誰かの妄想 -5ページ目

怪文書が好きなネトウヨ(アーソン・グレブスト編・その3)

嫌韓ネトウヨの「悲劇の朝鮮」からの恣意的引用・第3回目です。


第1回:http://ameblo.jp/scopedog/entry-10114681424.html
第2回:http://ameblo.jp/scopedog/entry-10114684316.html


今回は近代以前の朝鮮の医学に関する話題です。


で、またしても黄文雄からの孫引き引用。

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http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/5626262.html

(ま、ネトウヨブログはともかく、市民記者が引用して民族差別を助長してたりするのには唖然・・・。)

http://www.ohmynews.co.jp/draft/20070410/3244
赤崎 晟一(2006-11-19 10:45)
韓国は日本人がつくった―朝鮮総督府の隠された真実 黄文雄 2002年 出版社: ワック
 韓国の医療史や疫病史を見ると、たいていは巫女(シャーマン)をはじめさまざまな信じられない迷信によって治療を行っていた。グレブストの『悲劇の朝鮮』のなかに、いくつかの治療法が書かれている。たとえば、牛糞を塗る。ヒマワリの種を湯がいて食べる。患者がモモの種を二つに割り、一方に「日」の字、もう一方に「月」の字を書いてハチミツで再びくっつけて一気に飲み込む。小さな蛙を3匹生きたまま丸飲みする(腹痛に即効)。重症の場合は、煮たカササギを1羽、あるいは焼いた犬の足を4本食べるといい。あるいは、茄でた熱い海藻を腹のまわりに巻く。じっくり沸かしたお湯に40歳の女性の髪の毛を入れて飲む。ガマガエルを地面に仰向けにし、その腹を3度叩いて地中に埋め、また掘り出してから紐でしっかり縛ってから火で焼いて粉にして水で飲む、など。こういった民間療法は、数千年来ほとんど変わっていなかった。
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該当するのは「悲劇の朝鮮」P124~126の部分だが、この箇所では、ソウルに滞在しているドイツ人医者のブンシュ博士が、記者のグレブストに対して、迷信深い韓国人について愚痴っており、一冊の本をグレブストに渡しています。その本の中から「何よりも奇妙に思えた治療法」について、グレブストは書いているわけです。


つまりですね、近代医学とは言わずとも普通の民間療法がたくさん載っている本(「医者のための指針」)の中から、記者として興味深いと感じた治療法を特に抽出しているわけです。


なので、
「たいていは巫女(シャーマン)をはじめさまざまな信じられない迷信によって治療を行っていた」
などと、勝手に「たいていは」などとつけて決め付けるのはおかしいんですね。


そもそも黄文雄は、
「韓国の医療史や疫病史を見ると」
と書いてますが、韓国の医療史を見るのであれば、医学の素人であるグレブストの「悲劇の朝鮮」などではなく、「医方類聚」あたりを調べるのが筋でしょう。


そして、その「医方類聚」に対する評価と言うのは高いんですよ。

http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2008/06/0806j0314-00003.htm
三木栄の大著「朝鮮医学史および疾病史」では、「医方類聚」を「実に現存医書としては古今東西に比を見ない浩瀚なもの」と評している
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2008/06/0806j0307-00004.htm
「医方類聚」はいわば医学辞典のようなものであるが、このような性格の医書としては世界最初のもので、スペインで「医学および外科学辞典」が出版されたのは1807年のことである。
http://www.hum.ibaraki.ac.jp/mayanagi/paper04/shiryoukan/me056.html
医方類聚は朝鮮国の医書なり。さきに仙台の医、工藤平助の家に蔵して伝えいう、加藤清正の掠帰するところと。先教諭(元簡)重資を以て購い得て、深く宝重したまえり。云々


「医方類聚」は加藤清正によって朝鮮から掠奪されたもので、現在原本はそれしか残っていないそうですね。わざわざ日本に持ってきたんだから、韓国の医療史を語るならちゃんと引用しましょうね。



他にも「東医宝鑑」などがありますね。

http://www.yuishobo.com/hojun2.html
 「東医宝鑑」の公刊は、朝鮮本国はもとより、日本、そして漢方の"本家"中国にも多大な影響を与えてきた。日本では、1662年に江戸幕府が使節団を朝鮮に派遣した折に同書を求めており、それをもとに1724年、京都書林より、出版され、続いて1799年、1984年にも本書が刊行されている。


