今朝、家の天井にけっこう大きなクモが現れました。


「うわあぁー!!」と叫びながら、子どもがリビングに飛び込んできます。


「どうしたの?」と聞くと、「クモが!おっきいやつが!」と大騒ぎ。


私が見に行くと、確かにまあまあのサイズ感。


でも暴れてるわけでもなく、じっとしているだけ。


私はホウキを持ってきて、そっと外へと誘導して逃がしました。


そして、子どもの「こわい!」という反応が、どこから来ているのかがふと気になったのです。


だって、どう考えても人間の方が強くて、大きいから。


🧠「こわい!」は理屈じゃなくて、本能の反応


人の脳には「扁桃体(へんとうたい)」という場所があって、


そこが“危険かも”という情報に反応して、瞬時に体を守ろうとするんだそうです。


とくに、クモみたいに
・突然出てくる
・動きが予測できない
・見た目がちょっと独特
みたいな存在に対しては、危険かもしれない!とすぐにアラームが鳴る。


たとえ本当に危険じゃなくても、
「こわい!」と感じるのは、生き延びるための反射的な反応なんですね。


👶 でもね、子どもが怖がるのって、それだけじゃない気がした


クモを怖がってる子どもの顔を見て、ふと気づきました。


ああ、この子は
「自分がこの世界でいちばん小さくて、弱い存在だ」って、感じてるんだなって。


大人が見れば「大したことない」と思えるようなことでも、
子どもにとっては、それは『コントロールできない何か』で、
とても怖くて、身の危険を感じるようなことなんですよね。


それを思うと、「こわいって言うのやめなさい」とか、「そんなことで泣かないの」なんて言えない。



👦 でも、クモを見て全然平気な子もいるよね


そういえば、「クモなんか平気だよー!」っていう子もいます。


・虫に慣れてる子
・図鑑が好きで、クモを観察対象として見てる子
・大人が「きゃー」って言わない環境で育った子
怖がる子もいれば、怖がらない子もいる。


どっちが正解でも間違いでもなくて、
ただその子の「感じ方」なんですよね。


だから、大人としてできるのは、
「怖がったら寄り添う」「興味があれば尊重する」──
その子のペースに合わせて反応してあげることなのかなって思います。


🪞そして私は、自分が「強い存在」であることを思い出した


クモをホウキで外に逃がしているとき、ふと、こんな思いがよぎりました。


「私って、この空間で一番大きくて、力がある存在なんだな」と。


だからこそ、クモを殺すことも、逃がすことも、選ぶことができる。


その“選べる余裕”こそが、大人にしかない強さなのかもしれないと思ったんです。


🧑‍🏫 「大人は圧倒的に強い存在である」ことの意味


心理学では「安全基地(secure base)」っていう言葉があります。


それは、大人が子どもにとって『安心して戻れる場所』であること。


そして、子どもが怖がったり困ったりしたときに、
「大丈夫だよ」と迎えられる存在であること。


これって、ただ優しいだけじゃダメで、
「圧倒的な安心感」を与えられるくらいの安定性と力強さが必要。


だからこそ、
「自分はこの子を守れる側なんだ」と思い出すこと。


それは、ただ“支える”とか“甘やかす”とは違う、
『見えないところで効いてくる、大人としての“存在の力』なんだと思います。


🌱強さは、守るためにある


「こわい」と叫ぶ子の前で、
「大丈夫だよ。ここにいるよ」と言える自分でいたい。


そのために必要なのは、もっと強くなることじゃなくて、


“私はすでに強い”ということを思い出すこと。


今日、クモをホウキで逃がしたあの瞬間に、
私はそんな当たり前のことを、しみじみと感じていました。


この「私はすでに強い」という感覚については、次回もう少し深く掘り下げてみたいと思います🌷

スマホをどう持たせるか…
このテーマになると、つい「ルールは?」「タイミングは?」って考えがちですよね。

 

でも、本当に大切なのは
“スマホを持たせる前に、親子でどんな関係を築けているか”
そこだと私は思っています。

 

今回は、脳科学やスマホの歴史、
そして有名人の実践をヒントに、
「親子で、どうやって“人としての軸”を育てていくか」について考えてみたいと思います。

 


 

📍スマホが脳に与える影響は、“依存”より“分断”

私たちの脳は、快楽にすごく敏感。


SNSの「いいね」や動画の自動再生、ゲームの報酬…
こうした刺激が繰り返されると、脳の中でドーパミンがどんどん出てきます。

 

でも、これはただの“依存”の問題ではありません。

 

本当に怖いのは、
自分の感情に気づく力や、他人とつながる力が静かに削がれていくことなんです。

 

脳科学では「注意の断片化(fragmented attention)」と言われていて、
目の前のことにちゃんと集中できない、
なんとなく不安、なんとなく孤独…

 

それって、
スマホが“自分の内側に触れる時間”を奪ってしまってるからかもしれません。

 


 

📍スマホって、実はとっても“若い技術”

初代iPhoneが登場したのは、2007年。


つまり、スマホの歴史って、まだ20年もないんです。

 

たったの20年。


人間の心や脳の成長に対して、あまりにも急激なスピードですよね。

 

