普通人の映画体験―虚心な出会い -9ページ目

普通人の映画体験―虚心な出会い

私という普通の生活人は、ある一本の映画 とたまたま巡り合い、一回性の出会いを生きる。暗がりの中、ひととき何事かをその一本の映画作品と共有する。何事かを胸の内に響かせ、ひとときを終えて、明るい街に出、現実の暮らしに帰っていく…。

2019年8月27日(火)「アップリンク吉祥寺」(東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目5−1 吉祥寺パルコ地下2階、吉祥寺駅北口から徒歩約2分)で、16:15~鑑賞。

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作品データ
原題 The Graduate
製作年 1967年
製作国 アメリカ
上映時間 106分

日本初公開 1968年6月8日

「卒業」

将来に不安を抱えるエリート青年が、人妻と不倫の末にその娘と恋に落ちる姿を描き、無名の舞台俳優だったダスティン・ホフマンを一躍スターにした青春(恋愛)映画。主人公を取り巻く母娘には、オスカー女優アン・バンクロフトと『明日に向って撃て!』(1969年)のキャサリン・ロス。チャールズ・ウェッブ(Charles Webb、1939~)の小説“The Graduate”(1963)(佐和誠訳『卒業』早川書房、1968年)をもとに、マイク・ニコルズ(Mike Nichols、1931~2014)がメガホンを取り、第40回アカデミー賞で監督賞を受賞。アメリカン・ニューシネマを代表する作品の一つ。日本でも、劇中に流れるサイモン&ガーファンクルの楽曲「サウンド・オブ・サイレンス」「ミセス・ロビンソン」などとともに大ブームを巻き起こした。結婚式場から花嫁を奪い去る場面は、映画史に残る名シーンとしてあまりにも有名。2019年6月7日より4Kデジタル修復版でリバイバル上映(配給:KADOKAWA)。

ストーリー
学業でもスポーツでも優秀な成績を収めたベンジャミン・ブラドック(ダスティン・ホフマン)は、大学を卒業したものの、それが何のためなのか、疑問を感じ、将来に対する不安で苛立っていた。だが、そんなベンジャミンの心も知らず、両親は盛大な卒業祝賀パーティーを催す。口先だけのお世辞や諂(へつら)いにいたたまれず部屋に逃げこんだベンジャミンを、父親(ウィリアム・ダニエルズ)の職業上のパートナーであるミスター・ロビンソン(マーレイ・ハミルトン)の妻ミセス・ロビンソン(アン・バンクロフト)が追いかけてきた。彼女は強引にベンジャミンを家まで送らせ、決して誘惑してはいないなどと口では言いながら彼の前で裸になって、彼を挑発する。ちょうどそこへ、ミスター・ロビンソンが帰ってきたので、その場は何事もなかったが、この誘惑はベンジャミンにとって強い刺激となり、数日後、彼は自分の方からデートを申し込んだ。2人はこうして、しばしばホテルで会うようになった。だが、この2人の関係は、ミセス・ロビンソンの娘エレイン(キャサリン・ロス)が学校休みで戻ってから、大きく崩れていく。両親の勧めで、初めはいやいやながらエレインとつき合ったベンジャミンだが、その可憐さ・清純さに次第に本気で愛するようになった。娘の恋に嫉妬したミセス・ロビンソンは、ベンジャミンに娘とつき合ったら、自分との関係をバラすと脅迫した。しかし、この脅迫もベンジャミンをさらに激しい恋に駆り立てるばかり。ついにミセス・ロビンソンは捨て身の妨害に出て、ベンジャミンとの関係を明らかにした。ショックを受けたエレインは、学校へ戻った。そのエレインをベンジャミンは追う。だが、そこにはロビンソン夫妻が娘と結婚させようとしているカール(ブライアン・エイヴリー)という青年がいた。それでも、ベンジャミンはエレインを追ったが、とうとうエレインとカールの結婚式が挙行されることになった。式は進み、クライマックスに達した時、ベンジャミンが飛び込んできた。両親や参列者を押しのけると、彼は花嫁を盗み出し、通りかかったバスに飛び乗った。バスは2人を乗せて永遠なる結婚の幸福へと走り去った―。

▼予告編



finale (GREAT SCENE) :



私感
本作を観るのは、今回が3回目。最初は1968年の日本初公開時、2回目は90年代にVHSで、そして今回。
アメリカン・ニューシネマ”(cf. 本ブログ〈May 27, 2015〉)を愛好した私が、本作に懐旧の情を禁じ得ないこと、これは言うまでもない。サイモン&ガーファンクル(Simon&Garfunkel |cf. 本ブログ〈October 16, 2015〉)の曲~特に「サウンド・オブ・サイレンス(The Sound of Silence)」~と結婚式のラストシーンが記憶に生々しい!

音譜 Simon & Garfunkel “The Sound of Silence”【訳詞付】 :


本作では、ダスティン・ホフマン(Dustin Hoffman、1937~)、キャサリン・ロス(Katharine Ross、1940~)という若い二人の好演も見逃せないが、何よりも有閑マダムのミセス・ロビンソンに扮したアン・バンクロフト(Anne Bancroft、1931~2005)の存在感が圧倒的。

ダスティン・ホフマンは本作が出世作となり、その後の活躍で名声を確立するにいたるが、率直に言って、彼は私好みのタイプの男優ではない。『クレイマー、クレイマー』(原題:Kramer vs. Kramer、1979年)や『レインマン』(原題:Rain Man、1988年)にしても彼が達者な芸の持ち主であることは認めるが、風采がぱっとしないせいか、彼の全体像が私の目を奪いつづけることはほとんどない。
アン・バンクロフトとキャサリン・ロスは、二人とも私好みのタイプの女優だ。
アン・バンクロフトと言えば、私は『奇跡の人』(原題:The Miracle Worker、1962年)に主演したバンクロフトの存在感のある迫真の演技が忘れがたい。同作は「見えない」「聞こえない」「話せない」の三重苦のヘレン・ケラー(Helen Keller、1880~1968)が自身も盲目を克服したという女教師アン・サリバン(Anne Sullivan、1866~1936)によって人生に光明を見いだすまでの苦闘を描いた感動ドラマ。アン・バンクロフトはヘレン(演:パティ・デューク)に効果的で何より厳しくも人間的な教育を授けるサリバン役を熱演して第35回アカデミー賞主演女優賞を受賞。
キャサリン・ロスの出演作では、本作以上に思い出深いのが、『明日に向って撃て!』(原題:Butch Cassidy and the Sundance Kid、1969年)。同作は実在した2人のアウトロー[ブッチ・キャシディ(演:ポール・ニューマン)とザ・サンダンス・キッド(演:ロバート・レッドフォード)]をモデルに、彼らの自由奔放な生きざまをユーモラスかつシニカルに描いた青春西部劇の傑作。キャサリン・ロスはサンダンスのガール・フレンドで、女教師のエッタ・プレイスを魅力的に演じて第24回英国アカデミー賞主演女優賞を受賞。

