インド東部を北上(チェンナイからブッダガヤまで2,200km) 2023/2/20~3/2
インドでのバイクツーリングを開始してから1ヶ月経つと風景や人々との接し方にも慣れ新鮮味が薄れてくる時期だ。 そんな中、オートバイがハイウェイ上でエンストして動かなくなった。燃料系統の問題だとインドではスペアーパーツが入手できないので、インドツーリングもここで終了かと思った。しかしながら、ヤマハ発動機の現地駐在員及び現地のヤマハオートバイの販売店の協力を得て、ツーリングの再開ができた。
そしてチェンナイから途中宿泊しつつもブッダガヤ(Budhgaya)まで一気に約2,200km走行して、チェンナイの次の主要目的地としたビハール州のブッダガヤに到達した。
鹿児島から北海道の最北端(宗谷岬)まで2,400kmの距離だから、それにほぼ匹敵する距離を9日間で走行。
この区間で2連泊したのはベンガル湾(インド東部)側のオディッシャ州(Odisha)のコナルク(Konark)と言う村だけだった。
コナルクには世界遺産に登録されている太陽神を祀ったヒンズーの巨大寺院遺跡があったからだ。また、コナルクから約35km離れたプリ(Puri)にあるインド東部では最大規模のヒンズー教寺院が見どころだと聞きき、興味を持った。
(ブッダガヤ(Budhagaya)のMahabodhi Temple内にブッダが瞑想した菩提樹がある。各国の仏教徒が巡礼する)
走行ルートは以下の通り。(詳細は下記写真地図参照)
Chennai~390km~Ongole(エンジントラブル発生)~150km~Vijayawada~370km~Visakhapatnam(貿易港)~340km~Chilika(吃水湖畔の村)~160km~Konark(世界遺産)~270km~Balasore(USBチャージャー取付)~330km~Ranchi(内陸州のJharkhand州都)~230km~Budhgaya(ブッダが悟りに目覚めた場所)
(赤い線が走行ルート。チェンナイは地図東側=右側中段下部のマル印の場所。ブッタガヤは赤線の最上部)
チェンナイ(Chennnai)で外国企業が進出する工業団地を見学
日系の調査機関でチェンナイ地域は日系企業も含む多くの自動車関連の外国企業が進出している場所だと教えてもらった。チェンナイは同市および近郊に貿易港を持つ戦略的な場所に立地する。
自動車関連産業が集積するチェンナイはインドのデトロイトと呼ばれている。
インドで製造した製品をアフリカ等の第三国へ輸出する際には、道路インフラが整備され、州の税制優遇策も導入されているチェンナイが魅力的だと判った。エアコン大手の日系企業ダイキンはアフリカへの輸出を考慮してチェンナイへ進出したと聞く。
チェンナイ市内から約40km離れたバラム・バダガル(Vallam Vadagal)と言う工業団地内の日系の大手オートバイメーカーの工場を目指した。工業団地内は広かった。 団地というからには工場同士が隣接していると想像していたが、隣の工場とは数キロメートル単位離れていた。このメーカーは日本の本社工場の3倍ぐらいの従業員を雇用してる大規模な工場を工業団地内構える。工場敷地がかなり広い。
この日系企業を表敬訪問したことが、翌日当方のオートバイのエンジントラブルを解決するための大きな手助けとなった。
(チェンナイ地区の工業団地一覧表)
(ヴィラム・ヴァダガル=Vallam Vadagal工業団地内の一部の地区の企業案内)
(工業団地内の日系大手オートバイメーカーの工場敷地外側)
オートバイのエンジントラブル
その日はチェンナイを出発して、約400km北に位置するアンドラ・ブランデシュ州(Andhra Brandesh)のグントウールGuntur)と言う町へ向かう途中だった。
ハイウェイの路肩にオートバイを止め小休止した後、エンジンが始動しない。エンジンをかけようとしてもセルモーターがシュルシュルと唸るだけだった。ハイウェイ上の200m先に簡易宿泊施設があるパーキングエリアがあった。そこまでオートバイを押して、移動した。そして自分自身でスパークプラグの状態を確認したが、スパークプラグからは火花がでる。
