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普通人の映画体験―虚心な出会い

私という普通の生活人は、ある一本の映画 とたまたま巡り合い、一回性の出会いを生きる。暗がりの中、ひととき何事かをその一本の映画作品と共有する。何事かを胸の内に響かせ、ひとときを終えて、明るい街に出、現実の暮らしに帰っていく…。

2019年8月2日(金)新文芸坐(東京都豊島区東池袋1-43-5 マルハン池袋ビル3F、JR池袋駅東口下車徒歩3分)~企画「映画を通して歴史や社会を考える①あの戦争を忘れない」~で、15:35~ 鑑賞。『軍旗はためく下に』17:40~と2本立て上映。

「野火」

作品データ
英題 Fires on the Plain
製作年 1959年
製作国 日本
配給 大映
上映時間 104分

初公開 1959年11月3日

大岡昇平(1909~88)の同名小説を、和田夏十(1920~83)が脚色し市川崑(1915~2008)がメガホンを取った反戦映画。太平洋戦争末期のフィリピン・レイテ島を舞台に、戦地の極限状況下の、飢餓・疲労・絶望に襲われた日本兵の姿を淡々と生々しく、そして鮮やかに描く。主演の船越英二(1923~2007)が撮影前から断食して飢餓状態の兵士を熱演。第14回(1961年)ロカルノ国際映画祭グランプリ受賞。

ストーリー
1945年、フィリピン戦線のレイテ島。日本軍は山中に追いこまれていた。田村一等兵(船越英二)は結核を患い、部隊を追い出されて野戦病院行きを余儀なくされる。しかし、病院は負傷兵だらけで食料も困窮している最中、入院を拒否される始末。どこにも行く所がない田村は、病院の近くの林の中に入る。そこには、同じような境遇の日本兵たちが集まっていた。彼らは病気で食糧漁(あさ)りに行けなくなって原隊から厄介払いされていたのだ。まだ若い永松(ミッキー・カーチス)や、足を腫(は)らした安田(滝沢修)らと知り合う田村。要領のいい安田は、煙草の葉をふんだんに持っており、煙草と引き換えに食料を手に入れる際に永松を巧く使う。
その後、病院は米軍の空襲で木っ端微塵に吹き飛ばされ、田村たちは散り散りに逃げ去った。数日間水辺で寝起きした田村は、遠くに何か光る物を見つける。教会の十字架だと気づき、危険を承知で村に入るが人の姿はなかった。教会の周囲には、日本兵の遺体が折り重なって放置されている。そこへ海から舟で漕ぎ着けて村人と思われる一組みの男女がやって来た。彼らは小屋に入り床板を外して何か取り出そうとしている。田村が姿を見せると、女が物凄い悲鳴を上げた。現地のフィリピン人にとって、日本兵は既に敵だったのだ。田村は絶叫する女を射殺し、男の方も追いかけたが海へ逃げられてしまう。小屋に戻った田村は、床下で塩を発見し、喜々として入手する。
村を出て程なく山中の芋畠で、田村は3人組の日本兵と出くわした。日本兵には既に退却命令が出ており、集結地のパロンポンを目指しているとのこと。田村は塩を分ける代わりに一緒に連れて行ってもらうことにする。雨季に入った密林の中を、一様に身も心もボロボロになった兵たちが歩き続ける。道中、煙草の葉を売っている永松と再会した田村。足の負傷で動けなくなった安田と行動を共にしていた。安田は米軍に投降するつもりとのこと。二人と別れた田村がオルモック街道付近に辿り着くと、日本兵たちが集まっていた。パロンポンへ行くには、街道を横切らなくてはならない。しかし、街道には米軍の車が走っている。夜を待ち、街道に出た日本兵だったが、潜んでいた米軍の戦車に攻撃され多くが惨めに命を落とす。何とか生き延びた田村は、パロンポン行きも投降も諦め、当てもなく山野をさまよい歩く。
険しい山道、雨季による大雨、横たわる死体…。その中を一人きりで歩き続けた田村は、木の根元に座り込む一人の日本兵と出会う。半ば正気を失っている彼は、「俺が死んだら、ここを食べてもいいよ」と腕を出した。思わず唾を飲み込んだ田村は恐ろしくなり、男の側から逃げ出す。歩いた先には、ポツンと人の手が転がっていた。「俺は食わない」と呟く田村。そこで偶然、永松と再々会し、水と食料を分けてもらう。しかし、栄養失調で弱った田村の歯はもはや固い物を噛めず…。永松は食料について“猿”の干し肉だと説明し、安田の寝床へ田村を連れて行く。
安田と合流した田村は、安田と永松が互いに警戒し合っていることを知る。二人は信頼が地に落ちて、隙を見せれば食われてしまうような殺伐とした関係になっていた。手榴弾を奪われないよう田村に忠告する永松。ところが、ある雨の日、永松が猿を狩りに行っている間、田村の唯一所有する手榴弾が言葉巧みな安田に騙(だま)し取られてしまう。そこへ響いた銃声の方へ田村が走っていくと、永松が人間に向かって発砲していた。永松は人肉を猿の肉と偽っていたのだ。安田が手榴弾を奪ったと知った永松は、安田殺害を決意する。遠くから声をかけると、案の定、安田は手榴弾を投げつけてきた。彼が歩けぬのは、偽装だったのだ。永松と田村が水辺に潜んで安田が現われるのを待つ。二人に、「俺が悪かった」と安田が仲直りを呼びかけてきた。永松の射撃で、安田は倒れた。銃剣を使い、安田の肉の塊を解体し始めた永松。と、何かが田村を押しやり、銃を取らせ、銃口を永松に向けさせた。顔を上げた永松の口元は、“猿の肉”となってしまった安田の血に塗れていた。「待て田村、わかった、よせ!」 銃声とともに、永松はそのまま崩(くず)折れた。
田村は銃を捨て、かなたの“野火(のび)”へ向かってよろよろと歩き始めた。これまで何度か見かけた、遠くに立ち上る黒い煙。地元の農夫たちがトウモロコシの皮を燃やしているらしい…。あの下にはフィリピン人がいる。危険だが、その人間的な映像が彼を惹きつけてやまない。“普通の暮らしをしている人間に会いたい”という一心で歩き続ける…。その時、野火の向こうから銃弾が飛んできた。田村は倒れ、赤子が眠るように大地に伏したまま動かなくなった。すでに、夕焼けがレイテ島の果てしない空を占めていた―。

Full Movie(with English subs) :

2019年8月1日(木)「アップリンク吉祥寺」(東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目5−1 吉祥寺パルコ地下2階、吉祥寺駅北口から徒歩約2分)で、19:00~鑑賞。

exlibris

作品データ
原題 EX LIBRIS - THE NEW YORK PUBLIC LIBRARY
[ex libris(エクス・リブリス)とは、「誰それの蔵書から」という意味のラテン語で、蔵書票ないし書票のこと。英語ではbookplate。]
製作年 2017年
製作国 アメリカ
配給 ミモザフィルムズ/ムヴィオラ
上映時間 205分


「ニューヨーク公共図書館」

第89回アカデミー賞(授賞式:2017年2月26日)名誉賞を受賞したドキュメンタリーの巨匠、フレデリック・ワイズマン(Frederick Wiseman、1930~)が、世界屈指の “知の殿堂”ニューヨーク公共図書館(The New York Public Library、略称:NYPL)の知られざる舞台裏をカメラに収めたドキュメンタリー。世界で最も有名な図書館である一方、市民の生活に密着していることでも知られるNYPL。本作は同館で働く司書やボランティアの活動を通して、単に本を貸し出すだけではない“図書館”の幅広い役割と、それを支える理念と哲学に迫っていく。第74回ベネチア国際映画祭のコンペティション部門で上映され(2017年9月4日)、国際映画批評家連盟賞を受賞。日本では2017年10月6日に山形国際ドキュメンタリー映画祭で『エクス・リブリス ニューヨーク公共図書館』と題して上映された後、邦題を変更して2019年5月18日より岩波ホールにて一般公開された。

