イスタンブールからスペイン・マドリッドまで9日間で約3,800km走行(7/5~7/14)
個人的な都合で急遽日本へ帰国せねばならなくなった。介護施設に入居中の高齢の母が、看取りの状況になったとの連絡を受けたからだ。
イスタンブールからオートバイを日本へ送り返すため、イスタンブールの輸送会社数社へコンタクトを試みたが、やはり返答がない。
昨年春に今回のアジア・中近東ツーリングを計画した際にも、当初日本からイスタンブールへオートバイを海上輸送しようと考え、イスタンブールのフォワーダー数社へ電子メールで問い合わせをしたが、一切返事が無かった。
2019年春にアフリカツーリングの出発地として日本からスペインのバロセロナに当方のオートバイを海上輸送した。その際バロセロナの港で輸入手続きでお世話になったバロセロナの輸送会社を頼るため、最短距離でイスタンブールからスペインのバロセロナまでオートバイを走らせることにした。
トルコ・イスタンブール~ブルガリア~セルビア~クロアチア~スロベニア~イタリア~フランスを通過するルートがバロセロナまで最短距離となる。約3,000km強の距離だが、約一週間で到達できる距離だ。
(トルコ・イスタンブールからマドリッドまでのルート地図)
ブルガリア入国後一泊
欧州地域でのオートバイの強制保険がブルガリアへの入国国境で加入できるだろうか気になった。
最近は欧州へ入国前にインターネットのオンラインで強制保険の加入をするオーバーランダーが増えているようだ。
しかしながら、昨年日本人ライダーがインターネットオンラインでスペインの保険会社から事前に購入した欧州の強制保険でロシアからフィンランドへ入国した際に、国境の税関で事前購入した保険が有効でないといわれたケースがあった。 その日本人ライダーはフィンランド国境で欧州の保険を買ったが、保険料が数万円とかなり高額だったと言う。
ブルガリア入国のカピタン・アンドレボ(Kapitan Andreevo)国境検問所では、イミグレーション窓口にパスポートを一旦預けて検問敷地外のブルガリア領内にある保険販売所で欧州の強制保険に加入することが出来た。
保険加入後、イミグレーション窓口でパスポートを受け取る手順だ。保険料金は有効期間1ケ月で57ユーロ(現金払いのみ)。
その日は午前中にイスタンブールのヤマハ製オートバイの現地代理店で妻が日本から持参したスプロケット、チェーンと後輪のブレーキパッドを交換する作業を行ったため、正午ごろにイスタンブールを出発してブルガリアとの国境を目指した。
そして、ブルガリアの国境から80km程度入ったハルマンリ(Harmanli)という小さな町のホテルに投宿した。
ブルガリアの地方では英語はほとんど通じない。ロシア語なら広く通じる。ブルガリア語とロシア語は似ているらしい。ブルガリア語もロシア語と同様なキルリ文字を使用している。
旧ソ連圏の習慣や文化が影響しているのかよくわからないが、トルコからブルガリアに入ると人々が不愛想に見えた。
(ヤマハ・イスタンブールのメカニック達)
(ヤマハ・イスタンブールでスプロケットとチェーンの交換作業中の様子)
(ブルガリア入国時の国境検問所)
(欧州のオートバイ保険=グリーンカードは道路横のキャンピングカーを改造した店で取り扱っていた。)
(高速道路わきの広大なひまわり畑)
セルビア入国後一泊
ブルガリアの高速道路は無料だった。前日宿泊したハルマンリの町から330km一気に走行してセルビアとのカロティナ(Kalotina)国境に到着した。ブルガリア出国とセルビア入国手続きはそれぞれ約20分と簡単に済んだ。
セルビア国境にはATMが無い。そのため、セルビア通貨をATMで引き出すには国境から約40km離れたピロト(Pirot)の町まで行かなければならない。 セルビアの高速道路は有料で、現金の持ち合わせがないため、田舎の一般道を進んだ。
この日は国境から約100km進んだニス(Nis)の町で投宿した。セルビアには約6年前の最初のオートバイツーリングで訪れていた。前回訪問時にはあまり気が付かなかったが、セルビアでは多くの人たちが英語を流ちょうに話す。
政治的にはEU加盟はまだ遠いようだが、いい意味でブルガリやより欧州の文化的な影響を受けている。
(セルビア入国時の国境検問所)
(セルビア田舎の一般道は当方オートバイのツーリングにちょうど良い)