燃料系統のトラブルだと電子制御方式になっているので、燃料噴射ユニットの交換となる。直ぐに修理できるようなトラブルではない。日本から部品の取り寄せが必要だろうとか、インドで修理が可能だろうか等の不安が頭を横切った。
前日表敬訪問した日系大手オートバイメーカーは当方のオートバイを日本で製造しているヤマハ発動機だった。
当方はその駐在員へ電話連絡をして善後策を相談した。その駐在員はサービス部門を担当する別の駐在員に直ぐに連絡をとってくれた。 そして、サービス部門担当の駐在員から当方へ連絡が入った。
そのサービス部門の駐在員は現場から一番近くにあるそのメーカーの現地販売店に連絡を付けてくれた。その販売店のスタッフがレッカー車で当方を迎えに来てくれると言うのではないか。 陽も暮れかけ、暗くなってくるさなか、有難い。こんな時、緊急対応に慣れた人達に出会えて運が良かったと思った。
販売店のメカニックが現場でスパークプラグの点火状況等をチェックするが、その場で修理するのは難しいと判断して、バイクを約60km離れた販売店までレッカー車の荷台に乗せ運ぶことにした。 その間、その販売店のオーナーは当方のホテルと軽食まで用意する手際良い対応をとってくれた。
翌日販売店へ行くと、オートバイの修理は終了していた。スパークプラグへ高圧電気を発生させる電気コイルに不具合があったと言う。そして、電気コイルを交換したとのことだった。
前日のホテル代や修理代金を払おうとすると、その販売店のオーナーは<当方はゲストだから無料で良い>と言い、当方から代金を受け取ろうとしない。当方はそのオーナーの好意に甘えることにしたが、この対応には感激した。
(当方オートバイを修理してくれたSri Vishu Motorの二代目社長のVishu氏=写真右)
(Sri Vishu Motorの修理工場)
お茶休憩の接客
インド人はおちょこサイズより少し大きいカップにいれた甘いミルクティーを頻繁に飲む。 街角やレストランの近くにはミルクティーを販売するスタンド店がある。
当方はオートバイの運転に疲れてきたら、道路沿いのお茶スタンドでこの甘いミルクティーを飲み、休憩する。 あるとき食事がとれる道路脇のレストランでお茶を飲み、椅子に座って休憩していると、そこの親父がお茶を飲み終えたらさっさと引き取ってくれと言わんばかりの態度を示す。
当方をネパール人だと思っている。
他方ある時は、当方がお茶代(10ルピーから15ルピー=16円~25円程度)を額面が大きい紙幣で払おうした際に、そこの女性オーナーは釣り銭が無いから、無料で良いという。
当方は無料ではその女性に悪いから、隣にあった雑貨店で両替をお願いして、ちょうどの金額をその女性に渡した。すると女性の口から<有難う>とお礼の言葉あった。インド人でこんなに控えめな人がいるとは驚き感動した。
観光地を清掃して奇麗にしたら外国人観光客も呼び込めるのに
ヴィシャーカパトナム(Visakhapatnam)から約300km北東にチルカー湖(Chilika)というベンガル湾に面した吃水湖がある。琵琶湖の2倍の広さだ。当方はこのチルカー湖があるチルカー村のホテルに一泊した。200m程度長さの村の通り沿いにゲストハウスとホテルがあり、あとは民家と雑貨店等からなる村だった。
地元ではチルカー湖のイルカやフラミンゴを見るツアーがあるようだ。しかしながら、小型の観光船が係留されている場所は、ペットボトル、ポリ袋等のプラスチックごみや他の生活ごみで岸辺が埋め尽くされて景観を大きく損ねている。
折角の観光資源を有効利用できていないと感じる。そもそもゴミを出さない、捨てないことが大事だが、清掃人を雇うなり、あるいは自分たちで大規模に清掃したらチリカーのイメージアップに繋がると思った。
(チリカー湖の小型観光船)
インドの田舎の村に住むハードルの高さ
チルカーからプリーへ抜ける際に田舎道の村を通る機会があった。 Maps.Me(カーナビアプリ)でもこのルートの表示が出ないほどの小さな村だった。
素朴な寒村だった。周囲は大きな水田地帯になっていた。当方が低速でオートバイで通過したり、停止すると村人の視線を感じるほど、その村はよそ者を注意深く見ていると感じた。
ここの村の様子は、100年前の過去に戻ったような感じの静かな場所だったが、電化製品等生活に便利な物なしで生活する不便さの方を感じた。当方が苦手な牛の糞の燃料を造ったりする作業も素手で行う。 余程の覚悟が無い限り、文明の力の便利さに慣れた人が、この環境で生活するにはハードルが高いと感じた。