ストーリー
ニューヨーク公共図書館(NYPL)は、専門分野に特化した大学院レベルの4つの研究図書館とコミュニティーに密着した88の地域分館からなる複合体である。NYPLの本館〔スティーブン・A・シュワルツマン・ビル〕は、人文社会科学図書館として研究図書館の一つに当たるが、マンハッタンの中心部、5番街と42丁目との交差点に位置し、荘厳なボザール様式建築によって観光名所としても名高い。この世界最大級の「知の殿堂」は、サマセット・モーム(William Somerset Maugham、1874~1965)、ノーマン・メイラー(Norman Mailer、1923~2007)、トム・ウルフ(Tom Wolfe、1930~2018)、アンディ・ウォーホル(Andy Warhol、1928~87)など、多くの作家や芸術家を育ててきた歴史と格式を誇る。また、5000年前から現在までにわたる約6000万点ものコレクションを所蔵しながらも、“敷居の低さ”で世界に冠たる存在であること。使用目的はもとより、社会的地位や国籍などを問われずに、誰もが無料でアクセスできる。数世紀前の貴重な文献を閲覧するのに、大げさな「教授の推薦状」も必要ない。「市民の大学」として世界で最も開かれていると言われるNYPLには、ここでしか見ることができない資料を求めて、海外からも多くの人が訪れる。
映画にはリチャード・ドーキンス博士(Clinton Richard Dawkins、1941~)やエルヴィス・コステロ(Elvis Costello、1954~)やパティ・スミス(Patti Smith、1946~)など著名人も登場するが、カメラは図書館の内側の、観光客が決して立ち入れないSTAFF ONLYの舞台裏を見せていく。図書館の資料や活動に誇りと愛情をもって働く司書やボランティアたちの姿や、何度も繰り返される幹部たちの会議における丁々発止の意見のやり取りは目が離せない。非営利民間団体(NPO)が運営する公共(public)のこの図書館が、いかに予算を確保するのか。いかにしてデジタル革命に適応していくのか。ベストセラーをとるか、残すべき本をとるのか。紙の本か電子本か。ホームレスの問題にいかに向きあうのか、等々。市民の生活に密着したその活動は、「えっ、これが本当に図書館の仕事!?」と、私たちの固定観念を打ち壊し、驚かす。
12週間に及んだ撮影から、この場面の次はこの場面しかないという厳格な選択による神業のような編集により、この図書館が世界で最も有名である“理由”を示すことで、“公立”ならぬ“公共”~「パブリック(public)」~とは何か、ひいてはアメリカ社会を支える民主主義とは何かをも伝える。図書館の未来が重要な意味を持つ、必見の傑作ドキュメンタリーがここに完成した。

▼予告編



私感
私は1999~2000年、ニューヨークに長期滞在した折、ニューヨーク公共図書館を何回か見学した。また、コロンビア大学(Columbia University)やニューヨーク大学(New York University)の大学図書館にも足を運びながら、つくづく思ったものだった。
一般公衆に対して開かれたという「公共」publicの視点に立つとき、アメリカの図書館と日本のそれでは、どうして、こうも違うのか。同じ図書館とはいえ、まるで月とスッポン!
この国では、“公共”図書館の存在意義がいまだ確立されてはいない。中央集権が強い「親方日の丸」の日本国に、無名の市民の才能を芽吹かせるための確固たる図書館政策は期待しうべくもない―。
私たち日本人一人ひとりは今こそ、図書館の役割を再定義し~図書館は単なる「無料貸本屋」ではない!~、公共図書館が持つ可能性の大きさを再認識すべきである。そして今後ますます、公共図書館の充実に積極的に精一杯努めなければならない。
《公共図書館》は、眠れる人材を支援し、それを社会に還元するためのシステム、市民のための「知のインフラ」である。市民一人ひとりが持つ潜在能力を引き出し、社会を活性化させる極めて重要な装置にほかならない。
「…公共図書館の充実は、(1)組織の後ろ盾をもたない市民の調査能力を高める、(2)新規事業の誕生を促し、経済活動を活性化させる、(3)文化・芸術関連の新しい才能を育てる、(4)多様な視点から物事を捉え、新たな価値を生みだす、(5)コンピュータを使いこなす能力をはじめ市民の情報活用能力を強化する、といった効果をもたらすであろう。」(菅谷明子『未来をつくる図書館ーニューヨークからの報告ー』岩波新書、2003年、23頁)

クリップ cf. 2019年5月25日付『朝日新聞』朝刊1面のコラム「天声人語」 :
「ニューヨーク公共図書館 」天声人語
2019年8月1日(木)「アップリンク吉祥寺」(東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目5−1 吉祥寺パルコ地下2階、吉祥寺駅北口から徒歩約2分)で、16:15~鑑賞。

「パリ、嘘つきな恋」

作品データ
原題 Tout le monde debout(「皆さん、立って!」)
独題 Liebe bringt alles ins Rollen
英題 Rolling to you
製作年 2018年
製作国 フランス
配給 松竹
上映時間 107分


Liebe bringt alles ins Rollen 「パリ、嘘つきな恋」

人気コメディアンのフランク・デュボスクが主演に加えて初監督も務め、本国フランスで大ヒットした大人のラブ・コメディー。ふとしたイタズラ心から車椅子生活のフリをした中年プレイボーイが、本物の車椅子生活を送る女性と出会い、引っ込みのつかないまま本気の恋に落ちていく様を描く。デュボスク演じる「嘘つき男」ジョスランの恋のお相手フロランスを演じたのは、『グレート デイズ! 夢に挑んだ父と子』のアレクサンドラ・ラミー。「愛をもって相手を見れば、差異に対する偏見は消えることを伝えたい」という監督の言葉通り、差別や偏見といったテーマを内包しながらも、観た人誰もが軽やかで幸せな気持ちになれる物語が誕生した。

ストーリー
ジョスラン(フランク・デュボスク)は、パリの大手シューズ代理店で働く50歳間近のビジネスマン。イケメンでお金持ちの彼は女性にモテるが、恋愛に求めるのは一時的な楽しさだけ、という軽薄な男。ある日、ひょんなことからジョスランが車椅子に座っていると、偶然美しい女性ジュリー(キャロライン・アングラード)と遭遇。彼女の気を引くために「自分は車椅子生活だ」と、とっさに嘘をついてしまう。すっかり信じたジュリーが彼に紹介したのが、姉のフロランス(アレクサンドラ・ラミー)。フロランスは以前事故に遭い車椅子生活を送りながらも、バイオリニストとして世界中を飛び回る、快活でユーモア溢れる魅力的な女性だった。親友マックス(ジェラール・ダルモン)には「興味ない」と言いつつも、ジョスランはフロランスが出場する車椅子テニスの試合を観戦したり、彼女の演奏を聴きに、わざわざチェコ・プラハのコンサートホールを訪れたりする。そして、会うたびに新しい一面を見せてくれるフロランスに、本気で恋に落ちる。二人はデートを重ね距離を縮めていくが、ジョスランはまだ本当のことを言えずに、車椅子に乗ったままだった。そんな時、ついに妹ジュリーに車椅子の嘘がばれてしまう!「48時間以内にフロランスに本当のことを言わないと、ただじゃ済まさない」と言われたジョスランは、マックスや秘書のマリー(エルザ・ジルベルスタイン)を巻き込んで、嘘を切り抜けるために奇想天外な計画を立てる。一方、実はフロランスにも彼に隠し事があるようで…? 果たして、トンデモナイ嘘から始まった恋の行方は!?