私たち大人も、
“使いこなしているつもり”でいて、
実はどう扱ったらいいか分かっていない。

 

だからこそ、
「正解を教える」のではなく、
「一緒に考えよう」って姿勢が何より大事になってくると思うのです。

 


 

📍有名人たちも、“距離を取る”という選択をしている

ちょっと意外かもしれませんが、
SNSやデジタルの中心にいる人たちほど、
あえて距離を取る選択をしています。

 

たとえば…

🔹作家の村上春樹さんはSNSを一切やらず、朝の静かな時間をとても大事にしています。

🔹エマ・ワトソンさんは、スマホから離れて森の中で過ごす時間が「自分を保つために必要だった」と語っています。

🔹元Googleのトリスタン・ハリス氏は、
「テクノロジーは注意を奪うように設計されている」と警鐘を鳴らし、
子どもにはスマホを持たせないと明言しています。

 

彼らが共通して言っているのは、
「スマホ=悪」じゃなくて、
“使い方を自分で選べるかどうか”がすべてということ。

 


 

📍日常の会話の中に、ちょっとした問いを

よく、「子どもとスマホの話なんて難しそう」って声も聞きます。

 

でも、
実はふとした日常の中に、
“本質的な対話”のきっかけってたくさんあるんですよね。

 

たとえば…

📺ドラマを一緒に観ていたときに
「この子、ひとりぼっちでちょっと寂しそうだったね。〇〇だったらどうする?」

 

🚗塾帰りの車の中で
「今日さ、ちょっとモヤモヤすることあった?なんか顔に出てたよ〜」

 

📱夕食後、親がスマホを見ながら
「なんか今日はずっとスマホ見てたら、疲れちゃったな…〇〇はそういうときある?」

 

📕寝る前に絵本や小説の感動シーンで
「この子、ちゃんと本音を伝えられてていいね。〇〇は、大事な人に気持ち伝えるってどんな感じする?」

 

答えはすぐに出なくていい。
その問いが、心のどこかに残ればそれでいい。

 


 

📍よくある「コントロールの声かけ」と、「信頼を育てる声かけ」

❌コントロール ✅信頼を育てる声かけ
「やめなさい!」 「そろそろ疲れてない?」
「バカになるよ!」 「見すぎると、ちょっと疲れたりしない?」
「外で遊びなさい!」 「今日はどんなふうに過ごしたかったの?」
「ちゃんとルール守りなさい」 「使うとき、どんな風に決めたら気持ちよく使えるかな?」

 

 

命令や説得では、
子どもは「言うことを聞く」ようになるかもしれません。
でもそれは、自分で考える力を育てることとは少し違います。

 


 

📍親子で、“人としての軸”を育てていこう

スマホを持たせることは、
便利なツールを与えるだけじゃありません。

 

それは、
「あなたを信じて、任せるよ」というメッセージでもあります。

 

だからこそ、
“持たせる前”の対話こそがいちばん大切。

 

信頼って、ルールよりもずっと深い“土台”になります。

 

今日も、スマホの話じゃなくてもいいんです。
「今日こんなことがあったんだけどさ、◯◯どう思う?」


少しでも子どもに自分の考えを反応を恐れずに言える環境を、家庭で作っていきましょう☺️

 

【mama cafe開催のお知らせ】
このブログを読んでくださった皆さんへ、ご案内です。
 
石田勝紀先生が始められたmama cafeの認定ファシリテーターとして、ママ達が安心して自分の人生と向き合える場を提供したいと考えています。
 
mama cafeでは、少人数でリラックスした雰囲気の中、今日書いたようなテーマについて皆さんと一緒に深く考えていきます。お子さんのこと、パートナーとのこと、そしてご自身のこれまでの人生について、安心して語り合える場です。
 
ご興味のある方は、ぜひお気軽にご参加ください。詳細はこちらをご覧ください。
ジャッジしない、されない環境下で、安心してお話ししましょう☺️

 

──叱る前に、信頼は育てられる

「うちの子、スマホを持たせたら全然手放さなくて…」
「何度言ってもルールを守らない」
「叱るとすぐに口を閉ざすようになった」

そんな悩みを聞くたびに、「もっと前に、できることがあったかもしれない」と思うことがあります。

スマホの使い方についての話し合いは、持たせた“その日”からではなく、もっと前から始められると、親も子もずっと楽になる気がしています。


📍スマホは“突然”渡すものじゃない

多くのご家庭では、小学校高学年や中学生になるタイミングでスマホを持たせることが多いと思います。
でも、そのときになって「ルール決めよう」「使いすぎないでね」と言っても、子どもにとっては突然の「管理」や「制限」に聞こえてしまうことも。

私自身、過去に似た経験がありました。
今振り返ると、スマホを持たせるということは「信頼の延長線上」にある出来事で、その信頼関係はもっとずっと前から、少しずつ育てていくものなんだと気づかされました。


📍スマホ以前に育てておきたい、3つの“生きる力”

① 感情を言葉にする力

「今どんな気持ち?」「それって、どんな理由でそう思ったの?」
こんな問いかけを、できる範囲で日常に取り入れてみると、少しずつ子どもが自分の内側を言葉にしてくれるようになります。

