イラン ( 中編)シラーズ(Shiraz)~エスタファン(Estafan)を経て首都テヘラン(Tehran) 1,400km (5/9~5/18)
(イランの標高差を表したジオラマ地図。下の走行地図と照らし合わすと内陸の主要都市は標高1,000m以上の高地に位置することが判る。)
(イランの走行地図。赤線は走行ルート。一番左上の赤丸印はアルメニア国境に近いタブリーズ=Tabriz。一番右の赤丸印はパキスタンのダルバンディン=Dalbandin。右側2番目の赤丸印がイラン東部のザヘーダン=Zahedan。地図下の海はアラビア湾。地図上部の海はカスピ海。)
イランビザ(Visa)を置き忘れて往復400kmの走行
シラーズ(Shiraz)でデータ回線が繋がり易いと評判の携帯電話会社イランセル(Iran Cell)のSIMカード
を買うためにイランセル(携帯電話のキャリア)代理店を探したが、なかなか見つからない。
前日投宿していたホステルのオーナーに連れられて2軒のイランセルの代理店を訪問したが、外国人向けの受付はしていないと断られた。
やっと道行く人に教えてもらった代理店へ行くと、システム故障で直に加入出来ないと言われる。諦めて次の投宿地ヤスジ(Yasuj)へ向かった。
翌日Yasujのホテルをチェックアウトする際に、紙に印刷したイランのビザが無いことに気が付いた(*イランビザはパスポート上に直接押してあると、米国等への入国を拒否される可能性があるため、パスポートとは別の紙上にビザを発給する。そしてイラン入国時のイミグレーションではそのビザの紙にイラン入国印を押印する)。
ビザの紙をパスポートに挟んで持っていたはずだったが。
前日シラーズの町でイランセルの携帯電話用SIMカードを買おうとした際にビザの紙を代理店に見せたことを思い出した。
ヤスジのホテルのスタッフにシラーズのイランセルの代理店を探し出してもらった。やはりイランセルの代理店にビザの紙を置き忘れていたことが判った。
前日シラーズから200km走行してヤスジまで来たと言うのに、またシラーズに戻らなければならなくなった。 ビザの紛失よりマシかと思い、ビザを取戻すためシラーズへ戻ることにした。
ヤスジのホテルのスタッフは1時間以上シラーズの複数のイランセルの代理店へ電話してもらい大変有難かった。
また、当方がビザを置き忘れたシラーズの代理店スタッフはインスタグラム(SNSの一つ)で当方を探し出して、当方宛にビザの紙を預かっている旨のメッセージを送付していた。しかしながら、当方はインスタグラムはほとんど使わないため、そのメッセージに気が付かなかった。
イランではSNSの通信手段としてインスタグラムを使う人が多い。
カーナビアプリの位置情報が狂いだす
シラーズはテヘランから700~800km離れている。シラーズでスマホに入れているカーナビアプリの
Maps.Meが動かない。
当方はシラーズいるのに当方の現在位置は数百キロメートル離れた首都テヘランの位置が出てくる。 グーグルマップや他の位置情報アプリでも同じように当方の位置情報はテヘランにいることになっている。
もう一つのスマホでも同様にカーナビアプリが誤った位置を示す。
但しカーナビの位置情報が狂う特定区域から数キロメートル離れると正常に戻る。
6年前ロシアでもエカテンブルグとか戦略都市ではガーミン製のカーナビやMaps.Meの地図アプリが動かなかったことがある。恐らくカーナビ用の衛星シグナルを妨害されているのだろう。
後日テヘランをオートバイで走行中にもある数キロメートルに渡る特定区間ではスマホのMaps.Meのカーナビが作動しなくなった。
写真好きなイラン人
写真を撮るのが好きな人は多いが、個人情報の保護意識が浸透して自らが他人の写真に撮られるのが好きな人は多くない。
しかしイランでは写真を撮るのも、他人に撮られるのも好きな人が多い。シラーズのエラム公園で民族衣装を着た庭園内の歴史的建物の係の女性を写真で撮っていると、その女性の隣に庭園内を訪れていた若い女性が写真の撮影視野に入って来る。 邪魔だなと思っているとその女性は自分の写真を撮ってくれと言う。
