Turkey (Part 1) Rize to Ankara 1,200km | インベストメントライダーふるさんのブログ Investment rider Seiji Furuhashi travelling around the world by motorcycle

インベストメントライダーふるさんのブログ Investment rider Seiji Furuhashi travelling around the world by motorcycle

オートバイで世界を駆け回るインベストメントライダーを目指す個人投資家。
オートバイでのユーラシア大陸横断と南北アメリカ大陸縦断、アフリカ大陸とアラビア半島横断、東南アジア・インド・中近東等走行後、2025年4月~9月欧州・中央アジアをツーリング中。

トルコ入国からカッパドキア経由首都アンカラまで1,200km(6/56/12

 

トルコに入国するとジョージアとの経済格差がいやでも判る。トルコの道路インフラ、近代的な建物や掃除が行き届いた街や新車が多い道路を見るとジョージアより一人当たりの国民所得が約2倍あることが理解できる。ジョージア国民所得は一人当たり6,700米ドル(約90万円)に対してトルコは12,000米ドル(160万円)だ。

 

美しい国

黒海沿岸からトルコに入国後、標高2000m台の高地の内陸部へと向かった。黒海沿岸は温暖で湿潤な気候のため緑の木々で覆われた山々が美しい。

 

高地の内陸部には丘陵地帯に幹線道路が通っている。丘陵地には木々が生えていないが、季節が日本の関東地方の4月ぐらいの陽気になり、草花が野に山に咲き始めた時期だ。

 

滞在した町々の景観も奇麗だ。 住宅用のコンドミニアムや商業ビルは新しい建物が多い。また住宅地のニュータウンも多く目にした。イスラム風の建物はモスクぐらいしかなく、トルコにいることを知らなければ西欧の町と変わらない景観だ。

 

(ジョージアからトルコへ入国して間もない黒海沿いのハイウェイをRize・Trabzon方面へと向かう。)

 

親切で気前のいい人達

入国時の税関職員の印象は良くなかったが、行く先々では親切な人達に出会った。

 

初日の黒海沿岸のリゼ(Rize)の街のコンビニで働くお兄さんは当方が日本からのオートバイライダーだと知ると歓迎の意味で食料品を無料で提供してくれた。

 

エルジンシャン(Erzincan)で投宿したペンションの経営者は当方と同い年だと言うことが分かり親切にしてもらった。朝食は提供しない小さな宿だったが、当方に簡単なナン、チーズと甘い蜂蜜の朝食を提供してくれた。

 

ガソリンスタンドでたむろしていた中高年の地元の人たちは、当方が給油で停まった際に、<急いでなければコーヒーかお茶でもどうぞ>と言って当方をくつろがせてくれた。

 

最後にはトルコのライダーグループに出会い、トルコ全土から集まる一泊二日のカッパドキアでの大集会に誘ってもらった。

ハーレーのような大型バイクのチョッパーに乗り、刺しゅう入りの革ジャンを着て一見怖そうな人達だったが、陽気で面倒見がよい人達だった。

(Rizeのコンビニでは買い物代金を無料にしてもらった。博士課程の大学院生だと言った。)

 

 

(ガソリンスタンドでお茶でも飲んで行けと誘ってくれた人達。真ん中の人は白バイ乗りの元警察官だと言った。)

(エルジンシャン=Erizoincanで投宿したペンションと経営者のアリ氏)

 

世俗的な宗教

イスラム教が厳格なパキスタンでは女性の素顔は全く見なかった。女性は男の目が届かない家の奥に留まっていた。

 

イランでは女性は髪の毛をスカーフで隠すことが義務づけられていたが、トルコでは素顔をだして男性と一緒の職場でも活躍する機会を得ていた。

 

トルコではスカーフで髪の毛を隠すのは任意だと言う。中年以上の女性はスカーフで髪を隠して目立たない衣服を着用しているが、若い女性達はおへそや肩をだして街を闊歩している。男と女も手をつなぎ合って歩く姿を見た。イスラムの戒律に縛られていないようだ。

