2017/6/17(土)クラスノヤルスクからケメロボまで(585km)
クラスノヤルスクに2泊だけでは疲れが取れなかったが、先があることなので同地での3泊は断念して7:30頃には出発する。気温は17~18度と少し肌寒いが、日中は暑くなりそうだ。
ガーミンのカーナビが今日の目的のケメロボ市までの道順を当初は示さない。大きな都市の場合、市内を抜け出し幹線道路まで行く道順が分からないと先に進めない。そのため、スマホのMaps.meの地図アプリを頼りに市内から抜け出す。
幹線道路(R255線=シベリアハイウェイ)のところどころで路面アスファルトの張替え工事を行っているが、日本同様、片側車線ずつ工事を行うため、未舗装区間は無い。
途中休憩したCafe(ドライブイン)の駐車場には放し飼いの番犬が3匹いた。オートバイのエンジンをかけると寝そべっていた番犬が起き上がり構える。オートバイで走り出すと、番犬たちが一斉に吠え出してオートバイを追いかける。番犬は全力でオートバイを追いかける様子ではなく、オートバイが駐車場を出るまでの威嚇だ。何故車を追いかけないのか不思議だ。
クラスノヤルスクの西側約100kmにある途中のAchinsk市でオートバイライダーの集会があるとのことで、Achinskに向け道路を走るロシア人ライダーを多少見かける。
途中道路脇にバイクを止め休憩していると、タンデム(二人乗り)の外国ナンバーの小型バイクが通りすぎる。次のガソリンスタンドで小型バイクの二人も止まったたので、挨拶をして話をしてみた。二人は北京からのツーリング中の24歳(男)と22歳(女)の中国人新婚カップルだ。
ヤマハの125ccのバイクで2か月間の休みを利用してローマ(イタリア)を目指しているとのこと。北京から14~15日間で約6,000kmの道を走ってきたとのことで、ドライブインで昼食を共にして筆談も交えて話をした。125ccのオートバイでタンデムとはすごいガッツだ。荷物も満載しているので、ローマまでバイクが無事にもつか他人ごとながら心配だ。
中国人カップルに別れを告げ、ケメロボに向け進んだ。次に休憩したCafe(ドライブイン)で働いている若い女性は髪の毛をスカーフでかくしている。顔立ちもトルコ系だ。Cafeで休憩している客にも白系ロシア人とは明らかに違う顔立ちの中央アジア系あるいはトルコ系の人たちが目につく。中央アジアが近いのか?
ここで休憩後にミスをした。このCafeは道路の反対車線側にあったのに、Cafeからバイクで出るときは反対車線の方に出るべきだったが、気が付かずにそのまま道なりに出てしまった。今まで来た道を戻ってしまった。しばらく走っていても来た道を戻っていることには全く気が付かない。カーナビが横道に入るように指示を出しても、カーナビがまた狂いだしたとしか思わなかった。
休憩したCafeから30km位走っても、向かっているはずのケメロボの標識が出てこないことと太陽の方向が違うのことでミスに気が付く。景色がほとんど変わらないので、反対車線側で休憩する時はこれからは気をつけないといけないと反省。
ケメボロ市内にはいると途中のドライブインで出会った中国人の二人乗りのバイクが先を走っているのを見かけ、追い付く。中国人カップルは宿は決めていないとのこであったので、当方が予約してあったホテルを紹介する。ホテルに到着すると地元のバイク乗りがバイククラブに来て宿泊(無料)することを奨めてくれるが、当方はホテルに予約済みであったので丁重に断る。中国人カップルはバイククラブへ行くことにした。
ケメボロの宿泊はHotel Kuzbassで市内の中心部。宿泊料1,500ルーブルに朝食350ルーブルを付け、さらに外国人登録料150ルーブルの合計2,000(約4千円)。大型ホテルでバスタブが付いている。
