(India) Varanasi~New Delhi 1,300km (3/23~4/2) | インベストメントライダーふるさんのブログ Investment rider Seiji Furuhashi travelling around the world by motorcycle

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オートバイで世界を駆け回るインベストメントライダーを目指す個人投資家。
オートバイでのユーラシア大陸横断と南北アメリカ大陸縦断、アフリカ大陸とアラビア半島横断、東南アジア・インド・中近東を走行後、2024年4月~5月オーストラリアツーリング。

ワラナシ(Varanasi)から首都デリー(Delhi)まで、1300km(3/234/2)

インドでのバイク・ツーリング日程の78割を終了して、インド・ツーリング始めて2ヶ月過ぎようとしている。

インドの次に訪れるパキスタンとイランのビザをインターネット経由で申請する作業のため、ツーリングでの移動距離が短くなる一方、それぞれの町での滞在が長くなる。

 

アグラ(Agra)ではインド観光では一番人気のタジ・マハール(TajMahal=ムガール帝国第五代皇帝シャー・ジャハーンの妃ムムターズ・マハールの霊廟)を見学。

(タジマハール=Taji Mahal 1653年完成。 ドームの高さは67m、4つのミナレットは高さ43m。当時の金額で金50トン分の費用と22年の際月を要した。1983年世界遺産登録)

(タジ・マハールはモスクになっている。モスクの内部中央にはムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンとその妃ムムターズ・マハールの棺が納められている)

(タジ・マハールの裏を流れるヤムナー川は残念ながらドブ川のような異臭を放していた。第5代皇帝シャー・ジャハーンは自らの霊廟を川を挟みタジ・マハールとは反対側に造ろうとしたらしいが、後継者の息子に幽閉され夢はかなわなかったと言う)

 

 

アグラの後に訪れたジャイプール(Jaipur)は他のインドの街並みと異なっていた。

城壁で取り囲まれ旧市街の建物はピンク色に統一され、アラブ諸国の色彩が強い街並みにだった。

 

この地は乾燥した低木のステップ気候のラジャスタン州(Rajastan)に位置する。この一帯を18世紀に治めていた藩王が天文学好きで、当時では世界最先端の天文台をインド全国5カ所に造り天体の観測を通して現在の時刻と20秒しか違わない正確な時刻を計測していたことには驚いた。

 

走行ルートは以下の通り

ワラナシ(Varanasi)~385km~ランプール(Ranpur)~310km~アグラ(Agra)=タジ・マハール見学~260km~ジャイプール(Jaipur)=建物がピンク色に統一~300km~グルガオン(Gurgaon)=多国籍企業が多い近代都市~60km~ニューデリー(New Delhi)=インド首都でタイヤ交換

 

 

(インドとネパールの走行ルート図。赤線の上部左側最後の地点がデリーの位置)

(ネパールからワラナシ経由デリーまでの走行地図。赤線が走行ルート。地図右側上の赤丸印はネパールのポカラ。地図左側上部の赤丸印はデリーの位置。ワラナシは赤線ルートの右側最下部の赤丸印の位置。)


パキスタンとイランのEビザ申請について

パキスタンのEビザ申請

パキスタンのビザ取得は難易度が高いと聞いていた。2018年当時、イランからパキスタンへオートバイで入国した日本人ライダーはパキスタンのビザを取得するため、イランの国境にオートバイを残したまま日本に一時帰国して、日本のパキスタン大使館でビザを取得したと聞いていた。

 

コロナ禍以降はインターネット経由Eビザを取得する方法に替わっているが、Eビザ申請にはパキスタンで旅行者の身元を保証するスポンサーからの招聘状(Letter of Invitation)が必要とか、駐日パキスタン大使館で面接を求められる場合があったり等ビザの申請がめんどくさくなっている。 

 

インターネット経由の申請と言えども、面接場所は自国(日本)の駐日パキスタン大使館とせねばならないのがひっかかる。

 

駐日パキスタン大使館の領事部・外交官に電話で<当方はインドをツーリング中故、インドにあるパキスタン大使館を面接場所に指定することは可能か?>と相談したら、面接が必要な場合は駐日パキスタン大使館の外交官と電話で行うことが可能とのことだった。 

 

また、パキスタンのスポンサーからの招聘状が無くても、旅行計画書の提出で代用できることも同外交官に教えてもらい、自分自身でEビザの申請が出来ることが判った。わざわざビザ業者を通さずに済むし、日本への一時帰国も不要だ。

 

ただし、VPNVirtual Private Networkの略。 詳細は右記サイトをクリック https://surfshark.com/ja/learn/what-is-vpn)の回線を介してもインターネット経由でのEビザ申請時のビザ代金の支払いが出来ない。 結局、日本にいる留守家族に自宅のインターネットを介してEビザの申請を行ってもらった。

 

イランのEビザ申請

イランのEビザ申請についても自分自身で行う。

出国前に自宅インターネットで同国のEビザ申請を試してみたが、本人写真のアップロードが受理されず完了できなかった。しかし、ランプール(Ranpur)滞在中に持参のポータブルPCにてEビザの申請したら、あっさり受理された。

