インドからネパールへ入国(Nepal)カトマンズ経由ポカラまで約900km(3/6~3/13) | インベストメントライダーふるさんのブログ Investment rider Seiji Furuhashi travelling around the world by motorcycle

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オートバイで世界を駆け回るインベストメントライダーを目指す個人投資家。
オートバイでのユーラシア大陸横断と南北アメリカ大陸縦断、アフリカ大陸とアラビア半島横断、東南アジア・インド・中近東等走行後、2025年4月~9月欧州・中央アジアをツーリング中。

インドからネパールへ入国(Nepal)。首都カトマンズ経由ポカラへ 約900km(3/63/13

ブッタガヤは居心地が良かった。ホテルやゲストハウス等の宿はたくさんあり、掃除が行き届いた上に宿代はインドで一番安かった。

 

また、ブッタガヤでは食事処にも恵まれた。宿近くの多国籍料理を提供していたレストランは、当方のリクエストに応じて醤油で味付けした<野菜炒め>を作ってくれた。久しぶりの和風中華を味わった。2日連続同じ<野菜炒め>を食べた。

一週間同じ<野菜炒め>を食べてもいいなと思ったが、日本出国前の昨年9月に在日ネパール大使館で取得したネパールビザの失効期日が迫っている。


有効期限内の39日までにネパールに入国しようと、後ろ髪を引かれる思いでブッタガヤを出発して、ネパール方面へ向かった。ブッタガヤはインド最貧州であるビハール州(Bihar)の南部に位置する。ビハール州の一人当たりのGDPは約800米ドル台(年間10万円強)とアフリカの最貧諸国に近い。

(ブッタガヤで投宿したRahul Gesthhouse=写真右側の車が止まっている建物が位置する通りには多くのゲストハウスがあった。ゲストハウスは清掃が行き届き過ごし易かった。ダブルベットルームの部屋料金は一泊700インドルピー=約1,100円強)

 

(ブッタガヤの床屋は丸刈りで50ルピー=約80円の散髪料金)

 

走行ルートは以下の通り(約900km

ブッダガヤ(Budhgaya)300km~モティハリ(Motihari)60km~ラクサル(Raxaul)=インド側国境~ビルガンジ(Birganj=ネパール側国境~60km~ヘタウダ(Hetauda)~145km~ネパール首都カトマンズ(Kathmandu)150km~ゴルカ(Gorkhka)=ネパールの古都~115km~ポカラ(Pokhara)~30km~ダンパス(Dhampus)南アンナプルナ山を見る~30km~ポカラ(Pokhara

(インドとネパールの走行地図。地図右側の赤線最上部の赤字で丸く印をつけた場所がネパールのポカラ。その下のマル印はブッタガヤの位置)

(ネパールの走行地図。赤線が走行ルート。走行ルートの最終地点の赤字印の場所がポカラの位置)

 

インド・ビハール州(Bihar)はインド最貧州で道路インフラの整備は他州より遅れている(ブッダガヤ~モティハリ~ラクサル国境の360km

ビハール州をネパールとの国境がある北部へと進むが、インド最貧州のためか道路インフラが他州より劣っていると感じた。南北にはハイウェイ(国道)が無く、狭くて人口密集地を通過する州道しかない。

 

州道と言っても日本でいえば対面通行の県道や市道といった狭い道だ。


州道では人口密集地が続くため、日本の祭りや縁日の人出でごった返すような町中の道を多くの車やバイクが警笛を鳴らし続け、のろのろ運転で走行したり、止まったりする。時には他のバイクや三輪車タクシー(リキシャ)の割り込み運転でぶつかりそうになったりする。


インドで一番ストレスが溜まる運転を余儀なくさせられた。こんな運転にはもはや我慢が出来ず、早く他国へ行きたいと思うほどだった。

(うっかり迷い込んだビハール州の農道)

 

(ビハール州の民家には窓枠はあるが、窓にガラス等は入っていなかった。)

 

