日々ママさんたちと話したり、観察したりしていて気づいたことがある。

 

多くのママたちは、子供の「自己肯定感」を上げようと必死だけど、空回り感がすごい。

 

どういうことかと言うと、

 

「あなたは自分は何もできなくても愛される価値があると思いますか?」

 

この質問に対して、「はい、もちろん。」と即答できないということ。

 

教育本で、子供に対して自己肯定感を上げるには、ありのままを肯定してあげることが大切だと学んだところで、

 

自分に対してそう思えてないのだから、日常的にそれが生活の端々に表れ、子供にもしっかり伝わってしまっている。

 

だから、「愛しているから」「大切だから」と言う名目の元、

 

子供に「それじゃだめ」「○○したかったら〜しなきゃ」みたいな、

 

小言を言い続けてしまう。

 

それは根底で、自分に対して、「何も出来ない私は愛される価値がない」と信じてしまっているということ。

 

いい母親でなければならない

家計にも貢献しなければならない

要領よくママ友付き合いもできなくてはいけない

子供のために常に何かしてあげなくてはいけない

 

そうでなければ私の価値って何?

 

そう感じてしまってるんじゃないかな。

 

これはあくまで私の主観だけど。

 

子供云々の前に、親が、自分自身は無条件に愛される価値があるんだってことを根底から信じる必要がある。

 

そういう意味では、無宗教が多いと言われている日本でも、昔からの宗教観というものはいまだに根強く残っている気がする。

 

日本では、「因果応報」とか「バチが当たる」とか、ネガティブな理由から悪いことをしないようにという空気がある。それが広く浅く社会で蔓延した概念が「迷惑をかける」だと思う。

 

結構伸び伸び子育てしているように見える人でも「人に迷惑だけはかけたらだめ」と明言する人は多い。

 

でもそれってほんとに、なぜそれがダメなのかという理由なのかというと疑わしい。

 

迷惑をかけたらなぜダメなのだろう?

迷惑ってそもそも何?

 

「迷惑」って元々は、広い意味で使われてたのが、明治末年以降に公的な意味として使われるようになったらしい。こういう、今は当然のように使ってる言葉でも、時代背景を読み解くと、政治とかマスメディアとかが深く絡んでいて人を操ってきてることが分かって面白い。

詳しくはこちら→

 

 

 

 

で、親がこういうネガティブ(ここでのネガティブは、受け身という意味で)な生き方をしていると、当然ポジティブ(能動的)な生き方を子供に示すことは困難で、結果子どもも受動的な生き方になり、矛盾したことに気づかないまま、親は子供にもっと能動的に生きろと言う。

 

受動的に生きてるうちは常に自分を人と比べてないといけないわけで、そうなると、人と同じことができない自分に対して劣等感を感じたりすることも多くなる。

 

自分は何もできなくても、存在してるだけで愛されてる価値があるのだと心から思えたら、自然と子どもを本当の意味でありのままに肯定する言葉が出てくる。

 

育児は「育自」とは本当に的を得た言葉だなとつくづく思った。

 

ママ、いや、全ての女性。あなたは、結婚しててもしてなくても、子供いてもいなくても、オシャレでもそうでなくても、痩せてても太ってても、家事うまくても苦手でも、人付き合い得意でも苦手でも、愛される価値があるんだよ。

 

パートナーや年上の人たちから上記のような理由で下に見られたり、言葉や身体的な暴力受けるのが間違ってるのはもちろん、

自分自身でも、そういう、長年かけて親や社会から植え付けられてきた概念を見直す勇気が必要。

 

もちろん男性もだけど、あえて女性に向けて書いてる。この国では、あまりにも、女性の価値が労働力や結婚、育児に結び付けられすぎていて、これでは根本的に幸せな子育てがなかなかやりにくいのだ。

 

子どもを変える前にまずは大人が変わること。

 

大きな問題を解決するには、その一歩前の原因を探して、戻って、またもう一つ戻って、って突き詰めていくと、根本的な原因が見えてくる。

 

そしてそれは、他人や環境ではなく、一人一人の内面のちょっとした変化に関係してることが多い。それが派生しあって、いい波長も悪い波長も生まれる。

 

大事なことなので最後にもう一度。

子どもに、無条件に愛されてることを伝えるには、親自身がそれを自分に対しても信じている必要がある。

 

以上、今まで頭の中でモヤってたことでした。