どうも、黄文雄も市民記者の赤崎晟一も、まともに韓国の医療史や疫病史を調べたことはなさそうですな。


そしてここもなかなか。
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http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/rekisi36.htm
朝鮮の所謂、民間療法と呼ばれる、迷信からくる医療とも呼べない俗説は、さらに多くの死者を出している。
グレブストの著作「悲劇の朝鮮」には、その民間療法の幾つかが紹介されている。
例えば、患者に牛糞を塗る。ひまわりの種を湯がいて食べる。小さな蛙を3匹生きたまま丸飲みする。
重病人には、煮たカササギを一羽、或いは、焼いた犬の足を4本食べると良い。
また、湧かしたお湯に40歳の女性の髪の毛を入れて飲む。
他にも、信じられない無いような民間療法が、朝鮮では何百年も変わることなく伝えられてきた。
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いつの間にか「多くの死者を出している」ことにされています。

そりゃまあ、近代以前の医学知識による医療行為で死者が出たことは少なからずあるでしょうけど、それって韓国特有の事情だとでも思ってるんですかね?


日本・中国・韓国は中国の文化圏に属するわけで、中世には漢文を通じて多くの知識が共有されています。漢方医学もそのひとつです。
人中黄(人糞)、人中白(尿)なども、漢方薬として日本に紹介され、熱さましなどに用いられています(平賀源内が、旅先の病気に備えて赤ん坊の便を携行するように書いてたり)。牛糞とは違いますが、天然痘の予防に使うのは、牛のかさぶたですし(これは医学的根拠がありますが)、蜂に刺されたら尿をかければよい、なんてのもよく聞く民間療法ですね。今で言うと、精神疾患であったろう”狐つき”に対して、狐を追い出すための治療として殴り殺したなんて話も珍しくありません。


近代に至るまでは結構迷信を含めた民間療法は日本でもよくやっていましたし、現代になってもなくなったわけではありません。


日本で、飲尿療法が流行ったのはつい最近ですし、なんとか還元水など、科学的に根拠を見出していない民間療法が流行っているのは周知の事実ですね(ちなみに民間療法もその三分の一くらいは実際に効果がある、との推定もありますので、民間療法を一概に馬鹿にすることはできませんが)。


ま、とにかく、1年足らずの韓国訪問に基いたグレブストの記述を以て、韓国の医療史を語った気になるのは、アホとしか言いようがありませんね。


怪文書が好きなネトウヨ(アーソン・グレブスト編・その2)

嫌韓ネトウヨの「悲劇の朝鮮」からの恣意的引用・第2回目です。

第1回:http://ameblo.jp/scopedog/entry-10114681424.html


1904年当時の韓国の治安状況に関する内容です。
日本右翼のロビー活動に携わっている台湾人・黄文雄の著作からの孫引き引用が多いようです。


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http://blog.livedoor.jp/hjm2/archives/50509896.html
「歪められた朝鮮総督府」 黄文雄 1998年 光文社
アーソン・グレブストの『悲劇の朝鮮』には、「(李氏)朝鮮はきわめて盗賊の多い国家で、城塞(ソウル)の外で夜を過ごすことは大変危険だった。ソウルの外廓には人命を蝿の命ほどにも思わぬ山賊やならず者で溢れていた」と記されている。李朝末期の司法は、拷問で自白させ、賄賂が横行していた。判決は賄賂の多少によって決められた。ただでさえ牢屋が不十分で、近代的監獄がなかったので、犯人は笞刑(むちうち刑)にするかあるいは処刑される者が多かった。というのは、犯人が収監されると、食事や収容施設に経費がかかるからだった。死刑執行所は、監獄内にはなかったので、さらし者にされる以外の者は、たいてい近くの山中の松の樹やくぬぎの樹に吊るして処刑された者が多かった。朝鮮総督府は、大正8年から文化政治を実施し、この非人道的な刑罰を廃止して、近代法治国家としての監獄をつくった。
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黄文雄はまるで、グレブストが韓国を旅した際に「(李氏)朝鮮はきわめて盗賊の多い国家で、城塞(ソウル)の外で夜を過ごすことは大変危険だった。ソウルの外廓には人命を蝿の命ほどにも思わぬ山賊やならず者で溢れていた」と感じたか、ように書いてますが、実際の文章がどうか見てみましょう。当該部分は「悲劇の朝鮮」のP80にあります。



 このパゴダの塔からさほど遠くない所、大通りの近くにあずまやがひとつ建っていて、その中に約四メートルの高さの巨大な鐘(鐘閣)がある。かつては、城門の開閉を知らせるために朝な夕なにこの鐘を鳴らしたという。
 そのころ鐘の音は城門の外はるか遠くまでよく響き、ひとり旅の者たちをふるえ上がらせたものだ。というのも城塞の外で夜をすごすことは大変危険だったからだ。ソウルの外郭には人命を蝿の命ほどにも思わぬ山賊やならず者で溢れていたという。
 また、そんな目にあわないまでも、山野にあって、ソウルの四方八方数限りない墓のあたりに夜ごと現れる鬼神を避けることは、とうてい出来ない相談だという。