インド出国とネパール入国。 国境通過にには2時間以上かかった。

インドのラクサル(Raxaul)国境からネパール側のビルガンジ(Birganj)国境へと越境した。

越境前にインドのモティハリ(Motihari)で前泊して、モティハリから60km先の国境の町ラクサル(Raxaul)へと急いだ。 60kmしかない距離だが、途中に村々や町等の人口密集地を通過するため国境まで2時間以上かかった。

 

また、ラクサル国境では誤ってラクサル郊外にある貨物トラック専用の税関がある国境検問所へ行ってしまった。外国人旅行者や一般旅客はラクサルの町中にある国境検問所を通過する必要があった。


インドの出国ではイミグレーションと税関で合計1時間以上の時間がかかった。税関職員がカルネ(Carnet du passage en duane)を使った出国手続きに慣れていなかった。しかしながら、税関職員は最後に当方へ甘いミルクティーを振る舞ってくれた。


この国境はインド人とネパール人は出入国の手続き無しで日本の県境を跨ぐように往来している。


外国人旅客のみイミグレーションオフィースで出入国手続きをする。出入国審査を待つ外国人はほとんどいないが、イミグレーションオフィースの職員はのんびり構え、税関職員は手続きに慣れていないため審査に時間がかかっている。

(インド側国境の町ラクサル=Raxaulまで30kmの標識)

 

ネパール入国手続き

ネパール入国後、道路脇にイミグレーションオフィースを見付けて立ち寄る。しかし、職員がいない。

当方はオフィースでしばらく待った。しばらくして、職員が食事から戻ってきた。

 

当方はその職員へ<ネパールビザが2日後に失効する。どこでビザの延長手続きが出来るか?>と相談した。

 

その職員はその場であっさりビザの失効日を2週間延長してくれた。本来の手続きは、税関にて有償(一日当たり3米ドル)で、延長手続きをするとのことだった。

 

日本自動車連盟(JAF)では外国籍車両をネパールへ持ち込む場合、カルネ対象国として扱っていない。しかしながら、フェイスブックのアジアツーリングのグループ情報やカトマンズの輸入代行業者の情報では国境の税関でカルネを利用して入国することになっている。

 

当方はカルネを税関職員に提出して、入国印と署名を求めたが、上席職員はカルネのことは全く分かっていなかった。 当方がカルネ上の書き方、押印と署名の場所を説明して、オートバイの輸入手続きを済ませた。


この国境の税関はカルネを使用して入国する外国籍車両をオンラインで管理している様子はない。係官の机上には書類が散らかっていて書類のひとつやふたつ紛失しても、気が付かないし、気にも留めないだろう。

 

国境を無事に通過後、ネパールの現金を入手するため銀行を探した。クレジットカードでキャッシング後、携帯電話のSIMカードの販売店を探す。SIMカードを入手したら、時刻は既に午後の3時を回っていた。

事前の想定では午前中に出入国手続きとSIMカード購入等を済ませて、国境から約200km先のカトマンズを目指すつもりでいたのだが。

(インド側からネパール側へ越境するとネパール側の門が見える。)

 

ネパールは居心地が良い国

ネパールは居心地が良い国だと感じた。

 

ネパール人から<当方がどこの国から来たか?>等の質問を頻繁にされないことが居心地が良いと感じた理由の一つだ。

 

人口がインドのように多くないため、ゆったりできる気分になる。


また、当方が苦手な牛糞がほとんど道路上に無い。路上や町中のゴミも少ない。牛は稀に路上で見かける程度。さらに暑くないので過ごし易い点も当方には有難い。


車やオートバイの運転マナーはインドよりはるかに良い。車やバイクはクラクションを余り鳴らさないので、道路は騒がしく無い等インドの隣国ながらインドとは全く異なる。久しぶりにリラックス出来る保養地へ着た気分になった。

 

外国人旅行者が現地人と接する範囲だが、インドよりも英語が通じると感じた。また、日本語を話す複数のネパール人とも出会った。日本から観光客が多かったためだろう。

 

