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Re START from 仙台

仙台在住、通信インフラ整備を生業としている人間の、東北人の生活、東日本震災に関するレポートです。


今日、震災後初めて東北新幹線に乗りました。


3.11震災時には、仙台駅新幹線ホームの天井が崩れたようですね。

※朝日新聞

鉄路も断たれた 仙台駅、復旧のめど立たず 2011年3月14日23時15分


ビフォー、そしてアフター!!!


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落ちた屋根は撤去されましたが、パネルの貼ってあったところは、剥き出し状態です。

ただ、一見すると、何事もなかったかのように、震災前の姿を取り戻してます。



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震災前に始動した、某キャリアの新幹線駅対策のプロジェクトも、目出度く再開しまして、

私の担当、福島~岩手のローカル駅、各間のアクセスが容易になってほっとしています。


乗車率は、震災前と変わらないかな、という感じですが、

観光っていう風体の人は、やはり見かけないですね、、。


ローカル駅で、閑散としたホーム内をウロウロして、ロケーションの写真を撮っていると、

ちょっと怪しい人物に見られます(笑)


「地震の影響を調査してるんですか?」


いえいえ、これから、の為の調査です!!!








「ねぇ、ちょっとさぁ、、」


少し、顔をしかめて妻が言いました。


「(同じマンションに住む)○○号のYさんが言ってたんだけどさ、、」


「仮設住宅の申し込みって、

 5世帯以上まとめてじゃないと、受付してくれないんだって」


5世帯???


妻の話によれば、

いつも仲良くしているYさんの親戚が被災して、

今、仮設住宅の申し込みをしているらしいのです。


親戚関係でも、隣人仲間でも、何でも良いらしいのですが、

まとまって申し込みをしないと、受付をしてくれないのだそうです。

何でも、最初は10世帯との話だったそうですが、

それでは、とても難しいということで、

5世帯に緩和されたのだそうです。


緩和といっても、5世帯というのは中々難しいのでは?と思いますが、、。


「一人暮らしのお婆ちゃんとかさぁ、なかなか誘ってもらえない人もいるらしいよ」


「それに、申し込むのに、何箇所かあちこち回って手続きしないとダメなんだって」


「そんなの、足(車とか)が無い人とか大変じゃんねぇ」


と、少し、妻は憤っています。


自治体によって違うのかもしれませんが、色々事情があるようですね。

近所付き合いの乏しかった人は、困っているかもしれません。


・・・・


ところで、先週末、

震災で延期になっていた、妻の親友の結婚式に行ってきました。


式場の建物は、一部破損した壁面がネットで覆われて、被災の影響も感じられましたが、

それぞれの会場室内では、あちこち結婚式が執り行われているようで、盛況でした。



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N君、Yちゃん、結婚おめでとう!!!


結婚すると、色々大変なこともあるれけど、、(笑)


末永くお幸せに!!!


お腹の中の赤ちゃんも、順調にいけば、今年12月ころには誕生するようです。


震災後、長らく求職中だった旦那さんの仕事も、ようやく決まったようです。


なんだか、少し安らいだ一日でした。







この間、久しぶりに、得意先と一緒に、

国分町(こくぶんちょう)に行ってきました。

まぁ、いわゆる夜の繁華街ですね。

仙台の人たちは、略して「ブンチョウ」と呼びます。


3.11震災時は、建物や店舗内の多大な被害に加え、自粛ムードも重なって、

震災後一か月近くは、かなりひっそりとした状況が続いたようです。


国分町通りを歩いていると、昔馴染みのA嬢にばったり出くわし、

曰く、震災の影響を受けた店の修復が、ようやく終わって、

今日からリニューアルオープンで初出勤とのことでした。


彼女は、二ヶ月近くも休職状態だったようで、生活にかなり困っているようでした。


ただ、元気そうな顔を見れて、少しほっとしました。


以前から働いていた女の子も、半数以上が辞めて、故郷に帰っているとのこと。

(国分町には、県外から働きに来ている子が、かなり多いのです)


私は、結婚して以来、国分町に行くことはあまりありません。

話すと、妻に怒られるというせいでもありますが、、(笑)