6/18(日)ケメボロ市内で休憩
ホテルと街の雰囲気が気に入ったので、ケメボロでは2連泊とすることにした。このホテルのWiFi接続の方法が他の地域のホテルと異なる。PCやスマホからホテルの無料WiFiにアクセスするたびに、携帯電話の番号を入力後、携帯電話会社に電話をしてアクセスの登録を行う必要がある。WiFiのアクセス方法はホテル従業員に教えてもらったが、ロシア語しか通じないホテルであったので、当方が理解するのに時間がかかる。
ケメロボ市について、地球の歩き方では未紹介だが、今まで宿泊したロシアの都市で一番欧州的で落ち着きがある街並みだ。
市の中心部には州政府の建物、議会の建物が広場を中心に威厳を醸し構えている。それに続く街並みは5階建ぐらいに統一され、外壁がきれいにベージュ色で塗られた建物が続く。
街には並木道の花壇が整った広い歩道(プロムナード)がある。歩道に備え付けのベンチで休憩する人、プロムナードを散策する人、落ち着いた雰囲気である。プロムナードの沿いにゴシック様式の大きな劇場(オペラハウス?)が建っている。コンサートホールもあり文化的な雰囲気が漂う。散歩している人もなんとなく洗練されて落ち着きがあるように感じられる。
プロムナードの終点の高台となった河岸には第二次世界大戦の慰霊塔が建ち、灯火がいまだたかれている。その脇には戦争博物館がノスタルジックな音楽を外に流している。
戦争博物館に入ってみた。やなり、第二次世界大戦中の展示品が多い。対日戦線の状況を示す満州の地図も展示されていた。
ナポレオンが率いる仏軍がロシアへ攻め入った時のボロジノの戦い(トルストイの戦争と平和)をモチーフとした人形のチェスが目を引いた。
気温は30度以上で暑い。乾燥しているのであまり汗はかかないが、照りつける太陽で皮膚が痛く感じられる。シベリアだというのにスペインの夏と同じだ。まだ太陽の位置は高いが日中の暑い盛りが過ぎ、人々がやっと動きだした17時頃、早めの夕食のため日本の居酒屋風の地下にある食堂(スタローバヤと呼ぶ)に入った。
8時から23時まで休憩無しで飲み食いできる。食堂では地元の年配の男たちが一杯のみながら話している。カウンター上に小魚の天ぷらが盛られているのを見つけて注文してみる。15cmほどのイワシだ。地元ではMoiva(モイバ)と呼んでいる。内臓を取り除き一匹まるまるごとの天ぷらだ。思った以上においしい。醤油があればもっとおいしいと思ったが、塩で味付けされているので醤油なしでも十分おいしかった。
6/19(月)ケメロボからノボシリビスクまで255km
本日は走行距離が短いため、10時にケメボロのホテルを出発する。気温は25度とすでに暑いため、夏用のライディングズボンを着用。午後には32~34度まで気温が上昇する。いままでより湿度がでてきたため、蒸し暑く感じる。
ロシアでは都市と都市を結ぶ幹線道路の舗装状態は定期的に補修工事でメインテナンスされているが、市内の道路状況は酷い。車輪が通る路面は雪道の轍のように深く削られたり、くぼんだりしたままだ。何十年補修されていないのだろうか? インフラ工事関係は政府の役目となっているので、原油価格が上昇して政府の税収が増加しないと地方でのインフラ整備まで手が回らないようだ。
今までの疲れが取れていないためか、約50kmもバイクで走らないうちに眠くなる。ケメボロでもう一泊すすれば良かったと半分後悔しながらバイクを先に進ませる。
ロシア第三目の大都市であるノボシリビスク(ロシア語で新しいシベリアの町の意味)に近づくと交通量が多くなり、眠気と交通量の多さでツーリングを楽しむ状況では無くなる。