予告編→Trailer (English subs)




私感
素敵なロマンティック・コメディーであり、人間賛歌の物語でもある―。

女たらしの嘘つき男と障害を持つ車椅子の美女の関係性が、私を強く惹き付ける!
“愛”⇒“希望”こそが二人の間の差異を消し去り、境界を壊すという前向きなメッセージに、私はまともに感動する!
望めば、私たちはみんな立ち上がることができる。闘え、自分で方法を身につけろ!
2019年7月30日(火)ポレポレ東中野(東京都中野区東中野4-4-1 ポレポレ坐ビル地下、JR東中野駅西口北側出口より徒歩1分)で、20:00~鑑賞。

「劇映画 沖縄」

作品データ
製作年 1969年
製作国 日本
上映時間 195分(第1部75分/第2部120分)

劇場初公開:1970年5月26日

戦後の本土復帰前の沖縄を舞台に、米軍に土地を接収されたうえ、基地で働かざるをえなくなった民衆の苦悩と闘いを描いたモノクロ長編劇映画(2部構成)。第1部では土地を奪われた農民たちの怒りと闘いが、第2部では基地労働者や教育労働者の“民族の自覚に燃えた怒り”がダイナミックに描かれる。全編を通じ、沖縄の即時無条件全面返還の闘いを描いている。当時無名だった地井武男(1942~2012)の初主演映画。監督は『ドレイ工場』の武田敦。山本薩夫ら社会派の名匠が製作に参加した。
実際に返還前の沖縄でロケを敢行し、アメリカ空軍の爆撃機「B52」を初めて記録した日本映画とも言われる。当初は劇場ではなくホール上映を中心に上映運動され、全国津々浦々を巡回上映していく中で、国内での沖縄復帰運動の高まりに一役買った重要な作品である。製作から50周年というタイミング、辺野古基地建設への問題提起もあり、2019年6月22日から東京・ポレポレ東中野にてリバイバル上映が決定した。

ストーリー
〈第一部「一坪たりともわたすまい」〉 :
1955(昭和30)年。「ウチナーンチュ(沖縄人)のものを盗めば泥棒だが、アメリカーナのものを盗むのは戦果だ」。これがアメリカに代々の土地を奪われた島袋三郎(地井武男)独自の生活哲学だった。三郎は仲間の池原清(石津康彦)と、基地周辺の米軍物資を物色中、黒人とのハーフ・玉那覇亘(トニー和田)とその姉・朋子(佐々木愛)を知った。
アメリカの基地拡張は急ピッチであった。平川部落の強制接収は、威嚇射撃で始まった。「平川土地を守る会」の古堅秀定(中村翫右衛門)は、米軍将校に銃を突きつけられ、契約書にサインを強要されるが断固として拒否した。「会」の一行は、琉球政府の前で三線(さんしん)を弾き、窮状を訴えて座り続ける。
演習が始まった。三郎と清は演習場での不発弾拾いを始める。朋子と亘も小さな薬莢を拾い集める。ある日、朋子の祖母カマド(飯田蝶子)は、自分の畠で戦闘機の機関銃で胸を打ち抜かれて死んだ。しかし、あたかも軍用地で死んだかのように見せかけられ、何の補償もなかった。
カマドの葬式の日、朋子は「お婆はお爺のところへ連れていく」と言い張った。祖父の墓は、軍用地の中にあった。朋子は米軍に取り入って資産を殖やす山城宗昭(加藤嘉)の制止を振り切って、軍用地内の墓に向かう。三郎たちがそれに加勢し、一同は葬列を組む。カマドの葬列が白旗の幟(のぼり)を立てながらゲートを突破し、抗議の列となって進んでいった―。

〈第二部「怒りの島」〉 :
それから10年。三郎は父親の完道(陶隆)と共に米軍基地で働き、朋子はドル買い密貿易に関わり、そして亘は軍用トラックの運転手を務めていた。ある日、三郎と朋子は米軍曹長より、模擬爆弾や薬莢の換金を頼まれた。朋子はここぞとばかり買い叩き、その度胸は三郎を驚かせた。やがて完道が足に負傷してクビになった。
ベトナム戦争に喘(あえ)ぐアメリカは、沖縄を基地にB52を出撃させていた。戦争が激化する中で、基地労働者の労働条件は厳しさを増した。働く者の権利を守り、ベトナム人民支援の闘いに組合はストライキを準備していた。
アメリカはパスの取りあげ、団結小屋の焼き打ち、逮捕、買収、脅しと、あらゆる手練手管で彼らの威信にかけてもスト中止に躍起になっていた。三郎は米兵に拉致され、朋子は山城の企みで逮捕され、亘も解雇された。
ある日、亘が米軍のトラックに跳ねられ即死した。亘をひき殺した犯人を処罰せよ」の声が広がっていく。軍事法廷に沖縄人として初めて証人台にたった山城の息子で、教師の朝憲(岩崎信忠)は「アメリ力民主主義のウソ」を糾弾したが、陪審員たちは犯人の無罪を決めた。ストライキ態勢はこうした緊迫の中で着々と固められていく。
沖縄の全基地がシーンと静まりかえつた朝が来た。ストライキが決行され、基地労働者たちはベトナム出動の米軍機の心臓を止めたのだった―。

本作ラストシーン - YouTube
2019年7月30日(火)ポレポレ東中野(東京都中野区東中野4-4-1 ポレポレ坐ビル地下、JR東中野駅西口北側出口より徒歩1分)で、18:00~鑑賞。

「作兵衛さんと日本を掘る」

作品データ
製作年 2018年
製作国 日本
配給 オフィス熊谷
上映時間 111分

劇場公開日 2019年5月25日

2011年に日本初のユネスコ“世界記憶遺産”となった「山本作兵衛コレクション」を軸に、炭鉱(ヤマ)に生きた人々の人生を辿るとともに、この日本という国の近現代史を見つめるドキュメンタリー。筑豊に生まれ育った生粋の炭坑夫で、炭坑絵師である山本作兵衛(やまもと・さくべえ、1892~1984)。彼の遺した絵と日記の背後にある深く大きなものを伝えるために、『三池 終わらない炭鉱(やま)の物語』の熊谷博子監督がまる7年もかけて本作を完成させる。朗読を元NHKアナウンンサーの青木裕子、ナレーションを元フジテレビアナウンサーの山川建夫が務める。

ストーリー
2011年5月25日、名もなき炭坑夫の描いた記録画と記録文書697点が、日本初のユネスコ「世界記憶遺産(Memory of the World:MoW)」※に選定された。暗く熱い地の底で、褌(ふんどし)一丁で鶴嘴(つるはし)を振るい石炭を掘り出す男と、上半身裸で這いつくばって重いスラ(石炭籠)を曳く女…。命がけの最も過酷な労働で、この国と私たちの生活を支えた人々の生々しく緊張感に満ちた姿がそこにある。

作者の山本作兵衛は、1892(明治25)年、川船船頭の次男として福岡県嘉麻郡笠松村鶴三緒(現・飯塚市)に生まれた。彼は船頭稼業に見切りをつけた父親が炭鉱に職を求めるのに伴われ、「唐津下罪人のスラ曳く姿 江戸の絵かきも描きゃきらぬ」と歌われた地下労働の世界に足を踏み入れる。石炭輸送はそれまで遠賀川やその支流を行き交う川船(川ひらた)が担ってきたが、鉄道の開通と延伸の前に、速さも輸送量も劣る川船では太刀打ちできないのだった。
当時、中小炭鉱における採炭や運搬は、まだ人力が主な時代である。一つの切羽(きりは)は炭を掘る先山(さきやま)とそれを運び出す後山(あとやま)の二人で受け持ち、後山の多くは妻や妹など女性が務めていた。作兵衛の母も後山として働いたが、彼自身も7歳の頃には幼い弟の子守りとして坑内に入っていた。作兵衛の遺した、「七ッ八ッからカンテラ提げて…」という歌が添えられた「母子入坑」の絵は彼自身の自画像でもある。
こうした生活であれば当然、学校へ通うのもままならず、出席日数不足のため通常4年間の尋常小学校を5年かかって卒業、次いで入学した高等小学校も80日間通っただけ。しかし、幼い頃から絵が好きだった作兵衛は、高等小学校の写生の時間に皆の前で絵の出来栄えを褒められたこともあって嬉しかったと振り返っている。
その後12歳で鍛冶屋の見習いに入り、14歳からは後山として坑内でスラを曳いた。さらに17歳からは先山として兄と共に家計を支え、徴兵検査(難聴で兵役免除)や鉄道工場勤め、八幡製鉄所の鍛冶工を経て23歳で再び筑豊・炭鉱に戻った。鉄道工場の頃には仕事を終えると、下宿の漢和辞典を借りてノートに書き写した。満足に学校に行けなかった悔しさを埋め合わせるかのように。そうした人知れぬ努力で獲得した文字や知識、さらには天性の観察力と好奇心が、民衆の中の記録者を形作っていくことになる。
大正から昭和、そして日中戦争、対米英戦争へと軍靴の音が高まるにつれ、炭坑夫は「石炭戦士」と持ち上げられるが、作兵衛が遺した日記には「貧乏の花盛り」「今年もまた貧乏で年が暮れる」といった字句があちこちに見られ、実際の生活の苦しさが窺える。
青年期以降は絵など描く余裕もなく、ただひたすらに働いてきた作兵衛が再び筆を握ることができたのは60代半ば。閉山で解雇された炭鉱事務所の「夜警」仕事に就いてからで、きっかけは「長男が戦死した淋しさを紛らわすため」だという。初期の頃はスケッチブックに墨一色で描かれていたが、その資料的価値に注目した人の勧めもあって彩色画を描くようになった。また絵の題材も炭鉱の仕事と生活にとどまらず、古老の言い伝えや講談を元にしたものもあれば、米騒動など地域を揺るがした事件から子供の遊び、ヤマを訪れる物売りや風俗など次々に広がっていく。専門的な絵の教育とは全く無縁だったが、ぐんぐん記憶の鉱脈を掘り進む老坑夫・作兵衛は、「昔の仕事や生活を、子や孫に残しておきたかった」という思いで、2000枚を超すといわれる絵を遺した。

