演劇人 望月龍平

演劇人 望月龍平

演出・脚本家
株式会社 蒼龍舎 代表取締役
龍平カンパニー 代表・演出家
NPO法人OFF OFF BROADWAYJAPAN代表
滋慶学園東京フィルムセンター映画・俳優専門学校教育顧門


テーマ:

ボスとのエピソード


ボスって浅利慶太さん


みんな大抵そう呼んでた


本人の前では“先生”ですけど


その反動なのか、教え子に先生と呼ばれるのを僕は嫌う


「龍平さんと呼べ」みたいなw



僕が演出家になろうと思ったのは26の時


その当時は、一生四季でやっていこうと思ってたから、四季で演出家になろうと思ってた


いずれは先に逝く人なのだから、その後誰がやるのかって、俺がやるぞって思ってた。


28ぐらいの時ぐらいから、当時の劇団の方向性に疑問符がつくようになって、30歳になったら辞めようと思うようになった。


そのまま居れば、自分の劇団の中での立場とか確立されてたし、安泰だったわけだけど、それではダメだと思ったから。


いずれ自分が恩返しできるようになる為には、


アーティストとして、自分の感じたままに意見を100パー戦わせるのは難しいと思ったから。


それだけ、良くも悪くも絶対的な存在がボスだった。


尊敬してるからって言うのもあるし、自分にとって畏怖の存在だから、このままここに居れば、彼に対しては、「ハイ」しかないから、


そんなんじゃホンモノの作品はできないから、ここには居れないって思った。



劇団の核となるような事をたくさん担わせてもらう立場だったけど


辞める一年前ぐらいから、とある些細なことがキッカケで、ボスとの関係がギクシャクしだした。



キッカケは本当に些細な事だった。


僕が「コンタクト」という作品に出演中で昼公演の日だった。


家を出た後に携帯を忘れたことに気付いたのだが、帰ってみると携帯に四季から、着信の嵐が、、


コールバックしてみると、なんでもその日キャスティング会議があったらしく、ボスが


「龍平の意見を訊きたい」と会議の最中に僕に電話をかけさせたらしい。


勿論、劇場にも。


普通だったら、そういう場合必ず楽屋やリハーサルルームに直で繋げられるし


僕が不在の時でも、メモ書きは残ってるものだが、


その日は、劇場付きのスタッフから一切その情報は入ってこなかったのだ。


こんなことは滅多に起きないものだが、重なるときは重なるもので、それがボスからすると


「あいつは、俺を避けてる」


となったらしいw


全然そんなことはないのだけど笑



それから、徐々にすれ違いが生ずるようになって


公演委員長(所謂座長みたいなもの)とか、みんなをまとめるようなポジションは一切任されなくなった。


僕は、僕の知る限り歴代最年少で“公演委員長”を任されてから、割とずーっとそういうポジションをやってきたので、


まぁ、それはそれで良いんだけど、他にもあちらこちらで歪みが大きくなっていったのだ。


でも、今年で辞めるんだから、、


10月までの話だ。


そう思っていた。



なんで10月かと言うと、今はどうか知らないが、当時は翌年以降の契約を結ばない場合は、10月末日までにその意思を伝えないと契約が自動更新されてしまうというのが一つ


もう一つは、これもいまがどうかは知らないけど


入団当初の1ステージなんぼの契約ではなく、当時は給料制に移行していて、


上のクラスの俳優は、舞台に出ても出なくても、満額ギャラが貰えたのだ。


年末にはボーナスという形で追加報酬も支払われるのだが、退団を表明した場合、基本的にはボーナスはゼロになり支払われないケースが殆どだったから


辞めるにしても、10月末に退団の意向を伝え、10月分までは貰うというのが一般的で、


それまでは、なんか色々あっても、貰える分は貰わなきゃというのが人情で、御多分に洩れず僕もそのつもりだった。



今年で辞めるという年の8月、京都でウエストサイド物語にベルナルド役で出演中のことだった。


ラスト一週間という時に、ボスが京都まで観に来た。



終演後ダメ出しがボスからあって


何人かは、最後の週はキャストチェンジになるという話だった。



その時のダメ出しで、僕は一つのダメ出しも伝えてもらえなかった。



良かった悪かったとか、さておき



言ってみれば無視ですよねw



来週は、僕もキャストチェンジというのは自明の理だった。



四季で役を降ろされるなんて日常茶飯事だったけど、僕にとっては12年間2500ステージ踏んできて初めての事だった。


僕は役を降ろされた悔しさなんて無かった。


そんな事より


「あぁ、ついに何も言ってもらえない関係になっちゃったんだなぁ」