映画 cf. Anne Bancroft in “The Miracle Worker” :


映画 cf. “Butch Cassidy and the Sundance KidTrailer


ドア cf. 『明日に向って撃て! 映画ポスター TOP 20 (世界各国) :
2019年8月27日(火)ラピュタ阿佐ヶ谷(東京都杉並区阿佐ヶ谷北2-12-21、JR阿佐ヶ谷駅北口より徒歩2分)~特集「戦後独立プロ映画のあゆみ PARTⅡ」~で、13:10~ 鑑賞。

作品データ
製作年 1960年
製作国 日本
配給 大東映画
上映時間 141分

公開 1960年11月8日 

「武器なき斗い」(1)
「武器なき斗い」 (2)
「武器なき斗い」(4)
「武器なき斗い」(3)

西口克己(1913~86)の伝記小説『山宣』(中央公論社、1959年)を、山形雄策と依田義賢が共同で脚色し、山本薩夫(1910~83)がメガホンを取った。治安維持法改悪に反対して右翼の凶刃に倒れた実在の政治家、山宣(やません)こと山本宣治(やまもと・せんじ、1889~1929)の半生を描く。山宣を下元勉(1917~2000)、彼の妻を渡辺美佐子(1932~)、彼の両親を東野英治郎(1907~94)、細川ちか子(1905~76)が演じるほか、宇野重吉(1914~88)、田中邦衛(1932~)、小沢昭一(1929~2012)らが脇を固める。
映画化は、西口克己の講演会の後で、大阪市電の勤務者が映画化を提案したのを契機に企画され、製作資金の募金は大阪市交通局の労組、私鉄の労組、大阪総評傘下の労働者が呼びかけて、始まった。没後30周年を記念する映画として、関西在住の3000人が発起人になり、「山宣映画化実行委員会」を結成し、700万円のカンパが集められた。撮影にあたっては、延べ3700人に上るエキストラが動員された。

ストーリー
1923(大正12)年、関東大震災が日本の経済に大打撃をあたえた直後。時の政府・資本家たちは、治安維持法を制定して労働者弾圧に乗り出していた。京都同志社大学で教壇に立つ生物学者・山本宣治(下元勉)は、その頃新しい考え方による性教育の必要を痛感して、教室で講義をしたり労組の集まりで産児制限の講演を行なったりしていた。だが、大学当局や政府筋は、彼の行動を妨害する。1925(大正14)年、ソビエト労組代表が来日し、これを機会に政府は多くの自由主義的な学生や労働者を検束した。宣治も同志社を追放され、労働農民党(労農党)の運動に加わった。佐山村農民組合争議の惨状を目の当たりにして、彼は自分の生物学者としての考え方を世に徹底させるためには、まず政治を改めねばならぬことを知る。妻・千代(渡辺美佐子)や3人の息子は彼のよき理解者であった。生家である料亭・花屋敷を経営する父・亀松(東野英治郎)、母・多年(細川ちか子)も、考え方こそ異なれ、息子を信頼していた。佐山村争議で、宣治は小作人さき(岸輝子)・清(小沢昭一)母子や共産党員本田(中谷一郎)、彼に好意を寄せる娘のぶ(谷育子)などを知る。やがて金融恐慌がやって来て、支配階級は侵略戦争を引き起こした。1928(昭和3)年、第1回普通選挙(第16回衆議院議員総選挙)/京都2区に労農党から立候補した宣治は、苦しい選挙干渉と弾圧を撥(は)ね除けて代議士に当選する。3月15日の全国的「労農」階級弾圧一斉検挙を迎えて、宣治は断固支配階級と闘った。が、彼の身体は激しい日々の連続によって病魔に冒されていく。政府は治安維持法をさらに改悪しようとした。1929(昭和4)年3月5日、宣治は一人、衆議院でこれの反対討論を行なう予定だったが、与党・立憲政友会の動議により強行採決され、討論できないまま可決された。その夜、彼は神田の旅館「光栄館」で、右翼団体である「七生義団」の黒田保久二(南原宏治)に刺殺された。日本の暗い時代は、ますます重苦しく、拡がっていこうとしていた…。
1929年のその日から16年後、侵略戦争は敗戦によって終止符を打った。そして、1945年12月、初めて「赤旗」に囲まれて行なわれた山宣の命日(戦後最初の追悼墓前祭)に、改めて人々は彼の姿を胸に蘇らせるのだった―。

冒頭シーン

2019年8月23日(金)新宿ピカデリー(東京都新宿区新宿3-15-15、JR新宿駅東口より徒歩5分)で、19:05~鑑賞。

「天気の子」

作品データ
製作年 2019年
製作国 日本
配給 東宝
上映時間 114分


『君の名は。』の新海誠監督によるファンタジー長編アニメーション。天候の調和が狂っていく時代を舞台に、東京へやってきた家出少年と不思議な力を持つ少女が運命に翻弄されながら繰り広げる愛と冒険の物語を描く。ボイスキャストとして、主人公の少年・帆高を舞台「弱虫ペダル」などで注目される醍醐虎汰朗、ヒロインの陽菜を森七菜が、2000人を超えるオーディションの中から選ばれた。小栗旬、本田翼、倍賞千恵子、平泉成らが脇を固める。劇中すべての音楽を人気バンド、RADWIMPSが手がける。

ストーリー
天候が不順で雨が降り続く夏の東京。離島の実家を家出した高校生の森嶋帆高(もりしま・ほだか)は、なかなかバイト先を見つけられず、東京の厳しさに打ちのめされかけていた。そんな時、小さな編集プロダクションを経営する須賀圭介(すが・けいすけ)に拾われ、住み込み・食事付きで働くことに。さっそく事務所の唯一の授業員、圭介の姪で女子大生の須賀夏美(すが・なつみ)とともに、怪しげなオカルト雑誌のための取材を任された帆高。やがて彼は、雑踏ひしめく都会の片隅で、一人の少女と出会う。ある事情を抱え、弟の天野凪(あまの・なぎ)と2人きりで明るくたくましく暮らす少女・天野陽菜(あまの・ひな)。彼女は「100%の晴れ女」といわれる不思議な力を秘めていた。それは、何と「祈る」ことで短時間、局地的だが確実に雲の晴れ間を作り出す特殊能力だった…。