「山本作兵衛コレクション」がユネスコのMoWに選定されたのは、奇しくも、東日本大震災(3.11)と福島原発事故から2か月半のこと。炭鉱も原発も同じエネルギー産業で、末端の労働の構造は変わらない。国策でもある。日本全国で炭鉱が次々閉山していくのと原発建設が加速していくのは、軌を一にしている。筑豊では、棄民化した炭鉱労働者の多くが原発労働者となっていった。
来年は東京オリンピックである。前回は1964年。首都圏はオリンピック景気に沸いた。しかし同じ頃、筑豊では雪崩のように閉山が相次ぎ、おびただしい数の失業者で溢れた。

遠賀川の流域に広がる筑豊炭田では、明治に入ってから八幡製鉄所の設立などを背景に、財閥企業や地元の大手資本が進出し、急速に開発が進んだ。その規模は大手炭鉱から作兵衛の描いた中小ヤマまで様々。出炭量の年間最高は、1940年で約2000万トン。炭鉱数の最多は、1957年で約280。しかし、同時期の50年代後半に始まる石炭から石油へという「エネルギー革命」の中、国策により筑豊の炭鉱は次々と閉山、1976年の貝島炭鉱閉山で全てのヤマが消えた。

石油から原子力への転換を夢みた現代日本国家の政策は、何を変えたのか。「令和(Reiwa)」における外国人労働者の受け入れは、何を継ぐのか。

作兵衛は晩年の自伝で、次のような言葉を記している。「けっきょく、変わったのは、ほんの表面だけであって、底のほうは少しも変わらなかったのではないでしょうか。日本の炭鉱はそのまま日本という国の縮図のように思われて、胸がいっぱいになります」。彼は「平成(Heisei)」の世を見ることなく、老衰により惜しまれつつ1984年、92歳で逝去。

作兵衛が見続けた“底”は今も変わらず、私たちの足元に横たわる…。彼をめぐる人々が語る、今につながる炭鉱の意味。彼が描いたのは、過去と現在を結び、未来へ突き抜ける坑道であった―。

ユネスコ(UNESCO)が所管する三大遺産事業には、「世界遺産」“World Heritage Site”|「無形文化遺産」 “Intangible Cultural Heritage”|「世界の記憶(世界記憶遺産)」 “MoW:Memory of the World”がある。
“世界遺産”は、世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約(略称「世界遺産条約」、1972年ユネスコ総会で採択、75年発効)に基づき、「顕著な普遍的価値」のある人類共通の財産として登録、保護される遺跡、景観、自然など、移動が不可能な有形の不動産のこと。文化遺産、自然遺産、複合遺産の3種がある。
“無形文化遺産”は、無形文化遺産の保護に関する条約(略称「無形文化遺産保護条約」、2003年ユネスコ総会で採択、06年発効)に基づき、登録、保護される各国の芸能や祭礼、伝統工芸技術などの無形文化財のこと。[参照:「無形文化遺産とは、慣習、描写、表現、知識及び技術並びにそれらに関連する器具、物品、加工品及び文化的空間であって、社会、集団及び場合によっては個人が自己の文化遺産の一部として認めるものをいう」(同条約第2条)]

“世界の記憶(MoW)”は、世界において歴史的に重要な“記録遺産”~劣化・消滅の危機に瀕した、文書・絵画・音楽・映画・写真などの歴史的記録物(可動文化財)~を保全し、広く公開することを目的に、1992年に創設された。それは、同じユネスコの遺産事業とはいえ、世界遺産、無形文化遺産とは異なり、「条約」のないプロジェクトであり、条約がないので締約国も存在せず、各国政府の推薦がなくてもよいことになっている。1993年から隔年で、国際諮問委員会(IAC:International Advisory Committee)~ユネスコ事務局長が任命する委員14名による構成~が開催され、97年から書類審査による物件の選定が始まった。
2018年12月現在、MoWの登録は、世界初の印刷聖書であるグーテンベルク聖書(2001年選定)、ベートーベン「交響曲第九」の自筆楽譜(2001年)、フランスの「人権宣言」原本(2003年)、オランダの『アンネの日記』原テキスト(2009年)、『共産党宣言』の原稿と『資本論』第1部のカール・マルクスの個人注釈入りのコピー(2013年)など427件。


▼予告編



▼ cf. NHKクローズアップ現代「炭坑(ヤマ)が“世界の記憶”になった」(2011年7月28日午後7時30分~) :



▼ cf. 『坑道の記憶~炭坑絵師・山本作兵衛~』(制作・配給:RKB毎日放送、上映時間:72分、公開:2014年7月5日)予告編 :
[同作は、学者でもなく小説家でもない一人の炭坑夫・山本作兵衛の絵や文がなぜ国境を越え「世界の記憶(MoW)」~世界に向けて大きな歴史的意義を持つ作品群(民が民に遺した民宝)~となり得たのかを描くドキュメンタリー。]
「ベルリン・アレクサンダー広場」 (2)

作品データ
原題 Berlin Alexanderplatz
製作年 1980年
製作国 西ドイツ/イタリア
配給 アイ・ヴィー・シー
上映時間 898分(全14 話・約15 時間)


「ニュー・ジャーマン・シネマ」の旗手ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー(Rainer Werner Fassbinder、1945~82)が、生涯の書として認めるアルフレート・デーブリーン(Alfred Döblin、1878~1957)の大著“Berlin Alexanderplatz”(1929)(早崎守俊訳『ベルリン・アレクサンダー広場』河出書房新社、1971年〈初版〉、2012年〈復刻新版〉)を原作にした、最大かつ最高の集大成的傑作。1979年から80年にかけてTVドラマシリーズとして発表された本作は14部で構成されている。
第一次大戦敗戦の痛手で社会も人々の心も不安定を極めていた。失業者は日々増加し、犯罪が横行した。議会政治は骨抜きとなり、巷ではナチスと共産主義者の対立も激しさを増していた。その半面、ベルリンはヨーロッパ有数の大都市(メトロポール)として爛熟した文化が花開いた。そんな激動の時代を一人の“普通”になりたかった男、フランツ・ビーバーコフ(Franz Biberkopf)が辿る受難に満ちた物語である。キャスト:ギュンター・ランプレヒト、ハンナ・シグラ、バルバラ・スコヴァ、ゴットフリート・ヨーン、エリーザベト・トリッセナーほか。
日本ではファスビンダー没後20年となる2002年10月26日に劇場初公開され、13年にデジタルリマスターでリバイバル。全14話を日替わりで上映。

クリップ 【監督】ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
1945年5月31日、バート・ヴェーリスホーフェン生まれ。1967年に劇団「アクション・テアター」に参加。同劇団解散後の1968年、仲間とともに劇団「アンチテアター」を設立。劇団メンバーとの挑発的かつ実験的な長編映画制作を始める。1978年に発表した『マリア・ブラウンの結婚』により、ニュー・ジャーマン・シネマを代表する監督として世界的に認知される。1980年、念願の企画『ベルリン・アレクサンダー広場』映画化を実現。『リリー・マルレーン』(1981年)、『ケレル』(1982年)では国際的スターを起用した大作映画を撮り上げる。ドイツ映画の未来を託される稀有な存在となった矢先の1982年6月10日、37歳で急死。彼の映画は女性の抑圧、同性愛、ユダヤ人差別、テロリズムなどスキャンダラスなテーマを扱うものが多く、常に激しい議論を巻き起こした。遺された45本の監督作品は、没後三十余年を経過した今も多くの問題を提起し続けている。
cf. 本ブログ〈March 03, 2019〉 本ブログ〈March 05, 2019〉
 
