(India) DehliからAmritsar そしてPakistanへ入国 950km(4/3~4/13)
風光明媚な山岳道路
デリーからはパキスタンへの入国を目指してアムリトサル(Amrtsar)へ向かうだけの走行ルートだが、デリーから最短距離でアムリトサルへ1~2日間で到達する。
それでは面白くないと考えた。チベット亡命政府があるダラムサラ(Dharamsala)を経由してインドの山岳地帯をかすめる迂回ルートを通り、アムリトサルへ行くことにした。距離は最短距離の約2倍となる。
更に北の迂回ルートを通ればインドのヒマラヤ山脈地帯の裾のラダック地方へ行くことになるが、ラダックはまだ冬だ。富士山より高い標高4千m級の峠道があるというので、この最北端の迂回路は避けた。
北の迂回ルートは正解だった。ネパールのような山岳道路であったが、道路事情はネパールより数段良い。全て舗装道路だ。
(標高5000m級の雪をかぶった山がまじかに見える)
(山岳道路から谷川を見る)
胃腸の調子が悪い
チャンディガル(Chandigarh)で食べたソモッサ(カレー風味の油で上げたジャガイモ)とモモとよばれる
水餃子を食べた後、胃腸の調子が悪い。
下痢等はインドで数回しているが、今回は一番調子が悪くなった。 下痢と胃の痙攣のため2日間食欲が無く、気持ち悪くて丸一日何も食べれなかった。薬局で薬を調合してもらうが、効き目が無い。
3日後に何とか収まった。それ以来ソモッサとモモを見るのが嫌になってしまった。
パキスタン・ビザとイラン・ビザ申請のその後
パキスタンのEビザについては申請後7~8営業日に電子メールで入手した。
しかしイランのEビザに関しては申請後約2週間経過しても、音沙汰無しだ。フェイス・ブックの陸路旅行者のグループ情報のスレッドで他の旅行者達からアドバイスや情報をもらった。
あるドイツ人カップルの場合、本人はEビザの許可が出るまでに申請後5週間かかったと言う。ある人は個人が申請した場合はイラン政府はビザを発給しないと言う。
また、ある人はインターネット上のイランのEビザ申請サイトの画面では常時<ビザ発給待ち=Waiting for Verification>の表示が現れても、待つだけ時間の無駄だと言う。
当方が駐日イラン大使館へ電話で問い合わせすると、イランの外交官は当方の申請はEビザの申請システム上に残っていないので、再度申請をしたほうが良いとアドバイスをする。
当方がチェックする限り、イランのEビサ申請サイト上では当方は<ビザ申請済み>と表示される。一体どうなっているのだろう?
当方は既にパキスタン入国のため、国境の町アムリサトル(Amritsar)まで来ている。イランのEビザが無くては、パキスタンでの滞在期限が1ヶ月しか許可されていないことを考慮するとパキスタンへはうかつに入国できない。
以前コンタクトが有った外国人旅行者に聞いたイランの旅行会社Tap Persiaと連絡を取り、同旅行会社経由Eビザの申請を再度行うことにした。
申請翌日に同旅行会社からイランEビザが発給される知らせを受け取った。なんと早いスピードだ。
旅行会社曰く、個人が自らEビザを申請してもイラン政府はほとんどビザを発給しないと言う。イラン政府は観光業者経由の方が申請者(外国人入国者)をコントロールし易いとの理由だった。
以下デリーからインド出国(パキスタン入国)までの走行ルートと各走行ルートのショートコメントを記す
デリー(Dehli)~280km~チャンディガル(Chandigarh)~迂回路スタート~210km~マンディ(Mandi)~120km~ダラムサラ(Dharamsala=チベット亡命政府所在)~140km~パタンコン(Pathankon)~90km~迂回路終了~アムリトサル(Amritsar)=シーク教徒の都市~国境(パキスタン入り)~90km~ラホール(Lahore)=パキスタン第二の都市
(デリーからアムリトサルまでの走行ルート。赤線が走行ルート。地図下部の赤丸印がデリーの位置。地図上段の赤線ルート最後がアムリトサル)
(インド・ネパール走行ルート地図。ムンバイ=地図左側中央のスタート地点からアムリトサル=地図最上部まで約10,000km弱だった。当方はムンバイに1/15に到着して、2/1からオートバイ・ツーリングを開始して反時計回りに赤線ルートに沿って進んだ。)
デリーからチャンディガル(Chandigarh)280km
デリー周辺は巨大な首都圏を形成するため、デリーから150km離れてもハイウェイ沿いの町並みは途切れることは無い。 やっとチャンディガル近くになるとのどかな田園風景が広がる。 車や人々の往来が少なくなり、気持ち良いツーリングとなる。
チャンディガルはインドでは珍しく市街地が計画的に造られている。著名なスイス人が設計したと言う。
大学のキャンパス内のように緑の木立ちが多い街並みとなっており、インドで一番美しい街だと言われている。
当方はチャンディガルの郊外に宿泊し、ここで胃腸の調子を崩した。
(チャンディガル付近ののどかな地方道)
