ムンバイを出発~プネ~アウランガバード~ソラプール~ハンピ~バンガルールまでの約1,500km(2/1~2/8) Travel in India has started with motorcycle.
ムンバイ港でオートバイ引取り
オートバイを輸送した本船がムンバイ港へ到着したのは1/16のことだった。その18日後の2/1に通関を終えたオートバイをNhava Sheva(ムンバイ港)の輸入倉庫で引き取ることが出来た。ムンバイで通関業者に買いそろえてもらった現地メーカー製のバッテリーとペットボトルに入れたガソリンを持って船会社代理店の輸入倉庫へ向かった。
輸入倉庫敷地内では火気厳禁のため、バッテリーのオートバイへの取付と燃料タンクへのガソリンの注入は輸入倉庫の敷地外で行った。現地メーカー製のバッテリーがオートバイの狭いスペースに収まるか心配していたが、何とか収まり、エンジンが始動して一安心した。
船会社の代理店の費用請求書は最後まで不透明で説明もなかった。事前に調べた費用より多く請求され、当方の問い合わせにはほとんど応じることは無かった。
結局、当方のオートバイの輸入費用には約11万ルピー弱(約17万円)の費用と18日間の日数がかかった。
バンコク輸出時の費用と輸送費用の約16万円を加えると33万円位の費用がかかった計算になる。
ムンバイの滞在費を考慮すると、バンコクから航空便でネパールのカトマンズへ輸送しても良かったと思った。
航空便でオートバイをカトマンズへ輸送する方が、ムンバイでの滞在費を加えた船便より少し高くなる計算だが、時間の節約とムンバイでの船会社代理店の不透明な費用請求に不満やいらだちを感じることは無かっただろう。
インド・ツーリングの出発(走行ルート)
最初の一週間はムンバイ~170km~プネ(Pune)~250km~アウランガバード(Aurangabad)~エローラ(Ellora)~アウランカバード~320km~ソラプール(Solapur)~330km~ハンピ(Hampi)~355km~ベンガルル(Bengaluru)のルート約1,500km。 標高600m前後の広大なデカン高原を南下するような形だ。走行ルートは下記の地図を参照してほしい。
良好な主要幹線道路
インドの主要幹線道路は想像以上に良好だった。上述のルートはオートバイも通行可能な有料道路だったが、オートバイは無料。ハイウェイ(Highway)と呼ばれているが、オートバイの通行が禁止されている高速道路(Express way)とは区別している。
日本の主要高速道路に似て片側2から3車線通行で、中央分離帯で上り車線と下り車線が完全に分離している。 交通量が非常に少ないので、オートバイ走行は快適だった。 制限速度は普通乗用車が時速80km、オートバイは時速70kmとなっている。当方の250ccエンジンのセローにはちょうど心地よいスピードだ。
交通量少ないながら7割~8割は大型の貨物トラックだ。 大型トラックはスピードを出さない(出ない?)から、走行中にあおられることは無い。ただ、見渡す限り平らな大地の直線道路ゆえ、走行には飽きてしまう。
(立派な有料道路だが、オートバイは無料でライダーにはありがたい。アウランガバード(Aurangabad)~ソラプール間(Solapur))
(片側2車線の通常の主要国道。プネ(Pune)~アウランガバード(Aurangabad)間)
(横に大きく飛び出た荷物を輸送する大型貨物トラック)
朝夕は冷えるが昼間は真夏の暑さ
インドの乾季の時期を選んだツーリング計画だ。インド到着以来25日間経つが一度も雨は降っていない。この時期はインドの冬だ。
しかし暑い冬だ。デカン高原のこのあたりは海抜600mの高地地形が影響してか、朝夕は冷える。半そで半ズボンでは朝夕寒く感じるが、セーターやダウンジャケットを着込むほどでは無い。長袖のTシャツあるいはトレーナーで十分だ。朝夕の気温は摂氏16~17度程度だろう。
しかし、日中には気温は30度以上となり、炎天下で肌に当たる太陽は痛く感じるほど暑い。もちろんTシャツ姿でも汗がでる。
オートバイでの走行風は熱波となり、顔や肌を隠すよう対応が必要だ。空気が乾燥しているため、蒸し暑さは感じない。そのため、オートバイ走行中に汗だくになるようなことは無い。地元の人の話では2月は季節の変わり目で、3月になれば更に暑くなるという。