「悲劇の朝鮮」P80



読めば、すぐわかりますが、「かつては」と言うように、山賊云々は、随分以前のお話で、「という。」で締めくくっている言い伝えにすぎませんね。


日本で例えれば、京都の五条大橋には通行人を襲う僧兵がいる、と言うようなものです。

一言「いつの時代の話だよ!」というつっこみで終わる話ですな。


なぜか黄文雄は「山賊やならず者で溢れていたという」という伝聞を「山賊やならず者で溢れていた」と断言にすりかえています。


(追記2008/7/10)
ついでに「(李氏)朝鮮はきわめて盗賊の多い国家で」の部分は、黄文雄の創作ですね。元の「悲劇の朝鮮」には該当する文章が見当たりません。
捏造でしょうか。
(追記ここまで)



いやあ、悪質ですね~。

それを後生大事に引用する嫌韓ネトウヨも痛すぎます。実際には「悲劇の朝鮮」を読んでないか、読んだ上で悪意を持って引用しているか、どちらかでしょう。


ちゃんと「悲劇の朝鮮」を読んでいれば、こんな引用を信じるはずがありません。


グレブストは、釜山に上陸した後、日本軍が作った鉄道でソウルに向かってます。途中、大邱で一泊することになり片言の会話で現地韓国人に荷物運びと案内をしてもらって、駅から町の旅館へ暗闇の中を移動しています。無事に大邱に着いて宿で一泊しますが、別に盗賊にも泥棒にも遭ってません。翌日、駅で荷物を運んでくれた韓国人に荷賃を払って気分よく出発しています。

山賊やならず者で溢れていた」などと断言するはずはありません。


これが、嫌韓ネトウヨのやり方です。


人として最低ですね。
彼らの良心は、盲目なのでしょうか?

怪文書が好きなネトウヨ(アーソン・グレブスト編・その1)

嫌韓主張によく使われるアーソン・グレブストの「悲劇の朝鮮」からの引用ですが、ちゃんと読んでみると、まあ、嫌韓のひどいトリミング手法がよくわかります。

アーソン・グレブスト本人は、韓国を1904~1905年に訪問していますが、「悲劇の朝鮮」の内容は、全体的に朝鮮人に対して非常に好意的で、いずれ日本に滅ぼされるであろう韓国皇帝や政府に同情的、そして、韓国侵略を進める日本や、日本の手先となっている一進会に対して批判的です。


一言で言えば、内容は嫌韓ネトウヨにとっては都合の悪い内容です。

嫌韓ネトウヨは、トリミングを使って嫌韓的に引用を行い、民族差別を助長する引用を行っています。朝鮮人に対する民族的誹謗であると同時にアーソン・グレブストに対する冒涜であると言えるでしょう。


さて、「悲劇の朝鮮」関連で書きたいことは、ちょっとあまりにも多いので、アーソン・グレブスト関連の記事は分割することにしました。
前半は、嫌韓ネトウヨの恣意的引用に対する指摘からはじめます。


なお、参照したのは「悲劇の朝鮮」アーソン・グレブスト、高演義・河在龍訳、1989年9月5日初版、白帝社、原本は「I KOREA-MINEN OCH STUDIER FRÅN "MORGONSTILLHETENS LAND"」(朝鮮にて-”朝鮮やかなる国”の回想と研究)、G¨OTEBORG, 1912.です。
また、書名で、”朝鮮”と書かれていますが、1905年当時の国号は大韓帝国であるので、基本的に引用以外は韓国と記載します。


さて、まず最初はグレブストが、日本から韓国に到着した時の記載です。時期は1904年12月、日露戦争の取材に日本に来たグレブストでしたが、他の多くの記者と同様、従軍記者を寄せ付けない日本軍の秘密主義によって、記者として朝鮮・満州の戦場には行けず、商人に成りすまして韓国に向い、釜山に上陸します。

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http://mirror.jijisama.org/syokuminti3.htm
「悲劇の朝鮮」アーソン・グレブスト (高演義・河在龍訳 1989年 白帝社)
釜山で朝鮮が私に与えた第一印象は、さほどいいものではなかった。道は狭く不潔で、家屋は低くて見栄えがしなかった。日本のように人
目を引く商店や、古い寺などもない。四方から悪臭が漂い、戸外にはごみが積もり、長い毛をだらりと垂らした犬が集まってきては食べ物をあさっている。あちこちに乾上った下水道があるが、そのべとべとした底ではいろんな汚物が腐りかけている。そしてその中で髪の毛の長い子供たちが遊んでいる。朝鮮の海辺の村落を通り抜け、車夫らは道がより広く比較的きれいな、日本風の市街地へ向かった……
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「悲劇の朝鮮」P17-18の記述です。