庭園内には複数の女子中学生か高校生のグループが制服姿で来園していた。当方が写真を撮っているのに気が付くと女子中高生グループが集団で写真を取ってほしいと当方にアピールする。イスラム教の国々では基本的に女性を写真に撮ることはタブーとされているがイランではそうではないらしい。
女性のみならず、当方がバザールを散策時にも靴屋の職人が<俺の写真を撮っていけ>とか若者の集団が写真のポーズで構えたりと他人の写真に撮られるのが好きだ。
(シラーズのエラム公園で写真撮影をアピールする女子中高生グループ。)
イラン人宅に招待される
エスタファンの宿で知り合った30歳代半ばのイラン人がいた。 テヘラン在住だと言いい、当方がテヘランへ来るなら是非自宅を訪ねてくれと言った。
当方はイラン人がどのように暮らしているか興味もあり、言葉に甘えてテヘランで同氏宅を訪れた。同氏は独身で3人兄弟の長男だった。両親と一緒にテヘラン市内の広いマンションに家族5名で暮らしている。
父親は大学でアラビア語の教授だと言い、同氏自身もテヘランで有名な工科大学のメタル・エンジニアリングの博士課程を終了後、一般企業で職を得ていると言うエリートだ。
同氏の大学院時代の友人も加わり、主に日本の社会や習慣について当方に矢継ぎ早に質問してきた。同氏は海外での留学経験は無いと言うが、流暢な英語を話した。
当日両親はイラン国内を旅行に出かけ不在であったが、母親が作ってくれておいた夕食をご馳走になった。
(テヘランのモーセン・アブディ氏(Mohsen Abdi)=緑色のTシャツを着た男と兄弟及び友人。)
(テヘランのモーセン・アブディ氏宅で夕食をご馳走になる。)
テヘラン証券取引所を訪問
イランに入国するまでイランに証券取引所があることを知らなかった。
イランの株式会社に投資する投資信託等のファンドも聞いたことも無かったし、米国主導の金融制裁を受け対外的な経済活動に制限を課せられているイランに投資機会があることすら知らなかった。
早速テヘラン証券取引所に電子メールで面談を依頼すると、翌日には面談可能な旨の返事を受け取った。
当方が問い合わせしても、返事すらよこさない多くの国々の証券取引所とは段違いのスピードだ。
テヘラン取引所訪問では当方が受付でもたもたしていると伝統的な黒い服をきた女性が2名現れて当方へ流暢な英語で自己紹介と簡単に取引所の説明をしてくれた上、建物上階のミーティングルームへと案内してくれる。
イランは他のアラブ湾岸諸国等のイスラム諸国とは異なり、女性の社会進出が進んでいる。ホテル、銀行、両替商、小売店等旅行者の目がとまる場所には女性が働いている。女性の社会進出は社会の成熟度を測るバロメーターだろう。
テヘラン証券取引所(TSE)には約380社の企業の株式が上場されている。時価総額は85,730兆リアル=約22兆円)と言う。
同証券取引所の他にも店頭取引(OTC)の取引所もあると言う。イラン企業にとって株式を取引所に上場するメリットは資金調達等の他に利益に課せられる税金の軽減目的があると言う。上場すると20%~25%事業利益に課せられる税金が軽減されると言う。
過去3年間のテヘラン証券取引所の代表的なインデックス(指数)TEDPIX(Tehran Dividend & Price Index)のトータルリターンは約350%と高い。現状のインフレ率55%を考慮しても十分利益になるようだ。
株式投資の主役はオンライン投資家だと言う。日々の売買の9割がオンライン経由の注文と言う。アラブ湾岸諸国、パキスタンやアフガニスタンからも投資資金が流入していると言うが、外国人投資家の株式保有率は約4%強と少ない。
上場企業の発行済み株式数の10%未満を保有する非戦略的投資家は投資利益を国外へ持ち出す制限が無いと言う。ただし、10%以上を株式を保有する戦略投資家は2年間株式の売却が出来ない等の制限がさせられている。
上場企業の平均PERは9倍、PBR5倍、配当利回り6%と国際的な水準だが、インフレ率55%ではこれらの投資指標も虚しく映る。
イランは米国主導の経済制裁を課せられているため、経済が上手く言っていないのは誰の目にも明らかだ。高率のインフレは原油の生産量や輸出が思うように伸びず、国家財政が厳しい為だと面談した取引所の調査部の部長が言う。
政治問題が絡むだけに、イランへの米国主導の経済制裁の行方は判らない。ただし、イラン国外には約8百万人イラン系の人々が居住し、イラン本国への援助を惜しまないだろうとイラン経済発展の可能性を同部長は指摘する。
