映画『沖縄』 | 普通人の映画体験―虚心な出会い

普通人の映画体験―虚心な出会い

私という普通の生活人は、ある一本の映画 とたまたま巡り合い、一回性の出会いを生きる。暗がりの中、ひととき何事かをその一本の映画作品と共有する。何事かを胸の内に響かせ、ひとときを終えて、明るい街に出、現実の暮らしに帰っていく…。

2019年7月30日(火)ポレポレ東中野(東京都中野区東中野4-4-1 ポレポレ坐ビル地下、JR東中野駅西口北側出口より徒歩1分)で、20:00~鑑賞。

「劇映画 沖縄」

作品データ
製作年 1969年
製作国 日本
上映時間 195分(第1部75分/第2部120分)

劇場初公開:1970年5月26日

戦後の本土復帰前の沖縄を舞台に、米軍に土地を接収されたうえ、基地で働かざるをえなくなった民衆の苦悩と闘いを描いたモノクロ長編劇映画(2部構成)。第1部では土地を奪われた農民たちの怒りと闘いが、第2部では基地労働者や教育労働者の“民族の自覚に燃えた怒り”がダイナミックに描かれる。全編を通じ、沖縄の即時無条件全面返還の闘いを描いている。当時無名だった地井武男(1942~2012)の初主演映画。監督は『ドレイ工場』の武田敦。山本薩夫ら社会派の名匠が製作に参加した。
実際に返還前の沖縄でロケを敢行し、アメリカ空軍の爆撃機「B52」を初めて記録した日本映画とも言われる。当初は劇場ではなくホール上映を中心に上映運動され、全国津々浦々を巡回上映していく中で、国内での沖縄復帰運動の高まりに一役買った重要な作品である。製作から50周年というタイミング、辺野古基地建設への問題提起もあり、2019年6月22日から東京・ポレポレ東中野にてリバイバル上映が決定した。

ストーリー
〈第一部「一坪たりともわたすまい」〉 :
1955(昭和30)年。「ウチナーンチュ(沖縄人)のものを盗めば泥棒だが、アメリカーナのものを盗むのは戦果だ」。これがアメリカに代々の土地を奪われた島袋三郎(地井武男)独自の生活哲学だった。三郎は仲間の池原清(石津康彦)と、基地周辺の米軍物資を物色中、黒人とのハーフ・玉那覇亘(トニー和田)とその姉・朋子(佐々木愛)を知った。
アメリカの基地拡張は急ピッチであった。平川部落の強制接収は、威嚇射撃で始まった。「平川土地を守る会」の古堅秀定(中村翫右衛門)は、米軍将校に銃を突きつけられ、契約書にサインを強要されるが断固として拒否した。「会」の一行は、琉球政府の前で三線(さんしん)を弾き、窮状を訴えて座り続ける。
演習が始まった。三郎と清は演習場での不発弾拾いを始める。朋子と亘も小さな薬莢を拾い集める。ある日、朋子の祖母カマド(飯田蝶子)は、自分の畠で戦闘機の機関銃で胸を打ち抜かれて死んだ。しかし、あたかも軍用地で死んだかのように見せかけられ、何の補償もなかった。
カマドの葬式の日、朋子は「お婆はお爺のところへ連れていく」と言い張った。祖父の墓は、軍用地の中にあった。朋子は米軍に取り入って資産を殖やす山城宗昭(加藤嘉)の制止を振り切って、軍用地内の墓に向かう。三郎たちがそれに加勢し、一同は葬列を組む。カマドの葬列が白旗の幟(のぼり)を立てながらゲートを突破し、抗議の列となって進んでいった―。

〈第二部「怒りの島」〉 :
それから10年。三郎は父親の完道(陶隆)と共に米軍基地で働き、朋子はドル買い密貿易に関わり、そして亘は軍用トラックの運転手を務めていた。ある日、三郎と朋子は米軍曹長より、模擬爆弾や薬莢の換金を頼まれた。朋子はここぞとばかり買い叩き、その度胸は三郎を驚かせた。やがて完道が足に負傷してクビになった。
ベトナム戦争に喘(あえ)ぐアメリカは、沖縄を基地にB52を出撃させていた。戦争が激化する中で、基地労働者の労働条件は厳しさを増した。働く者の権利を守り、ベトナム人民支援の闘いに組合はストライキを準備していた。
アメリカはパスの取りあげ、団結小屋の焼き打ち、逮捕、買収、脅しと、あらゆる手練手管で彼らの威信にかけてもスト中止に躍起になっていた。三郎は米兵に拉致され、朋子は山城の企みで逮捕され、亘も解雇された。
ある日、亘が米軍のトラックに跳ねられ即死した。亘をひき殺した犯人を処罰せよ」の声が広がっていく。軍事法廷に沖縄人として初めて証人台にたった山城の息子で、教師の朝憲(岩崎信忠)は「アメリ力民主主義のウソ」を糾弾したが、陪審員たちは犯人の無罪を決めた。ストライキ態勢はこうした緊迫の中で着々と固められていく。
沖縄の全基地がシーンと静まりかえつた朝が来た。ストライキが決行され、基地労働者たちはベトナム出動の米軍機の心臓を止めたのだった―。

本作ラストシーン - YouTube