日本に比べて、韓国はこんなに不潔だ、とでも言いたいのでしょうね、嫌韓バカは。日本と韓国の差ではなく、近代初期と近世末期の違いでしかないのですが・・・。


ちなみに上記、嫌韓の引用の直後は、こう続きます。



 朝鮮の海辺の村落を通り抜け、車夫らは道がより広く比較的きれいな、日本風の市街地へ向かった。そこはあらゆるものが典型的な日本だ。日本人は自分たちの移住した国に適応しようとしないで、みずからの風俗をそのまま持ちこんで守ろうとするのである。故国のふるさととまったく同じように家を建て、食事をし、飲み、眠る。ことに朝鮮ではこの傾向が顕著だ。
 生活力の強い日本の種族の帝国主義根性は、朝鮮の滅亡をほとんど既成事実化してしまった。内心そんな目的を抱きながら日本は計画的にことを運んでいた。彼らが礎を築いているのは朝鮮の改革された未来のためではなく、自分たちのためなのだ。
 釜山をめぐっている間にいろんな人物を見ることができた。人びとは白い民族衣装のせいか大変善良で優しい印象を与える。なんと履き物まで白なのだ。労働者は服を三~四枚重ねて着こみ、チゲと称する木でできた大きな背負いこのようなものを背負っているが、それは縄で首のあたりで固定されている。
 土埃が目のなかにはいらぬようにと、彼らは頭を白い布切れでぐるっと結んでおり、横広のズボンは膝下までたくしあげてある。彼らは一般に不潔だが、労働者階級に属さない者は非のうちどころのないほど清潔だ。(後略)


日本の風習に従わない在日韓国朝鮮人に対するのと、同様に、移住先でも自分たちの風習に当時の在韓日本人に対して嫌韓ネトウヨはどう思うのでしょうかね。まあ、都合よくスルーしておしまいだろうけど。


グレブストから見れば、日本人は傍若無人に見え、韓国人は善良に見えているようですね。労働者階級は不潔だが、裕福な者は清潔であると、ま、当時の日本の鉱山労働者と資本家や地主と同様と言えるでしょうね。


嫌韓ネトウヨは都合の悪いところは無視して、都合のいいところだけを引用して、嫌韓という民族差別助長の主張をしています。


悲劇の朝鮮―スウェーデン人ジャーナリストが目撃した李朝最期の真実/アーソン グレブスト
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司馬遼太郎の韓国併合に対する評価

「「昭和」という国家」司馬遼太郎、1999/4/10、NHKBOOKS

P52

 われわれはいまだに朝鮮半島の友人たちと話をしていて、常に引け目を感じますね。これは堂々たる数千年の文化を持った、そして数千年も独立してきた国をですね、平然と併合してしまった。併合という形で、相手の国家を奪ってしまった。こういう愚劣なことが日露戦争の後で起こるわけであります。
 むろん朝鮮半島を手に入れることによって、ロシアの南下を防ぐという防衛的な意味はありました。しかし、日露戦争で勝っ
た以上、もうロシアはいったんは引っ込んだのですから、それ以上の防衛は過剰意識だと思うのです。おそらく朝鮮半島のひとびとは、あと何千年続いてもこのことは忘れないでしょう。
 倫理的な問題ではなく、利害の問題として考えてみましょう。朝鮮を併合することが、国家として儲かることだったのでしょ
うか。
 私は決して儲かることではないと思うのです。
 そういうことを平気でやって、しかもそれは帝国主義であると言われています。帝国主義という言葉は上等ですね。泥棒主義
と言ってもいいのです。


(中略)明治三十年代にどれだけの産業がありますか。
 生糸をアメリカなどに売って、やっと外貨を得ている程度です。他の国に売れるようなものは、マッチとタオルぐらいです。
 産業能力があって十九世紀的な帝国主義というものが成立します。ところが何も売るべき産業もなくてですね、朝鮮半島を取
ってしまったわけです。
 何もないから、結局、東洋拓殖という一種の国策会社ができました。朝鮮半島のひとびとが一所懸命、先祖代々耕してきた水
田を取り上げたりした。
 実際のソロバン勘定からいったら、持ち出しだったでしょう。鉄道をつくったり、総督府をつくったり、学校をつくったり、
郵便ポストをつくったり、それはそれでいいのですが、我を持ち出し、恨みを買った。
 イギリス人やフランス人は国家運営を考えます。外に出ていくときに、儲かるか儲からないか。あるいは目先の儲けではなく
、百年先に儲かるか。常にそういう計算があるはずです。そえが戦略、政略というものだと私は思うのです。
 強欲な百姓が隣の畑を略奪するように、ただ朝鮮半島を取っただけでした。