君子危うきに近寄らず、です、、(爆)


それでも、客先の接待や忘年会なんかで、年に数回は行きます。


馴染の店のB嬢によると、

ここ最近、国分町はとても賑やかで、とても繁盛しているそうです。

なんでも保険会社の人は、全国から応援で仙台に来ているようで、

たくさんご来店いただくのだそうな。


で、みんな口々に、


「やっぱ、被災地にお金を落とさないとねっ!」


と、おっしゃるのだそうです。


「けど、そういう人に限って、延長しないですぐに帰るんだよね、、」

と、愚痴るB嬢。


思わず大笑いしてしまいました。


ただ、お金を落とす行為に、被災地を思う心が、

自分のエゴよりも勝っていれば、なお良いんだけれどなぁと思います。






ここ最近のケータイの躍進ぶりは、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いです。

おかげで、私もなんとか生活できているわけなんですが、

今回の大震災についてだけでなく、

こっちについても、クローズアップしてみたいなと思います。


実は、福島の原発問題に似たような話も、ケータイ業界にはあります。


その話をする前には、

やはり基本的な業界の実態も知ってもらわないといけないと思いますので、

少しずつ記事にしながら、核心に入っていきたいと思います。


ケータイといっても、もう、以前のように通話サービスばかりでなく、

今や、メールなどのように、非音声サービスが主流です。


最近は、非音声サービスに特化したキャリアも出てきてますよね。


こういったサービスをする為の基地局は、どこも同じ仕掛けになっています。


現在、国内でモバイル通信のサービスをしているキャリアで、

自前の基地局設備を保有している会社(つまりMVNO以外で)は、


①NTTドコモ

②KDDI (au)

③ソフトバンク

④イーモバイル

⑤ウィルコム

⑥UQコミニュケーションズ (WiMAX)


の6社です。


ちなみに、私は、このキャリアすべてについて、業務を請け負っています。

もちろん戦略、予算については、各社それぞれですので、

その受注割合は、その都度、変動します。


ただ、すべのキャリアにわたって、仕事をしているというのは、かなり珍しいほうです。


キャリアによっては、業者の棲み分けがきっちりできているところもあるからです。

簡単に言うと、新規参入が難しいキャリアもある、、ということですね。


この6社から、複数の元請会社に、基地局の建設や保全について、業務を発注します。

そして、私はこの下で業務を請け負っています。


ただ、業界的には、こういった仕事の実務をできる会社や、人材は少ないので、

同じキャリアの仕事でも、複数の元請会社を受け持つ下請け業者が、たくさん発生します。


さらに、私の場合は、一次下請けであったり、二次下請けであったりもしますので、

取引先というのは、かなりの数になります。

機密保持については、キャリア間、元請会社間でそれぞれ発生する為、

データの処理、保管については、かなり神経も、費用も使います(笑)


