現下関市役所の土地に城山公会堂があった | 日本の歴史と日本人のルーツ

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大正14年(1925年)、下関での俳句大会、城山公会堂で開催(ふるさと下関より)。


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昭和初期、吉井勇と城山公会堂、吉井勇は大正・昭和の歌人、脚本家で、『スバル』の創刊に携わった。彼が来関したときに撮影した文学愛好者との記念写真(ふるさと下関より)。

城山公会堂(昭和十四年)


市庁舎の裏山にあった。明治二十九年ころは城山倶楽部で、料理の提供・玉突・入浴設備があり、同四十一年から二年間はドイツ領事館。その後、城山公会堂として親しまれた(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)。


平成28年現在、下関市役所の建っている土地は戦国時代、粟屋氏が城主の南部山城があった。そのため、城山とも呼ばれていた。

明治時代になると、城山は公園として整備され、頂上に公会堂が建てられ、麓に市役所が建てられたようだ。現在の市役所は昭和30年、城山の山頂を崩して建設された(参考)。


参考

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大正8年(1919年)

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明治32年(1899年)

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平成28年(2016年)

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明治44年頃の城山(明治44年12月10日発行、上山文英堂出版、下関市立烏山民族資料館より)