(サトウキビの収穫)
(サトウキビを運ぶ牛車は自動運転)
(デカン高原は降雨量が少なく乾いた大地だ)
(デカン高原の灌漑用と思われる水路)
(豹の横断に注意の交通標識)
(宗教上の修行のため炎天下の道路を素足で歩くグループ)
オートバイの運転は思ったより怖くない
インド到着直後にムンバイの道路で見た酷い交通渋滞の中を車や人を避けて走るオートバイを見て、危ない運転だと思った。しかし、自分でオートバイを運転すると違う目線になる。
当方はオートバイ走行中に、歩行者の車道への飛び出しが、一番危ないと感じた。 ムンバイのような都市部では歩行者が歩道から溢れて車道を歩いている。その歩行者は車道を我が物のように信号無視で渡る。いつ飛び出してくるか判らない歩行者に注意しながら、オートバイを運転すると神経をすり減らす。
走行中の他のオートバイや車の逆走は当たり前だが、ベトナム等の東南アジア諸国ほど運転マナーは悪くない。
同じ質問にうんざり
多くのインド人が必ず外国人に対する質問が、<どこの国から来たか?>だ。注目されるのは有難いことかも知れないが、歩いていても、オートバイに乗っていても遠慮なく質問を浴びせてくる。 どこにいても、当方の状況がどのようになっていようと関係無く、あいさつ代わりに爆弾のように浴びせてくる。
お互いの会話のなかから<どこの国から来たのか?>と質問されるのなら、良いのだが、そうで無い。道を歩いて突然、Helloの代わりにWhich coutry are you from?(どこの国から来たか)と質問される。
ガソリンスタンドでオートバイに燃料を給油した時の事だった。当方は疲れていた。また眠かった。
オートバイの給油を済ませた後に、当方はガソリンスタンドの日陰にある椅子に腰を下ろし、目を閉じて少し眠ろうとした。その状況で、ガソリンスタンドの従業員は当方に<どこの国から来たか?>としつこく聞いてくる。
当方が相手の質問を無視して、目を閉じて寝ようとしていると、その従業員は当方に近づいて、当方の腕をゆすって当方を起そうとしながら、<どこの国から来たか?>しつこく聞いてくる。
相手のこのしつこい態度には当方はいささか腹立たしさを覚えた。当方が疲れていて寝たいのなら、そっとしておいてやるか、あるいは<大丈夫か?>かと当方を気遣うのが普通の態度だと思うのだが....
ツーリングのハイライト
エローラ(Ellora)の巨大石窟寺院
アウランカバード(Aurangabad)の北西約35kmに位置する村に巨大石窟寺院群(Cave Temples)がある。インドでも主要観光地だろう。7世頃から16世紀ごろ作られた30余りの石窟寺院群(Cave Temples)がある場所でユネスコ世界遺産にも登録されている。
目玉の巨大石窟寺院はヒンズー教寺院だ。岩山を上から約100m四方の広さで深さ30m~40m掘り下げ、その中に彫刻を彫るように作った巨大な寺院がある。寺院の中には入場可能だ。寺院の敷地(掘り下がった部分)から垂直に削った壁を見上げると、壁の高さ(掘り下げた深さ)に驚く。
見るからに圧巻のスケールだ。岩山の壁の上から眼下の寺院を見下ろすと、その深さ(高さ)に足が震えてすくむ。
コロナ禍の為か、外人観光客は数えるほどしかいなかった。小中学校の課外授業か遠足かで集団で訪れている児童、生徒が多かった。ほどんどの訪問者は地元インド人のようである。メインの巨大石窟寺院は観光客で混んでいた。
ムンバイ滞在中にムンバイ湾に浮かぶエレファンタ島の石窟寺院へ訪れたが、規模ににおいても石窟寺院の精緻な造りにおいてもエローラの巨大寺院の足元にも及ばない。
(エローラの巨大ヒンズー寺院遺跡No.16 岩山を彫って約100年かけて寺院を造った)
(巨大ヒンズー寺院遺跡の内部敷地)
(巨大寺院遺跡を周囲の回廊部分から見るとこんな幻想的な風景になる)
(巨大ヒンズー寺院の内部敷地。回廊部の垂直に切彫った壁は高さ30~40mある)
(巨大ヒンズー寺院を岩山上部から覗く)
(巨大ヒンズー寺院を遺跡後部の岩山から覗く)
ハンピの寺院遺跡群(Hampi)
インドでも外国人旅行者に人気の遺跡群がみられる場所だとムンバイの通関業者から聞いた。それまで当方はその存在を全く知らなかった。