こうやって記事にするのも、かなりドキドキものなんです。


本当に、最近は機密漏えいについては、指導がものすごく厳しいのです。

扱いが、人身事故並みなんですから、、。


関係者各位様、、

PR(啓蒙)活動のつもりですので、何卒、ご理解ください

m(_ _ )m






先日、友人の奥さんの葬式に行ってきてから、

しばらく、少し気持ちが塞いでいました。


訥々と、その状況を語る友人は、

まるで、別世界の話をしているかのようでした。


震災当時、その友人は仕事中で、

地震があったときには、防災無線などの連絡もなく、

津波の危険など思いもしなかったそうです。


隣人の掛け声に、ようやく避難し始めたその頃には、

すぐ近くにある自宅が、飲み込まれていたそうです。


建物によじ登って、とりあえず難を逃れた友人は、

まわりに、たくさん流される人を見たそうです。


「まるで、マネキン人形が大量に流れているみたいでさ」

「大量の魚の死骸が浮いてるようだったよ」


・・・・・


なんだかぼんやりしてしまって、あとは、何を話していたか覚えていません。


子供を助けるために、津波に流された奥さんは、

すっかり変わり果てた姿の為に、

それが奥さんだと判明するのに、相当時間がかかったようです。


それでも、、


「見つかっただけ良かったよ」


と、無表情な顔で、友人は言いました。


最近、週刊誌を読んでいても、少しずつ記事になっているようですが、

思わず顔をしかめてしまうような、悪い出来事もたくさん起きています。


友人、知人などから、漏れ伝わってくるのは、

だいたい、悪い噂話のほうが多かったりします。


有名人や芸能人が慰問に訪れても、

ボランティアの人たちがたくさん来てくれていても、

快く思わない人や、それを悪く言う人もいます。


光差すところ、必ず影ができるように。


ただ、どんな時も、何をするにしても、

人それぞれ、自らの「良心」を拠り所にして行動するだけだ、という信念は、

以前よりも、ずっと確信が持てるようになりました。


人は成長することにこそ、生きている意義があって、

そこに幸福や、充実感があると信じている私は、


「人は乗り越えることでしか、成長しない!!」


カベにぶち当たるたび、いつも心の中で唱えます。








正直、被災地を撮影するのは、

隣人感情としては、かなり気が引ける行為です。


気兼ねなく、被災地の写真を撮るのは、

現地から離れた人や、プロの方でないと難しいのではと思います。


もし、このブログがなければ、

手を合わせて、そのまま立ち去っていただろうと思います。


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いざ写真を撮るとなると、

心の中で、かなり躊躇しながら撮影しているせいか、

持ち帰って、あらためて画像を見てみると

なんか冴えない、わかりにくい写真だなぁと、自分でも思います。


ネットで、「閖上」「供養塔」なんかで検索すると、

ここの画像や動画が、たくさんでてきますので、

良質な画像は、そちらでどうぞ。


例えば、





日和山上からの動画のようですね。


グーグルストリートビュー で、

震災前の姿を見ると、

かなり、臨場感が増すと思います、、。


(住所 : 宮城県名取市閖上4丁目18付近 日和山富士主姫神社)


先日、この丘の上に、

館腰、高舘避難所にいる閖上小中学生が、

ひまわりの種を植えたようです。


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夏が来て、このひまわりが咲くころには、

どこまで復興が進んでいるでしょうか、、。


閖上に住んでいた、前述の後輩ですが、

自らの実家、細君の実家、

そして、最近購入したばかりのマイホームも、

すべて、津波に流されてしまったそうですが、

細君も、3人の子供も、皆無事に避難できたようです。


テレビでもやってましたが、

もともと避難所指定されていた、公民館も、津波で流されたそうですが、

なんとか、閖上小学校に移動、避難したようです。

ただし、小学校も部分的に浸水したようですが、、。


子供たちも、恐ろしい思いをしたのは間違いないでしょう。

これから、強く立ち直ってほしいと、心から思います。


今は、後輩の子供も、閖上小学校(再開しているようですね)に通い始めているようです。


カベは、成長する為の反発材だと、

私は、いつも思っています。






仙台市に来た当初のころ、

名取市に「ユリアゲ」という場所があることは知っていました。

その当時勤めていた会社に、

ユリアゲ(というところ)に住んでいる、と話していた後輩がいたからです。


そのうち、このユリアゲ地区に、

あるキャリアの携帯の基地局を建設することになり、


「お前、ユリアゲ住んでるんだろ?」

「じゃあ、この地区担当しろよ」


と、いうわけで、その当時、

まだ通信業界では、素人同然だったその後輩と、

設置場所の交渉や調査に、

指導がてら、何度も、このユリアゲに足を運びました。

「閖上」という地名漢字を知ったのは、それがきっかけでした。

なんでも、この「閖」という漢字は、江戸時代に伊達藩主の作った造語だとか。


えらく感動してしまって、それから大好きになった場所です。


数年前、今の自宅に引っ越してからは、

夏になると、毎年、家族で、海水浴(閖上浜)や、花火大会(名取夏まつり)で訪れる、

我が家にとっては、とても馴染みの深いところです。


閖上の観光スポット紹介 (もちろん震災前の話です)