うちの子どもたちも、時間はかかりますが、「〇〇だったから△△と感じた」と話してくれるようになりました。
それを聞くと、親が勝手に「こうに違いない」と決めつけてしまうことも減り、むしろ親自身が楽になります。

もちろん、すぐに話してくれるわけではありません。
でも、親が焦らず、安心して待つ姿勢を持っていれば、ちゃんとその時がやってくる――そんな風に感じています。


② 退屈に耐える力

最近の子どもたちは、「ヒマ=つまらない、悪いこと」と思いがちかもしれません。
けれど、大人の私たちも、退屈な時間からふと何かを思いついたり、自分と向き合うきっかけをもらったことってありませんか?

うちでは、移動中などに「実況中継ごっこ」をすることがあります。
信号待ちの時に、目に見える景色をまるでラジオの実況のように話してみる。
これがなかなか頭を使う遊びで、ボキャブラリーも問われます(笑)

家では、絵のお題を出してみたり、掃除をちょっとしたゲーム感覚でやってみたり。
「何もしない時間」を、ちょっと面白くする工夫を探すのも楽しいものです。


③ ルールを一緒に考える経験

「テレビは何時までにしようか?」「できなかったらどうする?」
こんな風に、親が決めるのではなく“子どもと一緒に決める”経験は、のちにスマホを持ったときの自己管理につながります。

たとえば、「今日はこのあと〇時から〇時なら自由時間ありそうだよね」とこちらが投げかけてみると、子どもの方から「じゃあその時間にゲームしようかな」と自分で言ってきたりします。

自分で決めた時間なら、やめるときも納得しやすいようで、「ここまでやっていい?」と相談してくることもあります。

もちろん毎回うまくいくわけではないけれど、こういうやりとりを重ねることで、お互いに無理をしすぎない関係が築けていく気がしています。


📍スマホがなくてもできる「デジタル前の対話」

スマホを持っていなくても、今すぐにできる対話のネタはいろいろあります。

  • 「ママは毎日スマホ使ってるけど、どう思う?」

  • 「外でスマホばかり見てる人、どう感じる?」

  • 「もしスマホを持つとしたら、何ができるようになりたい?」

どれも、“正解”があるわけではありません。
大事なのは、こういう会話を「一緒にできる関係性」そのものです。


📍“使い方”は、“関係性”の写し鏡

スマホを持ったことがきっかけで問題が起きたように見えるとき、
実はその背景には、親子の対話不足や、信頼関係のゆらぎがあることが多いように思います。

だからこそ、「持たせる前」がとても大事。
スマホを持つことが「自由」と感じられるか「孤独」と感じるかは、
その前にどれだけ一緒に話してきたか、が関係しているような気がしています。


「まだうちはスマホ持たせていないから大丈夫」
そう思える今こそ、実はとても大切なタイミングかもしれません。

まずは今日、スマホの話題じゃなくてもいいんです。
「今日、どんな気持ちだった?」
そんな問いかけから、親子の信頼って少しずつ育っていくのだと思います。

スマホについては、また次回も書いていきたいと思います📱


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子育て中の毎日って、本当に目まぐるしいですよね。


気づけば一日が終わっていて、「あれ、私ちゃんと笑えてたかな」なんて思うこと、ありませんか?😌


ふとした瞬間に、「誰かに話を聞いてほしいな」と感じる。


それって、私たちにとって自然な心の声だと思うんです。


ママ友とおしゃべりしたい気持ちって、ただの雑談じゃなくて、ちょっとした救いだったりしますよね。


でも、そんな時、私たちが本当に欲しいのは、必ずしも「いいアドバイス」だけじゃない気がするんです。


たとえば、思春期の子どもに振り回されて心がヘトヘトになっている時、
「うちはね、〇〇塾に行かせたら変わったよ!」なんて言われても、
なんとなく心がポツンと置いてけぼりになること、ありませんか?🤔


もちろん、経験に基づいた提案はありがたいです。
でも、それがそのまま自分の子にうまくハマるとは限らない。


それもそのはずで、子どもの性格も、家庭の雰囲気も、そして私たち自身の心のかたちも、全部ちがうからなんですよね。


私たちが育ってきた環境、今築いている家庭、夫婦関係、職場での立場…。


そんな一つひとつが、目に見えない背景としてあって、それが今の「私」を形作っている。


だからこそ、たとえ同じような悩みを抱えていたとしても、状況も、感じ方も違って当然なんです。


そういう時に、すっと心に届くのは、
「わかるよ」「私もそんなふうに感じたことあるよ」っていう、ただの一言だったりします。💗


共感って、それだけで人をすっと安心させる、不思議な力があるんですよね。


心理学では、共感は「相手の感情を理解しようとする力」と言われています。


でも、日々の子育ての中で実感する共感って、もっとあたたかくて、もっとささやか。


「大変だったね」って言ってくれる誰かの声があるだけで、不思議と涙が出そうになったり、心がゆるんだりします。


それに、SNSの世界では毎日がまるで眩しい舞台みたいですよね。


美味しそうな料理、子どもの笑顔、おしゃれなおうち…✨
「みんな、うまくやってるんだなぁ」って思えてしまう。
でも、自分が落ち込んでいる時にそんな投稿を見たら、キラキラの裏側に、ちょっとだけ苦しくなることもありませんか?😢