 


いやあ、昨今のいわゆる”サヨク”など比較にならないくらい”自虐的”ですな。
「帝国主義という言葉は上等ですね。泥棒主義と言ってもいいのです。」
「強欲な百姓が隣の畑を略奪するように、ただ朝鮮半島を取っただけでした。」
などというのは、痛烈で、痛快な指摘です。


自国の問題点を指摘することを「自虐的」だと決め付けて、そういう指摘の痛みから逃げてばかりいる”痛がりなネトウヨ”からは決して聞けないでしょうね。



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通りすがりの三国人はブログを作ったようで

執念だねぇ・・・


じゃ、そっちでがんばって勝手に差別活動でも何でも自己責任でどうぞ。
こっちは、もう一度コメ禁にしとくのでww


しかし、最近じゃ相手のブログに暴言を繰り返してコメ禁になることを、


「さてさて、scopedogというサヨクブロガーに絡まれているわけです。」


と表現するのか?斬新な表現だね。


http://ameblo.jp/sinesayoku/entry-10102950816.html#cbox

sinesayoku
「死ね左翼」?


いやまあ、どんな名前をつけようが勝手だけど。


「この公私共に極限に忙しい私にからむとは、迷惑な話です。清清しい春の中、友人や家族と交流を深め、自然に触れ充実した時間を過ごしていたわけで、黴臭いサヨクブロガーの事などすっかり眼中にありませんでしたわ。」

ネトウヨの脳内視点だとそう見えるわけか。

暴言と差別発言をわざわざ他人のブログにコメントつけといて、そういえる神経はちょっと驚き。



(李人稙の密使としての行動が)

>7月といっていますが、あれ?12月以前じゃないの?


バカにはわからないようですが、
「日本へ併合を最初に打診したのは朝鮮側だった。という事実を直視する様に。」
と主張する以上、打診以前に、日本政府が主体的に併合方針を決めていたなら、韓国併合の主体的な責任が日本にあることになりますから、1909年7月(日本が韓国併合方針を閣議決定した月)以前の密使でなければ意味がありません。


そのくらいわからんかね?


>明治39年1906年には既に韓国併合の立役者達の間を動き回っていたとの明確な記録ですね。


あのねえ、日本を併合を打診するための行動じゃなきゃ、意味がないよね

だって
「本音を隠したままの日本側に対し、まず合邦を打診したのは朝鮮側だった。(略)李人稙(イ・インジック) が密使として動いたのだ。 」
が問題なんでしょ?
吾輩の家に遊びに来て、好んで学問上の話をした」ら、「併合してくれ」と言ったことにされるの?
すっげー言いがかり。


>ちゃんと調べれば合邦問題なんてのは一進会が1905年11月5日に「外交権を日本政府に委任し日本の指導保護を受け、朝鮮の独立、安定を維持せよ」という宣言書を発表して以来、ああでもないこうでもないと取り沙汰され続けている訳です。


合邦問題が1905年からだと主張してますが・・・

彼はちゃんと文章を読んでるんでしょうか?
1905年の一進会の主張は「朝鮮の独立、安定を維持せよ」です。
合邦とも併合とも一言も主張してませんね。


ホント大丈夫か?


合邦の声明書を出したから、合邦問題が起こったわけです。「独立、安定を維持せよ」と言って合邦問題が起こる分けないでしょう。バカですか?


あとさ、
李完用とその懐刀がマスコミ等に監視されて身動きが取れないので代わりに李人稙が小松緑の所に「併合への思い」を伝えに来ていたりしていたみたいですが」

と書いてもいない「併合への思い」を読み取るのはどうかと思いますね。


あとは何?ベルツの話か?

>さて、このscopedog ですがベルツの日記まで持ち出して色々被害妄想を展開させている訳なのですが、ベルツは日記の巻末でこのように日本の朝鮮統治を賛美している訳です。


はい、日記の巻末じゃなく、伊藤博文に対する追悼文ですね。ベルツは伊藤に色々世話になっており仲もよいので、追悼文でほめるのは当たり前。
ベルツがそういう立場であること、朝鮮の腐敗についても言及していることも、述べた上で、そういう者の視点からでさえ、帝国主義的なやり方に対して批判的であること示したエントリなんですけど、ネトウヨには理解できないか。

