テーマ:ブルース
今回は、ブルースの聖地のひとつと言われるシカゴのマックスウェル・ストリートについて。
マックスウェル・ストリートと名づけられたこの通りは、ユダヤ系の移民が多く住むシカゴのウエスト・サイドに位置します。1994年に閉鎖されるまで80年以上に渡って、毎週日曜になると野外マーケットには最盛期、数万人の人出があったそうです。
何でも売っていたというこのストリート。古着、家具、雑貨類、料理に占い。そして音楽も。1940年代、後にシカゴ・ブルースへと進化していくミシシッピー・デルタの臭いのするブルースをここに持ち込んだのが、南部から労働を求めてシカゴに異動してきたアフリカ系アメリカ人たちです。その中にはマディ・ウォータースやハウリン・ウルフらもいました。
シカゴ・ブルースはマックスウェル・ストリートで作られ磨かれた。今日ではそんなふうに言われますが、マディ・ウォータースも無名時代は、この土地でストリート・ミュージシャンとして日銭を稼ぎながら腕を磨いたそうです。
おそらく多くの人がそうであるように、僕もマックスウェル・ストリートのことを知ったのは、映画 『ブルース・ブラザース』 (1980) の中で、ジョン・リー・フッカーが 「Boom Boom」 を演奏するシーンからです。画面から伝わってくる猥雑な雰囲気は、ブルースという音楽と混ざり合い独特の空気を作っている感じがします。日本でいうと、浅草や上野のアメ横とかに近いのかなぁ。そこにかつての原宿のホコ天をくっつけた。んー ちょっと違うか・・・
ジョン・リー・フッカーはデトロイトのブルースマンなのですが、このマックスウェル・ストリートにピッタリはまっています。
ここではブルース意外の様々な音楽も演奏されていたようですが、次の映像はゴスペルです。マックスウェル・ストリートを記録したドキュメンタリー・フィルム 『And This Is Free』 の中でも、印象深い映像です。踊っている女性は、ほとんどトランス状態のような感じです。かつてシカゴでゴスペル・コンサートにいった際、歌っている人たちの目に怖さを感じたことがあります。マスクワイヤなどは、それが集団で迫ってくる感じがして、慣れていないとその場にいてはいけないような気持ちになってしまうのです。その頃、日本ではちょっとしたゴスペル・ブームなんかもあったのですが、認識が変わりましたね。やはり宗教ですから。これは余談ですが・・・
一般にシカゴ・ブルースといわれる音楽は、マディ・ウォータースらが南部から持ち込んだデルタのアコースティツク・ブルースを電化した、バンド・スタイルの音楽と言われています。このストリートでの演奏は、隣接するアパートや商店のコンセントから電気を引っぱっていたそうです。
いったいどれだけのブルースマンがマックスウェル・ストリートで演奏したのか。リトル・ウォルター、スヌーキー・プライヤ、ホームシック・ジェイムス、ジョニー・ヤング、JBハットー といった名前の知られたひとたち以外の名もなきブルースマンたちにも想いをはせ、もしタイムマシンがあれば、シカゴ・ブルース全盛の50年代のマックスウェル・ストリートに行ってみたいなぁ と思ってしまうのです。
ロバート・ナイトホーク。このひとのスライド・ギターがまた情感たっぷりで素晴らしいのです。もう どっぷりのブルースです。
1994年。イリノイ大学のキャンパス拡張のため、マックスウェル・ストリートのオープン・マーケットは閉鎖されました。97年、僕がシカゴを旅した時には、一部の隣接するビルは解体が始まっていて、名物のホットドッグ屋さんがあるぐらいでした。そのホットドッグを食べながら、かつての賑わいを想像するしかなかったのです。
ビルの中には、南北戦争時代に建てられた物もあったそうです。歴史の浅いアメリカという国は、古い物や伝統ある物に敬意を示す反面、合理的な考えのもと簡単に壊してしまうところもある。よくわからない人たちだ。
2000年、多くの反対運動も実らず、マックスウェル・ストリートは取り壊されました。