私たちが欲しいのは、きっと、成功談じゃない。
悩みを分かち合える「仲間の存在」なんです。


どんなにうまくいっていない日があったとしても、
「それでもいいよ」って言ってくれる人がいたら、それだけで救われる気がします。


だからもし、誰かから相談されたら、まずはその気持ちに耳を傾けたい。


「それ、わかるな」「大変だったね」って、一緒に感じること。🤝
それが、どんな解決策よりも、心の底から力になることって、きっとあります。


もちろん、必要な時にはアドバイスも役立ちます。
でもその時も、「私の場合だけどね」「一つの参考になればいいな」って、
そっと差し出せる優しさを忘れずにいたいですね。🌱


子育ては、喜びと同じくらい、葛藤や不安の連続。


だからこそ、ママ同士が「わかるよ」って言い合える関係って、本当に宝物だと思います。


「mama cafe」も、そんな小さな共感の輪が広がる場所になったらいいなと願っています。☕✨


おしゃべりの中で、ふっと肩の力が抜けるような、そんな時間を一緒に過ごせたら嬉しいです。
 
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― 意見表明権と、私たち大人にできること ―

「ちゃんと気持ちを言いなさい」
「どうしてそう思うのか、理由を言ってごらん」

私たち大人は、つい子どもにこう求めてしまいます。

でも本当にそれって、子どもにとって「当たり前のこと」でしょうか?


子どもにも「意見を表す権利」がある

子どもにも“自分のことを自分で考え、自分の言葉で語る権利”があります。

これは、国連で定められた「子どもの権利条約」第12条
**「意見表明権」**と呼ばれるものです。

子どもは、自分に関係のあるすべてのことについて、自分の意見を表明する権利を持ち、その意見は年齢や発達に応じて尊重されるべきである。

つまり、たとえ小さくても、たとえ言葉にするのが苦手でも、子どもには「私はこう思う」と言う権利がある。そして、その声に耳を傾けることが、私たち大人の責任でもあるのです。


「言いたくても言えない」子どもがいる理由

ではなぜ、子どもはなかなか自分の気持ちを言葉にできないのでしょうか?

それは、

  • うまく言えない自分を責めてしまうから

  • 話してもどうせ聞いてもらえないと思っているから

  • 話したことで、関係が壊れるのが怖いから

…そんな不安があるからです。

とくに身近な家族だからこそ、「心配をかけたくない」「がっかりさせたくない」と感じ、声を飲み込んでしまう子どもは少なくありません。


だから必要なのが「意見形成支援」と「意見表明支援

子どもが自分の気持ちを知り、言葉にするには、大人のちょっとした“支え”が必要です。

■ 意見形成支援とは

「モヤモヤするけど、何が嫌なのかわからない」
そんな気持ちを整理していくお手伝い。

「それって、悲しかったのかな?悔しかったのかな?」

と問いかけながら、子ども自身が“自分の気持ち”を見つけていけるように寄り添います。

■ 意見表明支援とは

自分の気持ちを、相手に伝えるときのサポート。

「“やってほしくなかった”って思ってたんだね。じゃあ、そう伝えてみようか?」

と、一緒にことばを探す。相手に届く形に整えるサポートです。


これは、特別な支援ではなく“日常の中”でできること

意見表明権の支援というと、特別な支援者が必要なイメージがあるかもしれませんが、家庭の中でこそ育まれるものです。

たとえば、

  • おやつを選ぶとき「どっちがいい?」

  • 習い事について「どう思った?」

  • 怒ったあとに「何が嫌だったのか教えてくれる?」

そんな日々のやりとりの中で、子どもは「言っていいんだ」「選んでいいんだ」と、少しずつ自分の感情と行動をつなげていく力を育んでいきます。


「わがままになるんじゃないか」という不安

「聴きすぎたら、わがままになるんじゃないか」

そんな心配を抱える親御さんもいるかもしれません。

でも実際は、聴いてもらった”子どもほど、安心して自立していくというデータも多くあります。

不安を抱えている子どもほど、SOSを出せずに孤立してしまう。
だからこそ、「話していい」「話しても大丈夫」という空気が、子どもを守るのです。


✨ポイント:問いかけは「Yes/No」ではなく「選べる」「語れる」形に

  • ×「なんでそんなことしたの?」
    → 〇「そのとき、どんなふうに感じてた?」

  • ×「これにしなさい」
    → 〇「AとB、どっちが今の気分に合う?」

  • ×「はっきり言いなさい」
    → 〇「うまく言えなくても大丈夫。聞く準備はできてるよ」

――そんな何気ないやりとりの中に、子どもの“権利”が生きています。

意見を持つこと。
その意見を整理し、伝えること。
そして誰かがそれを受け止めてくれるという経験。

それこそが、子どもが「自分には価値がある」と思える原点になるのです。

 

 


