ラウンドハウスが建設された時代は一体どんな時代だったのだろう?

 

この問いはそもそもCADを使って3Dで再現するときに、設計図だけでは足りない情報を補うためのものだったのだが、いざ調べていくと意外にも興味深いことがわかったので、ここで紹介することにした。

 

 

 

鉄道時代をしのばせる遺構

 

 ラウンドハウス建設の1847年のイギリスは、まだ商業鉄道の草創期だった。当時はまだ自動車がなく馬車の時代だ。ちなみに自動車の発明は1870年代、実用化は1880年代である。おそらくラウンドハウス建設時のロンドンの風景は、馬車が走り、道端には馬のフンが落ちていた、という感じだろう。

 

 この馬社会をしのばせる遺物が今もラウンドハウスの側にある。それが石造りの「かいばおけ」でGoogleMapのストリートビューでも確認できる。当初私はこれを新しい時代に作られた花壇だと思っていた(実際に植物が植えてある)のだが、最近になって1895年の地図※1を見たところ、なんと同じ位置に「Trough(かいばおけ)と書いてあり、古くからあるものだと知った。おそらく当時はここで馬車馬が水を飲んでいたのだろう。

 

※1:地図 Ordnance Survey「London 1:1056 SheetVII 11」1895年

 

今も残る当時の遺構(左:かいばおけ/右:水飲み場)

 

 また人間用の水飲み場「Drinking Fountain」もあって、それは「かいばおけ」から道路沿いに西に100mほど行ったところにある。この遺構もまた現在もあってストリートビューで確認できる。この遺構については、この時代をよく表す歴史であると同時に、とても興味深い話が隠されているのだが、それは長くなるのでまた後日(第17回:かいばおけ)

 

 それはそうと、この地図で笑えるのは、ラウンドハウスの正面、つまり現在の入口付近にあったという「Urinal」という記述である。これは小便器のこと。かつてここで運送労働者が開放的に用を足していたのだろう。これはさすがに今はない。

 

 ブラタモリがここでロケしてくれるといいんだけど。タモリは鉄オタだし、この場所は歴史や地形の話も満載なのでうってつけだ。ブラタモリはフランスのパリでもロケをしていたので期待したい。

 

 

 

 

私たちがよく知る当時のイギリス

 

 当時のイギリスとして私たちがすぐに思い浮かべるのは、シャーロック・ホームズではないだろうか。ホームズの生年は作中には登場しないが、おおよそ1854年とされている。するとラウンドハウスはその7年前に完成していたことになる。ちなみにワトスンは1852年生まれ、作者のコナン・ドイルは1859年生まれ、そしてなんとホームズの兄マイクロフトが1847年生まれ、つまりラウンドハウスと同年齢である。

 

 いわばラウンドハウスは、ホームズの時代の風景を今に残す「ホームズ遺産」でもあるのだ。ホームズ作品には馬車も鉄道もよく登場するが、そうした風景、あのロンドンの描写こそ、ラウンドハウス建設当時の風景なのである。

 

 ホームズ作品にラウンドハウスやその付近は登場しないが、『海軍条約事件』で依頼人の証言の中に「ビッグベンの鐘の音を聞いた」とある。そこでビッグベンの完成を調べてみると1859年、これはラウンドハウス完成の12年後のこと。つまりラウンドハウスはそれほど古い。

 

 ホームズといえば、私はジェレミー・ブレット主演のイギリスのTVドラマ『シャーロック・ホームズの冒険』※2の大ファンで、学生時代から何度も繰り返し観てきた。あの風景、あの描写が、今になって私の研究に役立っていることには驚くと同時に感動する。この気持ちはマニアならわかってもらえるだろう。

 

「これは運命だ」

 

※2:TVドラマ『シャーロック・ホームズの冒険』グラナダTV製作

全41話(1984年〜1994年)

 

 

 ちなみにホームズとワトソンが探偵事務所を開いたベーカー街221bは、現在ホームズ博物館になっているが、その位置はラウンドハウスに意外に近い。リージェンツパークを挟んでちょうど反対側にある。

 

※3:ラウンドハウスとホームズ博物館の位置

 


 

 ところでラウンドハウス建設の1847年、イギリスの作家たちは何をしていたか。

 

 文豪チャールズ・ディケンズは35歳、すでに作家として成功しており、10年前に『オリヴァー・ツイスト』を発表、4年前に『クリスマス・キャロル』を発表していた。ちなみに『二都物語』を発表するのはこの12年後で、『大いなる遺産』は13年後のことである。

 

 シャーロット・ブロンテは31歳で、ちょうどこの年に代表作『ジェーン・エア』を発表している。この年は妹のエミリー・ブロンテも大活躍で、名作『嵐が丘』を発表、さらに妹のアン・ブロンテも作家デビューしており、まさにブロンテ三姉妹の大躍進の年だった。

 

 ルイス・キャロルは17歳で大学生、まだ作家活動はしておらず、名作『不思議の国のアリス』の発表は18年後のことである。

 

 ここでこの時代を表す真打が登場、近代自然科学の大家、チャールズ・ダーウィンだ。当時ダーウィンは38歳、すでに学者として成功していたが、進化論の名作『種の起源』を発表するのは12年後のこと。つまり当時の西欧キリスト教社会は、まだ人間がサルと同じ祖先を持つことなど知らず、なにより当のダーウィン自身もその結論に達していなかった時代である

 

 産業革命で沸き立っているのに、学問がまだ宗教の支配下にあった時代、そんな時代に鉄道が走り、ラウンドハウスが建てられていたのだ。

 

図1:当時のイギリスの状況・文化人

 

 

 

 

当時の日本

 