 

トルコはイスラム教徒が多い国ながら、宗教と政治を切り離した先進国だ。

 

トルコ入国後の最初の一週間のツーリングルートは以下の通り。

 

ジョージアのBatumiからSarpi国境経由入国~黒海沿いに120kmRize(2泊)~険しい山道もあった270kmErzincan1泊)~260kmSivas(1泊)~300kmOzkonak(カッパドキア地方)のライダー集合場所(1泊)~70kmHacibektas(2泊)~240km~首都アンカラ(Ankara2

(トルコの走行地図。地図右端=東側はジョージアとの国境。中央よりやや左側=西側の赤丸印は首都アンカラ)

 

ジョージアのBatumi~国境SarpiRize(2泊) 120km

黒海沿いのリゾート地帯だろう。黒海沿いにはリゾートマンションが建ち並ぶような町が点在していた。

黒海沿いの海辺近くまで山が迫っている地形は静岡県東部の東伊豆の地形に似ていると思った。

 

Rizeの町も平野部が少なく山に続く坂道が多いおしゃれな町だった。

 

投宿したホテルの直ぐ近くのコンビニでミネラルウォーターや菓子類を買ったが、金額は多くないがそこの店員が当方を歓迎すると言い、代金を無料にしてくれた(前述)

 

Rizeの町ではバイク屋を見付けてエンジンオイルの交換をする。代金はエンジンオイル代だけ(約1,200円程度)で工賃は受け取らない。当方のオートバイのエンジンオイル交換には1.2Lと中途半端な量のエンジンオイルを使用する。通常だと1リットル容量の缶を2本買わざるを得ないが、ここでは1.2Lの分量を分けてくれた。

(ジョージアからトルコへ入国して間もない黒海沿いの地域)

 

(リゼ=Rizeの街中心部の広場)

(リゼ=Rizeの町でエンジンオイルの交換をしたバイク屋の皆さん)

 

リゼ(Rize)270km~エルジンシャン(Erzincan)1

黒海側から内陸部に入る幹線道路が無い。当方は殆どルートの検討をせずにカーナビが導くままに進むと道路がどんどん狭く急坂がある山村に入り込む。

 

村の人々にゼスチャーとグーグル翻訳でこの道で当方が目指している町へいけるかと訪ねると、目の前の高い山を指さしてこの山を上り山の向こう側へ出れば良いと言う。 しかし山道は車一台が通過できる狭いダート道だと言う。

 

山道が急坂でひとりでは心細く思い、先に進めばもっと厳しい道になるだろうと考え、幹線道路へ出るため来た道を引返したら、反対方面からやって来たBMWの大型アドベンチャーバイクのライダーに出会った。

そのライダーはルーマニアから来ていた。2年前からこのルートの完走を検討していたと自信ありげに言う。

 

当方はBMWの大型バイクでも通行できるなら、当方の250ccのオフロードバイクならより容易だろうと考えを変え、このライダーの後について行くことにした。

 

後で知ったが、このルートは世界でも危険なルートとされる黒海側のオフ(Of)の町と内陸のバイブルト(Bayburt)を繋ぐD915と言うルートだった。 雲に覆われた峠にさしかかる十数キロメートルのダート道の片側はカードレールも無い深い谷底になっている。

 

走行中はわき目もふらず、目の前の石が多い路面を注視しいるため、谷底は目に入らない。その為、怖いとは思わなかった。しかし、走行後に改めて谷底を見ると足がすくむ。

 

エルジンシャン=Erzincanの町は雪渓がある山々に囲まれた盆地にあった。2千メートル級の峠道では寒く感じた空気も盆地では少し暑く感じた。ただし、この盆地でも千メートル以上の標高がある。

 