ベルツでさえ、
「親日感情の最後の残り火まで、日本人が自身で踏み消してしまうのだ。」
と感じた、ということ重要なんですが、どうしても

「日本へ併合を最初に打診したのは朝鮮側だった。という事実を直視する様に。」

と主張するネトウヨには受け入れがたい事実のようですね。
都合の悪い部分は「どーでもいい未開の三等国の記述」として無視するようです。



あとですね。
しかし筆者は、三回この韓国を訪れて、したしくその事実を確かめたのである。一昨年伊藤侯から、その改革を見て欲しいといって、韓国へ招かれたとき、残念ながら筆者は、その志に沿うことが出来なかった。しかし、そのときの話しぶりから、すべて韓国民とその国土の隆盛を目指す幾多の改革がすでに実施されたこと、なお多数の慎重な計画があることを、筆者は明らかに知ることが出来た。」(ベルツの日記「伊藤博文をしのぶ」P415)


ここでベルツが言っている三回韓国を訪れた、というのは、1905年以前の話です。なぜなら、ベルツは1905年に一度ドイツへ帰国しており、その後、1908年まで、来日していません。そして1908年の来日の際、伊藤に誘われたけども「韓国へ招かれたとき、残念ながら筆者は、その志に沿うことが出来なかった」つまり、韓国に行っていないわけです。

要するに、ベルツは統監政治時代の韓国を知らずにこの追悼文を書いているわけです根拠は伊藤博文の「そのときの話しぶり」にすぎません。ネトウヨのよく言う伝聞証拠です。うがった見方をすれば、伊藤博文が自分の統監時代の成果を自画自賛で語り、ベルツはそれを真に受けた、と言えます。
少なくとも、韓国民がひどい目にあっていたとしても、伊藤がそれをベルツに伝えたとは考えられませんね。


>第3者であるイギリスの外相ランズダウンも
>「韓国は日本に近きことと、一人で立ち行く能力がなきが故に、日本の監理と保護の下に入らねばならぬ」

日英同盟を結んでいて、日露戦争のどさくさでチベットに攻め込んでラサ条約を強制したイギリスの外相が第三者?
その発言と同じことをイギリスはチベットに対して行ったわけだけど、それ理解してる?
大体、ベルツの日記でも、イギリスとチベットの話を日露戦争に絡めて言及しているのだがなあ・・・。


>何かと思えば、耕作不適切な荒地の開墾じゃんか・・・単に未開な禿山だらけの朝鮮の農地化・発展に寄与した美談に過ぎないと思うぞ、これ。


「耕作不適切」とは一言も書いてないので、通りすがりの三国人の脳内補足ですね。
しかし、ネトウヨは韓国人が対馬の土地を買っても問題視していたはずだがなあ・・・。
それとは比較にならない広大な土地を、日本人が買うことについては正当化するってのはダブルスタンダードだねえ


ま、なんと言うか、レベル低すぎるよ・・・




ネトウヨが大好きな当時の価値観・日露戦争時の日韓関係

韓国併合前の1904年、日露戦争中における日本の韓国干渉に対する、当時の認識を調べてみる。

「ベルツの日記」より


7月26日
(前略)
韓国における対日感情の悪化は、日増しに加わってゆく。京城では、日本人の眼の前で、反日示威運動が行われている。そこへ、日本公使が公然と後押しをした、不可解きわまる請願事件が起きて、火に油を注ぐ結果となった。長森某なる者が、韓国全土の未開墾地全部を、五年間免税で払い下げてほしいと願って出たのである。こんなものを要求する厚顔振りにいたっては、まったく沙汰の限りである。韓国政府も一応は簡単に拒絶しておいて、直ちに名目だけの会社を設立し、これに日本人の望んでいた土地をそっくりそのまま譲渡してしまった。こんな前代未聞の要求により、親日感情の最後の残り火まで、日本人が自身で踏み消してしまうのだ。最近のこと、日本側は強制的にある集会を解散させ、幹部を逮捕した。そして今度は、守備隊を増強し、憲兵隊を接収しようとしている。しかもそれでいて、定評のある新聞ですら、韓国は日本から恩義をこうむっている!と称するのだ。


9月5日
(前略)
韓国では、今や日本人はすこぶる思い切った行動に出ている。かれらは韓国政府から、軍事上の目的に土地を提供させた-つまり強制的に、そうせざるを得ぬようにしたのである。そして今度は、はなはだ重要な協約が発表された。この協約によれば韓国は-
(略:第一次日韓協約の内容)
これでいて、日ごろの決まり文句は、韓国の主権を侵害しない!である。この協約により、韓国は日本の属国となるのだ。
(後略)


9月19日
(前略)
韓国に『コリア・デーリー・ニュース』という、日本の息のかかった新聞が発行されている。この新聞が、図々しくも主張していわく「日本は数百万の金と、幾千の人命をなげうって、韓国の独立のために戦っている!!」と。その韓国の自主性を、日本が今ではもう、あっさりと奪ってしまっているのに。
(後略)