クリップ 【原作】アルフレート・デーブリーン
1878年8月10日、シュテッティンのユダヤ人一家に生まれる。大学で医学を修め、精神科医となるが、一方で作家として執筆活動も行なう。表現主義や社会主義に傾倒した時期もあり、またブレヒトとも親交を持つ。1929年に発表した長編小説『ベルリン・アレクサンダー広場』は「ドイツ散文の傑作」と評され、彼を人気作家に押し上げた。1933年、ナチスが政権を掌握しパリに亡命、さらにアメリカへと逃れる。終戦とともにヨーロッパに戻り、フランス占領軍政府の文学監督官としてドイツのバーデン=バーデンに駐留。戦後ドイツ社会の実情に落胆し、一旦パリに戻った後、50年代半ばよりドイツの病院や療養所を転々とする。1957年6月26日、78歳で死去。彼の代表作『ベルリン・アレクサンダー広場』は、ナチス時代へと傾いていく不穏な時代の社会の病理を克明に記述しているだけでなく、爛熟した文化を生み出した大都市ベルリンの魅惑的な風俗をも余すところなく伝えている。

クリップ <全14話タイトル> :
第1話 [プロローグ]処罰が始まる(DIE STRAFE BEGINNT/82分)
第2話 死にたくなければどう生きるか(WIE SOLL MAN LEBEN,WENN MAN NICHT STERBEN WILL/59分)
第3話 脳天の一撃は心をも傷つける(EIN HAMMER AUF DEN KOPF KANN DIE SEELE VERLETZEN/59分)
第4話 静寂の奥底にいる一握りの人間たち(EINE HANDVOLL MENSCHEN IN DER TIEFE DER STILLE/59分)
第5話 神様の力を持った刈り手(EIN SCHNITTER MIT DER GEWALT VOM LIEBEN GOTT/59分)
第6話 愛、それはいつも高くつく(EINE LIEBE, DAS KOSTET IMMER VIEL/58分)
第7話 覚えておけ―誓いは切断可能(MERKE – EINEN SCHWUR KANN MAN AMPUTIEREN/58分)
第8話 太陽は肌を暖めるが時に火傷を負わす(DIE SONNE WÄRMT DIE HAUT,DIE SIE MANCHMAL VERBRENNT/58分)
第9話 多数派と少数派の間の永遠の隔たり(VON DEN EWIGKEITEN ZWISCHEN DEN VIELEN UND DEN WENIGEN/58分)
第10話 孤独は壁にも狂気の裂け目を入れる(EINSAMKEIT REIßT AUCH IN MAUERN RISSE DES IRRSINNS/59分)
第11話 知は力 早起きは三文の得(WISSEN IST MACHT UND MORGENSTUND HAT GOLD IM MUND/59分)
第12話 蛇の心の中にいる蛇(DIE SCHLANGE IN DER SEELE DER SCHLANGE/59分)
第13話 外側と内側、そして秘密に対する不安の秘密(DAS ÄUßERE UND DAS INNERE UND DAS GEHEIMNIS DER ANGST VOR DEM GEHEIMNIS/59分)
第14話 [エピローグ]ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー:フランツ・ビーバーコップの夢についての私の夢(Rainer Werner Fassbinder:Mein Traum vom Traum des Franz Biberkopf/112分)

クリップ 「アップリンク吉祥寺」(東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目5−1 吉祥寺パルコ地下2階、吉祥寺駅北口から徒歩約2分)で、
第1話―2019年7月19日(金)18:00~鑑賞。
第2、3話―同日20:30~鑑賞。
第4、5、6話―7月23日(火)19:30~鑑賞。
第7、8、9話―7月24日(水)19:30~鑑賞。
第10、11、12話―7月25日(木)19:30~鑑賞。
第13、14話―7月26日(金)19:30~鑑賞。

「ベルリン・アレクサンダー広場」 (1)

ストーリー
1920年代末ドイツのベルリン。物語はベルリンの下層労働者フランツ・ビーバーコフ(ギュンター・ランプレヒト)を主人公として進められる。恋人イーダ(バーバラ・ヴァレンティン)を過失で撲殺して4年服役した後、これからは真面目に生き直そうと誓ったフランツ。しかし、失業者が溢れかえる社会で街頭販売に手を出すが思うに任せず、そして靴紐の訪問販売を始めても、同僚に裏切られて失望し、酒に溺れてしまう。その後体勢を立て直し、ラインホルト(ゴットフリート・ヨーン)という若い男と知り合い彼の仕事を手伝うが、それと知らずに手伝ったのは窃盗団の仕事であった。しかも、逃走の車中でラインホルトの反感を買ったフランツは、車から突き落とされて右腕を切断する破目に陥る。療養が済んでからは娼婦ミーツェ(バルバラ・スコヴァ)と生活をはじめ、ラインホルトを尋ねて窃盗団に入り直す。しかし、フランツは又しても裏切られる。ラインホルトがミーツェをかどわかそうとして結果彼女を殺害、フランツはその共犯にされてしまう。フランツは警察に捕らえられて精神病院に入院、そこでの内省を経て退院、今度は工場の守衛助手の仕事に就く―。

アップ ダウン
第1話(プロローグ) :
フランツ・ビーバーコフは恋人イーダ殺害の罪でテーゲル刑務所に服役していた。出所した彼は、大都市ベルリンの中で行き場を失う…。
第2話
「まっとうに生きる」と誓ったフランツは、ネクタイ留めやポルノ雑誌販売を始めるが、うまくいかない。ある時、深い考えもなく、ナチスの党新聞販売に手を染めるが…。
第3話
再び職を失ったフランツは、リナ(エリーザベト・トリッセナー)の知人オットー・リューダース(ハルク・ボーム)と会い意気投合する。さっそく二人は組んで、靴紐の訪問販売を始める。とある玄関先に立ったフランツを見て、住人の女性は動揺した。フランツが彼女の死んだ夫にそっくりだったからだ…。
第4話
フランツはバウマン(ゲアハート・ツヴェレンツ)の住まいに間借り生活をし、日々酒に溺れている。彼は自身の窮状を、すべての財産を失い病に苦しむ聖書のヨブになぞらえ、このどん底から立ち直るすべを見出せない。そんな彼をバウマンはただ優しく見守っている。またエヴァ(ハンナ・シグラ)もフランツの居所を聞きつけてやってくるが、彼は彼女の援助も断わるのだった…。
第5話
フランツはイカサマ商売の元締めプムス(イヴァン・デスニー)に仕事仲間になるよう誘われるが、彼はその申し出を断わる。だが、その一味のラインホルト(ゴットフリート・ヨーン)と知り合い、打ち解けるようになる。ラインホルトは女にだらしなく、彼が飽きた女をフランツは次々と引き受けてやる。最初の女は、フレンツェ(ヘレン・ヴィータ)で名前も容貌もフランツに似ていた…。
第6話
フランツはラインホルトの女グセの悪さを治そうとして、次の女トルーデ(イルム・ヘルマン)を引き受けるのを拒否する。ラインホルトは憤慨しつつ、トルーデとの生活を続ける。ラインホルトの口車に乗せられて、フランツはある仕事に出かける…。
第7話
フランツは負傷により右腕を失い、エヴァの家で厄介になっている。体も衰弱し再び酒浸りになり、ある酒場でエミーという女(Traute Hoess)に出会う。一方、プムスはフランツの口封じのために見舞金を掴ませようとするが、それを届けに来たブルーノ(フォルカー・シュペングラー)はフランツを殺そうとする…。
第8話
自宅に戻ったフランツは、今や「まっとうに生きる」という誓いを捨て、自堕落な人間になっていた。そこへヤクザな若者ヴィリー(Fritz Schediwy)が訪ねてきて、さっそく彼らは組んで闇商売を始める。暮らし振りのよくなったフランツの元へ、ある日エヴァがやってくる…。
第9話
フランツは恋人ミーツェに養ってもらうヒモ生活を始める。ミーツェが彼を働かせたくないからだ。彼は久しぶりにラインホルトを訪ねる。あの時、ラインホルトはフランツを殺そうとしたにもかかわらず、フランツはラインホルトに対する憎しみも嫌悪も示さず、両者の間はいまだ不思議な親愛の情で満たされていた…。
第10話 : 
エヴァは愛人が借りている部屋にミーツェを案内する。そこで不妊のミーツェの代わりにエヴァがフランツと子供を作るという密約が結ばれる。一方、フランツは仕事もせず、いよいよ酒に溺れていく…。
第11話
フランツは再びラインホルトのもとを訪れ、プムスと一緒に仕事をしたいと申し出る。フランツはそれで稼いだ金をミーツェに渡すが、彼女は快く思わない。彼はラインホルトに自分とミーツェの仲を見せつけようとするが…。
第12話 : 
ミーツェはフランツに行きつけの酒場に連れていってくれるようにせがむ。そこでミーツェはメック(Franz Buchrieser)やラインホルトに紹介される。フランツとメックの仲は疎遠になっていたが、フランツはミーツェに彼はいい奴だと紹介する。ラインホルトはフランツが恋人連れでいるのが不愉快だ。そこでラインホルトはメックに仲介させてミーツェと二人だけで会えるよう段取りをつける。その場所とは以前、フランツとミーツェが仲直りしたあの森だった…。
第13話 : 
エヴァはフランツの子供を宿し、二人は喜び合う。だが、ミーツェが戻らないことに、フランツとエヴァは不安を抱く。フランツは彼女を探し回るが徒労に終わる。一方、ラインホルトたちは元締めプムスに中間搾取の疑いをかけ、一度ラインホルト主導で仕事をすることになる…。
第14話(エピローグ) :
フランツは警察に捕まるが意識不明の状態で、結局精神病院に送られる。ラインホルトは追っ手を逃れるため他人になりすまし軽罪で逮捕され、監獄で初めて男と寝る。やがてラインホルトの殺人罪が露見し、裁判で懲役刑を言い渡される。回復したフランツは、工場の守衛助手の職を得る―。エピローグが示すのは、この二人の破滅した男の関係をめぐるグロテスクなイメージのパノラマである…。