スペシャル予報

2019年8月21日(水)「アップリンク吉祥寺」(東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目5−1 吉祥寺パルコ地下2階、吉祥寺駅北口から徒歩約2分)で、19:15~鑑賞。

TheHouseThatJackBuilt (1)

作品データ
原題 The House That Jack Built
製作年 2018年
製作国 デンマーク/フランス/ドイツ/スウェーデン
配給 クロックワークス/アルバトロス・フィルム
上映時間 152分


TheHouseThatJackBuilt (2)

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』『アンチクライスト』のラース・フォン・トリアー監督が、強迫観念に駆られたシリアルキラーを主人公にした戦慄の問題作。殺人に魅入られた男が語る12年に及ぶ殺人の記録を、5章構成(+エピローグ的な別エピソード)で衝撃的に描き出す。主演は『ドラッグストア・カウボーイ』『クラッシュ』のマット・ディロン。共演に『ヒトラー~最期の12日間~』のブルーノ・ガンツ、『パルプ・フィクション』のユマ・サーマン、『ローガン・ラッキー』ライリー・キーオ。第71回カンヌ国際映画祭のアウト・オブ・コンペティション部門で上映された際はあまりの過激さに賛否両論を巻き起こし、アメリカでは修正版のみ正式上映が許可されるなど物議を醸した。日本では、無修正完全ノーカット版をR18+指定で上映。

ストーリー
1970年代のアメリカ・ワシントン州。建築家志望の独身技師ジャック(マット・ディロン)は、車の故障で雪道に立ち往生していた中年女性(ユマ・サーマン)を修理工場まで送り届ける。しかし、その女性の不快な饒舌にうんざりし、彼女を工具で撲殺してしまう。以後、アートを創作するかのように殺人に没頭するようになり、見知らぬ他人から恋人まで手当たり次第に惨殺していく…。

▼予告編



私感
理性と狂気を併せ持つ連続殺人鬼を演じたマット・ディロン(Matt Dillon、1964~)は、なかなか個性的で存在感のある役者だ。
それはともかく、この映画の物語内容は、どうにもいただけない。
保険調査員と偽って家に入りこみ一人暮らしの女性を絞殺したり、交際中の女性とその2人の幼い連れ子を狩猟に見立てて射殺したり…。食品用の冷凍倉庫を買いとって死体を保存し、死体を用いた写真を撮って、新聞社に送る…。ジャックが語る連続殺人エピソードは、どれもこれもヒドすぎる。およそ良識や倫理からかけ離れたことばかり起きる。そこには、人間であることの根拠を揺るがす、恐ろしく冷たい視線がひそむ。
そして一方、ジャックは嬉々として、凶行の数々を芸術家が作品を創り上げるプロセスになぞらえて見せるが、その論法はもっぱら自分にのみ都合がよく、オノレを正当化しようとしている言い訳にすぎない。これでは実際のところ、本作がブラックコメディー色を強め、身も蓋もないバカバカしさを帯びてくることになる。

なるほど人間なるものは、誰も彼も程度の差こそあれ、愚劣にして卑小な救いがたき存在なのだろう…。そして、ジャックはそんな悍(おぞ)ましい大衆心理を具現化するかのように、あの手この手で露悪の道をひた走ったのだろう…。
だが、私自身はどんな状況下でも、どこかギリギリのところで自らの愚かさ・バカぶりを全身的に撃つことのできる一個の存在者でありたいと希求しないではいられない。そして、そんな私だからこそ、いたずらに“人間の存在条件”を蹴飛ばした、とめどない妄想に駆られたシュールな“異界”巡りの物語は御免被りたい。映画という人間が作り出す映像世界に私が最低限期待するもの、それは人間の日常生活との痛々しい苦闘から決して逃げることのない、「人生は真剣に生きるに値する」というメッセージを何らかの形で織り込んだ“人間界”巡りの物語にほかならない。
2019年8月20日(火)吉祥寺オデヲン(東京都武蔵野市吉祥寺南町2-3-16、JR吉祥寺駅東口徒歩1分)で、15:20~鑑賞。

「ライオン・キング」 (2)

作品データ
原題 THE LION KING
製作年 2019年
製作国 アメリカ
配給 ディズニー
上映時間 119分


「ライオン・キング」⑴

ディズニーが1994年に手がけた同名アニメを『アイアンマン』シリーズ、『ジャングル・ブック』のジョン・ファヴロー監督が、最新の映像技術を駆使して“実写化”したエンタテインメント大作(ディズニー公式では実写もアニメーションも超えた「超実写版」と銘打つ)雄大なアフリカの大自然を舞台に、父を亡くした子ライオン、シンバが自らの運命に立ち向かい、王たる存在としての自覚を促されていく様が描かれる。シンバの声を、グラミー賞を受賞したラッパーとしても活躍するドナルド・グローヴァー(Donald Glover、1983~)が担当し、ジンバの幼なじみナラ役を世界的な歌姫ビヨンセ(Beyoncé、1981~)が担当。音楽界の頂点を極める二人の声が、キャラクターに命を吹き込み、望み得る最高水準の歌声でミュージカルナンバーを歌い上げる。本作の最大の魅力の一つである音楽には、アニメ版『ライオン・キング』で第67回アカデミー賞歌曲賞を受賞したエルトン・ジョンとティム・ライス、そして同賞作曲賞を受賞したハンス・ジマーが再結集。

ストーリー
命あふれるサバンナの王国プライドランド。動物たちの尊敬を集めるライオンの王ムファサと王妃サラビの間に息子シンバが誕生する。シンバは動物たちからの祝福を受け、好奇心旺盛で元気なライオンへと成長していく。ムファサはシンバに、いろいろ教える。―ライオンは草食動物を食べるが、ライオンが死ねば土となり草が芽生え、その草をまた草食動物が食べることで生命が環(わ)となっていること[サークル・オブ・ライフ(the Circle of Life)]。また、太陽の照らす場所は王として守るべき場所であり、影となる場所には近づいてはならないということも。