 

イランのEビザの場合、実際のビザは申請者が希望する在外イラン大使館ないし領事館へ行き、そこで発行されることになっている。ビザ料金は実際に発行され時に支払うことになっている。

 

当方はパキスタンのラホール(Lahore)にあるイラン領事館でビザの発行を希望する旨を伝えている。

 

以下ツーリングールートでのコメント

 

ワラナシ(Varanasi)~ランプール(Ranpur385km

ハイウェイ(国道)は3車線道路が整い、交通量も少なく概ね快調だったが、ライプール市内でカーナビ用アプリのMaps.Meの誘導は酷かった。狭くて人混みの道、獣道のような荒地、挙句の果てには鉄道専用の橋も通行する誘導になっていた。

 

都市部内の移動ではMaps.Meの誘導に頼らず、比較的大通り(=容易に通行可能)を自ら選ぶ必要がある。

 

ワラナシからアグラへは距離が長すぎて一日では行けないため、ランプールにはアグラへ行く途中にあるという理由で滞在しただけだった。2泊しただけだったが、観光は全くしていない。ホテルの自室に留まりイランのEビザ申請に集中した。

 

ランプールの宿はなかなか決まらなかった。目星をつけていたホテルは駐車場も無く、通りの交通量が多く環境が悪い場所だった。広い落ち着いた通りに面した少し高そうなホテルを見つけて、部屋料金の交渉をした。

 

当初、部屋料金は2,800ルピー(4,500円)だと言われた。当方は800ルピー(約1,300円)の予算で部屋を探していると言うと、1,000ルピーの部屋が有ると言う。つまりホテル側は高い部屋から紹介して、宿泊客が安い価格や値引きを要求すると価格が低い部屋を紹介する仕組みになっている。

 

当方はホテルの部屋価格の交渉は以下のように行っている。

まず、価格交渉を急がないことが大事だろう。

 

まず部屋を見せてもらい、その料金に値するかどうか確認する。

 

Booking.Com等のインターネット予約業者経由の予約を行っていないため、同業者に支払う手数料分の割引余地があるはずと交渉する。

ホテル側はBooking.com等のインターネット予約業者へは部屋料金の2割程度の手数料を支払う。

この際インターネット業者経由の料金は事前に調べておく必要がある。

 

なかなか割引に応じない場合は、一旦交渉を終了させて、<他のホテルへ行く>と言う。一旦交渉を打ち切ってから、ホテル側は<ちょっと待ってくれ>と、価格割引に応じる場合が多い。

 

自らの希望価格(指値)を伝える。(低めの料金を伝える。)

 

 責任者(できればオーナー)と直接交渉する。

(ワラナシからランプールへ行く途中のハイウェイ)

 

(ランプールの町は中心部は古く廃墟のようだった。朝方撮影したため通行人はほどんどいなかった)

 

ランプール~アグラ 310km

アグラでは3泊したが、観光はタジ・マジハールを半日したのみで、後はパキスタンのEビザ申請の準備と申請のため日本の留守家族と連絡を取り合っていた。

 

タジ・マハールは旧市街の一角に位置する。旧市街への車両でのアクセスは狭く、迷路のような生活道路を通る。

 

今までに、アラブ諸国でも巨大なモスクを見てきているが、タジ・マハールの白く巨大なモスク(霊廟)はそれなりの一見の価値が有ると思った。

 

(ランプールからアグラまでのハイウェイ)

(アグラ旧市街で宿泊したホテル屋上から300m先のタジ・マハールを見る)

(アグラの旧市街のレストランはサル避けの金網が張られている。朝夕にはサルの集団が建物の屋上沿いにえさを求めて住宅地を徘徊する)

(当方オートバイの後輪に刺さった釘を見つけた。ブロックタイヤの山の部分だったためパンクは免れた)

 

アグラ~ジャイプール260km

インドには地名の最後にOOOプール(pur)が着く都市が多い。プール(pur)は城壁に囲まれた町を意味する。

 

アグラから同地へ入ると乾いた土地になる。丘や小高い山がポツリポツリ目立つようになり、緑豊かな平野部から乾燥地帯へ入ったことを実感する。

 

ジャイプールの要塞はこのような町を見下ろす小高い丘の上に位置していた。旧市街全体も高い城壁に囲まれ、城壁門からのみ通じている。当時は外敵から守るため、このような城門、城壁、要塞が必要だったぐらい戦乱があったのだろう。

 

旧市街の観光をバイクで行うが、インド滞在中3回目となる腰痛が生じた。オートバイのスタンドを立てかけるのをうっかり忘れてオートバイを駐輪した際、倒れそうになったオートバイを倒れる寸前で支えた為だった。

そのため腰痛がひくまで延泊。

(ジャイプールの旧市街へ入る門)

(旧市街はこのような色で統一されている。)

 

(18世紀の天文台。写真奥の階段状の最高部の高さは27m。天文台建物の角度は北極星へ向いている。)