(ニス=Nis手前で道路わきの木立の中で夕立の雨宿りをしたら、隣は葬儀屋だった。葬儀屋の経営者は流ちょうな英語を話した。記念にと葬儀屋の名前入りのボールペンと名刺入れをくれた。)
クロアチア入国後一泊
セルビアのニス(Nis)の町から約360km一気に走行してクロアチアへ入国した。
この日は途中3回雨が降り、ほとんど雨具をつけたまま高速道路を走行した。
クロアチアから西側にある国々はユーロ通貨が使用されているEU圏内となる。
クロアチアは今年の年初にユーロが導入された。ユーロ導入の影響のためか、6年前に当方が訪問した時より物価が高く感じられた。
クロアチアのシッド(Sid)国境から約100km入ったスラボンスキー・ブロッド(Slavonski Brod)という小さな町の民宿に投宿した。 民宿の小さな屋根裏部屋でも部屋料金は25ユーロ(約4千円)と安くない。
(スラボンスキーブロッド=Slavonski Brodの住宅街を投宿した宿から見る。)
(スラボンスキー・ブロッドの住宅街はゆったりした場所だった)
(スラボンスキーブロッドで投宿した民宿)
(民宿の屋根裏部屋でも一泊25ユーロ=約4千円)
スロベニアを素通りしてイタリアへ入国(イタリア2泊)
前泊のスラボンスキー・ブロッドからスロベニア国境まで約230kmあった。クロアチア以西の国境は検問所がないため、日本の県境をまたぐように通過できる。
その後、スロベニアは国内を約200km一気に走行してイタリア東部ベネチア県のポルトグルアロ(Portogruaro)という小さな町まで進み、同地で宿泊した。
この日は約540kmと今回のツーリングで一番長い距離を走行。 夏の欧州は日没が午後9時~10時となるので、長距離走行が可能だ。
イタリアは高速道路を使っても一日で走行できる距離ではない。
ポルトグルアロの後はイタリア北部を通過してイタリア西部のジェノバ(Genova)県のオバダ(Ovada)という山間部の町まで約460km走行。
イタリアの港町ジェノバは旧市街の一角が世界遺産に登録されている人気の観光地だ。そのため夏場の宿泊料金は高い。オバダはジェノバから30km程北に位置する山間部の小さな町だ。観光地ではないため、ホテルの部屋料金はジェノバの1/2~2/3とお得になっている。
(クロアチアとスロベニアのかっての国境検問所。6年前のオートバイ・ツーリング時にはここでパスポート検査等を受けたが、シェンゲン条約加盟後は国境の検問は無くなった。)
(スロベニア入国直後のスロベニアの高速道路パス=E-Venietaの販売所。 スロベニアの高速道路には料金所がなく検査もないが、通行パスを販売している。当方は最短期間=8日間有効の通行パスを8ユーロで購入したが、実際には通行パスはノーチェックだった。)
(スイスの様に美しいスロベニア)
(イタリアへ入国)
(ベネチア県の田舎道。道路わきにはブドウ畑が広がっている。道路わきには複数のワインの醸造工場を見かけた。)
(イタリア・ジェノバ県オバダのHotel Vittoriaの経営者=写真左の青シャツの男。日本のアニメ映画で日本語を覚えたと言い、当方に日本語であいさつをした。日本人観光客が訪れる観光地ではないので、同氏は日本語を話す機会があるとは思っていなかった。)
フランス入国(一泊)
イタリアで2泊後、地中海側沿いに南仏をアビニョン(Avignon)まで進む。前泊のアバダから
フランス国境まで180kmある。地中海近くの丘陵地帯の深い谷に橋を架け、山を削りトンネルとして高速道路を作った場所だ。曲がりくねっている道路なので、高速道路でもオートバイ走行は面白いが、交通量が多いため周りの景色を楽しむほどの余裕は無い。
フランス入国後は南仏のエクサンプロバンスを経由してアビニョンまで進み同地の民宿に投宿した。6年前のツーリングにもアビニョンのホテル(Ibis)に投宿したが、部屋料金が当時よりかなり上昇しているので同じホテルに投宿するのは諦めた。
Booking.Comのサイトで目星をつけていた民宿を探したが、なかなか見つからない。付近を車で通行中の若者に道を尋ねると、その若者の友人にも電話で協力を仰ぎ、当方をその民宿まで案内してくれた。やはり田舎の人は親切だ。
その民泊施設は夏の期間中のみ小さな学校(私塾)を改造して2~3部屋の民宿としているので、民宿の看板ではなく学校の看板が掛かっていた。外国人旅行者には見つけられない場所だ。
(アビニョン=Avignonの学校(私塾)で夏季のみ宿泊施設を提供していた)