ムファサの弟でシンバの叔父であるスカーは、王であるムファサを妬ましく思っており、ムファサを、そしてシンバを殺して自らが王になることを夢見ていた。ある日、スカーは影の場所である「象の墓場」にシンバが興味を持つよう言葉巧みに誘惑する。シンバは好奇心を抑えることができず、ムファサに仕える鳥・サイチョウで監視役のザズーの目を盗み、幼馴染みのメスライオン・ナラを連れて象の墓場に向かう。しかし、そこにはムファサによる王国の統治を快く思わないハイエナの一団(シェンジ、アジジ、カマリほか)が待ち構えていた。ハイエナたちはシンバとナラに襲いかかるが、ザズーの知らせを受けたムファサが間一髪で助けに入り、シンバとナラは危機を脱する。やがて腹を空かしたハイエナたちの前に姿を現わしたスカー。自分が王になったらムファサが規制している狩りを自由にやらせるとして、ムファサを殺す計画にハイエナたちを誘い込むのだった。
後日、スカーは雄叫び(吼え方)の練習をしようと、シンバをわざと険しい岩々に囲まれた“峡谷”に連れ出し置き去りにする。そこにハイエナたちに追い立てられたヌーの大群が地響きを上げて押し寄せる。スカーからシンバの危機を伝えられたムファサは、すぐさま峡谷へ向かいシンバを岩の間へ避難させたものの、自らがヌーの大群の中に取り残されてしまう。そして、何とか足場の悪い崖を這い登ろうとしたとき、頭上に現われたスカーによって無残にも突き落とされてしてしまう。ムファサが暴走するヌーの群れの中に落ちていくのを目撃したシンバは、ヌーたちがいなくなった後で峡谷に下り、息絶えて横たわるムファサを発見。悲しむシンバのもとにやって来たスカーは言い放つ。「お前がいなければ、ムファサは死ななかった」と。スカーはシンバをプライドランドから追放し、さらにハイエナたちにシンバを殺すよう命令する。ハイエナたちから追いつめられて崖から落下するシンバ。シンバが死んだと思い、そうスカーに報告するハイエナたち。ムファサとシンバがいない今、スカーはハイエナたちを従えて、プライドランドの王となった。

シンバはハイエナたちの追跡から辛うじて逃げ延び、崖の下の岩場に隠れて一命を取り留めていた。プライドランドを去り、砂漠をさまよい、力尽きて倒れ込んでしまうシンバ。そこにミーアキャットのティモンとイボイノシシのプンバァがやって来て、ライオンが味方になってくれればこの先怖いものなしだとシンバを助ける。自分のせいで父親を死なせてしまったことに落ち込むシンバに、ティモンとプンバァは「ハクナ・マタタ(Hakuna Matata、スワヒリ語で〈クヨクヨするな〉の意味)」という言葉を教える。ティモンやプンバァら新たな陽気な仲間に勇気づけられたシンバは、緑豊かなジャングルで自由気ままな生活を送るなか、次第に心の傷を癒やし、元気を取り戻し、立派なタテガミ(鬣)を持つ大人のライオンに成長していく。
スカーが王となったプライドランドは、豊かだった自然や食べ物がなくなり、年々に荒廃した。ハイエナたちが好き放題に狩りをしたため命の環が乱れ、草食動物がいなくなってしまったのだ。大人となったナラは、王国の窮乏に、助けを求めてプライドランドの外に出る。
ある日、プンバァとティモンが散歩していると、突然一頭のメスライオンに襲われそうになる。助けに入ったシンバは、そのライオンが幼馴染みのナラであることに気が付く。予期せぬ再会に喜び合うシンバとナラ。スカーによってシンバが亡き者として扱われていたため、そのナラの驚きと喜びは格別のものだった。ナラはプライドランドの悪状況をシンバに話し、スカーを王の座から下ろし、新たな国王となるために戻ってきてほしいと訴える。しかし、自分のせいで父親が死んだことへの後ろめたさから、首を縦に振ることができないシンバ。失望したナラは、シンバのもとを去っていく。
その頃、プライドランドではヒヒ/マンドリルの祈祷師ラフィキが風に乗って到来したシンバの体毛の匂いを嗅ぎ、シンバが生きていることを知る。ラフィキはシンバの所にたどり着くとシンバをとある湖へと導く。シンバが水面を覗き込むと、次第に映った自分の姿がムファサへと変わる。夜空を見上げると、輝く星となったムファサの魂の叫びがシンバの耳に聞こえてくる。ラフィキはムファサがシンバの中に生きていることを教える。ラフィキから「お前は誰だ?」と問われ、「私はシンバ。ムファサの息子だ!」と答えたシンバは、自らの過去と向き合うためプライドランドへ戻ることを決意。そして、ナラを大急ぎで追いかけるシンバの後に、親友のティモンとプンバァも続くのだった。

プライドランドへ帰還したシンバは、ザズーとも再会し、ナラ、プンバァ、ティモンらと皆一緒にスカーの暴走を止めるため、スカーのいるプライドロックへと向かう。
スカーはハイエナとメスライオンたちを支配下に置いて、傍若無人な生活をしていた。手下のハイエナたちと、無差別・無分別な狩りを続ける。そしてムファサの妻であり、シンバの母であるサラビには結婚を迫っていた。
シンバがついに姿を現わすと、ライオンたちはシンバが生きていたことに一様に驚愕する。スカーは成長したシンバの登場に動揺したものの、それでも「ムファサが死んだのは、シンバのせいだ。シンバは父親殺しの息子!」と言い募りながら、一瞬怯(ひる)んだシンバを突き飛ばし、プライドロックの端へ追い込む。そして、必死に崖っぷちにしがみつくシンバを見下ろしながら、迂闊(うかつ)にも~冥途の土産に、とでも思ったのか?~「あの時のムファサも今のお前のような目をしていたよ!…」と事実を暴露してしまう。父の死の真相(自分のせいで死んだのではなく、スカーに殺された)を知ったシンバは、怒りに燃える。渾身の力を込めて崖から這い上がり、スカーを「卑怯者」(字幕スーパーでは「父殺し」「卑怯者」「汚い奴」だが、原語では「Murderer」)と激しく糾弾するシンバ。愛する夫ムファサの最期に息子が関わっていたことに一旦は驚いたサラビだが、「スカーはその場には後から駆け付けたと言っていたはずだ。なのに、なぜムファサの最期の目を知っているのか」とスカーを問い詰める。スカーがムファサを殺した犯人だったと知るライオンたちやプンバァ、ティモン、ラフィキ、ザズーたち…。弁解が尽きたスカーは本性を現わし、<スカー+ハイエナたち>とシンバたちの戦いが始まる。<ライオンたち+プンバァ、ティモン…>VSハイエナたち、そしてシンバとスカーの一騎打ち。
シンバに追い詰められて形勢不利と見たスカーは、「全てはハイエナたちが仕組んだことだ」と命乞いをして見逃してもらおうとする。そんな見え透いた嘘に辟易したものの、叔父殺しは避けて、スカーに「ここから出ていけ!そして二度と戻ってくるな!!」と永久追放を言い渡すシンバ。が、スカーは出ていくフリをしてシンバを油断させ、その隙を突いて不意打ちを狙う。ひとしきり揉み合いになった二頭だが、結局スカーは崖から落下。崖の下でスカーが起き上がると、そこにはハイエナたちが待ち伏せしていた。ムファサの死の責任を被(かぶ)せられ、スカーにあくどく利用されていたと気づいたハイエナたちは、スカーを恨みに任せて食い殺してしまう。