14世紀から16世紀までデカン高原中部を支配していたヴィジアヤナグル王朝時代の都が置かれていた場所だった。 しかしイスラム勢力の侵入により王国は滅び、多くの寺院が破壊されたと言う。
岩山や岩場に建つ小型のローマ時代の神殿風の寺院が周26平方キロメートル四方に散らばっている。 これらの遺跡群もユネスコ世界遺産に登録されている。
現在も使われている寺院(Virupaksha Temple)がある。その寺院の高さ約30mの巨大な入口門はバビロニア(現在のイラク)のバベルの塔(Babel)の想像絵を彷彿させる。その大きさと異様な形に驚いた。
遺跡群の中にゲストハウス(民宿)や土産物等を販売する約30戸ほどの小さな村がある。村の中には車は入れず、3輪車タクシーか徒歩で入る。
当初、当方はオートバイで村の中へ入ろうとした。その際、村の入口の警備員にオートバイでの乗り入れを阻まれた。 しかし、<当方の宿が村の中にあるのでオートバイで乗り入れる必要がある>と警備員に説明してオートバイでの乗り入れを許可してもらった。
(ハンピ=HampiのVieupaksha Templeの塔門=ハベルの塔の想像絵に似る高さ30mの塔門)
(上部の煉瓦造りの部分は当時の原型だが、中段以下の基礎部分は修復したものだ。Stone Car 神殿の入口門)
(ハンピ村の遺跡群の一帯。林の向こう側に見える塔はVieupaksha Templeの塔門=ハベルの塔の想像絵に似た塔)
(岩山に直径5mほどの巨大な岩を載せた岩場。信仰の対象だったのだろう)
(ハンピ村の商店街)
(投宿したゲストハウスのオーナー。夫人は日本人の女性だ。ただし夫人は子供の教育のためベンガルールに住む)
領収書なしで宿代値引き
インドでは外国人が宿泊可能な宿とそうでない宿がある。外国人が宿泊可能なホテルの場合、ホテル側はフォームC(Form C)と呼ばれる外国人の顔写真入りのデータを記載した書類を作成して、地元警察署に同書類を提出せねばならない。
アウランガバードで当方が最初に宿泊を試みたホテルは、最近オーナーが替わり、外国人登録用の書類の準備が出来ないとの理由で断られた。2軒目のホテルでも外国人の宿泊は同じ理由で不可と言われた。
3軒目のホテルでは外国人の宿泊は可能だったが、部屋料金が少し高めだった。そこのオーナーは部屋料金の少しの値引きには応じるが、それ以上の値引きには応じようとしない。 そのホテルで働く年配のスタッフがこっそり教えてくれた。
オーナーに<現金払いで、領収書は不要>と言えば、オーナーは更に値引きしてくれるはずだとそのスタッフは言う。領収書を発行しなければ部屋料金の12%分の税金が節約できるということらしい。
当方は<現金払いで、領収書は不要だから、部屋料金をもっと値引きしてほしい>とオーナーへ伝えたら、同オーナーはにっこりして更なる値引きに応じてくれた。
行先々で色々ハプニングがあった。ムンバイ出発後最初に訪れたプネ(Pune)の町にはフォルクスワーゲンやGM等の欧米の自動車メーカーが進出しているインドでは有望な外国資本の受け皿になっている都市だと日系の調査機関から聞いた。
それなら一度プネの町を見ておきたいと興味が湧き、プネに寄ることにした。 しかし、のんびりしているとムンバイ滞在中に生じた腰痛が悪化して身動きが取れなくなると考え、プネには長居をせずに先を急ぐことにした。
プネではオートバイのエンジンオイルの交換を小さなバイク店で行った位だった。自分でエンジンオイルをバイク用部品等を販売する店で買ってきて、バイク修理店で交換作業を依頼した。
最初の一週間は順調の滑り出しだが、この先腰痛悪化の懸念が残る。
(プネ(Pune)で工賃無料でエンジンオイルの交換をしてくれたバイク修理店の皆さん。ブログにバイク修理店の写真を載せると言ったらエンジンオイル交換の作業代金を無料にしてくれた。余ったエンジンオイルは修理店へお礼のつもりであげた。)
(プネからアウランガバードへ向かう国道沿いの食堂)
(ベンガルール=Bengaluruの高架鉄道の駅)
(ベンガルールで使い古しのタイヤを再生して販売する業者がいた。50ルピー=約80円で使い古したタイヤ=写真右を仕入れ、再生後(写真左側のタイヤ)400ルピー=約640円で三輪タクシー車用に販売する。再生タイヤは一年間の使用に耐えると言う。インド人のたくましさを感じた。)
以上