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石田勝紀先生が始められたmama cafeの認定ファシリテーターとして、ママ達が安心して自分の人生と向き合える場を提供したいと考えています。

 

今回のブログで触れた「自分の人生と向き合う」「意識と無意識」「境界線」といったテーマは、子育てにおける悩みの根源となることが少なくありません。

 

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気づけば、「自分はよく頑張っている」と、どこかで思っている自分がいる。

 

与えられたものを使いながら、努力して、試行錯誤して、今の暮らしを形づくってきた。そういう感覚が、確かにある。

けれど、ときどき、胸の奥に小さな声が響く。

 

「もし、あなたがまったく別の場所に生まれていたら?」と。

 

路上で暮らす人を見かけたとき、暴力的な言動にふれてしまったとき、あるいは社会の枠から大きく外れてしまった人に出会ったとき――私は、その人の子どもの頃の顔を、勝手に想像してしまう。

 

守られるべき時に守られなかった小さな子が、そこにいたのではないかと。

私たちは思っている以上に、偶然に生かされている。

 

たとえば、家庭の機能。たとえば、身体の健やかさ。あるいは、ほんの一言「あなたはそのままでいい」と言ってくれる大人の存在。

そうした「目に見えにくい条件」が整っているかどうかで、人生のスタート地点はまるで違ってくる。

 

貧困や発達障害、愛着の欠如や、日常の中で何度も経験する否定の言葉。

それらは人の芯を静かに削っていく。

 

「努力すれば報われる」――この言葉は時に暴力にもなる。

 

そもそも“努力できる余白”を持てない人の存在を、私たちは見逃しがちだ。

だからこそ、今、自分がこうして日々を穏やかに過ごせているということを、「たまたま条件が揃っていた」と、私は静かに受け止めていたい。

 

それは卑下ではない。ただ、視点の転換にすぎない。

 

強さとは、立ち続けることそのものではなく、「自分が倒れうる存在である」と知っていることかもしれない。

人は、脆さとしなやかさを同時に抱えている。

 

いつどちらが表に出るか、わからない。

 

だから、自分にも、他人にも、少しだけ余白を。

 

判断よりも想像を。批判よりも共感を。

 

完璧であろうとせず、ゆらぎながらも、まっすぐでありたいと思う。

 

もちろん、そんな生き方をずっと忘れずにいるのは難しい。

忙しさや不安が続く日々の中で、つい視野が狭くなってしまうこともある。

 

 

だからこそ、私は「共有」の力を信じている。

 

たとえば、Mama Cafeのような、誰かの言葉に素直に耳を傾けられる空間。

子育てのこと、家庭のこと、自分の揺らぎをそのまま差し出してもいいと思える場所。

そこでは、誰もが“何者かになろうとしない”ままに語り合える。

 

言葉を交わし、ふと立ち止まることで、自分の中の静けさにふれる瞬間がある。

その静けさは、他者へのまなざしも、少しずつ変えてくれる。

 

そんな時間を、ときどき自分に贈ってみてほしいと思うのです。

 


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今回のブログで触れた「自分の人生と向き合う」「意識と無意識」「境界線」といったテーマは、子育てにおける悩みの根源となることが少なくありません。

 

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Mama Café

「子育ては孤独だ」「もう限界……」。そんな風に感じているお父さん、お母さんはいませんか? 現代社会において、核家族での子育て、特に「ワンオペ育児」は決して珍しくありません。しかし、実はこの「親だけでの育児」という形態は、人類が何万年もの間、自然に行ってきた子育てのあり方とは大きく異なっている、という話をご存知でしょうか?

今回は、生物学的な視点から「人間の子育ては、親だけで行うようにできていない」という話を深掘りし、私たちが本来持っている“共同養育”の知恵について考えてみたいと思います。

人類は「共同養育」で繁栄してきた生き物

私たち人類の進化の歴史を紐解くと、子育ては決して母親一人だけの仕事ではありませんでした。祖母、叔母、その他の親戚、そして血縁のないコミュニティのメンバーなど、多くの大人が協力し合って子どもを育ててきました。これを**「共同養育(alloparenting / cooperative breeding)」**と呼びます。

なぜ人類は共同養育を選んできたのでしょうか?

  1. 未熟な状態で生まれてくる赤ちゃん: ヒトの赤ちゃんは、他の動物と比較しても非常に未熟な状態で生まれてきます。自力で動くこともできず、授乳も頻繁に必要。育児に手がかかる期間が長く、一人の親だけで全てを担うのは物理的にも精神的にも大きな負担です。
  2. 出産間隔の短縮と大きな脳: 人類は進化の過程で、出産間隔が短縮され、子どもの数が相対的に増えていきました。さらに、私たちの大きな脳の発達には、長期的な養育と学習が必要不可欠です。これらを支えるには、複数の大人の協力が不可欠だったと考えられています。
  3. 生存戦略としての共同体: 群れで生活し、食料を分け与え、危険から身を守る。共同体として生きることは、人類の生存戦略そのものでした。その中で、子どもを皆で育てることは、コミュニティ全体の繁栄に直結する重要な営みだったのです。