戦いが終わると、シンバはプライドランドの新たな王となった。
時が経ち、王国は豊かな自然が再生し、命が循環する国に蘇った。そして、王シンバと王妃ナラの間に新しい生命が誕生した。王国の世継ぎに恵まれたことに、動物たちは祝福の声を挙げ、心からの喜びを分かち合うのだった―。

▼予告編



音符 挿入歌“Can You Feel the Love Tonight”(邦題:「愛を感じて」) :
(performed by Beyoncé(Nala), Donald Glover(Simba), Billy Eichner(Timon)and Seth Rogen(Pumbaa); written by Tim Rice ; composed by Elton John ; produced by Pharrell Williams)


音符 Beyoncé & Donald GloverCan You Feel the Love Tonight”(Lyrics) :


Behind the Scenes



▼ cf. アニメ版『ライオン・キング』 Opening Scene – 音譜Circle of Life” :
【原題:The Lion King、監督:ロジャー・アラーズ&ロブ・ミンコフ、上映時間:88分、米国公開:1994年6月24日、日本公開:1994年7月23日】
【「サークル・オブ・ライフ/Circle of Life」は、映画の一番最初に流れるオープニング曲。作詞はTim Rice、作曲はElton John。南アフリカのズールー語の歌詞をレボ・M(Lebo M.、1964~)が歌い、英語の歌詞をカーメン・トゥイリー(Carmen Twillie、1950~)が歌う。】


▼ cf. LION KING(2019 vs 1994)Official Trailer Comparison SHOT BY SHOT



私感
『ライオン・キング』、かつて観たアニメ版も、そして今作も共に喜びと楽しさを満喫できた映画だ。
ストーリー自体は基本的に単純明快な勧善懲悪モノ。勧懲ドラマは一般に、観る者に安心感や爽快感を与えるものの、いかにも作り物めいた薄っぺらいモノに堕しがちである。しかし、私の場合、ことさら好きな動物映画のゆえだろう、『ライオン・キング』の、その点ついては全く気にかからず…。
今作の場合、何しろ映像~VR(仮想現実)空間~が全体的に際立って美しい!3Dでモデリングした自然環境に、キーフレームアニメの動物だけを配したフルCG世界。そこにはもはやナマの人物や風景を直に捉えた撮像がないにもかかわらず、動物たちが人語を発し、いい歌声を聴かせる状況を除けば、まさしくネイチャー・ドキュメンタリーを見るかのごとき現実の野生そのものが“再生”されている。素晴らしい!何より幼少期のシンバの可愛らしさは格別!
2019年8月18日(日)「アップリンク吉祥寺」(東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目5−1 吉祥寺パルコ地下2階、吉祥寺駅北口から徒歩約2分)で、17:35~鑑賞。

「さよなら、退屈なレオニー」 (1)

作品データ
原題 La disparition des lucioles
英題 The Fireflies Are Gone
製作年 2018年
製作国 カナダ
配給 ブロードメディア・スタジオ
上映時間 96分


「さよなら、退屈なレオニー」 (2)

カナダの海辺の田舎町を舞台に、高校卒業を控え、やりたいことも自分の居場所も見つからず、苛立ちを抱える少女のひと夏の成長を綴った青春ドラマ。監督はカナダの新鋭セバスチャン・ピロット。2018年・第31回東京国際映画祭「ユース」部門で『蛍はいなくなった』のタイトルで上映され、主演のカレル・トレンブレイがジェムストーン賞を受賞した。共演に『セックス依存症だった私へ』のピエール=リュック・ブリヤン。Rushをはじめとするカナダのバンドの曲が随所で流れる。

ストーリー
カナダ・ケベックの海辺で暮らす17歳の少女レオニー(カレル・トレンブレイ)は、高校卒業を1か月後に控えながら、どこかイライラした毎日を送っていた。退屈な街を出たいと思いつつ、自分が何をしたいかが分からない。口うるさい母親も気に入らないが、それ以上に母親の再婚相手~ラジオDJをしている義父~が嫌いで仕方ない。彼女が唯一、頼りにしているのは離れて暮らす実の父親だけだった。ある日、レオニーは街のダイナーで、年上のミュージシャン、スティーヴ(ピエール=リュック・ブリヤン)と出会う。どこか街になじまない雰囲気を纏う彼に興味を持ち、何となく取り敢えず彼からギターを習うことに…。夏が過ぎていくなか、相変わらず口論が絶えない家庭、何か浮いている学校生活、黙々とこなす野球場のアルバイト、そして暇つぶしで始めたギター…。つまらないことだらけの毎日だが、レオニーのなかで何かが少しずつ変わり始めていた…。

▼予告編

2019年8月16日(金)「アップリンク吉祥寺」(東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目5−1 吉祥寺パルコ地下2階、吉祥寺駅北口から徒歩約2分)で、15:25~鑑賞。

「巴里祭」 (1)

作品データ
原題 Quatorze Juillet
英題 Bastille Day
製作年 1932年
製作国 フランス
配給 東和商事
上映時間 86分

フランス公開 1933年1月14日
日本公開 1933年4月

「巴里祭」 (2)

フランスの巨匠ルネ・クレール(René Clair、1898~1981)の自らの脚本による、『巴里の屋根の下』『ル・ミリオン』『自由を我等に』に次ぐ、第4回トーキー作品。パリ情緒豊かな下町を舞台に、フランス革命記念日(“巴里祭”)の祭り気分に沸き立つ街の情景が、モーリス・ジョベール(Maurice Jaubert、1900~40)の名曲に乗せて描かれる。美しい花売り娘アンナと若いタクシー運転手ジャンの恋を中心に、陽気な商人や気難しい老人や腕白な悪童たちなどが背景を彩る。前作品同様に撮影にはジョルジュ・ペリナール(Georges Périnal、1897~1965)が、舞台装置にはラザール・メールソン(Lazare Meerson、1900~38)が力を貸している。主演者は『ル・ミリオン』『掻払いの一夜』のアナベラ(Annabella、1907~96)と新進のジョルジュ・リゴー(Georges Rigaud、1905~84)との二人で、これを助けて『巴里の屋根の下』のポーラ・イレリー、『ル・ミリオン』『自由を我等に』のポール・オリヴィエ、『ヴェルダン 歴史の幻想』のトミー・ブールデル、それからレーモン・コルディ、レーモン・エモス、等々が出演している。優しい笑いで人々を包み込み、チャップリン、小津安二郎など、世界の映画作家にも多大な影響を与えたルネ・クレールの生誕120周年を記念し、代表作『巴里祭』『リラの門』4Kデジタル・リマスター版が、2019年6月22日より全国順次公開(配給:セテラ・インターナショナル)。