▼予告編

2019年7月20日(土)「ココロヲ・動かす・映画館○(通称ココマルシアター)」(東京都武蔵野市吉祥寺本町1-8-15、JR吉祥寺駅北口徒歩約5分)で、16:10~鑑賞。

「僕たちのラストステージ」

作品データ
原題 STAN & OLLIE
製作年 2018年
製作国 イギリス/カナダ/アメリカ
配給 HIGH BROW CINEMA
上映時間 98分


『ナイト ミュージアム』シリーズのスティーヴ・クーガンと『シカゴ』のジョン・C・ライリーが、ハリウッドのサイレントからトーキーの時代にかけて人気を博した伝説的お笑いコンビ“ローレル&ハーディ”[Stan Laurel(1890~1965)& Oliver Hardy(1892~1957)]の“晩年”を演じる伝記ドラマ。かつての栄光も地に落ちた2人が、英国で新人芸人並みの過酷なホール巡業を行なっていた史実を基に、衝突を繰り返しながらも強く結ばれた2人の友情の軌跡をユーモラスかつ哀愁あふれる筆致で綴る。監督は『フィルス』のジョン・S・ベアード。本作での演技によって、ジョン・C・ライリーは第76回ゴールデングローブ賞の主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)にノミネートされた(受賞は『バイス』のクリスチャン・ベール 本ブログ〈June 17, 2019〉)。

ストーリー
1937年。細身で皮肉屋のスタン・ローレル(スティーヴ・クーガン)と、ふくよかで陽気なオリヴァー(オリー)・ハーディ(ジョン・C・ライリー)。二人によるお笑いコンビ、ローレル&ハーディは、観客からも批評家からも愛され、出演映画は世界中で上映され、ハリウッド・コメディ界の頂点に君臨していた。だが、それから10年以上が経過した1953年。イギリスでホールツアーを開始したローレル&ハーディだったが、既に彼らはすっかり落ち目となり、過去の人となっていた。用意されたホテルが二流など待遇は悪く、小さなホールにもかかわらず客席はガラガラ。それでも再起を期して困難にめげず、互いを笑わせあいながら続く過酷なツアー。やがて努力の甲斐あって、次第に観客も増え始め、二人はファンを取り戻していく。しかし、ある日の口論をきっかけに、オリヴァーはコンビ解消を心に決め、スタンに「引退する」と告げるが…。

▼予告編



Ending Scene



▼ cf. 《1937(Stan Laurel & Oliver Hardy) vs 2018(Steve Coogan & John C. Reilly)》 - Song Comparison
(Laurel & Hardy sing ' Blue ridge mountains of Virginia ' . From the 1937 film “Way Out West” and the 2018 film “Stan and Ollie”.)


▼ cf. “Way Out West” vs “Stan & Ollie” - Dance(’At The Ball, That's All’) Comparison


▼ cf. Stan Laurel and Oliver Hardy - The best bits


私感
思いがけないほど、印象に残る作品だ。
ただ面白くて笑える映画ではない。60代の男性お笑いコンビ《ローレル&ハーディ》の話ではあるが、その根底には涙を誘う“愛情”の物語がある。
イギリス出身のスティーヴ・クーガン(Steve Coogan、1965~)×アメリカ出身のジョン・C・ライリー(John Christopher Reilly、1965~)。英米を代表する実力派俳優が、衣装や特殊メイクの力も借りて、愛すべきコンビを、本物以上に本物らしく再現。二人の演技合戦が孕む重荷と喜びがとても愛おしい!多幸感溢れる二人のラストステージに拍手喝采!
2019年7月19日(金)「アップリンク吉祥寺」(東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目5−1 吉祥寺パルコ地下2階、吉祥寺駅北口から徒歩約2分)で、15:00~鑑賞。

「僕たちは希望という名の列車に乗った」

作品データ
原題 DAS SCHWEIGENDE KLASSENZIMMER
英題 The Silent Revolution
製作年 2018年
製作国 ドイツ
配給 アルバトロス・フィルム/クロックワークス
上映時間 111分


『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』本ブログ〈February 05, 2017〉 本ブログ〈February 07, 2017〉でドイツ映画賞6部門を制した気鋭のラース・クラウメ監督が、旧東ドイツで起こった知られざる史実に触れ、新たな創作意欲をかき立てられた実録ドラマ(青春群像劇)。1956年のハンガリー動乱で市民が犠牲になったことを知った高校生たちが、純粋な気持ちから授業中に実行した2分間の黙祷が“社会主義国家への反逆”とみなされ、当局によって追い詰められていく中で繰り広げる葛藤と友情の行方を描く。事件の当事者となった19人の生徒の一人、ディートリッヒ・ガルスカ(Dietrich Garstka、1939~2018) が自身の体験を記したノンフィクション“Das schweigende Klassenzimmer:eine wahre Geschichte über Mut, Zusammenhalt und den Kalten Krieg”(2006)(大川珠季訳『沈黙する教室 1956年東ドイツー自由のために国境を越えた高校生たちの真実の物語』アルファベータブックス、2019年)を下地にしている。レオナルト・シャイヒャー、トム・グラメンツ、ヨナス・ダスラーをはじめ、『あの日のように抱きしめて』などのロナルト・ツェアフェルトや、『ヒトラー暗殺、13分の誤算』などのブルクハルト・クラウスナーらが共演。