「ベルツの日記(下)」P138、166、182


ベルツの日記〈上〉 (岩波文庫)
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ベルツと言えば、草津温泉や伊香保温泉の近代化に功績のある医者で、伊香保にはベルツの銅像が建っています。
ベルツは日本人を妻に持ち、大変な親日家です。日露戦争では、日本の勝利を喜んでいることを日記に記載しています(単純なロシア蔑視には嫌悪感を示しているが)。故国ドイツにも愛国心を持ってますが、日露戦争当時・以前のウィルヘルム2世の外交には批判的です。一方で、異常なほどドイツを敵視する日本のマスコミ、世論にはうんざりしています。

また、韓国政府が腐敗していたことについても言及していますし、日露戦争以前にロシアが満州を占領していることに対抗して日本が韓国を占領してもロシアは文句を言わないだろうという発言も残しています(P8)。

そういうベルツが見た日本の韓国に対する行動は、「韓国の独立のため」というのがただの名目に過ぎない、と見ているわけです。


「韓国併合は韓国人が望んだ」


という嫌韓バカの主張がいかに妄言であるかを物語っていますね。


頭の悪い嫌韓の主張


少数の憲兵や警察官だけで、本当に武断統治が可能か?
http://toron.chu.jp/20cf/heigou/kenpei.html


この説の肝は以下の部分である。


>韓国併合時の憲兵の数は、すべてで僅か2019名であった。
>しかも、そのうち憲兵補助員の1012名は朝鮮人であった。
>すなわち、日本人の憲兵数は1007名しかいなかった(水田直昌「統監府時代の財政」友邦協会)。

>これが22万平方キロメートルの朝鮮全土に散らばって配置されたのである。
>文民警察官は5693名いたが、その半分以上の3428名は朝鮮人であった。
>このような数字を見ると、韓国の歴史教科書が小説じみていることが解るだろう。


つまり、日本人憲兵は1000人しかいなかったのは、日本の韓国支配が善政だったから、と言いたいわけだ。

まあ、韓国駐箚軍の存在を完全に無視している段階で問題外なのだが・・・(併合当時、歩兵6個連隊、騎兵4個中隊が、韓国内義兵討伐の為に作戦行動中;平時の歩兵一個連隊を約2000人と仮定しても一万人以上の兵力が韓国内に展開していることになる)。


>日本の「憲兵警察」は、当時の朝鮮人全体に受容され、強く支持されていた。
>そうだから、このような僅かな数の憲兵が朝鮮全土にミニ小部隊ごとに別れて展開しても安全であった。


だ、そうである。


占領地を支配するに際し、支配組織の末端に現地住民を用いることは、支配手法の王道だと思うのだが(欧米列強の植民地ではまさにそのような方法をとっている)、嫌韓電波に毒されるとそれが理解できなくなるらしい。


そもそも、宗主国の人間が植民地に来る場合、一般的には支配者層として来るわけで、そういう者らが末端業務をやらないのは何の不思議もない(ただし、後の話になるが、日本の支配の場合、日本本国の工業化が進んでおらず、本国で吸収できなかった余剰労働力(つまりは失業者)が植民地に来る例が、欧米に比べて多かった)。
比較的友好的な者達を重用して、支配者の手足として使えばいいのである。
警察組織内の下級職員に朝鮮人が多く雇われていることは、まさにそういった状況を示している。


ま、この程度のことすらわからないから嫌韓やってるんだろうけど。


嫌韓派の偏向的なデータ利用の実例

以下は、「韓国旅行要注意」と題した嫌韓サイトです。
http://japanese.tour2korea.tripod.com/


ツッコミどころが多すぎて困るのですが、ここでは2箇所ほど取り上げましょう。


一つ目は、アジア性科学学会シンポジウムのサイトからの恣意的引用です。

Helen Noh氏の「韓国における小児への性的虐待」と題した発表を嫌韓厨のサイト主が嬉しそうに取り上げています。


曰く「9.6%の女性が19歳までにレイプあるいはレイプ未遂を経験」

(韓国人を差別するのに最も使えそうな)センセーショナルな数値を出しています。
しかし、こういったデータはサンプルの取り方によって大きく数値は変わります。しかも、サンプリングの手順も不明なので、単純に一般化するのは非常に危険です。実際に、この発表の最初にも同じ趣旨の統計があり、そこでの数値は2%です。


嫌韓厨のサイト主は、おそらく誇張するために高い方の数値を恣意的に選んだのでしょう。

そして、もうひとつこのサイト主が無視した場所があります。


このシンポジウムのサイトには、埼玉県立小児医療センターの奥山真紀子氏の発表もあり、これは「日本における子供の性的虐待」と題されています(そもそもアジアのシンポジウムなので日本の発表もあるのは当然ですけどね)。

