オリンピックがようやく終わろうとしていた。
僕ははじめて、蝉の声に気づいた。
朝5時過ぎに起きるとすぐ、窓とドアを開けて空気を入れ替える。風はさほど涼しくはないけれど、暑さを感じるほどにはなっていない。
風と一緒に外の音が入ってくる。ある日、蝉の声も流れていることに気がついた。
オリンピック「閉」会式3日前のことだった。こんな日まで、僕は蝉の声に気をやれなかったのか。
オリンピックが始まると、ネット上では政府ラブの人々が、
「オリンピックに少しでも反対してたやつは、オリンピックを見るんじゃねえぞ」
という趣旨のコメントをさかんに繰り返していた。なんのための脅しだろう。
オリンピックに反対していた首都圏の人々は、オリンピックそのものを嫌がっていたわけではない。どんなことがあってもオリンピックは開催するから協力しろ、という「寄り添わない、高圧的な」態度が、「なんか、いや」だったのだと思う。
開催地なのに、首都圏のワクチン接種率は、西日本よりも10パーセントも低い。せめてほかの地域と同じくらいの接種率に引き上げようという姿勢を見せたり、「一緒にオリンピックを成功させようよ、そのためには都民の健康も気遣うよ、具体的にはね…」という提案が政府からありさえすれば、首都圏の人々の反応はまったく変化していた、と思う。
でも、五輪開催で人流も増え、コロナ拡大の危険も増しそうなのが怖い…という首都圏在住者の気持ちに、
「この状況をがまんして受け入れて家から出ずに、じっとしていろ、でも、五輪貴族様だけは特別扱いするけどね…」
では、しらけて、へそを曲げる。
到着後すぐにホテルに入り、その夜から待機期間なく繁華街を闊歩できる五輪貴族の一方、都民は自由行動を制限され「ステイ!」と犬のように扱われては、政府と外国人のために、自分たちと東京が蹂躙されているように感じても、おかしくない。
地元で開催されるからこそ、開催されても手放しで喜べない、楽しめない。
当然、それがエスカレートして、五輪反対、という主張も増えていく。
結局、オリンピックは開催された。
開催反対を唱えていた人も、もともと、オリンピックそのものを嫌いなわけではないだろう。
そこへ至る道や、政治家やIOCの態度が気に食わないだけだ。
競技やスポーツ選手への思いはポジティブなのだから、競技の映像を絶対見ないと決意するほど、かたくなな人は少ない。
「オリンピックを見るんじゃねえよ」
は、まるでチンピラの因縁のようだ。
ほかの感じ方の人もいる。
東京では、これまでの1年の4分の3くらいの期間に飲食や外出、それに興行も制限され、がまんの連続だったのに、オリンピックを開催? だったら、あたしたちだって自由でしょ、という人たち。
開会式の3日前、感染拡大が止まらずに、東京都の1日の感染者が2000人になろうとしていた頃に、菅首相がこう言い放った。
「ゴールがやっと見えた」
首都圏の人間にとっては、五輪の開幕が、「ゴール」など、とんでもない。
本格的な感染拡大のスタートでしかないのに、「ゴール」? 新たな対策を何もとらずに? この首相は、国民の生命など、まったく興味がないようだ…。そのうえ自分の都合のいいほうだけを見ていられる誇大妄想の気があるのかも…。
そんな、オリンピック=感染拡大、の印象の強かったイベントがようやく終わる。
僕は、突然、蝉の声をからだに感じた。
オリンピックが終わるという安心感が、つまり「ゴールが見え」て、からだの緊張がほどけたからなのかもしれない。
五輪の閉幕とともに、感染の拡大がとまる、という保証はどこにもない。
でも、無意識の政府への反発から外出していたような人の気持ちは落ち着くだろう。
5000人前後の感染者数が何日も続き、恐怖を感じ始めている人も増えていると思う。
区切りにはなりそうだ。
そろそろ閉会式から4日ほどだろうか。
報道では、オリンピックとコロナをからめたものが少なくなるだろうと思っていたら、驚くことに、政府筋からの発言があとを絶たない。
菅首相、加藤官房長官、丸川五輪相、西村経済再生相、田村厚労相、組織委員会の武藤事務総長あたりが日替わりのように、同じ発言をしている。
「コロナの感染拡大は、オリンピックの開催とは無関係である」
関係大臣たちと組織委員会の事務総長がこぞって、
「コロナの感染拡大は五輪開催とは無関係だ」
と主張する…。
担当大臣の発言だけなら、まだわかる。
でも、なんだ、これは…? このたたみかけるような発言は…?
まるで、私たちは悪だくみをしました、と告白しているみたいだ。
やましいところがないなら、言い訳めいたものは必要ない。
主張をするなら、直接の担当大臣ひとりがすれば、それですむはずだ。
それが4人も5人も…となると、過剰、いや、異常だろう。
言い訳のオンパレードにしか聞こえない。
都民の多くは、オリンピックの開催は、多かれ少なかれ感染拡大の一因だ感じている。
この大臣たちの何人かは、18歳のときの「偏差値」と「学力」が他を圧倒した。
それは認めよう。でも、その一瞬がすべて?
18歳の大学入学時の実績にあぐらをかいちゃったのかなあ、と思う。自分は正しいという思い込みだけが「あぐら」のうえに居座ちゃったみたいだ。
「バカっていうのはね、適切な判断ができない奴のことを言うんです」
ある落語家の至言だ。彼は続けて、こう話した。
「あのね、精神医学の先生に、「俺、間違ってますかね」ってこのことでたずねたことがあるの。そしたらね、「師匠は、今、自分は間違ってるかもしれない、って考えてますよね。間違っちゃう人は、自分は間違っているかも、って考えません、正しい、って信じ込みます。師匠は、ちゃんとしてますよ」ってさ。…うーん、そんなもんだろうね」
「ちがう地平を見ている」
と、頼りにしていた身近な人を平然と批判できる人たち。
やっぱり、おバカさんなんだろうね。