運のいい人、悪い人。 | 思考の散歩道

思考の散歩道

毎日いろいろなことを考えています。そんな思考の散歩で感じたことを書いていきます。

私の開運している人の定義は運の悪いときに助けてくれる人がいる。人を資産と考えて付き合っている人です。

よく人に気に入られようとして気の乗らないことを必死でやって自分を見失って辛い思いをしたから人に好かれようと考えなくなった。自分の気が乗らないことや、嫌なことはしないと決めた。という人に出会います。

そして、それを止めたら自分に必要なものが明確になって楽になったという意見もありました。


私の体験だと運が下がっている時は何をやってもダメなのでそんなことを考える余裕すらなかった。人生の中で起こる多少の浮き沈みと違って運が下がっている時は余裕がなくなっています。溺れている状態ですからそんなことを考えている暇も余裕もありません。

運の波は人それぞれです。10年以上の大きな波の人もいれば5年位で運不運を繰り返している人もいます。

かつて自分も運が下がって溺れているときに人に助けて欲しいと思い、人に好かれようと必死になったときがありました。結果は・・・・もう散々です。

運が下げから上げに転じると余裕が出てきます。そのときに過去の辛い体験から「自分にとって心地よい人としか付き合わない」「嫌なことまでして人に好かれようとは思わない」なんて傲慢な考えを持った時期もありました。

で・・・再び運が下がったとき・・・・・誰も助けてくれませんでした。結果、もといた場所に逆戻り。


人を自分の人生の資産にするには余裕のあるときしか出来ないと学びました。個人の預金も収入に余裕のあるときにしか出来ないのと同じです。

人は運が上がり始めると余裕が出て傲慢になります。自分が好調なのを自慢したり、鼻にかけたり、自分のエゴ丸出しの意見を強く押し出したりと。気持ちはとても分ります。でも、その気持ちをぐっと抑えて謙虚に振舞い、その余裕を人のために使う、余裕があるので多少嫌なことでも、気が乗らないことでもすることが出来るでしょう。

これが余裕のあるときに運が下がったときのためにする準備です。余裕のあるときにしか出来ません。


調子がいいとネットで「私こんなに充実してます」とか「私はこんなやり方でいいことばかり」と自慢してしまいますが、多くの人は「いいね」と押しながら、心の奥で面白くないと感じているものです。

気をつけたいものです。