明治維新の意義は幕府を倒すことの他にも意義があった! | 日本の歴史と日本人のルーツ

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明治新政府の京都市中に設けた目安箱に、「役人が酒や女食にふける」と言う何時の時代でもあるクレームの他に、「荒れた街の復興を求める声」や「僧侶の贅沢を制限せよと言う仏教界への不満」などが書かれていた。

例えば、京都市の南禅寺の周辺の高級別荘やその庭園、蹴上がり発電所、インクライン、水道施設、動物園、岡崎公園、平安神宮などの敷地は全て南禅寺などの寺院の敷地であり、寺院は大地主であった。そして、これらは地方の末寺からの上納金で支えられていた。このシステムは他の寺院も同じであり、八坂神社も寺院からの転身であり、辺りの境内を縮小させている。祇園あたりの繁華街も元々は境内であった。

要は、京都市内は寺院の境内と公家の屋敷で成り立っていたようなもので、敷地を削減して市民の住宅地や公共の場へ転用して、京都を自立させたことになる。

この辺りの社会体制の変革も明治維新の役割であった。また、民衆の声、すなわち世論が明治維新を推進させたと考えられる。

京都市の南禅寺の周辺は南禅寺の境内


参考

① 明治新政府の目安箱、投書発見「役人が女色にふける」

朝日新聞(2018.6.11、参考)

大村治郎

役人の素行の悪さを告発する訴状=京都市中京区

明治新政府が全国に先駆けて京都に設置した目安箱に、住民らが投書した訴状の原本34通が京都市内で見つかった。幕末の動乱で荒廃した街の復興や、物価高騰を案じる民衆の声がつづられている。この時期の訴状が見つかるのは極めて珍しいという。

34通の訴状は、慶応4・明治元(1868)年を示す「戊辰(ぼしん)歳」、目安箱への訴えを指す「箱訴(はこそ)」の文字が書かれた冊子にとじられていた。投書には同年6月~12月の日付があった。「九冊之内」という記述があり、9冊あったうちの1冊とみられる。明治新政府は徳川幕府にならい同年2月、全国初となる目安箱を京都の三条大橋西詰めに設置。その後、東京や大阪にも広がった。

訴状の内容は、荒れた街の復興を求める声や、新政府の紙幣・太政官札(だじょうかんさつ)の発行に伴う物価高騰への苦情、学校・住宅建設の要望、「京都府」という呼称が良くないので「平安府」にしてはどうかという提案など多岐にわたる。「僧侶のぜいたくを制限せよ」という訴えや「新政府の役人たちが酒や女色にふけっている」といった告発もあった。

古文書研究で知られる国際日本文化研究センター磯田道史(みちふみ)・准教授(46)=日本史学=が5月下旬、京都市内の古書店で見つけた。磯田准教授は明治維新いう革命直後の民衆の肉声が聞こえてくるようだ。これまで明治維新は志士や政治家の分析が目立ち、住民の視点からの研究が欠けていた面があった。維新史の空白を埋める貴重な史料だ」と話している。(大村治郎)


② 明治時代の廃仏毀釈(wikiより)

明治期の神仏分離政策後、仏像・仏具の破壊といった廃仏毀釈が全国的に生じた。神仏分離が廃仏毀釈に至った原因は地域・事例ごとにさまざまであるが、廃仏思想を背景とするもののほか、近世までの寺檀制度下における寺院による管理・統制への神官・庶民の反感や、地方官が寺院財産の収公を狙ってのことなど、社会的・政治的理由も窺える。日本政府は廃仏毀釈などの行為に対して「社人僧侶共粗暴の行為勿らしむ」ことと、神仏分離が廃仏毀釈を意味するものではないとの注意を改めて喚起した。