インドは英語が準公用語になっている。しかしながら、旅行者が接する範囲の雑貨店、飲食店、ガソリンスタンド等ではほとんど英語が通じない。

(カトマンズ市内へ市外から入る道路)

 

道路インフラは非常に悪い

他方、道路インフラは非常に悪い。

 

道路工事中でダート道の区間が多い。また、舗装道路であっても経年劣化の上、補修が無いため酷い凸凹が無数にあり、凹凸を避けながら低速でオートバイ走行をせざるを得ない。車両での移動は一日100km150kmが限度である。

 

道路の補修が行き届かないのは、コロナ(Covid-19)の影響で観光業主体の国民経済が大きな影響を受け、厳しい国家財政の運営を余儀なくされているからだろう。

 

ネパールの国際収支(国の海外との経済活動での資金のやりくり=貿易収支+サービス収支+経常移転収支)を見ると貿易収支は経常的に大幅な輸入超過で赤字、サービス収支は海外から観光客が大幅に減少して赤字に転じている。

従来は貿易収支とサービス収支の赤字を海外からの出稼ぎ労働者からの本国への送金等の経常移転収支が埋めていた。

 

しかしながら、海外からの観光客の減少分を埋めるには出稼ぎ労働者の本国への送金だけでは足らず、国の海外とのやり繰り(経常収支)は赤字になっていた。

 

2008年以前の国際統計ではこの赤字は国の外貨準備の増減に反映された。

国際収支が赤字分だけ、外貨準備額が減る。海外で借入金等の負債があれば、負債返済能力に懸念が生じて、その国の通貨は弱くなる傾向がある。

 

上記を家計に置き換えると、他人へ物品を販売する金額より、他人から買う分の方が多くて赤字(貿易赤字に相当)。

 

家計では適当な例が見当たらないが、旅行代金や保険料金は他人から受け取る分より、自分が使う分の方が多い(サービス収支の赤字に相当)。

家計の赤字の穴埋めを親族からの送金(援助)で賄っている(経常移転収支に相当)。

 

家計で使う分の方が多くて、赤字分を親族からの送金で賄えないと、家計の預貯金を取り崩す(外貨準備額が減少に相当)。家計の預貯金が減少すると、借金が多い家計は、借金の支払い能力(信用度)が低下する。

 

カトマンズ滞在

カトマンズには3泊した。カトマンズは標高1500mの盆地に位置する。カトマンズ盆地は小高い山に囲まれている。カトマンズからヒマラヤ山脈が見えるかなと期待したが、埃で視界が悪いせいもあるが、ヒマラヤ山脈は全く見えなかった。

 

標高が高いため、朝夕と夜の気温は10℃台まで下がる。ダウンジャケットが必要だ。

しかし、日中に太陽が出れば、気温は27℃28℃位まで上昇して、Tシャツで一枚ですごせる暑さになる。この気候だと街歩きもし易く、ガイドブックに紹介されている有名寺院や観光名所をバイクや徒歩で巡り、観光らしい観光をした。

 

物価はインドより安いと感じた。カトマンズの中心部のタメール地区(Thamel)のプチホテルのような設備が整ったBag Packer's Lodgeと言うゲストハウスに宿泊した。ダブルベッドルームの部屋料金はバイクの駐車料金を含め一泊1,200ネパールルピー(約1,200円強)だった。

(カトマンズで投宿したゲストハウスがある通り)

(カトマンズ旧市街中心部のアサン・チョーク=Asan Chowkは多くの通りが集中する賑やかな広場だ。チョーク=Chowkとは広場のような場所で古くからランドマーク=道印的な存在になっている)

 

(カトマンズ旧市街で一番賑やかなアサン・チョークとインドラ・チョークを結ぶ通り)

(カトマンズ旧市街のダバール広場=Dubar Squareの寺院が見える)

 