(田舎町の商店街)
(比較的小ぎれいだったある村の通り)
(薄く伸ばした牛糞を道路端で乾燥させて家庭用燃料とする)
コナルク(Konark)の世界遺産 太陽寺院(Sun Temple)
13世紀建てられていうヒンズー教の太陽神Suryaを祀る神殿だった。世界遺産登録の言葉にひかれて同地を訪れた。
遠くから見ると中米メキシコやグアテマラのマヤ文明やアステカ文明時代のピラミッドに似た神殿に見えた。
現存する部分は高さ38mの釣り鐘型の神殿だ。この神殿の周囲の壁部分には多くの男女の性の営みを描いたエロチックな彫刻が彫られていた。
ヒンズー教の性表現の大胆さには驚く。
(コナルクの太陽寺院=Sun Temple)
(太陽寺院=Sun Temple壁面彫刻)
以下各走行ルート区間の簡単なコメントを記す。
Chennnai~Ongole 390km
チェンナイ市内の渋滞を抜け出すのに数十キロメートルの距離を走行。大都市の道路の混雑にはいつもうんざりする。 チェンナイ市はタミール・ナドウ州の北部に位置する。
イギリス植民地時代にチェンナイはマドラス(Madras)と呼ばれ、植民地政策の先兵となったイギリス東インド会社が拠点していた。現在その拠点は州政府の建物と博物館及び当時の聖マリー教会(St Mary's Church)があるぐらいだった。
オンゴール(Ongole)はアンドラ・ブランデシュ州に属する。オートバイのエンジントラブルのためこの町に泊まることになった。小さな町だと思ったが意外と大きかった。
(チェンナイ市内の植民地時代のイギリス東インド会社拠点があった場所(Fort)にある聖マリー教会=St Mary's Church)
Ongole~Vijayawada~Visakhapatnam 420km
アンドラ・ブランデッシュ州を走行する。ハイウェイ沿いの広大な農地から農業が盛んなことが判り、事前に聞いていた通り農業が盛んだということが頷けた。
Vijayawadaでは市場の中にあるような人々でごった返すような場所に有るホテルに投宿した。同ホテルの、一部のスタッフが最後までチップをねだる態度にはすこしうんざりした。
Visakhapatnamでは渋谷に似た景観を見た。両側にビルで挟まれた中を高架の道路が通る。坂道が多く首都高速道路がビル街を通る渋谷に似ていると思った。
(アンドラ・ブランデッシュ州の水田地帯)
(Ongole近くのハイウェイの4km区間は大型飛行機が離発着可能な緊急用の滑走路として使用できるようになっていた。この区間はコンクリート製の道路面と飛行機の離着陸区間の印=写真の横断歩道のようなマークがあった。)
(オンゴール=Ongole市内の金の宝飾店の宣伝車。金はインド人の伝統的な蓄財方法としても人気が高い)
(乾季の枯れた川。橋の上から撮影したが、川は砂漠にしか見えない)
(Vijayawadaで投宿したホテル近くの金細工店の職人たち)
(Vijayawadaで投宿したホテル近くの商店街)
(Visakhapatnamの街並み)
Visakhpatnam~Chilika 340km
アンドラ・プランデッシュ州からオディッシャ州(Odisha)となる。今まで見渡す限りの平地だったが、低い山が見え始める。ハイウェイには貨物トラックが多くなる。チルカー湖畔のチルカー村のホテルに投宿。チルカー湖の見物に出かけたが、船を係留している岸辺にごみが多くてガッカリ。
(山が見えるオディッシャ州=Odisha。菜の花畑あり、季節が判らない)
(チルカー村=Chilikaの通り。写真右側から2番目の建物が投宿したホテル。一泊1,000ルピー=約1,600円)
(チリカー湖で獲れた干し魚を売るオープンマーケット。)
Chilika~Puri~Konark 160km
近道をするため田舎道を通る。通過する村々の生活は想像したより厳しいと思った。集落の外に出れば水田地帯が開け、のんびりとオートバイ走行ができ気持ちがよかった。