http://www.city.natori.miyagi.jp/natori100/map03

なとり百選HPより


ところで、この閖上には、

日和山という、小高い丘のような山?があって、

日和山富士主姫神社という神社があったらしいです。

神社は、津波でさらわれてしまったようですが、

震災後、この山の上に、犠牲者の供養塔が立って、

とても有名なスポットになりました。


テレビで、何回も紹介されてましたね。


いつも良く行っているところなのに、

こんなとこあったっけ?と、ずっと不思議に思っていたんですが、

グーグルマップで、ストリートビューを見ていて、ようやく思い出しました。


震災前なら、見落としていたとしても、全然不思議ではない、ほんとにちっちゃな丘です。


昨日、たまたま近くを通りましたので、少し立ち寄りました。


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震災前、階段には、鳥居や、手すりもあって、

斜面には、鬱蒼と木も生い茂っていたのです。


時間があれば、皆様もぜひグーグル(マップ)ストリートビュー でご覧ください。

(住所 : 宮城県名取市閖上4丁目18付近 日和山富士主姫神社)


震災前の日常風景を、こうして見ていると、

現状を知る私にとっては、

見ているだけで、

とても辛く、切ない気持ちになってきます。


ところで、この日和山ですが、

現地に行ってみると、

震災後、急にクローズアップされた理由が良くわかります。


周りにたくさんあった住宅が、すべて流されて、

丘だけがぽつんと残っているのが、遠くからはっきりとわかります。


そんなに大した高さ(標高6mくらいだそう)じゃないのに、、。


丘の上は、およそ20m半径くらいの平地がありました。


ここに神社が建っていたようですが、、。








少し、紹介をさせてください。

知り合いの会社(仙台市)で、ポスターを販売してます。




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有限会社 ディンディア

http://www.dindia.net/


仙台市太白区にある会社です。

一枚500円です。

ウチの会社にも、たくさん貼ってます。


復興については、

中小企業からの底上げも、とても大事なことです。


先日、協力会社の社長と

忙しいときには、地元の中小企業の間で仕事を回して、

お互いに協力して行こう、と、話しをしました。


建設業やなんかは、相当忙しくなってますが、

第3次産業関係は、かなり悲惨な状態のところが多いようです。


妻の親友の旦那さんは、

震災前に決まっていた、某大手雑貨店の内定を反故にされてしまって、

震災後、ずっと無職状態です。


彼らが、3月中旬に予定していた結婚式(私たち家族も呼ばれていたんですが)も、

式場が被災し、中止、延期となりました。

奥さんが、ご懐妊、というおめでたいニュースも、

震災とともに、不安材料に変わってしまいました。


これから、スタートという時に「震災」という壁が行く手に立ちはだかりました。


旦那さんには、ウチの会社で働く?と声をかけていますが、

自分なりに色々探すということなので、とりあえず見守ってはいますが、、。

もう、かれこれ2ヶ月近く経ちます。


1日も早く、職場が決まるといいですね。








宮城県名取市、仙台空港近辺です。


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道路が本当にきれいになってきました。


それに沿って、真新しい電柱が立ち並びました。


ですが、周りは依然としてそのままです。


こうやって、復興がどんどん進んでいる部分を見ていると、

ああ、すごいなぁと思ったりするのですが、

手つかずになっている部分を見ると、まだまだだなぁ、、と、溜息がでます。


震災からもう二か月以上も経つのに、

手つかずのところが、まだまだたくさんあります。

たくさんというか、、ほとんど?


もちろん、場所にもよりますが、、。


仙台市内は、物資もあり、

ライフラインも完全に戻っているので、

震災前とまったく変わらない状態のように見えます。


けれど、、、


建物損傷が著しく、

いまだに営業再開できずにいるスーパーマーケット。


天井があちこち剥がれたまま、営業再開しているホームセンター。


店舗駐車場にテントを張って、

テント内で、細々と営業再開している電気屋。


別館が、いまだに立ち入り禁止になっている百貨店。


崩落した外壁を修理するために、仮設足場で囲まれたマンション。


瓦が落下した屋根を、土嚢とブルーシートで覆う家屋。


割れてなくなった窓ガラスに、

ビニールシートとガムテープで目隠しして走っている車。


そういうものが、日常風景として、

すっかり馴染んでしまっている自分に、ふと気づきます。


自分たちは、こんな普通に生活してて、いいんだろうか?