(カトマンズ旧市街ダバール広場の寺院近くには寺院に備える花を売る人がいる)

 

(カトマンズ旧市街の紳士服店が十数軒並ぶ通り。店の前にはネパールの正装を身につけたマネキン人形が置いてある。)

 

(ネパールで最大の仏塔ボダナート寺院=Boudhanath Templeは街中の広場のような場所にあった。世界遺産)

(ボダナート寺院の周囲約300mをうつ伏せで祈りながら回る仏教徒)

 

(カトマンズ市内のパシュパティナート・ヒンズー教寺院=Pashupatinath Templeの沐浴場=写真右側と川の反対側の火葬場=写真左側)

(パシュパティナート寺院横の川の石段では布に包まれていた死者の足と頭を川の水で清めていた。写真奥に布で包んだ死者が見える。冥福を祈り合掌)

小高い丘の上のスワヤンブナート仏教寺院=Swayambhunath Temple。ネパールでも古い寺院。寺院からカトマンズ市内が見渡せる。世界遺産)

(スワヤンブナート寺院から見たカトマンズ市内。写真奥に高さ50m以上ある白い色のBhismsen Tower=1832年建設の見張り塔が見える)

 

ある出会いが新たな出会いを呼んだ。

カトマンズの中心地で、当方が投宿している場所から徒歩5分程度の距離に地元の食堂があった。惹かれるようにその食堂に入っていくと、そこの経営者に日本語で話しかけられた。その経営者は東京都の八王子市に約6年間住んでいたと言うネパール人だった。

 

翌日もその食堂へ行くと日本人の青年が入ってきた。その青年はネパール人研修生のサポートをネパールの企業と協働する京都市内のベンチャー企業の若手経営者だった。

 

その青年からカトマンズの後に訪れるポカラ(Pokhara)でコーヒーショップを経営するネパール人を紹介された。ポカラ周辺の観光情報は同氏に聞けば、すぐわかるとのことだった。

 

その後訪れたポカラでは同コーヒー店の経営者から地元のバイク修理店や同氏の友人で外国人向けレンタルマンションとコーヒー園を経営するネパール人を紹介された。

 

当方がポカラを訪れた理由の一つはヒマラヤ山脈の山々を見ることだった。乾季で土埃が霧のように視界を遮る今頃はポカラからでも遠くの山々は見えない。

 

そこで、レンタルマンションとコーヒー園を経営するネパール人から同氏の出身地であるポカラから30km程度離れたダンパス(Dhampus)と言う山村へ訪れることを薦められた。その山村からはヒマラヤ山系のアンナプルナ山(Annapurna)が見えると言うことだった。

 

同氏のアドバイスに従い、当方はポカラを訪れた翌日にダンパス村を訪れ、そこで一泊した。

 

ダンパスは標高約1650mの高地にあった。霧のような土埃で視界が悪く、同地でもヒマラヤ山脈はなかなか見えない。

 

しかしながら、午前9時ごろから11時ごろの2時間位の間のみダンパス村の北側に南アンナプルナ山=Annapurna South(標高7229m)が見上げる高さに見えた。標高1650mから見上げる高さ7000m強の南アンナプルナ山は雲のはるか上の高いところに見えた。太陽の光が山の雪に反射して南アンナプルナ山が空に浮かび上がるように見えた。

(カトマンズ市内でOld House Cafe&Resutrantを経営するAle氏。八王子市に6年住んだことが有ると言う)

 

(日本での就労を希望するネパール人研修生をネパール企業と協働してサポートする京都市内のベンチャー企業の経営者=木山氏)

(ポカラ市内でコーヒーショップ=Bikas Coffeeを経営するゴクール氏。同氏は観光ガイドとして日本語も堪能だ)

(ポカラ市内で評判が良いバイク修理店=Raju Bultn Surjeryと店主。店主の名前がそのまま店の名前になっている。店主のRaju氏=写真左とBikas Coffeeのゴクール氏=写真右)