米国主導の経済制裁が解除されない限り海外投資家は投資しづらいだろう。
ただし、当方は現状マーケットでの実勢為替レート(政府発表の公式レートは実勢レートの10倍イランレアルが高い))では、イランリアル(通過)が割安だと感じる。物価がドルや円建てで測ると余りにも安い。東南アジア諸国や南アジアの国々よりも安い。
マーケット実勢レートでは1米ドルあたり約50万レアル(1円当たり約3,700レアル)だ。
(テヘラン証券取引所のビル)
(テヘラン証券取引所の1階吹き抜けはスペースは証券会社ブースがガラス張りの奥に並ぶ。)
(テヘラン証券取引所で面談したリサーチ部長と国際部門の女性スタッフ。)
(テヘラン証券取引所のビルから見たテヘランのビジネス街=市内北部。)
走行ルート(約1,400km)
シラーズShiraz(2泊)~190km~ヤスジYasuj(1泊)~190km~Shiraz(1泊=ビザを忘れたため引返す)~Abadeh経由510km~イスタファンEstafan(3泊)~アブヤネAbyaneh(ピンク色の村)経由~250km~カシャーンKashan(1泊)~280km~首都テヘランTehran(3泊)
(シラーズ=Shiraz~首都テヘラン=Tehranの走行ルート。シラーズは左側一番下の赤丸印。テヘランは左側一番上の赤丸印の位置にある。)
以下走行ルートのコメントを記す
シラーズ(Shiraz)~ヤスジ(Yasuj)~シラーズ(Shiraz) 380km
前述したようにシラーズにビザを置き忘れたため190km離れたヤスジへ入って、そこからシラーズに引返した。
シラーズ~ヤスジの谷間の平野部にはリンゴの果樹園が多かった。また、降雨が少しある山岳地帯もあるため、山の裾には小さな草が生え春の訪れを感じた。 このルートは景色の良いワイディングロードの山岳地帯を通過すると聞いて選んだルートであった。
ヤスジから更に先のイスタファン(Estafan)へ抜ける山岳ルートも景色が良く、オートバイツーリングには最高と聞いていたが、ヤスジからシラーズに引返したため走行できず残念であった。
(シラーズ=Shiraz~ヤスジ=Yasuj間にはリンゴの果樹園が目立った。)
(シラーズ~ヤスジ間の緑の牧場)
(シラーズ~ヤスジ間の山岳地帯の景色)
(ヤスジ=Yasujの中心部の歩道に人の列があるのでのぞき込むとパン屋だった。夕食用の焼き立てパンを買い求めて人々が列を作っていた。)
(ヤスジのパン屋の厨房)
シラーズ(Shiraz)~イスファハン(Estafan)510km
今回のオートバイツーリングの一日の最長距離の走行だった。 本来なら景色の良いワインディングロード
があるヤスジ経由のルートを通りたかったが、時間を優先してハイウェイが整っている主要幹線道路を走行した。
午後になると砂漠が熱せられるためか、台風のような強い西風が吹く。 オートバイを傾けながらの走行だ。
風に負けないように首と肩に力が入る。そのためかイスタファン到着後はいつもより疲れを感じた。
イスファハンでは前泊したシラーズのホステルZiba Traditional Hostelの経営者の兄弟が経営する
Taha Traditional Hostelに投宿した。 旧市街の伝統的家並みがある地区の中庭がある古い家構えの宿だった。当方は木陰がある宿の中庭の椅子に座りお茶をすする生活スタイルすっかり気に入った。
ヤスード(Yazd)、シラーズ(Shiraz)、イスタファン(Estafan)とこの先のカシャーン(Kashan)では旧市街の伝統的な中庭がある家構えの宿に宿泊した。
イスタファンはサファビー朝のアッパーズ大帝が1597年に首都にして以来1795年にテヘランへ首都が移されるまでの約200年間イランの都として栄えた。
当時の栄華を誇るモスクや庭園等のユネスコ世界遺産があり、観光客必見の都市である。 日本で言えば京都のような感じだろう。
(シラーズ~エスタファン=Estafanへのハイウェイ沿いには写真のような禿山が続いていた。)
(エスタファンの有名なMajesed Eman=エマーム・モスク 。ドームの高さは54m。メナーレ(塔)の高さは48mある。1638年完成)