時折、そいういう思いがこみ上げます。


夜、自宅のすぐ向こうにある東部自動車道を見つめていると、

その向こう側の世界を思うたび、

少し、やれきれない気分になります。


そうやって、立ち止まって考える余裕すらも、被災した人たちには無いというのに、、。


こんなんじゃ、まだまだダメだなぁ、と、自分に少し呆れます(笑)


本当に、困ったものです、、。







先週末、義母の実家で、今年も田植えがあり、

その手伝いに行っていました。


義母の実家は、薬莱(來)山(やくらいさん)の麓にある、

加美町(かみまち)という、宮城県の北部にある町にあります。


震災後、初めて会うこともあって、

向こうの人たちと、最初は地震の話ばかりでした。


ただ、内陸に位置することもあって、

建物の影響もあまりなく、

また、農家ということもあって、

野菜や米の備蓄は万端で、

ガソリンは、農耕器具のものを流用し、

お風呂は、灯油式で、灯油の備蓄があり、発電機もあるし、で

そんなに不自由はしなかったようです。


こういうとき、農家は強いですね。


こちらには、毎年、仕事の都合がつく限り、

田植えと稲刈りの際には、手伝いに行くようにしています。


別に、頼まれてやっているわけではなく、

いつも米や野菜ををタダで分けてもらってるからというのもありますが、

まぁ、、好きなんですね(笑)


作業が終わった後は、立てなくなるほど、凄く疲れ切っちゃうんですけど、

その後、皆でご馳走を囲んで、飲む酒がこの上なく旨いんです。


ちゃんと生きてるって、実感がするんです。


農作業の真似事で、自己満足しちゃってるだけかもしれませんが、、。


ところで、田植えって、

田植え機でスイスイ、と思うでしょう?

実は、そんな簡単でもないんですよね。


まずは、ビニルハウス内で育てた、

苗のケースの積み込みです。

1ケース、数kgはあります。

1つずつ、専用の棚に積み込んでいきます。


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この後、苗ケースを積んだ、軽トラック、トラクターで、

田んぼの植えたいところ近くまで持っていき、

1ケースごと、専用のパレットに移し替えます。

1つずつ手作業です。


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次に、このパレットを田んぼまで持っていきます。

もちろん人力で、1パレットずつ運びます。


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そして、田植え機にこのパレットを積み込みます。

1ケースずつ、運転者に渡していきます。

くどいですが、あくまで、人力運搬です(笑)


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ここから、ようやく田植え機で苗を植えていきます。


で、下の人は何をしているかというと、

田植え機が通ったあとの荒れた田んぼを均しているんです。

機械が通るあとを、いちいち均していかないとダメなようです。

ぬかるんだ田んぼに足をとられながら、、

見た目以上に、きつい作業です。


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田植え機の運転者も、

こうやって肥料ケースに、肥料を補充していかないといけません。

5分くらいもすると、すぐになくなってしまいます。

肥料の袋は一体20kgあります。かなり重たいです。


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この繰り返しを延々と行います。

田植え機に稲を満載しても、すぐになくなってしまうので、

そのたびに苗ケースからパレットに移し、

田植え機のところまで、狭いあぜ道をヨッコラ、ヨッコラ、と、

苗の補充に、何回も足を運びます。

この運搬作業が、半端無いです。


そして、まだ、あります。


田植え機では、全部植えることが不可能なんです。


角の隅が、機械の大きさの分だけ、どうしても残ってしまうんですね。

ここは手で植えます。


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この角の隅部分を、こちらの人は「シマッコ」と呼んでます。


このシマッコ植えは、なぜか爺ちゃん婆ちゃんの出番です。

若い人がやったら一発で腰を悪くしてしまうから、とのことだそうですが、、。

うーん、、、。


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まだまだ小さく、可愛らしい苗です。

秋までには、まだいろいろと作業があるようですが、、、。


沿岸部、浸水した田んぼ、

被災した農家の人たちのことを思うと、

本当に、胸が痛いですが、


今年もちゃんと実りますように!!!


「がんばれ東北」の思いも込めて!!!




最後まで、長々と閲覧ありがとうございました m(_ _ )m