核家族・ワンオペ育児の“生物学的”なひずみ

産業革命以降の都市化や核家族化の進展は、人々の生活様式を大きく変えました。結果として、かつては当たり前だった「共同体の中での子育て」は減少し、夫婦と子どもだけで暮らす核家族が主流に。そして、現代では特に母親が一人で育児の大部分を担う「ワンオペ育児」が社会問題となっています。

しかし、生物学的な視点から見ると、この核家族・ワンオペ育児は、私たち人類の**「本来の育児環境とは大きく異なる」**と言わざるを得ません。

  • 過度なストレスと心身の不調: 一人で全てを抱え込む育児は、親に極度のストレスを与え、心身の不調、ひいては産後うつなどの深刻な問題を引き起こすリスクを高めます。
  • 「母性」の誤解: 「母性」は生まれつき備わっているもの、母親だけが子育てをするべき、という誤った認識が、親をさらに追い詰めることがあります。しかし、近年では育児経験によって形成される「親性脳」の存在が示されており、性別に関わらず誰もが育児を担えることがわかっています。

現代に求められる「共同養育」の視点

私たちは、過去の共同養育の知恵から何を学ぶべきでしょうか?

それは、子育ては決して一人で抱え込むものではない、というシンプルな真理です。

もちろん、現代において大昔のような村社会を再現することは難しいでしょう。しかし、それでも私たちにできることはたくさんあります。

  • 地域コミュニティとの繋がり: 子育て支援センター、地域のイベント、公園での交流など、積極的に地域との繋がりを求める。
  • 家族・親族への頼り方: 遠方に住んでいても、オンラインでの交流や、一時的な滞在などで協力を仰ぐ。
  • 友人・知人との支え合い: 育児中の友人同士で悩みを共有したり、助け合ったりする関係を築く。
  • 行政・NPOなどのサービス活用: 一時預かり、ファミリーサポート、産後ケアなど、利用できるサービスは積極的に利用する。
  • 男性の育児参加の促進: 父親だけでなく、祖父など男性も積極的に育児に参加することで、母親の負担を軽減し、多様な視点から子どもの成長をサポートする。

子育ては、人間という生物の根本的な営みです。そして、その営みは本来、多様な人々が協力し合うことで豊かになるものです。もし今、あなたが子育てで孤立を感じているなら、それはあなたのせいではありません。人類が築き上げてきた“共同養育”という知恵を思い出し、少しだけ肩の荷を下ろしてみませんか。

 

 

石田勝紀先生のMamaCafe'認定ファシリテーターとして、MamaCafeを開催しています。

私自身がとても人見知りで大人数が苦手なため、少人数でアットホームな雰囲気の中でのMamaCafeです。

リアル開催はご希望に応じて福岡市内または久留米市で開催しています。オンラインでの日程を載せています。

ジャッジしない、されない環境下で、安心してお話ししましょう☺️

 

 

親が子を、あるいは子が親を殺めてしまう。近年、日本で報じられるこうした痛ましい事件のニュースに、胸を締め付けられる思いをしている方も多いのではないでしょうか。表面上は「介護疲れ」や「経済的困窮」といった問題がクローズアップされますが、これらは氷山の一角に過ぎません。その根底には、日本社会が数十年間で経験してきた、より深く複雑な問題が横たわっています。

 

日本では、男性は会社に尽くし、女性は家庭を守るという「男は仕事、女は家庭」の性別役割分業を当たり前としてきた時代がありました。高度経済成長期には、このモデルが機能し、子どもには「良い大学に入り、良い会社に入る」という画一的な成功が求められました。

 

しかし、バブル崩壊後の「失われた30年」を経て、終身雇用は揺らぎ、非正規雇用が増加。親世代が描いた「成功モデル」と、子世代が直面する厳しい現実との間に大きなギャップが生まれました。この世代間の価値観の乖離が、親子関係にひずみを生む一因となっています。

 

特に、「家」意識と長男への過度な期待は、息子に重いプレッシャーを与えてきました。「家を継ぐ者」「親の面倒を見る者」といった役割が、時に子どもの自立を阻み、親の期待に応えられない自己不全感へと繋がります。

 

さらに、母親と息子の共依存関係も深刻です。社会進出が遅れた母親が、子育て、特に息子に過度に没頭し、息子を「自分の唯一の理解者」と認識してしまうケースは少なくありません。息子は母親からの精神的・経済的自立が難しくなり、一方で母親に支配されていると感じることで、複雑な感情を抱え込むことになります。

 

そして、日本社会に残る**「男は弱みを見せてはいけない」というプレッシャー**。社会的に成功できない、経済的に困窮している男性は、「男として失格」と自己否定に陥りがちです。これにより、親への不満や介護の重圧、経済的困難といった問題を誰にも相談できず、孤立を深めてしまうのです。

 


今の子育て世代に求められる「意識変革」

このような背景を踏まえると、今の親世代が、将来の悲劇を防ぎ、より健全な親子関係を築くために「気をつけるべきこと」「気づくべきこと」「意識するべきこと」が明確になります。