(18世紀の地球儀に日本が載っていた)

(ジャイプールの風の宮殿=Hawa Mahal。外観は美しいが薄ぺらい建物で宮殿というよりディズニーランドのアトラクションの建物に近い)

(ジャイガル要塞=Jaigarh Fortの世界最大の巨砲。一回だけ使われたと言う。1720年製 射程距離20km 長さ約9m、砲身の高さは約2.7m、重量50トン。移動には象が使用されたと言う。)

 

(果物の量り売りには分銅が使われる)

 

ジャイプル~グルガオン300km

グルガオンはデリーから3040km離れた新しい町だった。 デリーの家賃高騰を嫌って多くの多国籍企業がオフィースをグルガオンに移すようになって町が発展したという新興都市。 多くの日本企業がオフィースを構え、日本企業に勤める駐在員が住むと言う。

 

当方は大都市デリーの交通渋滞を嫌って、グルガオンに滞在することを考えていた。しかしグルガオンでは外国人が宿泊可能な割安なホテルが無いことが判った。インドにはOYO Hotelという割安なホテルチェーンが多いが、グルガオンのOYO Hotelはインド人専用となっている。

 

インドではホテル等の宿泊施設が外国人を宿泊させるには、当局にある形式の書類を提出することが義務付けられている。グルガオンではその形式をそなえているのは比較的高額なホテルに限定される。78軒目に訪れた立派なホテルでやっと宿泊できた。

 

複数のホテル関係者からグルガオンのホテル料金はデリーより割高だと教えてもらい、翌日デリーに向かうことにした。

 

グルガオン~デリー 60km

(デリーの入口)

 

ニュー・デリーでオートバイのタイヤ交換

デリーを訪れた理由は当方オートバイのタイヤを交換するためだった。日本から輸送する直前にブロックタイヤ(ダンロップ製D605)に交換後、約18,000km走行した。タイヤの山は3割程度残っているが、この先のパキスタンやイランでタイヤが見つかるかどうか判らなかった。また、ネパールでの後輪タイヤのパンク修理が上手にできているか自信が無い。

 

アグラ市内でオイル交換したYamahaの看板を掲げたオートバイ修理店(Yamahaの正規代理店では無かったが)で、デリーのオートバイ部品店が集まる地区へ行けばタイヤが見つかると教えてもらった。

 

具体的なタイヤ店の名前は判らないが、デリー到着早々その地区(Karol Bagh)へ行った。通りを歩く数名に<オートバイのタイヤ販売店がある場所はどこか?>と聞いたら、ニューデリー駅から3km離れた車やオートバイのアクセサリーや部品を販売する店舗が建ち並ぶ地区に辿り着き、タイヤショップを見つけた。

 

当方オートバイ(Yamahaセロー250)サイズにあったインド製のタイヤが見つかり、前後輪とも交換した。料金は工賃含め6,500ルピー(約1万円強)

(タイヤ店では手作業でタイヤを交換する)

(前輪をフロントフォークにはめ込むにもバイクスタンドは使用せず、二人で作業する)

 

日常茶飯事な割り込み運転

デリーはとにかく人が多い。町中の車や三輪車タクシー、バイクの運転もインドで最悪だった。

インドの都市部の渋滞道路では一日2~3回三輪車タクシーやオートバイにぶつけられる。低速運転中だから事故に繋がらないが、不愉快だ。当方が衝突を回避しなければ、もっと多く衝突される。

 

相手は当方が衝突を回避する行動を期待して、混雑する道路で割り込んだり、飛び出したりする。当方が<危ない>と思ったり、ヒヤリとする場面がしょっちゅうある。

 

ある時は三輪車タクシーが5cm位の幅で当方の横に並び、当方の行く手を遮りように割り込もうとする。

当方は三輪車のタクシーの運転手の体に肘鉄をくらわして、三輪車タクシーの運転手をけん制した。

また、ある時は三輪車タクシーの車体を叩いて、相手の無茶な割り込みをけん制する必要があった。

 

横入りと言うことは日常茶飯事だ。アグラではタジ・マハールの入場券を買うためにチケット販売所で列を

つくって順番をまっていると、観光ガイドらしい人が順番を無視し割り込もうとする。

 

当方は思わず持参している笛を<ピー>と吹いて、強い口調でそのガイドに割り込みを止めるように注意をする。当方は、割り込みには腹が立っていた。

 

するとガイドは<当方が列をつくっている場所は正式な列では無い>と難癖を言い張ったが、最後には当方の勢いに押されてバツが悪そうな顔をして、割り込みを止めた。 当方の無謀とも思える注意に外国人観光客のひとりが、<良いことをしてくれた>と称えてくれた。

 

インドには人々がルールやマナーを遵守する国になってもらいたいと思う。

 

人混みを嫌いデリーには2泊のみしか滞在しなかった。パキスタンとの国境があるインド北部方面へと向かった。

(デリー旧市街の中心。レッド・フォート= Red Fort。レッドフォート内への入場待ちの列が300m位続いていたので、入場は諦めた)

 

以上