※ cf. 『ウィキペディア日本語版』「巴里祭」(2019年8月20日閲覧) :
≪映画の原題は、端的にQuatorze Juillet(「7月14日」)である。/しかし、それだけでは日本人には馴染みがないため、『巴里祭』という邦題となった。本作の影響で、1789年7月14日のバスティーユ襲撃、翌1790年7月14日の建国式典(建国記念日)などフランス革命記念日にあたる「7月14日」の「フランス国民の祝祭日 (Fête nationale française)」を、日本では「パリ祭」などと呼ぶようになった。なお、フランスでは7月14日を「パリ祭」とは呼ばない。/『巴里祭』という邦題を考案したのは、本作を輸入し配給した東和商事社長・川喜多長政たちである。川喜多長政・川喜多かしこ夫妻や、宣伝担当の筈見恒夫たちが試写を観て茶を飲みながら感激を噛みしめ合ううち、自然に浮かんで決定した題名だった。読み方について、今日では「ぱりさい」が一般的だが、川喜多かしこは「名付けた者の気持ちとしてはパリまつりでした」と語っている。当時の観客の大半も「パリまつり」と呼んでいたという。荻昌弘もまた、「私の感覚では、これはどうあってもパリまつり、だ」と述べている。/シャンソン歌手のリス・ゴーティ(Lys Gauty、1900~94)が歌うモーリス・ジョベール作曲、ルネ・クレール作詞の同映画音楽「巴里祭 (À Paris dans chaque faubourg)」が知られている。本来の邦題名は「巴里恋しや」。直訳ないし意訳では「パリでは、どの界隈でも」などとなる。≫

ストーリー
パリの下町、丘のあるカルチエ(Quartier=「地区」)での物語。タクシー運転手のジャン(ジョルジュ・リゴー)は、向かいのアパルトマンに住む花売り娘のアンナ(アナベラ)が好きだった。アンナとてジャンには心を惹かれていた。だが、ジャンにはポーラ(ポーラ・イレリ)という昔の恋人で、この界隈をうろつき回る女がいた。
フランスの国家祭ともいうべき7月14日の革命記念日の前夜のこと。アンナはレストランにやって来た酔いどれの老人客であるイマック(ポール・オリヴィエ)と騒動があり、花売りに出入りしていたレストランから閉め出されてしまう。少し心が鬱(ふさ)ぐアンナは、ジャンと連れ立って踊りに行く。お祭り気分で活気に満ちた町の真ん中の野天で、ダンスを楽しむ二人。そして、俄雨(にわかあめ)に祟られ人々が散る中、軒下で二人きりの雨宿り。アンナとジャンは抱擁の時を得て、互いに本当に恋をしていることをまざまざと実感する。それは二人にとって幸福な夜だった。
翌日、7月14日、もうパリ全市の人々が祭りで有頂天になっていた日、ジャンの部屋を訪ねたアンナはそこに女の持ち物を見た。それは、ポーラが脱ぎ捨てた華美な着衣だった。ポーラは昨夜遅く、強引にジャンのところに押し掛けて泊まり込んだのだが、アンナを想うジャンはポーラの誘惑に負けず、一晩を外で明かしたのだった。そんなジャンの思いやりを知らぬアンナは、一途(いちず)に男の心を疑った。が、折も折とて病の床にいた母が彼女一人を残してこの晩に急死してしまう。悲しみに暮れてジャンの名を呼ぶアンナだったが…。アンナは独りぽっちになり、やがて部屋も引越し、近所のキャフェに勤めることとなった。
一時の誤解から仲違いしたアンナとジャンとはそれから長い間、逢わないでいた。自棄(やけ)になったジャンは、ポーラに唆され犯罪者に身を落とした。ポーラもまた、もう彼の女ではなくフェルナン(トミー・ブールデル)というアパッシュ(Apache=「ならず者」)の情婦となっていた。ある夜、ジャンはフェルナンの片棒を担いでキャフェに強盗に入った。そこはアンナの勤務先だった。アンナと再会した時にジャンは我に返った。そして、彼女の身を守ろうとした。アンナもジャンを庇(かば)い逃がそうとした。アンナは結局、キャフェを馘(くび)になる。
二人がまた逢わないで日が経った。やがてアンナはあの酔っぱらいのイマックから法外な金で花を買ってもらう。彼女はその金で久しく止めていた花売りをまた始めた。そして、ある日のこと、花を乗せたアンナの手押し車がタクシーにぶつかった。その運転手はジャンだった。ジャンもまた正業に戻っていたのだ。二人の周りを取りまいて互いに加勢しワイワイ騒ぐ野次馬…。折しも、あの日のような俄雨が降ってきた。野次馬が散って、またジャンとアンナとは二人きりになった。今度の雨宿りは、彼らに前より一層確かなものをもたらしたようだった―。

▼4Kデジタル・リマスター版(『巴里祭』→『リラの門』) 予告編
[『リラの門』(原題:Porte des Lilas、1957年)は、ルネ・クレール円熟期の傑作。警官殺しを匿うことになったお人よしの主人公の人情喜劇。ろくでなしだが憎めない主人公を名優ピエール・ブラッスール(Pierre Brasseur、1905~72)が熱演。]



音譜 主題歌“À Paris dans chaque faubourg”(Lyrics、作詞:René Clair、作曲:Maurice Jaubert) :



音譜À Paris dans chaque faubourg”(歌唱:Lys Gauty、『Quatorze Juillet』公開時にリリース) :

2019年8月9日(金)TOHOシネマズ新宿(東京都新宿区歌舞伎町 1-19-1 新宿東宝ビル3階、JR新宿駅東口より徒歩5分)で、18:35~鑑賞。

「アルキメデスの大戦」

作品データ
製作年 2019年
製作国 日本
配給 東宝
上映時間 130分


『週刊ヤングマガジン』連載の三田紀房の同名コミックを、『あゝ、荒野』の菅田将暉主演、『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズの山崎貴のメガホンで実写映画化。巨大戦艦“大和”の建造計画の是非を巡り、海軍内部が二分する中、数学によって計画を阻止しようと奔走する「天才」数学者~計測マニアで常に巻き尺を携帯し、軍隊嫌いを公言する「変わり者」~の奮闘を描く。共演に柄本佑、浜辺美波、舘ひろし、笑福亭鶴瓶、田中泯。