他の国では室料が安い家族経営の宿泊施設をホステル(Hostel)とかゲストハウス(Guest House)と呼んでいたが、トルコではペンションと呼んでいる。

(危険な山道とされるD915線)

(D915線で少し休憩)

(エリジンシャン=Erzincanの町を囲む山々)

(エルジンシャン=Erzincanの街の中心部)

 

エルジンシャン(Erzincan)260km~シバス(Sivas)1

なだらかな高地の丘陵地帯の中、西方面にあるカッパドキアを目指すが、春ような陽気に誘われて走行中に幾度も睡魔が襲ってくる。

 

路肩で休憩するだけは十分でないため、幹線道路から少し入った湖のほとりにレストランを見付けてお茶を飲みながら1時間ほど休憩することにした。

 

ここのレストランではオーナーと思われる年配の男が、給仕をしながら釣り針の代わりに漁網をつけた釣り竿を湖に垂れている。漁網で釣り上げた魚を料理して客に提供しているようだ。 当方が休憩している間にも、魚を釣り上げていた。

(エルジンシャン=Erzincan~シバス=Sivasへ向かう途中の景色)

 

(湖で釣りをするレストランオーナー)

(シバス=Sivasの中心街)

(シバスの公衆浴場。入浴料は120リラ=約700円)

 

シバス(Sivas)300km~オズコナック(Ozkonak)(カッパドキア地方の小さな村で1泊)

当方がシバス(Sivas)から幹線道路をカッパドキアを目在して走行中に、5台の革ジャン姿の大型のチョーパー(ハーレーダビットソンのようなハンドルが長いオートバイ)が当方を抜き去る。最後に抜き去った男が当方に手招きで<ついて来い>と合図する。

 

その合図に誘われてしばらく時速100km以上の高速で走行するバイク集団について行く。当方のオートバイは250ccのエンジンゆえに時速100km以上の高速走行では安定性に欠け、心地よい走行ではない。

 

休憩時にそのグループがカッパドキアでトルコのチョッパーバイク集団(Turk Ridersと言う全国組織のクラブ)の大集会があると教えてもらい、当方もその大集会に誘われる。

 

当方は決まったプランがあるわけでも無いので、その誘いにのり大集会会場を目指してついて行くことにした。 

 

 

カッパドキア地域にあるOzkonakは地図にも載っていないような小さな村だったが、集会場所にはホテルと複数のテントが張れる広い芝生の庭があった。トルコ全国から爆音をたててチョッパー集団が集まり、当方を歓迎してくれた。因みにカッパドキアは日本の県や地域を示すような広範囲の地域の名称だ。

(シバス=Sivas~オズコナック=Ozkonak途中の景色)

(日本の歌手・吉幾三氏に似るオートバイのライダーズ・クラブTurk Ridersの一人。)

(大集会に参加したTurk Ridersメンバーの大型バイク)

(トルコ国旗を付けるバイク)

(ライダー達の集合場所だったオズコナック=Ozkonakの宿泊施設)

 

オズコナック(Ozkonak)90km~ハシベクタス(Hacibektas)2泊 

チョッパー集団と別れて、カッパドキア観光の中心地であるGoremeの町で宿を探したが、質素な民宿ホステルでも6千円~7千円と他の都市の3倍くらいの部屋料金を取る。一ヶ月前のインターネット上の書き込みだと民宿ホステルの室料は半値だったが、観光シーズンとなった現在は強気の商売だ。

 

当方はイランでカッパドキアに似たカンドバン(Kandvan)の村を既に訪問していたので、カッパドキアに宿泊することには固執せず、Goremeから約50km離れたハシベクタス(Hacibektas)と言う小さな町の郊外のホテルに投宿して、更新が遅れていたブログを書き上げるための時間を作った。

 

思っていたように小麦畑に囲まれたHacibektasのホテル(3星)は観光地でないため、部屋が広く、料金も一泊2千円程度と安かった。

 