(ポカラ市内でコーヒー店及びコーヒー園、そしてレンタルマンションを経営するStar Coffee Center社長のJagan Bdr. Gurung氏。同社のコーヒー豆は日本にも輸出されている。同氏は十数年前には観光ガイドを行っていたと言う。日本語も堪能だ。)

 

以下通過したルートと町のショートコメント

 

ブッダガヤ~モティハリ(300km

上述したように、混雑した市街地が多々あり、ストレスを一番感じたルート。ビハール州では小麦の栽培がさかんであった。インド北部では米作は行わない。

 

このルート途中でガンジス川を渡る。乾季のため水が流れている部分の幅は狭かったが、河川敷を含めると川幅は約1.6kmある。ガンジス川に架かる片側2車線の鉄橋は長さが約5kmと長かった。

(ビハール州の道路工事区間)

 

(ビハール州の小麦畑)

(道路脇の砂糖キビジューズ販売。暑さと長時間のバイク走行で疲れていた時に飲んだサトウキビ・ジューズは最高だった。長さ1m=写真左側のサトウキビの半分でコップ一杯分=180cc位のサトウキビの汁を圧縮機械で搾り取る。1杯20ルピー=約30円強の価格)

 

モティハリ(Motihari)~インド出国・ネパール入国~ヘタウダ(Hetauda120km

インド出国とネパール入国の手続きに時間がかかる。ネパール国境から約60km進んだヘタウダ(Hetauda)で一泊した後、翌日に首都カトマンズへ向かった。

 

このヘタウダで投宿したことは間違いではなかった。ヘタウダからカトマンズまでの距離は145kmと短い。しかし、この区間は道路状態が悪い山岳道路だった。そのため、午後の遅い時間にネパール国境からカトマンズまで一気に進むには無理があることが、翌日走行してみて判った。

(ヘタウダ=Hetauda市内の交差点には仏塔のように複数の旗が掲げられていた)

(投宿ホテルの外廊下から見たヘタウダの幹線通り)

 

ヘタウダ(Hetauda)~カトマンズ(Kathmandu) 145km

ヘタウダから最初の30kmは狭いながら良好な道路であった。しかし、その後は舗装面が崩れていたり、道路工事中の区間で有ったり、ガタガタのダート道であったりと走りづらい区間であった。この区間の走行には時々休憩を入れながら56時間かかった。

 

カトマンズへ近づく路面が悪い国道で、危うくバスに接触してオートバイを倒されそうになった。上り坂で前方を行くバスが遅いため、当方はそのバスを追い越そうとしてバスの左側面へ出た。するとそのバスが突然、道路の真ん中方向へと進路を換え、当方の行く手を遮る形になった。

 

対面からは観光バスが迫ってきていたため、当方は直進するしかすべが無かった。追い越そうとしたバスの側面が当方オートバイのハンドル左側端に接触した。

 

当方はふらつきバランスを失って道路中央で転倒しそうになる。バスの運転手が気づきバスを止めた。当方も止まり、足で踏ん張りオートバイの転倒を回避。

 

バスの運転手が<気を付けろ>と言わんばかりに怒鳴っている。怒鳴りたいのは当方の方だったが、怒鳴る余裕は無かった。

(道路工事中の区間)

(山岳道路の周辺景色)

 

(山岳道路沿いあった茶店の家族。当方がお茶を飲んで話をしているうちに主人が家族を紹介してくれた。写真左から、主人の兄弟、主人(41歳)、主人の妻、主人の長男(22歳)の嫁、主人の次男(15歳)。ネパール結婚年齢は早いようだ)

(ヘタウダからカトマンズへ抜けるルートの最高地点は標高2,448mあった。)

(カトマンズ盆地)

 

カトマンズ~ゴルカ(Gorkha150km

カトマンズ~ポカラまでの約220km強の距離の中間地点に近い位置にゴルカがあった。 カトマンズで通った食堂の日本語を話すネパール人経営者がゴルカ出身ということで、同氏と話しているうちに、ゴルカがネパールの古都であることを知った。