(エスタファンのMajesed Jame=ジャメ・モスク。エマームモスクほどは大きくないが、数世紀にわたる増築はイランの建築様式のパレードだと言われている。)
(エスタファンのエマーム公園では金曜日は友人同士や家族が揃って出かけて芝生でお茶を飲みながらくつろぐ。)
(エスタファンのエマーム公園の北側はバザールの入口門となっている。)
(エスタファンの下町商店街)
(エスタファンの中心街でも古びれて使われていない建物群があった。)
(エスタファンの中心街の歩行者専用道路と専門店街。)
(恵まれない人々への寄付金箱。)
(エスタファンの旧市街はこのような民家の土壁で覆われている。)
(エスタファンで宿泊した宿=Taha Traditional Houseの中庭。強い陽ざしも木陰では涼しく感じる。)
イスファハン(Esfahan)~アバヤネ(Abyaneh)経由~カシャーン(Kashan)250km
ピンク色の壁で統一された家並みがあるというアバヤネ(Abayaneh)の村が観光名所と聞いて訪れた。
主要幹線道路からそれて山道を進んだ谷間の村だった。自然環境の厳しい木も生えない岩山に囲まれた谷間の村だ。ピンク色に統一された家並み以外これと言ったものは無い。 耕作地も殆ど無い谷間の村故、人々はどのように生計をたてているのだろうかと思った。
ハイウェイとは別のエクスプレスウェイという日本の東名高速道路のような自動車専門道路がある。オートバイの通行は禁止されている。 しかしカーナビに誘導されエクスプレスウェイに入ってしまった。
エクスプレスウェイで速度違反を取り締まり中の警察官がいたが、当方へ<行け、行け>の合図をする。
(アバヤーネ=Abyanehへ向かう地方道。)
(アバヤネの村の建物はこのような色で統一されている。)
(アバヤネ村を訪れるイラン人観光客。)
(エクスプレス・ウェイ=高速道路は車が少なかった。オートバイの通行は禁止されている。)
(カシャーン=Kashanで宿泊した旧市街の伝統的な建築様式の宿。)
カシャーン(Kashan)~首都テヘラン(Tehran)280km
カシャーンからエクスプレス・ウェイ(自動車専用道路)に乗り、テヘラン方面へ向かう。 途中エクスプレス・ウェイ上にオートバイ通行禁止の道路標識を見つけるが、無視した。
コム(Qom)の町を通り過ぎてからエクスプレスウェイの右側数キロメートル先に白い湖が見える。塩湖の水が干上がり、ボリビアのウユニ塩湖のようになっているのだろうと思い、エクスプレスウェイから下りて荒野の一本道を抜けて塩湖を見学した。
塩湖に通じる荒野の一本道を土煙を上げながら当方へ向かってくる車がいた。警察の車だった。塩湖周辺は原子力発電所があり立ち入り禁止になっていると言う。(当方はそんな標識は見なかったが)
何もない荒野で当方は見張られていた。警察官は当方を怪しいやつとみて、当方のカメラの撮影データや荷物を調べ始める。20分~30分後に当方は放免となったが、その場所でドローンを飛ばしていたらスパイ容疑で厳しく取り調べられただろう。
テヘランで欧米の外国人旅行者がよく利用するというホステルを最初に2軒訪ねた。 一軒目は満室だった。共同部屋のベット(ドミトリー形式と言う)なら空きベッドがあると言うが、プライバシーが保てないので断った。
二軒目はバスルームが無いベット一つしか置いていない独房のような狭い個室の部屋代は24ユーロ(約4千円)と言う。外国人向けの割高な料金だ。
通常24ユーロ出せば3星クラスのホテルの部屋に泊まれる。 当方は既にイランに3週間滞在しているので、イランの相場観がある。
当方は24ユーロは相場以上の割高な料金と判断して、外国人旅行者にはあまり知られていないホステルを訪ねた。そのホステルの部屋代は11米ドル(約1,500円)だった。
(イランの各町の主要道路沿いには1980年代初頭のイラン・イラク戦争の戦没者の写真を掲げている。)
(カシャーン=Kashan~首都テヘラン=Tehranへ向かうエクスプレス・ウェイ)
(遠くに白い塩湖が見える)
(塩湖に近づくと白く見えない。沖では採掘した塩の塊が見える。)
(塩抗で見つかった3世紀のミイラ。Saltman=塩の男と呼ばれている。テヘラン国立博物館蔵)
以上