このホテルの受付係の20歳代と思われる女性はトルコで働いても給料が安い一方、物価が高いので生活するのが大変だと言う。チャンスがあれば給与が高い海外で働きたいとの希望を語った。

 

ホテルの受付係になる前は衣料品の縫製工場で働いていたが、月給は5,500トルコリラ(約3万円)だったと言う。 因みに小さなアパートでも最近家賃が急上昇して月額4,000トルコリラ(約2.5万円)すると言う。

(カッパドキア=Cappadocia地域の中心地のギョローム=Goremeの町)

(カッパドキアの一部。高台からギョローム=Goreme方向を見る)

(カッパドキア地域のウチサール=Uchisarの町)

(カッパドキア地域のオズコナック=Ozkonakの地下都市の通路。カッパドキア地域には150~200の地下都市があると言う。敵が来る前に地下に一時的に避難したと言う。住民は常時地下に住んでいたわけではない)

 

(地下都市の通路の石の扉。直径約1.5m、厚さが40~50cmあった。数百キロ~1トン位の重さがあると思う。)

(トルコの中央高原はこのような丘陵地帯が延々と広がっている。)

 

ハシベクタス(Hacibektas)~首都アンカラ(Ankara)240km 2泊

前日から雨だ。レインウェアを着て走り出すも、途中から豪雨となり前方の視界が悪くなり、高速道路のような幹線道路から一旦逸れて、村の雑貨店の軒先で雨の勢いが弱くなるまで待機する。

 

休憩を兼ねた雨宿りを繰り返しならI Overlanderのアプリで書き込みがあったアンカラの安ホテルに到着する。

 

アンカラでは在トルコのロシア領事館でロシアビザの取得が可能かどうかヒアリングするつもりだった。

当方オートバイのスプロケットや駆動チェーン等の交換部品を妻が日本から持参してイスタンブールに急遽来ることになったからだ。

 

イスタンブールでオートバイの主要部品の交換整備すれば、トルコから約1万km走行してロシア極東のウラジオストックまで行き、そこからフェリーで韓国経由日本へ自走して帰国するのも選択肢のひとつだろうと考えたからだ。 

 

ロシア極東のウラジオストックから韓国まで韓国船籍のフェリーが運行している。

韓国のフェリー運航会社に電子メールで運賃等を問い合わせすると、500cc以下のオートバイの輸送運賃は1,050米ドル(約14万円)と高い。フェリーへの船積み費用や書類作成費用等を含めると運賃は1,2001,300米ドル(16万円~18万円位)になる。

 

オートバイの輸送料金に加えて、乗客の運賃が別途必要だ。 欧州からオートバイを日本へ海上輸送する費用とあまり変わらない。

韓国から日本へのフェリー運賃については運航会社へ問い合わせしなかったが、韓国から日本までの費用を含めるとウラジオストックから韓国経由日本までの輸送費用は、恐らく欧州から日本への海上輸送費用より高くつくだろう。

 

ロシア・韓国経由の帰国ルートは諦め、英国あるいはスペインから帰国する方針にした。

アンカラまで来てロシア領事館へのビザの問い合わせが不要となった。その為、アンカラは2泊したのみで、その後はアンカラから南下してパムッカレ(Pamukkale)やイズミール(Izumir)方面へ向かうことにした。

(雷雲迫るハシバクタス=Hacibaktasの町)

 

(ハシベクタス=Hacibaktasで投宿したホテル)

(ハイウェイ沿いの穀物貯蔵倉庫。直径約10m、高さ約20mの円形貯蔵庫が18個あった。)

(トルコの建国の父と言われる初代大統領ムスタファ・ケマール・アタチューク=Mustafa Kemal Ataturkの霊廟がある公園からアンカラ市内を見る)

(ムスタファ・ケマール・アタチューク=Mustafa Kemal Ataturk霊廟。卒業式姿の大学生グループが多かった。)

 

以上