 ラウンドハウス建設の1847年は日本では弘化(こうか)4年、つまり江戸時代で、将軍 徳川家慶(いえよし)の治世である。

 

 「徳川イエヨシって誰だよ?」

 

 と思ったそこのアナタ、その気持ちよーくわかる。私もそう思ったから。これでは全然実感がわかないので、私たちがよく知る日本人を例にしてみる。

 

 この当時、西郷隆盛は19歳木戸孝允は14歳坂本龍馬は11歳だった。また幕臣の勝海舟は24歳、新撰組の土方歳三は12歳でまだ農民、最後の将軍 徳川慶喜は10歳だった。ちなみに『遠山の金さん』でおなじみ、桜吹雪の名奉行 遠山景元は当時54歳でまだ健在だった。そんな時代である。

 

 さらに説明すると、ペリーが浦賀にやって来るのが1853年なので、この頃はまだ幕末ですらない。まさに太平の世の真っ盛りである。先に挙げた西郷木戸坂本はその数年後に、まさか徳川の世がひっくり返るなどとは思いもしなかっただろうし、まさか自分が幕府に弓を引く身になるとは思いもしなかっただろう。そんな時代である。

 

図2:当時の日本の状況・文化人

 

 実はこの1847年に活躍した日本人を挙げるのはむずかしい。なぜなら浮世絵ブームが去った後であり、かつ幕末志士の活躍の前にあたるからで、私たちの歴史知識のちょうど隙間にあたるからだ。

 

 それでも真打を挙げるなら、さしずめジョン万次郎だろう。彼は当時20歳。もともと一介の漁師だった彼の船が遭難したのが6年前。その後アメリカの捕鯨船に救助、船長の養子になるわけだが、ここからがすごい。

 

 アメリカで学校に入学、英語はもちろん航海・造船技術等の専門教育を受ける。そしてラウンドハウス建設の1年前には、捕鯨船の乗組員となって、大西洋・インド洋・太平洋を航海し、なんと沖縄の小島にも立ち寄っている。

 

 ここから万次郎の怒涛の帰国大作戦が始まる。ラウンドハウス建設の2年後には、ゴールドラッシュにわくカリフォルニアに乗り込み、半年ほどかけて金の採掘により大金を獲得、日本を目指して航海し、とうとう沖縄で薩摩藩に身柄を拘束され、念願の帰国となる。

 

 当時日本は鎖国下だったため万次郎は大罪人になるはずだが、薩摩藩主の島津斉彬は進歩的な人物で、万次郎を厚遇して西洋技術と世界情勢を学び、万次郎は薩摩海軍の近代化と増強に貢献する。その後ペリー来航時には日本の難局を乗り越える一翼を担うのはご存知のとおり。

 

 つまりラウンドハウス建設の1847年は、まさにジョン万次郎の大冒険の年ということである。

 

 

 

アメリカではどうか

 

 ラウンドハウス建設の1847年、アメリカでは、後に第16代大統領となるエイブラハム・リンカーンが38歳で、この前年である1846年に国政に進出、下院議員を1期(2年間)務めている。当時アメリカはメキシコとの戦争下にあった(米墨戦争:1946〜48年)が、まだ南北戦争は起こっていない。ちなみに彼が大統領になるのは1861年、つまりこの14年後のことである。

 

 ほかの出来事としては、カリフォルニアのゴールドラッシュが1848〜55年なので、その直前の時期にあたる(ジョン万次郎のところでも書いたけど)。また大陸横断鉄道が完成するのが1869年なのでそれ以前であり、当時の鉄道は東海岸から5大湖のあたりまでしかきていなかった。またネイティブアメリカンとの戦争の真っ最中。つまりこの時代をまとめると、まだアメリカが領土を西方へ拡大していた時代である。また現在のアメリカ50州のうち合衆国加盟州がまだ29州だった頃である。

 

 

 むずかしい話になってきたので、もう少しわかりやすく説明すると、映画『バック・トゥー・ザ・フューチャー PART3』※4に近い時代である。といってもこの映画の舞台は1885年なので、ラウンドハウス建設の38年後ということになる。この映画では当時のSF小説『海底二万里』(1870年)作者のジュール・ベルヌの話が登場するが、ラウンドハウス建設の1847年はベルヌがまだ19歳で作家ですらなかった頃のことである。

 

※4:『バック・トゥー・ザ・フューチャー PART3』(1990年)

 

 

 作家といえば、アメリカの作家は何をしていたのか。

 

 エドガー・アラン・ポーは38歳、作家として成功をおさめつつも退廃的な生活を送っており、この2年後に謎の死を遂げている。ハーマン・メルヴィルは28歳、2年前に作家デビューを果たしており、名作『白鯨』を発表するのは4年後のこと。マーク・トウェインはまだ12歳、もちろん作家になる前で、ちょうどこの歳に父親を亡くしており、名作『トム・ソーヤーの冒険』を出版するのは29年後の1876年。

 

図3:当時のアメリカの状況・文化人

 

 

* * *

 

 そして今、私は自分が手にしているラウンドハウスの設計図が、それほどまでに昔のものだということに心を動かされる。なにせ『バック・トゥー・ザ・フューチャー PART3』でドクがマーティーに送った、あの古ぼけた手紙よりも古いものが私の手元にあるのだから。

 

 

 

 

 以上のように数々説明してきたがどうだろう? このように説明されれば、ラウンドハウスがどのような時代に建てられたか実感できるのではないだろうか。何よりこの歴史の知識にワクワクしないか?

 

 

 

 

次回以降は、これらの知識が実際の3Dモデリングにどのように役立ったかを、建物の各部を図解しながら説明していく。