チュメニ~エカテリンブルグ~ペルミ~カザン (2017/6/24~6/28 1,391km) | インベストメントライダーふるさんのブログ Investment rider Seiji Furuhashi travelling around the world by motorcycle

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オートバイで世界を駆け回るインベストメントライダーを目指す個人投資家。
オートバイでのユーラシア大陸横断と南北アメリカ大陸縦断、アフリカ大陸とアラビア半島横断、東南アジア・インド・中近東等走行後、2025年4月~9月欧州・中央アジアをツーリング中。

2017年624(土)チュメニ連泊 2日目 休憩と市内散策

チュメニの繁栄ぶりをもう少し見て回ろうとチュメニに2泊することにした。また、ホテルの部屋が広く清潔で朝食もおいしかったことが一泊で離なれるのを惜しい気にさせた。

 

ホテルでもらった市内地図のモデル散策路に沿って歩いてみた。州政府の建物や議会がある市内中心部は土曜とあって静かだ。それに続く店舗ビルやショップがある商業地区を川の方向へ歩いてみた。中心から少しはなれた居住地区には高層マンション群が群立ち並ぶが、市内中心部は4階建てほどの傾斜屋根がある歴史的建物群が保存されて、店舗や飲食店として利用されている。一角にロシア石油大手のルクオイルのビルもある。なるほど石油関連で潤う都市だ。

(チュメニの州政府建物)

(チュメニの中心部。週末の午前中のため人通りはまだ少ない)

(ロシア石油大手のルクオイル社の建物)

(川沿いにきれいな遊歩道と公園があった)

 

この街にも自然博物館兼戦争博物館がある。近くの公園には第二次世界大戦で出陣して犠牲となった20歳前後の学徒の名前を刻んだ石碑と出兵する若い兵士が恋人と別れを惜しむ姿の像が公園に建っている。ロシアは第二次大戦、第一次大戦、ロシア革命、日ロ戦争、露土(トルコ)戦争。ロシア戦役(ナポレオンのロシア侵攻)と100年間平和が続いたことが無いので、70年前のことはまだ記憶に新しいことかもしれない。

(戦争公園の出兵兵士と別れを惜しむ恋人の像)

 

(戦争博物館の武器展示)

(戦争博物館内の第二次世界大戦中のポスター)

(戦争博物館内の対ドイツ戦線の地図)

 

美術館を探していると若い男が声をかけて助けを

差し伸べてきた。通訳ガイドだというアレック君だ。同君

から話を聞くとやはりチュメニは石油関連ビジネスで潤っているという。もっとも石油関連の現場はチュメニ市から500キロほど離れているとのこと。チュメニ市がロシアではビジネスフレンドリーNo.1の表彰を受けたことがあると誇らしげに語った。

 

同君から、また、ロシアには何らかを祝福する日(xxxの日)が一年に370日あるというほど祝い事が好きだと教えてもらう。今日はチュメニ市では「若人の日」で、市内の中心部の公園ではスピーカの音量を最大限に上げて何かを祝っている。街を散策しているのは若者と若い家族ずれが多い。まだ人口年齢が若く先行き有望の都市だ。

 

歩いているとマウンテンバイクでサイクリング楽しむ人を多く見かける。他のロシアの土地では自転車に乗っている人を見かけるのは稀だ。サイクリングを楽しむのは一定以上の所得があり健康志向が高い証でもある。

(自転車競技会参加の子供のサイクリストたち)

 

宿泊しているホテルも名前の通り(Medical Hotel & SPA)健康維持のためのジムと健康維持の医療を備えた宿泊施設だ。レストランのメニューには料理のカロリーも表示されている。以前日本の新聞で日本の高額医療施設(運営ソフトも含む)をロシアへ輸出する記事を読んだ記憶がある。今後ロシアでも健康関連は有望なビジネスだろう。

(投宿した健康志向のホテル)

 

625日(日)チュメニ~エカテリンブルグ 333km

チュメニは晴天なれど気温は20度ぐらい。夏物衣料では少し肌寒く感じられる。Tシャツの上にインナーを外したオールシーズン用のライディングジャケットを着ていたが、オートバイで走り出すと少し寒く感じる。

 

気温が低い時のメリットは何と言っても走行中に虫に当たらなくなること。虫の死骸がヘルメット、ジャケット、ズボン、ブーツと全身にくっ付くと、腐った血の匂いのような生臭い匂いがして、気分が悪くなる。多少寒くても走行中に虫に当たらない方が気分は良い。

 

エカテリンブルグに向けてチュメニの郊外を通ると大型戸建て住宅の分譲地のような場所見える。3階建ての床面積は300m2はあろう。どの家も似たような造りであることから、分譲住宅だろう。屋根の色もカラフルで今までのロシアと違う。チュメニの中心部から20kmも離れていないので、車を使えば20分~30分の距離の通勤圏。やなり石油資源がなせる業だ。

(チュメニ郊外の戸建ての分譲地)

(チュメニ郊外の戸建ての家)

 