(チャンディガル市内の道路)
(チャンディガル郊外で宿泊したホテル=写真左側)
(チャンディガル郊外の投宿ホテル屋上から付近を臨む)
(廃材でオブジェを作ったと言うチャンディガル市内のRock Garden。スペイン・バロセロナのガウディー公園に少し似た部分がある。)
チャンディガル~マンディ(Mandi)210km
山あり、谷あり、ワインディングロードありの地方道を進む。
期待した通り、ネパールの山岳地帯の道路のように景色が良く、交通量も多くない。インドで初めて景色を楽しむツーリングとなる。
(山岳道路に入っていくと景色は良くなる)
マンディ~ダルマサラ(Dharamsala)120km
マンディから更に北上してラダック地方への出発点になるマナリ(Manali)を目指すか、あるいはダルマサラへ向かうかどうか少し悩む。マナリは標高が更に高くなり最低気温は0℃になる予報がでている。
最低気温をチェックしてマナリ行はあっさり諦めた。寒すぎる。ダルマサラ方面へ向かうと雪をかぶった高い岩山が見える。遠くの空には積乱雲がかかっていてダラムサラあたりの天気が怪しくなっている。
雨がポツリと降り出してきたため、ダルマサラ手前の街道沿いのホテルで宿泊することにした。
(写真奥の積乱雲がかかっている付近はダラムサラ。天気が崩れることが判る)
(ダラムサラへ通じる山岳道路)
ダルマサラ~パタンコン(Pathankon)140km
宿泊地を決めていなかった。夕方までに辿り着ける町で投宿すれば良いと考えていた。 小さな地方都市だとBooking.com等のホテルのオンライン予約業者はカバーしていないし、カーナビのアプリにもホテルの表示は少ない。
飛び込みで宿を当たり、4軒目で投宿する宿を決める。ホテルホーナーは妹夫婦が仕事(ITエンジニア)で横浜市に半年ほど滞在したと言う。日本に興味あるようだ。
(山の上のダラムサラの街)
(ダラムサラの街と背後の山々)
(ダラムサラの中心部)
(ダラムサラ中心部のチベットの住民が蜂起している壁絵)
(ダラムサラのチベット仏教の本尊)
(ダラムサラのチベット仏教寺院の境内ではチベット僧たちが声を出して押し問答式の修行をしていた。)
(ダラムサラのダライ・ラマ14世の公邸)
(パタンコンで投宿したHotel Parag)
パタンコン~アムリトサル(Amritsar)90km
既に山岳地帯のルートは終わり、平地になってきたため暑い。アムリトサルはパンジャブ州の州都であり、シーク教徒の聖地でもある。
プロレスラーのアントニオ猪木が活躍していた頃、インド出身のプロレスラーがいた。タイガー・ジェット・シンと言う名のシーク教徒で、頭にターバン巻き、手にサーベル持ってリングに登場していた。アントニオ猪木と対戦したテレビ中継を思い出した。
シーク教徒の男は頭にターバンを巻く。名前の最後にシンを付けるのもシーク教徒の特徴だ。
(アムリトサル駅前の喧騒とした道路)
(アムリトサルの歴史的建物がある地区)
(アムリトサルで1919年に集まった住民に対してイギリス軍が発砲して無差別な大量虐殺を行った。400名弱の住民が死亡して1000人以上が負傷したと言うジャリアンワラ公園=Jallianwalah Bagh。写真中央に慰霊碑が建つ。当方は過去にガンジーの映画でこの場面を見たことがあった。)
(ジャリアンワラ公園内の壁には多量虐殺時の弾痕が残る。弾痕は白い線で囲っている。)
(アムリトサルのシーク教徒の聖地ゴールデン・テンプル)
(アムリトサル。シーク教徒の正装。腰には短剣を差す。)
(アムリトサル。シーク教徒の警察官)
(アムリトサル。食料品とフード店の店主=写真中央とその息子=写真右。写真左はフード店のシェフ。当方がトマトを売っている場所を探していると言ったら、店主は隣のフード店で使うトマト数個を無料で持っていけと提供してくれた)
アムリトサル~Attari国境(インド側)/Wangah国境(パキスタン側)~ラホール(Lahore)
アムリトサルから30km強の距離でAttari国境に着く。 インドとパキスタンの冷めた外交関係を反映してこの国境の往来は少ない。貨物の往来は皆無だ。 しかも国境は10:00AMに開き、夕方早くには閉鎖される。
毎日夕刻に行なわれるパキスタン側とインド側それぞれの国境閉会式のパーフォーマンスは派手だが、往来が少ない国境では寂しい。当方は午前10時に国境ゲートが開門されることを知らず、早く国境へ着きすぎてしまった。
国境の往来が少ないため、国境通過はスムーズで待ち時間含め2時間程度でインド出国とパキスタン入国手続きが済んだ。
(アムリトサルからアタリ=Attari国境へ向かう立派なインド側の道路)
(パキスタン・ラホール市内の世界最大級規模のモスク)
(ラホール市内のアラブ様式の出窓がある建物。ラマダン中のため飲食店は閉まっていた)
(ラホール市内のラホール要塞=Lahore Fort。世界遺産登録。写真のエレファント階段の建物壁には1847年シーク戦争当時の弾痕が残る。)
以上