西郷南洲顕彰館の新しい西郷隆盛の肖像画の分析結果 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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西郷南洲顕彰館の新しい西郷隆盛の肖像画と錦絵の西郷隆盛の肖像画の複数の特徴の一致があった。これらの特徴は子孫の証言と遺伝的なものに基づく。

・新しく出てきた西郷隆盛の肖像画(太っていた時期)

西郷南洲顕彰館の新しい西郷隆盛の肖像画


・スマートに痩せた時の西郷隆盛の錦絵の肖像画

小林清親《鹿児嶋征討戦記》〔太田記念美術館蔵〕


・子孫の記憶違いなどを訂正した最もらしい西郷隆盛の肖像

子孫の記憶によるコブと禿げは右(画面の左)にあったが、錦絵とイラストの左(画面の右)に正しく合わせた。目元の特徴の左右非対称は遺伝に従って右目(画面の左)が大きく二重瞼、左目(画面の右)が小さく一重瞼とした。

正しく描いた西郷隆盛(参考)


参考

① 子孫の証言によると、新肖像画には本当の西郷隆盛の顔に似ている証拠があった!(参考)

・右瞼の上にこぶがある。(緑丸)、、、左瞼が正しい
・右に禿げたあとがある。(赤丸)、、、左が正しい
・戦地におもむいた時の軍服を着ている。
・1952年収録された子孫の岩山トクさんの証言テープがある。「(西郷は)キセルで右まゆげや右の生え際に当てて世の中のことを考えていた。」だから熱いキセルでまゆげや額のケガこげてなくなっていた。

実は、子供時代の怪我がもとで右腕が不自由になっていることから(参考)、左手でキセルを持ったとすると、左瞼の上にコブがあり、左に禿げたあとがあるのが正しい。


② 錦絵も新しい西郷隆盛の肖像画の顔正面も共に目元は左右非対称(黄丸)であり、弟の従道と小兵衛、二人の男子、従兄弟の大山巌も同じ西郷隆盛の特徴を捉えていた。正しくは右目が二重瞼、左目が一重瞼とする。さらに、顎も全員、突き出ている(白丸)(参考)。


③ フランスのルモンド・イリュストレ紙の西南戦争に関する速報の報道にある挿絵(参考)

西郷隆盛の左目の瞼と眉の間にコブがある(緑丸)。

軍服の胸あたりの横筋のディザインも西郷南洲顕彰館の最新の肖像画によく似ている。こちらの方が、より正確に描かれている。

さらに、子供時代の怪我がもとで右腕が不自由になっていることも判別できる(参考)。

Takamori Saigō et ses officiers à la rébellion de Satsuma (1877)

挿絵「西郷隆盛とその将兵たち、西南戦争にて」フランス新聞雑誌(英語版)ル・モンド・イリュストレ(フランス語版)』1877年刊行号に掲載された速報記事の挿絵。フランスの挿絵画家の手になるもので、西洋式の軍服を纏って椅子に腰掛ける中央の人物が、伝え聞きに基いて描かれたのであろう西郷隆盛。取り巻きがことごとく古風な重装備の武者姿なのは、フランス人の想像である。(wikiより)