1. 深層心理の視点:無意識の連鎖を断ち切る

私たちは、無意識のうちに自分の親から受けた子育てのパターンを子どもに繰り返してしまいがちです。

  • 気づき:自身の「インナーペアレント」と「インナーチャイルド」 「~すべき」「~してはならない」といった親の声が、あなた自身の心の中に「インナーペアレント」として息づいていないでしょうか。また、幼少期に満たされなかった欲求を抱えた「インナーチャイルド」が、無意識に子どもを通してその欲求を満たそうとしていないか。
  • 意識:世代間連鎖を断ち切る勇気 親との関係性における未解決の感情を認識し、親の価値観を「絶対」とせず、自分なりの子育ての価値観を意識的に構築する努力が必要です。子どもの「存在そのもの」を認め、無条件の愛を注ぎ、**「自己肯定感」**を育む言葉がけを心がけましょう。「~ができるから偉い」ではなく、「生まれてきてくれてありがとう」というメッセージを日常的に伝えることが大切です。

2. 児童心理の視点:子どもの自立を促す関わり

過保護や過干渉は、子どもの自律性を奪い、将来的な依存や精神的脆弱性を生み出す可能性があります。

  • 気づき:子どもの「自己効力感」と「自律性」の芽生え 子どもが自分で何かを「できた」という経験が、自己効力感を育みます。親が先回りして何でもやってしまえば、この機会を奪うことになります。
  • 意識:適切な「見守り」と「手放す」勇気 子どもに代わって問題解決するのではなく、子ども自身が解決策を考えるのをサポートしましょう。ヒントを与え、挑戦を促し、失敗してもやり直せる機会を提供することが重要です。子どもの成長に合わせて、親が介入する範囲を徐々に狭め、**「適切な境界線(バウンダリー)」**を築き、子どものプライバシーや選択を尊重する姿勢が求められます。

3. コーチングの視点:傾聴と問いかけで自律的な成長をサポート

親が常に「正解」を教える存在だという思い込みを捨て、子ども自身が答えを見つけ、成長していくプロセスをサポートする役割を意識しましょう。

  • 気づき:親が「正解」を持っているという思い込み 子どもに「どうしたい?」「どう思う?」「何に困っているの?」といったオープンな質問を投げかけ、子どもの内省を促しましょう。親が答えを教えるのではなく、子ども自身に考えさせる機会を増やすことが大切です。
  • 意識:傾聴と「問いかけ」の習慣 子どもが話す内容を遮らず、最後まで耳を傾ける「アクティブリスニング」を心がけましょう。そして、子どもが自分の意見や感情を安心して話せる環境を作ることが重要です。失敗を恐れず、それを学びの機会と捉え、次にどう活かすかを一緒に考えることで、問題解決能力を育みます。

家族のあり方を再定義する

これらの意識改革は、親子の共依存や孤立を防ぎ、万が一困難に直面したとしても、外部の支援を受けられる強さを持つ家族へと繋がります。

親が子どもの「支配者」ではなく、「応援者」「サポーター」としての役割を意識し、子どもが自分自身の人生を歩む力を育むこと。これは、親子の絆を深め、同時に将来起こりうる悲劇を回避する上で最も重要な「根底」からの変革です。

 

今一度、あなたの家族のあり方について考えてみませんか?

 


【mama cafe開催のお知らせ】

このブログを読んでくださった皆さんへ、私からのご案内です。

 

石田勝紀先生が始められたmama cafeの認定ファシリテーターとして、私は皆さんが安心して自分の人生と向き合える場を提供したいと考えています。

 

今回のブログで触れた「自分の人生と向き合う」「意識と無意識」「境界線」といったテーマは、子育てにおける悩みの根源となることが少なくありません。

 

mama cafeでは、少人数でリラックスした雰囲気の中、これらのテーマについて皆さんと一緒に深く考えていきます。お子さんのこと、パートナーとのこと、そしてご自身のこれまでの人生について、安心して語り合える場です。

 

ご興味のある方は、ぜひお気軽にご参加ください。詳細はこちらをご覧ください。

 

 

学校、組織、社会、あらゆる集合体でよくしようとすればするほど消えていくもの

 

それは

 

寛容さではないだろうか。

 

結果それはその集合体を作り上げている個人を苦しめることになり、最終的には集合体そのものの崩壊へと繋がる。

 

でも一度向上を目標にし始めた集合体は、なかなか途中でその流れを止めることは難しく、特にトップにいる人たちにはそれは見えていないことが多い。

 

向上を求める時に必ずと言って邪魔をして来るのが、周りからの評価。

 

一度組織として褒められると、組織の上の人たちはさらに上を目指そうと張り切るのだが、そうなると、すでにベクトルがずれている可能性が高い。

 

この会社が、組織が、団体が評価されたところで、中の人たちが、評価されたいとさえ思っていなければ、評価されたことを喜ぶ上層部の人たちのことは、しらけた目で見るのは当然のことだ。ましてや、外で見せる態度と中の人たちに見せる態度が違っていればなおのこと、不信感は増すばかり。

 

止まらない向上心は、時として「当事者」を置き去りにし、寛容さを見失い、苦しめる。

 

