今回はラウンドハウスの主材であるレンガの話。一見マニアックにも思えるが、レンガはビクトリア朝の重要なキーワードだ。これを知ればラウンドハウスがビクトリア朝ロンドンの生き証人ということがよくわかるだろう。
黄色いレンガ
通常私たちがイメージするレンガは赤茶色だが、レンガには他にも色の種類があり、ここで特に注目したいのは黄色いレンガである。ラウンドハウスの巨大外壁もこの黄色いレンガ(イエロー・ブリック)でできており、またエルトン・ジョンの曲に「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」(図1)があるように、黄色いレンガはビクトリア朝時代ロンドンの象徴である。
図1:エルトン・ジョン
「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」
レンガの色の違いは主に原料と製造法(焼成法)からくるものだが、今回注目したいのは原料について。いうまでもなくレンガの原料は粘土で、それを整形して乾燥後に焼き上げて作られる。その際、粘土の成分に鉄分が多いと赤く仕上がり、カルシウム分が多いと黄色に仕上がるという。つまりロンドンのビクトリア期の建造物はカルシウム分が多いレンガでできているのだ(図2)。
(図2:赤いレンガと黄色いレンガ)
地質でみるレンガの原料
イングランド南部の地質図(図3)をみると、ロンドンを含む一帯が「ロンドン粘土(London Cray)」だとわかるが、これがカルシウム分を多く含む。この粘土層は深さが100mをゆうに超え、これがビクトリア朝ロンドンの都市開発に密接に関係している。
(赤線で示したのは現在のロンドンの境界)
ビクトリア朝の初期が商業鉄道の黎明期にあったことは以前にも説明したとおりだが、その際ロンドン近郊は各所で掘り返され、多くの残土が排出されることとなった。特にビクトリア中期には地下鉄建設が始まり、それ以後ビクトリア朝が幕を閉じる19世紀末のわずか30数年の間に、現在のロンドン地下鉄の13路線の内、8路線もが開通し、急激に多量の残土が排出された(図4-1〜3)。
図4-1:1863年の地下鉄路線図(長州ファイブの渡英時)2路線
図4-2:1900年の地下鉄路線図(夏目漱石の渡英時)8路線
図4-3:2021年現在の地下鉄路線図 13路線
※以上3つの路線図は、あくまで現在の13路線の駅や経路のままで掲載しているので、完全に当時の状況を示してはいない。
一方で当時のロンドンは、産業革命での人口の大量流入によって住宅が不足し建設ラッシュにあった。そこで必要になった建材がレンガであり、その原料として利用されたのが鉄道建設の残土、つまりロンドン粘土だった。こうしてビクトリア朝ロンドンは黄色いレンガの街となった。おそらく当時のロンドンは今よりもずっと黄色のレンガであふれ、その様子を伊藤博文や夏目漱石は目にしただろう(第20回:長州ファイブ、第22回:日本人は見た(明治編))。
ロンドンの地質とラウンドハウス
ロンドン粘土層は水を通しにくく掘削しやすいため地下鉄建設に最適で、これが早くからロンドンに地下鉄が普及した理由でもある。またロンドン粘土層はテムズ川以北に厚く、逆にテムズ川以南は硬い石灰岩地質で掘削が困難なため、ロンドンの地下鉄は北ロンドンで網の目のように張り巡らされた。
ちなみに石灰岩は英語でチョーク(Chalk)であり、ラウンドハウスの立つ地名はチョークファーム(Chalk Farm)、つまり「石灰岩の農場」である。偶然にもラウンドハウスはロンドンの地質とも縁が深かった(実際にはチョークファームの名の由来は石灰岩ではないようだが)。
現代では建築技術が進んだことでレンガは主要建築材ではなくなり、特にロンドンでは黄色いレンガは古い時代のレンガを意味する「ストック・ブリック(Stock Brick:古レンガ)」の代表になった。この古レンガは現在でも大切にされ流通している。これまでにラウンドハウスは何度かリノベーションされているが、指定文化材II*類(listed II star)のため、当時の古レンガで補修することが義務付けられており、古レンガによる修復跡が各所にみられる。
またラウンドハウス周辺を囲む擁壁(図5)にも、ラウンドハウスと同時代の黄色いレンガが用いられている。さらに周辺には、本ブログ第4回と第17回で紹介した遺構、飼い葉桶や飲用水栓も残されており、これらはつまり、カムデンタウンからチョークファームにいたる一帯が、ビクトリア朝の文化遺産であることをよく表している。この先ロンドン観光を予定している人は、カムデンまで足を伸ばしてこの隠れた名所を感慨深く巡ってほしい。
図5:ラウンドハウスを周辺の擁壁
【参考資料】
ウェブサイト『シティを歩けば世界がみえる』
「第165回 赤色のレンガ街と黄色のレンガ街」, 5 March 2020 vol.1550
【おまけ】
イギリスには、英国レンガ協会(British Brick Society)という団体があり、レンガについてのさまざまな研究を会報で発表している。その会報の58号にはラウンドハウスが登場し、ビクトリア朝の鉄道とレンガの関係が語られている。
またこの会報には、もうひとつのラウンドハウスであるダービーのラウンドハウスについて語られている。このラウンドハウスは現存する最古(1839年)の機関庫にして、2009年にリノベーションされて現在は大学(FEカレッジ)の施設として活用されている。このラウンドハウスは赤いレンガ製で独自の設計で興味深いので、いずれ機会をみて本ブログでも紹介しようと思う(第26回:世界最古の機関庫)。
【参考資料】
『INFORMATION 58』British Brick Society(ISSN 0960-7870), February 1993
次回、第25回はもうひとつの建築素材、鉄について。