チュメニからエカテリンブルグへの幹線道路に並行して高さ30mに育った樹木が帯のように道路南側に植林されている。何のための樹木だろうか?防風林か防雪林か?なぜ道路の南側なのだろうか?防雪林ならシベリアからの北風を防ぐために道路の北側に設置すべきでは思うが、疑問への回答は得ていない。

 

エカテリンブルグへ入る十数キロ手前から雲行が悪くなり、雨が降り出した。路肩が舗装していないため、雨天になると路肩の泥が路面に流れ出る。前方を走る車が跳ね上げる泥水のしぶきで視界が悪くなり、雨より始末が悪い。着用しているレインウェアも泥だらけとなる。

 

エカテリンブルグに到着する頃には雨は一時的にあがったが、気温は低く寒い。市内を歩く人にもフリーツのジャケットや上着を羽織った人が目立つ。夕方(20:00過ぎ)レーニン像が建つ中心部の広場とエカテリンブルグ市庁舎を見学。本日はKFCで買ったフライドチキンとサラダをホテルへ持ち帰り簡単に夕食を済ませる。

(エカテリンブルグの州政府建物)

(エカテリンブルグ中心部)

(エカテリンブルグのレーニン広場とレーニンの像)

(ロシア・ウラル製のオートバイとサイドカー)

 

エカテリンブルグはウラル山脈のちょうど東側に当たり、ユーラシア大陸のヨーロッパとアジアの境目に位置する。約8年前に仕事で訪れたことがあったが、その時の記憶を辿れば、エカテリンブルグ自体はアジアに位置して、エカテリンブルグのちょっと西側(モスクワ寄り)に、ヨーロッパとアジアの境を示すオベリスクが幹線道路沿いにあった。

 

冷戦時代には戦車工場があったところで、機械産業が盛んな都市でもある。エカテリンブルグはロマノフ王朝最後のニコライ二世皇帝家族が赤軍にとらえられて銃殺された場所でもある(銃殺された場所には教会が建つ)。

 

 

626(月)エカテリンブルグ~ペルミ 358km

今にも雨が降り出しそうな曇天で寒い。気温は12度。オートバイライディング時は冬用の装備で臨む。朝からガーミンのカーナビとスマホのカーナビ(Maps.me)が機能しない。ロシアの重要都市ではGPSが機能しないように妨害電波がでているのではないかと疑いたくなる。

 

しばらく市内をバイクで走っているうちにガーミンが何とか機能し始めた。カーナビが無い時の旅人は本当苦労したと思う。

 

エカテリンブルグからウラル山脈を越えるとユーラシア大陸のヨーロッパ地区に入るはずだが、バイクを走らせても山を越えている感じは全くせず、普通の道路を走っているのと変わらない。後で思えば、丘陵地の森林地帯を切通にした道路がたぶん多少標高が高かった地帯だったなかと思う程度である。ウラル山脈越えは期待していたのでちょっとがっかり。

 

ペルミは100万人都市と聞くが、あまり大きい感じはしない。宿泊する小さなホテル(Hotel Tatyana)の駐車場でバイクのチェーンに油をさす手入れをしていると、ホテル横の会社オフィースの社員たちがコーヒーを一緒に飲まないかと誘ってくれる。建設、携帯電話向けの無線IT関連の仕事をしている10名程度のオフィースだ。働いているスタッフは30代から40代前半と若い。

(投宿の宿タチアナ)

当方から「(クリミア半島併合のため)欧米の経済制裁でロシアの景気は悪いと聞くがどうか?」と聞いてみたが、帰ってきた答えは欧米の報道は嘘だと言いたげに「そんなに悪くない」とのことだった。ペルミの産業は何かとも聞いてみた。宇宙航空関係と軍需関連が盛んだと教えてくれた。ペルミ郊外には、ロシアの空軍基地があり、車輪を出してが爆音をたてて低空を飛んでいるミグ戦闘機の姿を頻繁に見た。

(ペルミの州政府建物。 写真左の赤屋根のオフィースビルには空きが目立ていた)

 

(ペルミの中心街)

627日(火) ペルミ~カザン 700km

ペルミからカザンへは最短距離のルートで400km区間が非幹線道路となる全長590kmのルートであり、この最短ルートを通ってカザンへ行くことを予定していた。

 

しかしながら、カーナビ設定では最短ルートを示さず(距離優先の設定になっていなかった)、気が付かないうちに幹線道路のルートを進んでいた。普通の状況であればカーナビが最短距離を示していなことに気が付くのであるが、この時は強い雨が降り始め地図や方位磁石を取り出してルートを検証する余裕が無った。

 

途中にカザンへの道路標識上の距離を見て最短ルートを進んでいないことに気が付く。来た道をまた引き返す気にもなれず、カーナビの指示通り進んで来たらペルミからカザンまでは700kmの長距離になってしまった。

 

ペルミとカザンの間には2時間の時差があり、本来なら12時間以上走行後の20:30頃のホテル到着であったはずだが、2時間の時差のためカザン時間18:30(モスクワと同じ時間帯で日本時間より6時間遅れ)にホテル到着。

 