ストーリー
1933(昭和8)年。欧米列強との対立を深め、軍拡路線を歩み始めた日本。海軍省は世界最大の戦艦を建造する計画を秘密裏に進めていた。だが、省内は決して一枚岩ではなく、この計画に反対する者も。「今後の海戦は航空機が主流」と考える海軍少将・山本五十六(舘ひろし)は、巨大戦艦の建造がいかに国家予算の無駄遣いか、独自に見積もりを算出して明白にしようと目論んでいた。しかし、戦艦に関する一切の情報は、建造推進派の者たちが秘匿している。必要なのは、軍部の息がかかっていない協力者…。山本が目を付けたのは、100年に一人の天才と言われながら、東京帝国大学数学科を放校された若き数学者・櫂直(かい・ただし、菅田将暉)。ところが、この櫂という男は大の軍隊嫌いで、「数学こそが真の正義である」という信念を持つ“変わり者”だった。頑なに協力を拒む櫂に、山本は衝撃の一言を叩きつける。「巨大戦艦を建造すれば、その力を過信した日本は、必ず戦争を始める」…この言葉に意を決した櫂は、帝国海軍という巨大な権力の中枢に、たった一人で飛び込んでいく。天才数学者VS海軍、かつてない頭脳戦が始まった。同調圧力と妨害工作の中、巨大戦艦の秘密に迫る櫂。その艦の名は、“大和”…。

▼予告編

2019年8月2日(金)新文芸坐(東京都豊島区東池袋1-43-5 マルハン池袋ビル3F、JR池袋駅東口下車徒歩3分)で、特別レイトショー|20:00~ 鑑賞。

「ザ・バニシング ー消失ー」

作品データ
原題 Spoorloos(=「痕跡なし」)
英題 The Vanishing
製作年 1988年
製作国 オランダ/フランス
配給 アンプラグド
上映時間 106分


オランダの作家ティム・クラッベ(Tim Krabbé、1943~)のスリラー小説“Het Gouden Ei(=「金の卵」)”(1984)(矢沢聖子訳『失踪』日本放送出版協会、1993年)の映画化作品。1988年オランダ映画祭で最優秀作品賞を受賞したサイコ・サスペンス。日本では長らく劇場未公開だったが、2019年4月12日に劇場初公開が実現。ある日突然消えた恋人を捜す執念と亡霊にとり憑かれたかのような男が、次第に精神的に追い詰められていく姿を描く。出演は『S&M ある判事とその妻』のジーン・ベルヴォーツ、『幸せはシャンソニア劇場から』のベルナール・ピエール・ドナデュー、『サージェント・ペッパー ぼくの友だち』のヨハンナ・テア・ステーゲ。監督は『マイセン幻影』『ダーク・ブラッド』のジョルジュ・シュルイツァー。

ストーリー
頑固で真面目な男レックス・ホフマン(ジーン・ベルヴォーツ)と、明るく無邪気な女サスキア・ワグター(ヨハンナ・テア・ステーゲ)は、オランダ人の恋人同士。二人は7月のツール・ド・フランスの季節に、フランスの田舎へ自転車を積んだ車に乗って小旅行にやってきた。車中で他愛もない会話を交わし、サスキアは昨夜見た奇妙な夢《金の卵》の話をする。「私が金の卵に閉じ込められ、永遠に真っ暗な宇宙をさまよい続けるの…。そして、もう一つ金の卵が現われて、この二つの卵がぶつかったら全てが終わったわ…」。直後、トンネル内でガス欠になってしまい口論となる。サスキアを置いて一人歩き出したレックスだったが、ガソリンを持ち帰り運転を再開する。
一方その頃、ドライブインの駐車場に車を停めた男レイモン・ルモン(ベルナール・ピエール・ドナデュー)が、健康な腕にギプスをはめた姿で売店に立っていた…。
ほどなくしてレックスとサスキアの乗る車も給油のため駐車場へ。仲直りした二人は広場で休憩を取り、旅の記念にと木の根元にコインを埋めた後、サスキアは売店へ飲み物を買いに行く。ところが、彼女はいつまで経っても帰ってこない。焦燥感に駆られ必死に辺りを探すレックスだったが、“自動販売機の前で男と話していた”という目撃証言以外の手がかりは見つからなかった。すぐ傍(そば)にいたにもかかわらず、霧のように忽然と消えたサスキア…。

(物語は過去に遡る―) 山荘で家族団欒の時間を過ごすレイモン。妻と二人の娘を愛し、大学教授を務める、良識ある平凡な家庭人に見える。しかし長い間、女性を誘拐するために、いろいろ秘密の計画を練っていた。
彼はクロロホルムを使って短時間で素早く女性を誘拐するため、自身を実験台にして、クロロホルムを吸って睡眠状態になるまでの時間を調べる。そして、「女性をうまい口実によって助手席に乗せ、クロロホルムの染み込んだ布を、女性の口に押し当て気絶させる」という一連の行動を繰り返しシミュレーションする。準備を終えると、実際に街中で「道案内する」という口実で女性を車に乗せようと試みるが、いつも断られてしまい上手くいかなかった。ある日、レイモンは娘が通っている習い事の教師に声をかけてしまい、ナンパなら人の多いドライブイン(サービスエリア)がいいと彼女に勧められる。彼はその言葉に従い、レックスとサスキアが後に訪れるドライブインへと通うようになった。

(サスキアが失踪して3年後―) 知人と街を歩くレイモンは、「この女性を3年間捜し続けています」というサスキアの写真の載ったポスターを目撃する。写真のサスキアは、あの頃の“目” と同じ、眩しいほどの笑顔を向けていた。
レックスは諦めず捜索を続けていた。彼には既にリーネケ(グウェン・エックハウス)という新しい恋人がいたが、サスキアのことが頭から離れずにいたのだ。彼はフランスのTV番組に出演し、「犯人に言いたい。もう彼女が無事だとは思っていない。君を断罪するつもりもない。ただ、あの時、何があったのか知りたい」とコメントする。その番組を、レイモンは家族と一緒に観ていた。
番組への出演後、レックスの家にはイタズラの手紙がたくさん届いたが、彼はその中から、犯人しか知らない情報が書かれた手紙を見つける。レックスは手紙に書かれていたレストランに向かうが、店内に待機していたレイモンは話しかけることなく、彼の様子をこっそりと窺っていた。その後も、レックスは取り憑かれたようにサスキアの捜索を続ける。しかし、彼が捜索活動のために借金までしていることを知ったリーネケは愛想を尽かし、彼の元を去っていった。
そこへ、突然レックスの前にレイモンが現われ、「私が犯人だ」と名乗る。レックスは瞬時に激昂しレイモンを何度も殴りつけるが、彼女をどうしたのか教える条件は、車で一緒にフランスへ来ることだと告げられる。レックスは真実を知りたい一心で車に乗り込み、二人はフランスに向かう。国境を通過した辺りで、レイモンは事の真相を語りだした。

