私たちは日々、自分のキャパを超える量の膨大な情報の海の中で、自分が溺れていることにも気づかないまま彷徨い、そしてその情報によって操作されている。


もちろん、操作されているという意識を持っている人は少なく、自分で自分を知っていると思い込んで生きている。


でも実際は違う。


あらゆる有名な実験でも立証されてきているように、私たち人間はとても不安定な生き物だ。


匂い、光、色、味、触感、温度、環境、時間帯など、様々なものによって感情や行動が変わってくる。


ルーティンをこなして生きているような人であっても、全く同じ物を同じ時間に毎日食べたりしている人でも、頭の中で毎日同じ時間に同じことを考えているわけでもなく、同じものを食べているはずなのに違う感覚を覚えたり、時により美味しく感じたり、逆にそんなに満足感を得られなかったりもするわけで、とにかく気付かないうちに日常の小さなさまざまな要素に影響されている。


そのことに気づかずに生きていると、特に現代のように膨大な情報がスマホの中に蔓延している環境においては、記憶の汚染が起きやすい。事実よりも、自分が記憶したことを真実と混同してしまう機会も多い。


ネットニュースでも、全員に同じトップページが表示されているわけではなく、見ている人の傾向を掴みそれに沿った内容が表示されているし、広告ももちろん同じように操作されている。


視野が広いと自分では思っていても、知らず知らずのうちに自分の考えに似通った内容ばかりに囲まれるようになり、それに伴い自分の価値観も固まってくる。


でもよく考えたら、事実に基づかない価値観はとても危うい。まさに記憶の汚染が起きやすい状態になる。すぐに別の『あり得そう』な情報によって書き換えられてしまう可能性が高くなる。


親や教師がそうである場合、子育てに関しても軸がなく、情緒や感性に頼りがちになり、子どもからすると純粋に理不尽や疑問に感じることに対して、共に疑問を持って調べたり、正面から答えることが出来なくなり、子どもたちは大人ってこんなもんか、、、と諦め、問うことを諦めるようになる。


私たちは、たった数年先を生きているだけで、その脆さでいうときっと子どもよりも脆い。なぜなら探究心も子どもの時からすると減っているから。探究心がないと、自分について知ろうとすることもなくなり、自分が感じていることや知っていると思っていることに関しても何ら疑問を持たなくなる。そして社会に流されて、自分が自分の社会を作り上げている感覚はなくなる。


ワンオペ育児にしても、リスキリングにしても、既存の社会の流れに沿った形で『何とか頑張って』やるのみ。出来なければそれで終わる。もちろん心の中のモヤモヤは消えず、自己肯定感も低いまま。


情報の上書きをし続けるだけの人生を送っていると、自分は何を信じて、何に向かって生きているかという感覚が薄れてくる。


まずは、流れてくる情報を一回遮断し、自らについて色々と書き出してみるといいかもしれない。