Puriの町で一泊する予定であったが、当方が気に入る清潔で手頃な価格のホテルがなかったため、Konarkへ移動した。Puriにはインド東地域で最大規模のヒンズー教寺院があると聞いて、見学しようと思った。しかしながら、参詣者が非常に多く断念した。日本の元日の有名神社の参詣のように数万人と思われる信者が列を作って入場を待っていた。
同寺院にはヒンズー教徒以外は入れないと後で知った。
Konarkでの滞在は予定していなかったが、滞在してみると静かな村で気に入った。ここでは日本に十数年住んだことがあるインド人が経営するゲストハウスに投宿する。そのインド人の夫人は日本人女性であった。
(プリ=Puriにある東インド地域で最大のヒンズー教寺院。中央の塔は60m位の高さがあり、目を見はるような大きさだった。写真では実際の大きさを伝えられない。)
(寺院の外から祈るヒンズー教信者)
(プリ=Puriの海岸)
(コナルク=Konarkの太陽寺院近くのOkaasan Guest Houseのオーナーと夫人)
Konarkk~Balasore 270km
Balasoreではヤマハオートバイの現地販売店を見付け、同店でヤマハ製(インド製)のUSBチャージャーを購入して取り付けてもらう。
従来から使用しているデイトナ製のUSBチャージャーでスマホへの充電が最近上手く出来ていなかったからだ。
夕方の忙しい時間帯にUSBチャージャーを取り付けてもらい、ワークショップのスタッフの働きぶりに感心した。
しかも、手間がかかった取付の工賃を無料にしてくれた。
当初Ballasoreからインド東部の最大都市カルカッタ(Kolkata)を目指すつもりでいた。Balasoreからカルカッタ(Kolkata)まで300km程度の距離だ。
しかしながら、大都市でのオートバイ走行にはうんざりしていた。加えてコナルカ(Konark)で投宿した宿の主人にカルカッタでのオートバイ走行は一番危険であり、止めた方が良いと忠告を受けた。そのため、あっさりとカルカッタ行は取りやめた。
(オートバイへUSBチャージャーの取付作業をしてくれたSai Annanta Automobilesの人達)
(Balasore市内中心部の道路を横断しようとする牛。牛は道路を自由に闊歩する。)
(Balasore市内中心部の通りで休息する犬。通りの中央で横たわったり、寝たりしている犬が多い。車やバイクは犬を上手に避けて通る。)
Balasore~Ranchi 330km
Balasoreから海沿いを離れて内陸部のデカン高原の東端地域へと移動する。空気が乾燥しているため、森林の木々の葉が枯れている。
コナルカで引いた風邪が悪化して声がかすれてしまう。
新しいUSBチャージャーでもスマホに上手く充電できない。問題はスマホ側にあるのではと疑う。
ハイウェイ一本道での走行ではカーナビは使用せず、道の分岐点で確認のためカーナビを使用する程度に留める。
このルート上にはお茶休憩ができるお茶スタンドやレストランが少なく、眠くなっても休憩する場所が無い。
ランチ(Ranchi)はジャガールカンド州(Jharkhnad)の州都であったが、街中はほとんど見かった。寝るだけの場所になってしまった。
あるガソリンスタンドの店員に<どこから来たか?>と聞かれた。当方が<日本だ>と答えるとそこはどの州にあるんだと聞き返された。
当方は日本の国旗ステッカーをヘルメットの後ろとナンバープレートに張り付けているが、日の丸の国旗が日本だと知っている人はほとんどいない。
(内陸部の乾季は沿岸部より乾燥している。森林の樹木は枯れている。)
(ヤギが牛に体格差をものとせず、頭突きをくらわしていた)
Ranchi~Budhgaya 230km
最貧州のビハール州(Bihar)へ入る。やはりハイウェイの状態が他の州より良くないようだ。
煙突から黒い煙を上げているレンガ工場が多い。
ブッタガヤ(Budhgaya)はブッタが菩提樹の下で49日間座り、悟りを開いた場所だ。同地で連泊を予定していたので、到着してホッとする。
(体重の倍以上有ると思われる大きな木を運んでいる女性たちがいた。眠くなっていた当方は
この状況を見て目が覚める思いだった)
(ブッタガヤでブッタが瞑想した菩提樹には多くの仏教徒が訪れる)
(ブッタガヤのMahabodhi Temple本堂奥の本尊)
(ブッタガヤの景色。投宿したゲストハウス屋上から周囲を撮る)
以上