レイモンは自身が普通ではなく、「反社会性パーソナリティー障害」だと自覚していた。16歳の時、ふと興味を持って自宅のバルコニーから飛び降り腕を骨折した記憶を回顧しながら、「普通なら思いとどまるところをやってしまうのが自分なんだ」と彼は語る。
それでも、彼は自分が“正しい人間”であることを立証したいという願望を抱き続けていた。それから十数年が経ち、家族ができた頃、彼は川で溺れる幼女を助ける。自分の娘からその行為を賞賛され英雄視されるが、まだ満足できなかった。やがて自分の「正しさ」~自分の中に“悪”の部分がないこと~をさらに証明するために、彼は「殺人以上に残酷な行為」を考え始める。彼がずっと女性を誘拐するシミュレーションをしていたのは、そのためだった。
シミュレーションと実践を繰り返す中、レイモンは様々な口実を考案するが、なかなか女性を助手席に乗せることができなかった。そんな時、彼は誕生日に、自身の半生がまとめられたアルバムを長女からプレゼントされる。彼はそこで、骨折し腕にギプスをはめている16歳の自分が映った写真を見つけ、「怪我人のふりをして女性に介助してもらう」というアイデアを思いついた。
そして、ついに“あの日”が到来する。最初に誘拐しようとした女性は思いがけない失敗で逃がしてしまったものの、気を取り直して売店に向かったレイモンは、サスキアと遭遇する。次女が誕生日にプレゼントしてくれたイニシャルである「R」のキーホルダーに、同じくイニシャルが「R」のレックスの妻だったサスキアが食いついたことで二人は意気投合し、レイモンは簡単に彼女を車に乗せること、そしてクロロホルムを嗅がせて気絶させることに成功した―。

レックスはレイモンに、サスキアをその後どうしたのか尋ねるが、そこにパトカーがやって来たことで話は中断されてしまう。警官はシートベルトを着けていないレイモンを咎めようとしたが、彼自身が閉所恐怖症だと明かしたことで、その場は落ち着いた。
真夜中、レイモンはかつてサスキアを誘拐した、あのドライブインに車を停める。そして、レックスに向かって、「これを飲め、彼女と同じ目に遭わせる」と睡眠薬入りと告げた上で、水筒に入れていたコーヒーを差し出す。あまりに危険で狂った提案に一度は断わったレックスだったが、サスキアとともに木の根元に埋めたコインを見つけたことで、ついには彼女がどうなったのかという一点を追い求めた心が勝利した。この機会を逃したら、謎は死ぬまで頭を離れないだろう。意を決してコーヒーを飲み干す!
しばらくして、目を覚ましたレックスは、全ての真相を悟った。彼は棺桶のような箱に入れられ、地中深くに埋められていた。そこはサスキアが見た《金の卵》の夢かと見まがう、気が狂いそうなほどの孤独の世界…。サスキアのことを想いながら、レックスは叫び声を上げる。しかし、どうすることもできず、唯一の灯りだったライターの火も、次第に消えていく。

ある日の休日、レイモンの家族は地中に人が埋められているとも知らず、無邪気に山荘で遊んでいる。レイモンはその光景をじっと見つめていた―。

▼予告編

2019年8月2日(金)新文芸坐(東京都豊島区東池袋1-43-5 マルハン池袋ビル3F、JR池袋駅東口下車徒歩3分)~企画「映画を通して歴史や社会を考える①あの戦争を忘れない」~で、17:40~ 鑑賞。『野火』15:35~と2本立て上映。

「軍旗はためく下に」

作品データ
製作年 1972年
製作国 日本
配給 東宝
上映時間 97分

初公開 1972年3月12日

結城昌治(1927~96)の直木賞受賞作の同名小説を『博徒外人部隊』の深作欣二(1930~2003)が監督した反戦ドラマ。敵前逃亡の汚名を着せられた兵士の未亡人が夫の死の真相を探る過程を通して軍隊の非人間性と戦争の不条理を描き出す。結婚して半年で出征した夫、勝男を今でも愛慕する、純真素朴な未亡人サキエを、『にっぽん昆虫記』『飢餓海峡』の左幸子(1930~2001)が好演。

ストーリー
1952(昭和27)年、「戦没者遺族援護法」が施行されたが、厚生省援護局は一戦争未亡人の遺族年金請求を却下した。「元陸軍軍曹・富樫勝男(丹波哲郎)の死亡理由は、援護法に該当すると認められない」。富樫軍曹(分隊長)の死亡理由は、「戦没者連名簿」によれば、1945(昭和20)年8月南太平洋の最前線において、「敵前逃亡」により処刑されたと伝えられている。そして、遺族援護法は「軍法会議により処刑された軍人の遺族は国家扶助の恩典は与えられない」と謳(うた)っているのだった。富樫軍曹の未亡人サキエ(左幸子)は、この厚生省の措置を不当な差別として受け取った。それには理由があった。富樫軍曹の処刑を裏付ける証拠、例えば軍法会議の判決書などは何ひとつなく、また軍曹の敵前逃亡の事実さえも明確ではなかったからである。以来、1971(昭和46)年の今日まで、毎年8月15日に提出された彼女の「不服申立書」はすでに20通近い分量となったが、当局は「無罪を立証する積極的証拠なし」という判定を繰り返すだけだった。しかし、サキエの執拗な追求は、ある日とうとう小さな手掛かりを掴むことになる。亡夫の所属していた部隊の生存者の中で当局の照会に返事を寄越さなかったものが4人いた、という事実である。その4人とは、元陸軍上等兵・寺田継夫(養豚業/三谷昇)、元陸軍伍長・秋葉友幸(漫才師/関武志)、元陸軍憲兵軍曹・越智信行(按摩/市川祥之助)、元陸軍少尉・大橋忠彦(高校教師/内藤武敏)。サキエは藁にもすがる思いで、この4人を訪ねて回り、真実を追求していく。彼らはどんな過去を、戦後26年の流れの中に秘め続けてきたのか…?その追求の過程で、更に多くの人物が彼女の前に現われてくる。師団参謀・千田少佐(中村翫右衛門)、小隊長・後藤少尉(江原真二郎)、富樫分隊員・堺上等兵(夏八木勲)、同小針一等兵(寺田誠)。その結果、サキエの前に明らかにされたものは、今まで彼女の想像したこともなかった恐るべき戦場の実相だった。敵前逃亡、友軍相殺、人肉嗜食、上官殺害等々。そうしたショッキングな事件が連続する中で、サキエは否応なく、亡夫のたどった苛烈な戦争の道を追体験していくのだった―。

▼予告編