(学校兼民宿を経営の母子。母は教員でスペイン語を話した。娘は高校生でお手伝いをしていた。夕食の寿司と中華料理込みで60ユーロ=約9,600円払った)
スペイン入国・バロセロナ到着(一泊)
アビニョンからスペインのバロセロナまでは約450kmの距離。バロセロナまで一日の走行で行ける距離まで来たが、気になることが浮上した。
スペイン・バロセロナの輸送会社の担当者が中古オートバイの国外への輸送に不慣れな雰囲気がメールを通じて伝わってくる。 オートバイと一緒に個人の荷物は輸送出来ないと言ってきた。またスペインから輸出する際にはカルネが必要とも言う。 当方の経験ではカルネは不要で、個人荷物もオートバイと一緒に輸送できるはずだ。
スペインのバロセロナ地区をはじめ、地中海沿岸地域はこの時期欧州地域の観光客やバックパーカーの若者が殺到する。 宿の確保が容易ではなくなる。
Booking.Comのサイトでバロセロナ地区で一番安いホステルに前日予約を入れ、宿泊場所を一泊分確保したが、連泊は出来ない。 8人部屋のドミトリータイプでも宿泊料金は34ユーロ(約5,500円)だった。夕方に予約していたホステル(民宿)に到着すると、やはりその時点では空き室は無かった。
当方は宿の事前予約をしないでツーリングするが、バロセロナでは事前予約していて正解だった。 翌日のバロセロナ市内の一番安い部屋料金はドミトリー形式でも80ユーロ(約1.3万円)だ。
(フランスからスペインへ入国。道路わき建物の横でスペイン国旗がなびく)
バロセロナから急遽マドリッドへツーリング最終地点を変更
バロセロナの輸送会社は懸念があるため、6年前にマドリッドからアルゼンチンのブエノスアイレスへ当方のオートバイを空輸した際にお世話になったマドリッドの小さな輸送会社に急遽相談した。
その輸送会社の担当者とはフェースブック(Facebook)とワッツアップ(WhatsApp)でつながっていて、年に1~2回ぐらい連絡を取り合う仲になっていた。
その担当者からはマドリッドにある多くのオーバーランダーのオートバイをスペインから外国への輸送を手がけている会社を紹介するので、直ぐにマドリッドに来いという。
バロセロナからマドリッドまで約650kmの距離がある。無理をすれば1日で行ける距離でもあるが、イスタンブールから連日走行して疲れがたまっている。バロセロナとマドリッドの中間に位置するサラゴサ(Zaragoza)の町に途中一泊して、イスタンブールを出発して9日目にマドリッドに到着した。
マドリッド到着の翌日に輸送会社を訪れ、オートバイを海上輸送のための梱包倉庫へ搬入した。
イスタンブールからの走行距離は約3,800kmになっていた。ツーリングをスタートしたマレーシアのポートケラン(Port Kelang)からは約35,000kmの走行距離となる。インドネシアとベトナムでのレンタルバイクでの走行を含めると約3.9万kmの距離となる。
(スペイン高さ7~8mの牡牛の巨大看板。この看板をみるとスペインに入った実感がわく)
(バロセロナ~サラゴサ間の国道2号線。乾いた大地をまっすぐな道路が通る)
(ツーリングの最終地点の輸送会社倉庫兼事務所はマドリッド郊外のコスラダ=Cosladaにあった。)
(マドリッド郊外のコスラダ(Coslada)の輸送会社Cargo Marketing Sea &Airの責任者セサール・フェルナンデス=Cesar Fernandez氏)
(マドリッド郊外のメホラーダ・デ・カンポ=Mejorada de Campoにあるオートバイの輸出梱包を行う会社へオートバイを持ち込む)
(輸出用の木枠梱包前の当方オートバイと荷物。ハンドル周りのバックミラーとウインドシールドは
取り外した。)
以上







































































































































































































































































