って、、


そのことが虚しかった。



楽屋で一人、衣装を脱いでいたら




ガチャっとドアが開いて浅利さんが入ってきた。



ニコニコ笑いながら




「お前、あそこがこうでこうなんだよ〜」



とダメ出しを言ってきた。



そのダメ出しは、殆ど覚えてない。



何故なら、ボスは演出家という客観性を超えて


その時の彼自身が、その人に対してどう思っているかの主観が如実に影響する人なので


要は好き嫌いだね。


そういう時って、その人の演技がどうこうじゃなかったりするからねw



でも、人間なんてそんなもんだし、芸能の世界なんて、基本的に依怙贔屓して貰う世界。


依怙贔屓されるだけの魅力が必要な世界。



平等じゃないし、ある意味平等じゃいけない世界なのだ。



話戻す。



そうやって、ダメ出ししてって、


「じゃあ気を付けて帰って来いよ」とドアがバタッと閉まった瞬間


頭の中で鐘が鳴って


バーっと涙が溢れ出した。



もう只々


有り難かったなって。



俺はこの人に育ててもらったって。



色んな役挑戦させてもらって、


未熟だった自分をどこまでも根気よく待ち続けてくれて、


ホントに色んな事教えてもらって


何もかも与えてもらって、、



どうせボーナス貰えねぇから、10月いっぱいまでは貰おうとか思ってたけど



もうこれ以上、この人から貰えねぇやって。






その夜、退団届書いて



東京帰って劇団に提出した。


それが何の因果か8月15日




ありがたいことに、その後も「赤毛のアン」だけ出てくれって言われて、もう一本仕事やらせてもらえて、その最後の日が10月14日。



僕の20代最後の日だった。


何か


ひとつ事に心血注いだら、それを本当に辞める時って



清々しく鐘が鳴るものです🔔




四季は、俺にとって一つの青春だった。


青臭い言葉で言うとねw



その多感な青春時代に、ああいう無茶苦茶な、唯一無二のかけがえのない師を持てたことは、本当に幸せなことだった。


俺にとって、演劇界の親父だから。


あの人から、ホント全て学んだ。


“物事の本質”


“本質を見抜く力”


“本物とは何か”って


根底的には、全部あの人を通じて得たもの。


あの人に触れた事によって、僕の中のそういう資質が現れてきたもの。



ボス無くして、今の俺は絶対いない。



もう、ホントにただただ感謝。



俺にとって、あの人は演劇界の親父でした。


当時の劇団の在り方に疑問を感じたことと


自分がいずれ恩返しするには、別なところで自分がもっと力をつけなきゃと思ったのが四季を離れた大きな理由でした。


その俺が、なんとかこれまでやってこれてるのも


その“親父”から受け継いだ


“演劇とは何か”が自分の中にハッキリと息づいているからです。


ただただ、ありがとうございましたという他ない。


自分をステージアップさせるために来ているLAで


この訃報を聞くのも


まぁ、そういうことなんだろうな。


以前、俺の居ない酒の席で


とある女優に


僕のことを、「アイツは血縁だ」って言ってくれていたことがとても嬉しかったのでした。


無茶苦茶な親父で


不肖の息子ですが


親父の背中は、超えていかないとね。


僕の演劇の根っこは、全てあなたから受け継いだものです。




無茶苦茶な親父を乗り越えていけるように


俺ももっと無茶苦茶にならなきゃな、なんてよく分からない覚悟をしましたw





不肖の息子がやることは、ただただ親父を超えるだけ。



それが恩返し。


やることは、まだまだ沢山あるな。



岡本太郎は、敢えて「ピカソを超えている」って言った。


俺は、人に言わせようw



先生、天国で日下さんと芝居創るのかな?


まだ、大分先だろうけど、俺も逝ったらもう一度 


日下武史の相手役やらせてくださいね。


で、日下さんには、俺の演出作品出てもらうぞ。



生前には、俺の演出作品観てもらえなかったけど


案内出したら良かったなぁ(^◇^;)


まぁ、これからはいつでも観れますから、観ててください。

つっても、生きてる時に観てほしかったな。

特に「君よ生きて」は。


いずれそっち逝った時に、


「お前は俺を超えたな」と先生に言わせる志事を出来るようになってから逝きます。



先生、ほんとうにありがとう


ありがとうございました


感謝しかないです



合掌








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