今回は第9回で紹介した「飼い葉桶(かいばおけ)」について。
チョークファーム・ロードのバス停脇に残るあの飼い葉桶。永い間風雨にさらされ丸みを帯びたその側面をよくみると朽ちかけた文字群が読み取れる。そこにはこうある。
METROPOLITAN DRINKING FOUNTAIN & CATTLE TROUGH ASSOCIATION
In Memoriam to CHARLES KINGSLEY
直訳すると「メトロポリタン水飲水栓&牛の飼い葉桶協会」「チャールズ・キングズリーを悼む」となる。これらの文字は何を示すのか。
ちなみにこの飼い葉桶、2001年のハリウッド映画『フロム・ヘル』のワンシーンにも登場する。この映画は一見すると大味なエンターテイメント作だが、意外にも時代考証が優れているので、ヴィクトリア朝ロンドン好きの人なら観ておくべき一作。
映画『フロム・ヘル』(2001年アメリカ)より
メトロポリタン水飲水栓&牛飼い葉桶協会
この協会は無料で飲料水を提供する慈善団体で、設立はラウンドハウス建設の12年後にあたる1859年。現在も名称を変えて継続し、国内はもとより国外でも活動、安全な飲料水の供給に取り組んでいる。
この協会が設立された1859年は日本でいうと安政6年、江戸時代である。この時日本はすでにペリー来航後6年を経ており開国ラッシュに沸いていた。この年はイギリス、ロシア、フランスと相次いで通商条約を締結した年でもある。
ちなみに新撰組が結成されるのはその4年後の1863年なので、当時は幕末といってもまだその幕開けであり、いうなれば外国人排斥と尊王攘夷思想が醸成しはじめた段階、あるいは倒幕や新政府樹立思想が萌芽する段階といったところ。
当時のロンドンは産業革命により環境破壊がすすみ、また都市への人口集中が著しく、市民への安全な飲料水の供給が困難だった。そのために設立された慈善団体がこの協会である。
協会名が示すように、この活動は人間用はもちろん動物にも飲料水を提供するもので、これは当時まだ使役動物がさかんに活用されていたことを示す。と同時に当時は蒸気機関をはじめとする最先端技術も各所に導入していた時代でもあり、そうした産業機械化の過渡期を今に伝えるモニュメントとして、ユニークであると同時にふさわしい。
チャールズ・キングズリーと水
ラウンドハウス脇の飼い葉桶に刻まれたチャールズ・キングズリーとは何者か。
チャールズ・キングズリーは聖職者・作家であり、特に有名なのは児童文学『水の子どもたち』(1862-63年)(※1)で、イギリスではよく知られた作品である。キングズリーには公衆衛生に熱心に取り組んだ慈善家としての顔もあり、「冷水が不潔でみすぼらしい子どもを鍛え、模範的な市民に変える」というビクトリア朝時代の信念を社会に根付かせた。
かつてイギリスのパブリックスクール(※2)では毎朝生徒に冷水浴を義務づけていたが、その発祥がこことみられる。イギリスのミュージシャン、マイク・ラザフォード(※3)は自伝の中で少年期の自らの体験として、学校での冷水浴に言及している(※4)。
このようなキングズリーの貢献から、彼の名が水飲水栓に刻み込まれたとみられる。キングズリーが亡くなったのは1875年なので、ラウンドハウス脇の飼い葉桶が設置されたのはその後のこと、つまりラウンドハウス建設後18年以上経ってからとみられる。
(※1)『水の子どもたち』は1963年以降、何度か日本語訳出版されている。また1970年代以降アニメ化やミュージカル化もされている。
(※2)パブリックスクールを直訳すると公立学校になるが、イギリスにおけるパブリックスクールとは名家や裕福な家庭の子弟だけを集めた伝統的な全寮制の私立校のこと。
(※3)イギリスが誇る世界的ロックバンド、ジェネシスのベーシスト兼ギタリスト。マイク&メカニクスのメンバーとしても成功している。
(※4)『THE LIVING YEARS』by MIKE RUTHERFORD(2014年、Constable刊)英書
『水の子どもたち』〈上〉〈下〉 (偕成社文庫) 1996年
チャールズ・キングズリー著、芹生一訳
キングズリーの別の顔
キングズリーは他にもチェスター協会の設立者として知られている。この協会はビクトリア朝で劇的に進歩した最新の自然科学や芸術の振興を目的とした組織である。彼が聖職者ということを考えるとずいぶん革新的だったことがわかる。というのも同時代の科学者チャールズ・ダーウィンは進化論を唱えたことで教会権威からの圧力を受けたからだ。
実のところキングズリーは当時ダーウィンを支持しその活動を支援した一人だった。たとえばダーウィンは『種の起源』の出版前にこの協会に原稿を送り、キングスリーはいち早くそれを読み評価している。知っての通り『種の起源』はサルと人間が共通の祖先をもつとするもので、当時のキリスト教社会から激しい批判にさらされた。それに対しキングズリーは『種の起源』を「まったく立派な有心論の概念だ」と述べたことが知られている。