 

ゴルカが英語読みでなまり、グルカとして世界に知れ渡った。グルカ兵として英国の傭兵となりその強さが知られた。当方は中学生か高校生の時、グルカ兵のことを教科書で見たことを思い出した。

 

ゴルカは静岡県東部の熱海市のように山の斜面に広がる町だった。ゴルカの町が見渡せる小山の頂上にかっての王宮があった。旧王宮は現在ヒンズー教の寺院として使われている。

(カトマンズからゴルカやポカラ方面へはこのような川の流れる谷沿いのルートを進む)

 

(ゴルカ市街地の遠景)

(投宿ホテルから撮影した斜面に広がるゴルカ市街)

 

(小山の頂上にある旧王宮はヒンズー教寺院となっていた)

(旧王宮を守るゴルカの兵士)

(旧王宮横の坂道階段を薪を背負って下る女性達)

 

ゴルカ~ポカラ(Pokhara115km

短距離の割には移動に4~5時間を要した。道路工事中の区間が多く、ダート道となっている。貨物トラックやバスの後ろを走行すると舞い上がった土埃で前方がほどんど見えなくなる。この日は、オートバイをアイドリング状態から発進したり、ギアを上段に上げる際に10回ぐらいエンストする。

 

正確なエンストの原因は判らない。但し、後日ポカラ市内で紹介された評判良いバイク修理店のメカニック(店主)からは、エアーフィルターが目詰まりして、当方オートバイがエンストした可能性があると指摘される。 

 

エアーフィルターを調べてみると、油汚れがこびり着き、確かにフィルターが目詰まりしていたようだった。

 

エアーフィルターを持参していた新品と交換する。エアフィルター交換後のポカラ~ダンパスの往復60kmの走行ではエンストは無かった。

ゴルカからポカラへ行くルートは道路工事中のダート道区間が多かった。工事を請け負った中国企業の看板が見える)

 

(崖で作業する建設機械が崖にある岩を道路上に落としていた。道路は落石で一時通行止めとなった)

 

(休憩した茶店。茶店の外の駐車場奥で中年の女性がお尻を出して放尿している姿には驚いた)

(ポカラ付近の子供達。片言ながら英語で<Which country are you from?>と当方へ質問してきた。)

 

ポカラ~ダンパス(Dhampus)往復60km

ポカラから一時間半の距離であるが、午前9時から午後3時か4時頃まで道路工事のため交通が制限されている区間があるとして早朝の出発をアドバイスされた。

 

また、この時期天気が良くても、土埃でヒマラヤ山系の山々が見える時間は早朝から午前中のみであることを教えてもらい、ポカラを日の出前の暗い午前5時台に出発してダンパスに向かう。

 

ポカラからダンパス村に通じる道路は石ころだらけのダート道となり、当方のオフロードオートバイ(セロー250)が威力を発揮する。

(ダンパス村=Dhampus村へ通じる道路)

 

(ダンパス村から見る周囲の山々の景色)

 

(ダンパス村は標高約1,650mの高地だ。ポカラ=標高800mからダンパス村へは坂道を登り続ける)

 

(ダンパス村の投宿ホテルから見えた標高7,219mの南アンナプルナ山=Annapurna South。写真だと山が小さく写る。)

ダンパス村からポカラに戻った日に雨が降ったため、翌朝=3/14にポカラ市内からもアンナプルナの山々が見えた。写真左側の山Annapurna IV峰=標高7,526m。写真中央はAnnapurna II峰=標高7,937m。写真右側の尾根が長い山はラムジェン・ヒマール=標高6,986m)

 

(ポカラ市内から雨後の翌日早朝に見えた標高6,993mのマチャプチャレ=Machapuchare。山の形からネパールのマッターホルンとも呼ばれている。ネパール政府が長く登山許可を出していないため、いまだ未踏峰の山と言う)

 

以上