ペルミを出発後、西のイグラ方向を目指す。丘の上の道が続き見晴らしがよい。また、車の数が少ないためストレスが少なく楽しいツーリング気分に浸れる。

(ペルミからイグラまでの道路)

 

ペルミからイグラまで200kmあるが休憩なしで一気に進む。ポーランドとリトアニアに挟まれた飛び地のロシア領のカリニングラードを目指すロシア人ライダー2人組とガソリンスタンドでのコーヒーブレーク中に少し話す(当方がロシア語能力が乏しいため少しの会話で終わる)。

(ロシア人ライダー達)

 

ロシア人ライダーは日本人の体格では大きすぎて取り回しが難しいホンダのゴールドウィング(1800cc)とBMW R1200GS(1200ccオフロードバイク)の大型バイクを簡単に扱う。この先雨が降るというのに2名ともレインウェアー無しで出発だ。ゴールドウィングのライダーはバイク備え付けのステレオでロシア民謡のポルシカポーレの曲をまき散らして去っていく。トラック野郎ののりだ。

 

イグラから一旦南下した後、西方向のカザンへ通じるM7という幹線道路を通るが、片側車線のみ交互に通行させる区間の道路工事箇所が多くて幹線道路のはずだが通行に時間がかかった。おまけに雨のため大型トラックが跳ね上げる泥水で前方が良く見えない。

 

一日700kmの区間を移動すると天気も変わる。雨の後に晴れ間の区間が100km以上も続き、道行く先の空も晴れ間が広がっているとウェインウェアを脱ぐ。

(カザンに向かう道路)

 

このまま晴れがつづくといいなと期待したいが、夏場の気温の上昇で雷雲が発生し豪雨になりやすい。カザン手前100km地点でガソリン給油中に前方の空が真っ暗になり、数キロ先の空が豪雨で真っ白になっているのが分かる。その雨が一気にガソリンスタンドに迫って数分後には強風を伴った豪雨に飲み込まれる。

 

カザン直前の片側2車線道路で、大型トラックのみが数十台数珠つなぎになり路肩側の一車線を占領している。この先道路が混んでいるかと心配するが、杞憂に終わる。ロシアでは大型トラックの重量を計測する場所が都市の出入り口に設けられている。うっかりトラックの列につかないように注意する必要がある。

 

カザンのような大きな都市内では片側3車線の道路が多い。3車線道路でも混んでいく区間では横4列になり車が走る。3車線道路なら真ん中の車線を走行すべきだ。左折箇所が多いので、一番左(道路中央側)の車線は突然左折のため車が先を塞ぐ。一番右側(路肩側)は右折専用だったり、また、途中で車線が無くなる場合が多い。

(カザンで投宿したTatarstan Hotel)

 

予約したTatarstan Hotelは街のど真ん中に立地する。ホテルの建物を見つけるのは簡単であったが、Maps.meのスマホ地図が無しでは、ホテル駐車場までの最後の数百メートルのこみいった路地を進むのは難しかっただろう。

 

628日(水)カザンの市内観光

 

カザンはタタルスタン共和国(ロシア国内の自治州)の州都であり、イスラム教のタタール人が人口の約半分を占め、ボルガ川にも接する観光資源も豊かな活気ある百万人都市だ。イスラム教徒が多い割にはスカーフ姿の女性は少ない。イスラムの慣れとして女性は人前にでることを控えているかもしれない。

(カザンの中心部)

 

カザンは2連泊として、英語ガイド付きの市内半日ツアー(4時間)に参加することにした。ツアー料金は950ルーブル(約1,800円)観光バスにロシア人ツアー客と一緒にに乗り込む。事前にポケットサイズのレシーバーが手渡され、英語ガイドの声がレシーバーのイヤホンから聞こえる仕組みだ。英語ガイド付きのツアー客は当方を含め3名。二名はインドネシアからの同年配くらいの夫婦。

(ツアーバスの内部からボルガ川を見る)

 

観光バスに乗って市内を英語の説明を聞きながら、ツアーする。バスから降りる場所は3か所のみ。聖母の絵(イコン)が発見された場所として有名教会とモスクが建つクレムリン(城塞)が主な見学スポットだ。

(クレムリン内のモスク)

 

教会では実物の聖母のイコン(絵が)祭壇に掲げられ、まじかに見ることができる。サンクトペテルベルグやモスクワにはカザンの聖母の名に由来したカザン聖堂(教会)があるほどだ。カザンは地球の歩き方でも紹介されていないので、ガイド付きツアーは有益だった。

(マリアのイコン画が保存されているカザン教会)

 

(マリアのイコン画)

 

カザンには欧州最長の川であるボルガ川が流れる。川の東側はフランスのリビエラ海岸に風景が似ていることからリビエラと呼ばれる川沿いのマンション群の新興住宅街がある。お金ができるとこの地区に引っ越すのがステータスシンボルのようだ。

(クレムリンの土手からボルガ川対岸を臨む)

 

(ボルガ川対岸の高級住宅地リビエラ)

 

観光通訳のエリダさんの話では旧市街のアパートの値段は3百万ルーブル(約6百万円)だが、リビエラ地区では住居の価格は2倍以上とのこと。