ストーリー
まだ「ベルリンの壁(Berliner Mauer)」が建設される前の1956年の東ドイツ。スターリンシュタットの高校に通う19歳のテオ・レムケ(レオナルト・シャイヒャー)とクルト・ヴェヒター(トム・グラメンツ)が、列車で西ベルリンの駅に到着した。労働者の子であるテオとエリート階層のクルトは、対照的な家庭環境で育ちながらも固い友情で結ばれ、しばしば祖父の墓参りを口実にして西ベルリンを訪問していた。この日もちょっとした冒険気分で映画館に忍び込んだ二人は、思いがけないニュース映像を目の当たりにする。スクリーンに映し出されたのは、自分たちの国と同じくソ連の強い影響下に置かれたハンガリーで、数十万の民衆が自由を求めて蜂起した様子だった。
ハンガリー動乱の光景がまざまざと脳裏に焼きついたままスターリンシュタットに戻ったテオとクルトは、テオのガールフレンド、レナ(レナ・クレンク)など数名の仲間と共に、同級生パウル(イザイア・ミカルスキ)のおじさん、エドガー(ミヒャエル・グヴィスデク)の家を訪ねる。そこでは法律で禁じられている西ドイツのラジオ局RIASの放送を聴くことができる。ラジオに耳を傾けると、ハンガリーの民衆蜂起は悲惨な結果を招き、数百名の市民が命を落としたという。ハンガリー代表の主将である英雄的なサッカー選手プスカシュも死亡したとの知らせは、生徒たちにショックを与えた。
後日、クルトが教室で皆に呼びかける。「ハンガリーのために黙祷しよう。死んだ同志のために」。しかし東ドイツでは、ハンガリーでの蜂起は“社会主義国家への反革命行為”という非難を免れない。それを懸念したエリック(ヨナス・ダスラー)は「気は確かか?」と反発するが、テオもクルトに加勢して「ソ連軍は撤退すべきだ!」と主張する。そして多数決の末、クラスの20名中12名の過半数が賛成し、一同はその直後の歴史の授業で2分間の黙祷を実行した。
彼らが純粋な気持ちで行なった黙祷は、大人たちの深刻な反応を呼び起こした。教師から報告を受けたシュヴァルツ校長(フロリアン・ルーカス)は、来春に卒業試験を控えている生徒たちのために事を穏便に済ませようとするが、郡学務局の女性局員ケスラー(ヨルディス・トリーベル)が調査に乗り出してくる。一人ずつ呼び出された生徒たちは、事前に意思を統一して「黙祷はプスカシュのために」と答えるが、政治的な意図を疑うケスラーは納得しない。プスカシュの死がRIASの誤報だったと知らされたテオは、どこで西側のラジオ放送を聴いたのかと詰問される。そして「特に反抗的」という理由でテオに訓告処分が下され、製鉄所で働くテオの父親ヘルマン(ロナルト・ツェアフェルト)は、「次は退学だ」と校長から警告を受けることに。
当局の厳しい調査は、さらに続いた。人民教育相のランゲ(ブルクハルト・クラウスナー)までが直々に教室にやってきて、「1週間以内に黙祷の首謀者を教えろ。さもないと、クラスの全員を卒業試験から締め出す」と言い放ったのだ。その一方的な宣告に生徒たちは激しく動揺し、最初に黙祷を呼びかけた“首謀者”のクルトは責任を痛感せずにいられない。彼らにRIASのラジオを聴かせたエドガーは当局に拘束され、テオの将来を案じてランゲに赦しを請うたヘルマンはすげなく追い返されてしまう。あまりにも急激な事態の悪化は、もはや誰にも止められなかった。
再び首謀者の特定に執念を燃やすケスラーの聴取が始まった。生徒それぞれの家族の複雑な事情を入念に調べ上げた彼女は、脅迫にも似た尋問で彼らを一人ずつ精神的に追いつめていく。もしも生徒たちが首謀者の存在を認めなければ、彼らは卒業資格を剥奪され、この国での輝かしい未来を閉ざされることになる。大切な友を密告してエリートへの階段を上がるのか。それとも信念を貫いて大学進学を諦め、労働者となる道を選ぶのか。かくして人生を左右する過酷な決断を迫られたテオとクルト、そしてクラスの仲間たちは、大人たちの想像を超えた驚くべき行動に出るのだった…。

 アップ ダウン
「沈黙する教室」①
「沈黙する教室」②
「沈黙する教室」③
「沈黙する教室」④

▼予告編

2019年7月9日(火)「アップリンク吉祥寺」(東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目5−1 吉祥寺パルコ地下2階、吉祥寺駅北口から徒歩約2分)で、20:20~鑑賞。

「新聞記者」

作品データ
製作年 2019年
製作国 日本
配給 スターサンズ/イオンエンターテイメント
上映時間 113分


“権力の監視役”としてのマスメディアの力が急速に弱まっている現代の日本で孤軍奮闘する現役新聞記者~東京新聞記者・望月衣塑子~による同名ベストセラーを原案に、官邸とメディアの深い闇をリアルかつ赤裸々な筆致で描き出した社会派ポリティカル・サスペンス。主演は『怪しい彼女』などで知られる韓国の演技派女優シム・ウンギョンと『日本のいちばん長い日』『不能犯』の松坂桃李。共演に本田翼、北村有起哉、田中哲司。監督は『デイアンドナイト』の藤井道人。

ストーリー
文科省元トップによる女性スキャンダルが発覚した。かつて官邸からの圧力で辞任を余儀なくされたと言われる人物だ。マスコミは先を争うように疑惑を報道。その社会的信用を失墜させる情報が果たして真実なのか、裏取りも検証もろくになされない。東都新聞社会部の若手記者・吉岡エリカ(シム・ウンギョン)は、そんな状況に危機感を抱きつつ、日々ニュースを追いかけている。日本人の父と韓国人の母のもとアメリカで育った彼女は、記者クラブ内の“忖度”や“同調圧力”にも屈しない。一人の“個”として発信する姿勢は、社内でも異端視されている。彼女もまた、今は亡き父の母国で新聞記者となった本当の理由を、周囲に語ってはいなかった。
ある夜、社会部に「医療系大学の新設」に関する極秘公文書が匿名ファックスで送られてくる。認可先は文科省ではなく、内閣府。表紙には羊の絵が描かれ、その眼はなぜか真っ黒に塗りつぶされていた。内部リークか、それとも誤報を誘発させる罠か?上司の陣野(北村有起哉)から書類を託された吉岡は、真相を突き詰めるべく取材を始める。
内閣情報調査室、通称「内調」で働く杉原拓海(松坂桃李)は、葛藤していた。外務省から内閣府に出向したエリート官僚。だが、国民に尽くすという信念とは裏腹に、与えられた任務は現政権を維持するための世論コントロールだ。公安と連携して文科省元トップのスキャンダルを作り、マスコミやネットを通じて情報を拡散させたのも、実は内調。上司の内閣参事官・多田(田中哲司)は、官邸に不都合な事実をもみ消すためには民間人を陥れることも厭わない。もうすぐ娘が生まれる杉原は、強い疑問を抱きながらも、有能な官吏として上からの指示を粛々とこなしていた。
妻・奈津実(本田翼)の出産が迫ったある日。杉原は久しぶりに外務省時代の上司・神崎(高橋和也)から飲みに誘われる。新人だった杉原に公務員のあるべき姿を教えてくれた、恩義ある先輩。5年前にある不祥事の責任を一人で負わされて失脚し、今は内閣府に移って別の案件を担当しているらしい。楽しげに思い出を語り、したたかに酔っ払う神崎。ところが、旧交を温めたほんの数日後、杉原の携帯に謎めいた言葉を残し、神崎はビルの屋上から身を投げてしまった。「杉原、俺たちは一体、何を守ってきたんだろうな」
独自の取材で神崎に迫りつつあった吉岡は、彼の自死に強い衝撃を受ける。実は、彼女の父親はアメリカと日本の両国で活躍したジャーナリストだった。だが、政府絡みの不正融資について誤報を出し、責任を追及され自殺に追い込まれる―。父の強さを誰よりも知る彼女は、その経緯に疑念を抱き、今も真相を調べ続けていた。それが、日本で新聞記者の道を選んだ大きな理由だった。神崎こそ、情報のリーク元だったのでは?そう考えた吉岡は、彼が背負い込んだ重荷について事実を知るため懸命の取材を続ける。
杉原もまた、官僚としての生き方を根底から揺さぶられていた。神崎の死後、杉原は「内調」が生前の彼をマークしており、自分だけが蚊帳の外に置かれていたことを知る。尊敬する元上司は、「医療系大学の新設」という名目のもとで何を強いられていたのか?彼が死に追い込まれるリスクを冒してまで止めたかったプロジェクトとは一体?
世間の注目のなか営まれた神崎の通夜。無遠慮な質問を投げつける記者を注意してしまった吉岡は、遺族に付き添っていた杉原と偶然出会い、言葉を交わす。「私は、神崎さんが本当の理由が知りたいんです」。運命に導かれるように交差した、二人の人生。それぞれの立場で真相を追いかける若手記者と官僚はやがて、大学新設の名を借りた利権の構造に突き当たる。しかも、その先には、官邸が強引に進めようとする、ある驚愕の計画が隠されていた…。

