このブログで今の日本は世界から見たら平氏だと書きました。日曜日にある勉強会に参加しました。講師は有名な大学教授、イデオロギー的には左派でした。
どんなことを言われていたのかと言うと「安倍政権は危険」「今の日本は極右化している」「安倍総理の靖国神社参拝でアメリカも怒っている」「今の日本は世界から孤立している」こんな感じ。
で・・・質問タイムに50代半ばくらいの女性が「絶対戦争は嫌、子供にも私はあなたを戦争で殺すために生んだのではないと言っている」と発言。
それに対して勉強会の主催者が「実際に戦争は存在する。またこちらから戦争を起こさなくても相手から攻撃されたらそれに応じて戦うのは国際法上認められた行為だ。問題は戦争はしたくない、でも戦争は存在し我々の意思に反して戦争をしなければならないこともある。このジレンマに耐える強さが我々に求められているのでは」と。
はい、そのとおりです。
結局自立して生きるとはこのジレンマから来るモヤモヤにいかに耐えられるかなんです。人間はどちらにも決まらない中途半端な状態でいるのが一番堪えるのです。だから弱い人は「それは○○です」と言い切ったり強い影響力のある人の言うことを信じて依存してその苦しみから逃れようとします。
会社の経営も人間関係も自己成長も実はこのモヤモヤにいかに耐えて、耐え切った先にある「やるべきこと」を見つけるかが勝負です。
幕末の志士たちは後日談としてカッコいい名言が取り上げられていますが、おそらく当時は「モヤモヤ」していたはずです。「どうしたら良いのか分らない」その中途半端な状態に耐え抜いたからこその行動だったのではないでしょうか。
戦争と平和について先日亡くなられた小野田寛郎さんの次のような言葉があります。
2005年8月16日付産経新聞に掲載された小野田寛郎さん×櫻井よしこさんの対談より、小野田さんの言葉です。
「戦争の悲惨さは伝えなければいけませんが、ただそれだけでは十分ではないと思います。戦争とは悲惨なものである。じゃあ、戦争しないためにはどこまで我慢できるか。その我慢が切れたら結局、戦争になってしまうのです。そんなことも考えずに平和、平和っていいますが、そういう人たちは平和を守ることのつらさを真剣に考えてくれているのかな、と思ってしまいます」
「わがまま一方のことを言ってる人が多い。街に防犯カメラをつけるといえばプライバシーの侵害だという。
だったら、空き巣に入ってもらえばいいのに、空き巣もいやだという。考えていることや、やっていることが矛盾しています。それでいて、その矛盾に気が付かない。自分がおとなしくして、事を荒立てなければすべてが安全、平和にいくんだと誤解しているんですよ」
引用以上
どこまで我慢できるのかリアルに考えることはとても辛いことです。でも考えなければならない。
今の日本は韓国に竹島を実効支配され、中国は尖閣諸島を自分のものにしようと様々な行動を繰り返している。また沖縄も我々の領土と言い始めている。アジアに目を向けるとベトナムとフィリピンが西沙諸島と南沙諸島の領有権で中国ともめている。
勉強会では竹島も尖閣も中国と共同管理にすれば良いなんて話も出ていましたが次に沖縄もと言って来たら、九州もと言って来たらとは考えが及ばない。考えるのが恐くて耐えられないのだ。
平和ボケとはモヤモヤに耐える力が無くなることなのです。
今日は長くなってしまいました。
永世中立国として左翼の方々がよく取り上げるスイスは政府が「民間防衛」という本を発行して各家庭に配布しています。その内容を一部紹介します。
『深く考えてみると』
今日のこの世界は、何人の安全も保障していない。戦争は数多く発生しているし、暴力行為はあとを絶たない。われわれには危険が無いと、あえて断言できる人がいるだろうか。
ここで仮想敵国を名指しはしない。名指すべき理由はない。
我が国の中立は守られている。にもかかわらず、それによって我々が盲人であってよいということにはならない。
絶えず変動しているとしか思えない国際情勢を、ことさら劇的に描いてみるのはやめよう。しかし、最小限度言い得ることは、世界が我々が望むようには少しもうまくいっていない、ということである。
危機は存在している。恐怖の上に保たれている均衡は、充分に安全を保証していない。とにかく恒久的平和を信じたいものだが、それに向かって進んでいると示してくれるものはない。
こうして出てくる結論は、我が国の安全保障は我々軍民と国防努力のいかんによって左右されるということである。
きのう考えたことと別のことを、今日考えるわけには、どうしてもいかないのだ。われわれが個人的に集団的に今日決意したことによって、明日が左右されるのである。
親たちがわれわれのことを心配してくれたように、子供たちのことを考えよう。
自由と独立は、われわれの財産の中で最も尊いものである。
自由と独立は、断じて、与えられるものではない。
自由と独立は、絶えず守らねばならない権利であり、言葉や抗議だけでは決して守りえないものである。手に武器を持って要求して、初めて得られるものである。
引用以上
大人ですね。今の日本ではこんな事を言おうものなら「軍国主義者」「戦争賛美」と言われてしまいます。
スイスは極右政権の軍国主義の国ですね(笑)