親子の間であっても、子どもに向上心を求めすぎれば、子どもは結果パンクしてしまう。

 

もっと上を、もっとよくなるように、と上を目指す時には、必ず立ち止まって、それをそもそも何のために目指しているのかを問い続ける必要があるのではないか。

 

人はそんなに強くない。少なくとも、現代のスマート社会についていけるだけのキャパはとっくに超えているように感じる。感じないように、見ないようにしているだけで、この息苦しさ、圧力、しんどさを感じている人は相当数いるはずだ。

 

人と人が弱さを補う社会、許せる社会、受け入れる社会、風通しがいい社会

 

その小さな単位が家庭であり、学校であり、組織であり、それを作るのは、いつまで経っても、機械ではなく人と人である。

 

今日も、寛容であろう。自分にも、人にも。

 

 

 

日々ママさんたちと話したり、観察したりしていて気づいたことがある。

 

多くのママたちは、子供の「自己肯定感」を上げようと必死だけど、空回り感がすごい。

 

どういうことかと言うと、

 

「あなたは自分は何もできなくても愛される価値があると思いますか?」

 

この質問に対して、「はい、もちろん。」と即答できないということ。

 

教育本で、子供に対して自己肯定感を上げるには、ありのままを肯定してあげることが大切だと学んだところで、

 

自分に対してそう思えてないのだから、日常的にそれが生活の端々に表れ、子供にもしっかり伝わってしまっている。

 

だから、「愛しているから」「大切だから」と言う名目の元、

 

子供に「それじゃだめ」「○○したかったら〜しなきゃ」みたいな、

 

小言を言い続けてしまう。

 

それは根底で、自分に対して、「何も出来ない私は愛される価値がない」と信じてしまっているということ。

 

いい母親でなければならない

家計にも貢献しなければならない

要領よくママ友付き合いもできなくてはいけない

子供のために常に何かしてあげなくてはいけない

 

そうでなければ私の価値って何?

 

そう感じてしまってるんじゃないかな。

 

これはあくまで私の主観だけど。

 

子供云々の前に、親が、自分自身は無条件に愛される価値があるんだってことを根底から信じる必要がある。

 

そういう意味では、無宗教が多いと言われている日本でも、昔からの宗教観というものはいまだに根強く残っている気がする。

 

日本では、「因果応報」とか「バチが当たる」とか、ネガティブな理由から悪いことをしないようにという空気がある。それが広く浅く社会で蔓延した概念が「迷惑をかける」だと思う。

 

結構伸び伸び子育てしているように見える人でも「人に迷惑だけはかけたらだめ」と明言する人は多い。

 

でもそれってほんとに、なぜそれがダメなのかという理由なのかというと疑わしい。

 

迷惑をかけたらなぜダメなのだろう?

迷惑ってそもそも何?

 

「迷惑」って元々は、広い意味で使われてたのが、明治末年以降に公的な意味として使われるようになったらしい。こういう、今は当然のように使ってる言葉でも、時代背景を読み解くと、政治とかマスメディアとかが深く絡んでいて人を操ってきてることが分かって面白い。

詳しくはこちら→

 

 

 

 

で、親がこういうネガティブ(ここでのネガティブは、受け身という意味で)な生き方をしていると、当然ポジティブ(能動的)な生き方を子供に示すことは困難で、結果子どもも受動的な生き方になり、矛盾したことに気づかないまま、親は子供にもっと能動的に生きろと言う。

 

受動的に生きてるうちは常に自分を人と比べてないといけないわけで、そうなると、人と同じことができない自分に対して劣等感を感じたりすることも多くなる。

 

自分は何もできなくても、存在してるだけで愛されてる価値があるのだと心から思えたら、自然と子どもを本当の意味でありのままに肯定する言葉が出てくる。

 

育児は「育自」とは本当に的を得た言葉だなとつくづく思った。

 

ママ、いや、全ての女性。あなたは、結婚しててもしてなくても、子供いてもいなくても、オシャレでもそうでなくても、痩せてても太ってても、家事うまくても苦手でも、人付き合い得意でも苦手でも、愛される価値があるんだよ。

 

パートナーや年上の人たちから上記のような理由で下に見られたり、言葉や身体的な暴力受けるのが間違ってるのはもちろん、

自分自身でも、そういう、長年かけて親や社会から植え付けられてきた概念を見直す勇気が必要。

 

もちろん男性もだけど、あえて女性に向けて書いてる。この国では、あまりにも、女性の価値が労働力や結婚、育児に結び付けられすぎていて、これでは根本的に幸せな子育てがなかなかやりにくいのだ。

 

子どもを変える前にまずは大人が変わること。

 

大きな問題を解決するには、その一歩前の原因を探して、戻って、またもう一つ戻って、って突き詰めていくと、根本的な原因が見えてくる。

 

そしてそれは、他人や環境ではなく、一人一人の内面のちょっとした変化に関係してることが多い。それが派生しあって、いい波長も悪い波長も生まれる。

 

大事なことなので最後にもう一度。

子どもに、無条件に愛されてることを伝えるには、親自身がそれを自分に対しても信じている必要がある。

 

以上、今まで頭の中でモヤってたことでした。