻豊子 従義の妻波子 不二子

西郷従道(参考)

従徳(wikiより)

従義 上村従義男爵となる 山本権兵衛伯爵の娘ナミコと結婚

従親(参考)

従志 小松従志伯爵となる 山口圭蔵の娘千代子と結婚

西郷従道夫人の清子、1854-1928 安政01-昭和03 74歳没


②-1 薩摩藩士は高身長だった(参考)

当時の江戸時代の平均男性身長が155cmであった頃。ちなみに女性身長は143cm。

 

西郷隆盛/178cm

 大久保利通/186cm

 桐野利秋/177cm

 

ちなみに新撰組は

 

近藤勇/167cm

 土方歳三/165cm

 沖田総司/158cm

 

それにしても薩摩はデカイ!!薩摩藩は170cmや180cmを超える人間がゴロゴロいた。



②-2 薩摩藩士の身長(参考)


左: 薩摩藩外、右: 薩摩藩士



③ しんぺい【親兵】(コトバンクより)


明治政府最初の直属軍隊。〈御親兵〉と呼ばれた。明治新政府は1868年(明治1)2月にはじめて政府直属軍としての親兵を設置し,閏4月に各藩の献兵による京都警衛隊の制が定められたが,この制は翌年2月に廃止され,十津川郷士などの約400人の親兵を有したにすぎなかった。東京遷都後の皇居警衛には長州藩兵があたっていたが,70年12月山県有朋は鹿児島にいた西郷隆盛に薩・長・土3藩の献兵による親兵創設を説き,翌年2月,薩摩藩歩兵4大隊・砲隊4隊,長州藩歩兵3大隊,土佐藩歩兵2大隊・騎兵2小隊・砲隊2隊の献兵による親兵設置が令せられた。



④ 近衛兵(wikiより)


1872年4月16日(明治5年3月9日(旧暦))に「近衛条例」を制定し、御親兵掛を廃止し「近衛局」を置いた。4月24日(3月17日(旧暦))天皇に直隷する近衛都督の下、御親兵を改称した壮兵からなる「近衛兵」を創設した。宮城警備とともに鎮台に設置された鎮台兵を指導・訓練する役目も担った。1873年(明治6年)1月10日に制定された徴兵令に基づく徴兵は鎮台にのみ配備されることとなり、近衛の壮兵制は維持された。明治六年政変(征韓論政変)によって薩摩藩出身の近衛兵が大量に帰国すると、やむなく鎮台兵の中でも優秀かつ品行方正なものを近衛に転属させる措置を取った。



⑤ 近衛軍が薩摩藩の城下士(上士)で構成されたのに対し、川路が掌握した警察は薩摩藩の郷土で構成されたのである(参考)。



⑥ 明治天皇の大阪造幣局への行幸には西郷隆盛が供奉して、近衛兵が警護した(参考)


薩摩出身の近衛兵は西郷隆盛と同じ180センチ位の身長があった。


⑦ 西郷隆盛の兄弟、子孫、従兄弟など一族は目元に特徴があった!