本日の宿は小さなホテルとBooking.comに表示されていたのが気になる。住所を探し当てても、その場所にはホテルらしきものは無くアパート(日本のマンション)があるのみ。後でわかったことだが、このホテルはアパートの一区画を改造して数部屋の小ホテルにしていた。外見上はアパートの一区画になっている。
アパート建物の敷地の周りが高さ3mほどの鉄の柵で囲まれているので、敷地内へ入れない。鉄の柵の上にホテルの小さな標識をやっと見つける。ホテルに電話して、柵のゲートを開くように依頼するとともにアパートの建物入口まで迎えにくるように依頼する。柵のゲートのみ開いたが、どこから建物内にはいたらよいかわからない。アパートでは世帯ごとに建物の中に入る入口が異なるので入口番号分からないとなかなか目的の部屋まで辿り着けない。
Booking.comではホテルと同様にアパートの貸部屋が数多く出ているが、現地の習慣や言葉が分からない外国人にはお薦めできない。外国人がツーリングでホテルを使う場合、場所が分かりやすい、目立つ建物のホテルといったところが重要になる。
雷雨が突然降ってきた。間一髪でホテルにチェックインする。突然の豪雨のため道路が川のように雨水が流れているのが、ホテルの部屋から見えた。雨にぬれずに済んだとホッとする。
6/20(火)ノボシリビスクからオムスクまで633km
ノボシリビスクでは連泊を考えていたが、宿泊したホテルでは空きが無く連泊を断念。630km先のオムスクまで進むことにした。
気温22~23度の爽やかな朝の中ノボシリビスクを後にする。ノボシリビスク市内の朝の渋滞に少し巻き込まれながらも、オムスクへ通じる幹線道路へ入る。
ここの幹線道路の道脇で目立つのが、カメラマークの標識だ。5km~10km間隔で標識が多く建つ。標識から200m先の道脇にカメラと思しき機械が設置されている。制限速度は70kmとなっていたので、カメラマーク手前でスピードを落とすようにしていたが、他の車は一向にスピードを落とさない。カメラが作動していないのだろう。
小休止のため、途中の道路脇でバイクを止めるとどこから来るのだろうと不思議に思うほど蜂やハエの集団がすぐに数十匹寄ってくる。ヘルメットのシールドを外すと顔面が蜂にさされるのではと心配するほどの数だ。道路脇でゆっくり休憩できるような状況ではない。
日本のあぶのような大型のハエはバイク用のライディングズボンの上から刺してきて痛みを感じるほど凶暴だ。ロシアのツーリング経験者からの虫刺され用に「きんかん」を持っていったほうが良いとのアドバイスが有難い。
この区間の幹線道路は森林地帯を通らない。また、畑もあまり見かけない。道路の周りは荒地か牧草地くらいだ。たぶん幹線道路は拠点と拠点を効率よくつなぐため荒地を整備して(盛土して道路を作る)道路を作るのだろう。
オムスクの手前30kmの道路脇で写真撮影のため道路脇でバイクを停車中、乗用車が道路脇に停車して、乗っていた男が腕の入れ墨を見せながら話かけてくる。
こちらは身構えるが、悪そうな人相ではない。入れ墨はロシアのオートバイクラブの紋章(アイアンタイガー)で、「バイククラブで寝泊まりできるので、バイククラブへ来ないか」との誘いであった。当方はホテルをすでに予約してあったので、誘いを丁重に断るが、別れ際「バイクの問題あれば電話してほしい」と名刺まで手渡される親切さ。
ノボシビルスクとオムスクの間には1時間の時差がある。18:00に大型のAmarks Hotel(一泊2,218ルーブル=約4,500円)にチェックインする。ノボシリビスクの時間なら19:00時だ。途中に小休止を入れながら、オムスクまで11時間あまりかかった。
同ホテルの部屋のシャワーは温水が出ないため、シャワー専用に開放された他の部屋でシャワーを浴びる。温水のシャワーがでないのは、昨日今日のことではなく設備を更新していなため恒常化していようだ。