▼予告編



▼本作完成披露上映会 :
(本作6月28日公開を直前に控えた6月4日に東京・丸の内ピカデリーにて完成披露上映会が行なわれ、主演のシム・ウンギョン、松坂桃李、共演の高橋和也、北村有起哉、田中哲司、そして藤井道人監督が出席。)
2019年7月9日(火)吉祥寺プラザ(東京都武蔵野市吉祥寺本町1-11-19、JR吉祥寺駅北口サンロード突き当たり左)で、17:50~鑑賞。

「ある少年の告白」

作品データ
原題  Boy Erased
製作年 2018年
製作国 アメリカ
配給 ビターズ・エンド/パルコ
上映時間 115分


同性愛者であることを否定され、“治療”を目的とした矯正プログラムを受けさせられた自身の辛(つら)い実体験を綴り全米ベストセラーとなったガラルド・コンリー(Garrard Conley)の回顧録『Boy Erased:A Memoir of Identity, Faith, and Family』(2016年)を映画化したヒューマン・ドラマ。アメリカの田舎町を舞台に、自分がゲイだと気づいた少年が参加した矯正プログラムの危険で非人道的な実態と、愛する我が子がゲイである事実を受け入れられず動揺する両親の葛藤の行方を描く。罪悪感に悩まされながらも信念を貫こうともがく主人公を熱演するのは、『マンチェスター・バイ・ザ・シー』の若手実力派俳優ルーカス・ヘッジズ。主人公の両親役を務めるのは、ベテラン俳優の二コール・キッドマンとラッセル・クロウ。また、映画監督・俳優としてカリスマ的人気を誇るグザヴィエ・ドラン、本作へ楽曲提供もした注目のシンガーソングライターのトロイ・シヴァン、ロックバンド「レッチリ(Red Hot Chili Peppers)」のフリーら個性的な面々が脇を固める。メガホンを取ったのは、俳優としても活躍するジョエル・エドガートン。監督としては『ザ・ギフト』に続いて2作目の長編作で、本作では監督・脚本・製作・出演とマルチな才能を発揮している。

ストーリー
ホームビデオに映るのは、無邪気に笑う幼いジャレッド(ルーカス・ヘッジズ)。愛おしそうに話しかける両親の声が聞こえる。好きな色は?大きくなったら何になりたい?

牧師の父マーシャル(ラッセル・クロウ)が、教会で意気揚々と語る。「私には美しく思いやりに満ちた妻と、素直で誠実な息子がいる。この恵みに感謝します」
ダイヤグリーン
大学生になったジャレッド。家族で食卓を囲むが会話はない。荷物を持って、母ナンシー(ニコール・キッドマン)が運転する車に乗り込む。

「迎えは夕方5時に」
施設に到着し、名残惜しそうに母と別れる。飲酒や喫煙、日記を書くこと、入所者同士の接触…職員があらゆる細かな禁止事項を読み上げていく。「治療内容は、すべて内密にすること―」

白いシャツを着た若者たちが集められる。カウンセラーで牧師だというヴィクター・サイクス(ジョエル・エドガートン)が、12日間のプログラムの始まりを告げる。「“同性愛者に生まれる”というが違う。それは選択の結果なんだ―救済プログラムにようこそ!」

「彼らが君たちを作ったんだ」
ヴィクターは入所者に、家系図を書いて問題のある親族の名前の横に“烙印”を押すように言う。
SSA…同性に惹かれること、H…同性愛、D…ドラッグ、$…ギャンブル――。
ヴィクターがジャレッドの家系図を覗き込んで呟く。「君は牧師の息子か。一家にはつらい問題だな」

翌日、ヴィクターが職員のブランドン(フリー)を皆に紹介する。ブランドンは話し出す。「私は神を深く信じるが、以前は違った―」
ここにいる指導員たちも“克服”したメンバーだと言う。ブランドンによるプログラムは、“男らしさ”を徹底的に叩き込むものだった。ブランドンは「できるまで“フリ”をしろ!別人になれ!」と厳しく入所者たちを追い込む。

ヴィクターによる講義も続く。彼は「自分の罪を一覧にし、神に赦しを求めよ」と、これまでの問題とされる行為を皆の前で懺悔することを入所者たちに課した。
夜、ノートを開き、ジャレッドはペンを執る。――“心の清算” “ヘンリー”

大学で出会ったヘンリー(ジョー・アルウィン)と仲良くなったジャレッド。ジャレッドが部屋で寝ていると、突然ヘンリーに乱暴されそうになる。何とか抵抗するが、ヘンリーは詫びながら自分が通う教会の少年にも同じことをしていると言う。「頼む、秘密にしてくれ」

あの一件からジャレッドはヘンリーと距離を置いていた。ある日、家に大学のカウンセラーだと名乗る人物から電話がかかってくる。取り乱した父がジャレッドを問い詰める。「男が言ったことは本当か。お前は同性愛者か?」
恐らく電話の本当の相手は警察への通報を恐れたヘンリーだろう。ジャレッドは意を決して両親に向かって話し出す。「男のことを考えてしまう、理由はわからない。ごめんなさい」 突然の告白に、両親は言葉を失っていた。

マーシャルの牧師仲間が助言のために家を訪ねてくる。父から皆が集まる居間に呼ばれるジャレッド。「お母さんと私は認められない。この先も我々の信念に反し、神に逆らうなら―。心の底から変わりたいと思うか?」 ジャレッドは頷いた。


ジャレッドはヴィクターに呼び出された。両親から、大学での話を聞いたと言う。「君はまだすべてを話していない。治療に成功するのは、正直な人だ」
夜、再びノートを開き、過去を振り返るジャレッド。――“心の清算” “ゼイヴィア”

ある日、ジャレッドは不思議な魅力がある青年ゼイヴィア(セオドア・ペレリン)と出会い、彼の部屋に招かれる。
ジャレッドは思いがけず気持ちを吐露してしまう。「神と悪魔が僕をめぐって賭けをしている。僕を試すため、つらい思いをさせるんだ」
ゼイヴィアは「神は僕たちの中にいる」と真摯に言う。さらに、「何もしないから一緒にいてほしい」とも。2人はベッドに横たわり、手を握りながら目を閉じた。


入所者の少年が自らの罪を小さな声で発表する。「父さんが、僕の問題を知り…」 「違う!“僕の同性愛の罪”だろ。そう言え!」 ヴィクターがきつく詰め寄る。
次の日、プログラムを行なう部屋には蝋燭が灯され、棺が置かれていた。「キャメロン(ブリットン・セアー)が悪魔の餌食となった―」
昨日の少年が連れてこられる。そして、「悪魔を倒せ!」と、分厚い聖書で代わる代わる叩かれていた。施設の実態を徐々に理解しはじめ、ジャレッドは戸惑いを隠せない。

「ジャレッド、君の番だ」 “心の清算”をとヴィクターが指名する。
「男を想った。大学で男性と手を握り朝までベッドに。後悔している―」 「嘘をつくな!他には?」
ついに怒りがあふれ出すジャレッド。「作り話をしろと?みんな狂ってる!」

ジャレッドは何とか電話で母に助けを求める。息子の悲痛な叫びに駆けつけた母は、急いでジャレッドを車に乗せ、追いかけてきたヴィクターに声を荒げる。
「あなたの資格は一体何?恥知らず!…私も」 目に涙を溜めながらハンドルを切る母。
「施設には絶対に戻さない。何か違うと感じていたのに、口を閉ざし続けた。もう黙っていない―」

後日、家に警察が来て、母がジャレッドに尋ねる。「キャメロンって子、知ってる?彼、昨夜自殺したって…」
ダイヤオレンジ
4年後―。
ジャレッドは両親と離れて暮らしている。施設での体験を告白した記事が新聞に掲載された。記事の書籍化について話すため、久しぶりにジャレッドは実家に戻るが、父はまともに自分のことを見てくれない。あの事件から、母は教会に通うのをやめていた。

ジャレッドが地元を離れる日、父が切り出した。「大事なのは、お前の道がうまくいくことだ。最高の人生を送ってほしい」 そして、「孫を抱けないことを愚かにも恨んだ。自分の信念でお前を失うことになるかもしれないと。でも、それは嫌だ」とも。
ジャレッドは勇気を出して伝える。「僕はゲイで、父さんの息子だ。それは永遠に変わらない。僕を変えることはできない。努力はしたんだ―」
父は涙を溜めながら言った。「私が変わるように努力するよ、必ず」

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