それによると、日本では(と一般化するのは本来正しくないのだが)、女性の6.4人に1人が、12歳までに性的虐待を受けている、とのことです(これについてのやり取りが質疑応答内にあって非常に興味深い)。

すると、比率を単純に見る限り、韓国より日本の方がひどい現状である、とも言えてしまいます(実際には比較を目的とした集計ではないので、断言できないのだが・・・)。


もちろん、嫌韓のサイト主は、こんな部分を取り上げたりしません。
嫌韓厨の目的は、韓国に対する揶揄のみであって、決して性犯罪の現状を憂いているわけでも何でもないのです。自分じゃない誰かが苦しんでいる様子を、ニヤニヤしながら見ているだけの下衆に過ぎません。


(ちなみに、このシンポジウムの最後にある質疑応答中に、フィリピンの事例についての話があり、そこには「(性犯罪の)罰則に死刑を設けたら被害届けが減ってしまった」とあります。エントリーの本題とは関係しないのですが、ネトウヨらの死刑連呼の風潮に対する一つの反論、として載せておきます。)



二つ目は体験談として出してきた事例。

>+++韓国よ、私の姉を返せ!!!+++
http://japanese.tour2korea.tripod.com/kaese.html


これも、まるで韓国や韓国人という国家や民族が加害者であるかのように書いてますが、はっきり言うと、統一協会による洗脳の被害報告に過ぎません。

韓国人全てが統一協会でないことは言うまでもなく、信者の数で言えば日本の方が遥かに多い。(教団の元広報局長であった副島嘉和の 1984年の告発手記[33]によれば、「日本に8000人、米国と韓国にそれぞれ2000人、ヨーロッパ全体で2百数10人」(WIKIPEDIA))

一体、この証言が「韓国旅行要注意」の根拠になるのか?信者数で言えば、日本の方がむしろ危険では?とも思えるのだが・・・。



(追記)

コメント欄で教えていただきました。

二つ目の統一協会の体験談については、かなり怪しい怪文書のようですね。


http://d.hatena.ne.jp/bruckner05/20070805/p1


しかし、統一協会そのものが問題おおありなカルト団体である以上、まともな被害報告を出そうと思えば出せるはずですが、なぜによりによって怪文書を出すのかなあ・・・。


多分、ついでに従軍慰安婦問題を否定したいからなんだろうなあ・・・。




”独立させてあげた”(はずの)韓国の軍隊を解散させた日本

清国より独立させたのが韓国の自主独立を望んでのことなら、韓国軍の強化を支援するべきなのだが、そうしていない。
日本の目的は果たしてどこにあったのか?(今さら白々しい問いだな・・・)


以下は韓国統監伊藤博文が、1907年7月28日に珍田外務大臣、西園寺総理大臣宛に出した電報です。
韓国国史編纂委員会サイト
http://db.history.go.kr/front/dirservice/JH_TG/listMainJH_TG.jsp
「統監府文書3>八.日韓協約履行関係>(2)韓国軍解散に関する件」より


往電第一○五號
明治四十年七月二十八日 午後九時四○分 發
統監
珍田 外務大臣
西園寺總理大臣ヘ
此ノ際韓國軍隊ハ皇宮警衛ノ爲一大隊ヲ殘シ他ハ全部之ヲ解散スル筈ニテ協約成立ノ時ニ當リ韓國政府ヲシテ之ヲ承諾セシメ覺書中ノ一條件ト爲シ置キタリ尤將來徴兵法ヲ布キ有力ナル軍隊ヲ組織スルヲ要件トシ士官養成ハ繼續セシムル積ナリ詳細ハ外務大臣報告致スヘキモ或ハ同大臣歸京以前ニ解隊ヲ實行スルノ都合ニ至ルヤモ圖リ難キニ付豫メ此段申進ス但シ解隊ノ實行前漏泄スレハ危險ノ虞アルヲ以テ本件ハ一切祕密ニ付セラレタシ


○ 別紙 一
韓國軍隊解散ノ順序
第一. 軍隊解散理由ノ詔勅ヲ發ス
第二. 詔勅ト同時ニ政府ハ解散後ノ軍人處分ニ關シ布告ヲ發ス此ノ布告中ニハ次ノ事項ヲ含マシム
一. 侍衛歩兵一大隊ヲ置ク
二. 侍從武官若干名ヲ置ク
三. 武官學校及幼年學校ヲ置ク
四. 解散ノ際將校以下ニ一時金ヲ給與ス其金額將校ニ在テハ俸給ノ概ネ一ケ年半ニ相當スルモノ下士以下ニ在テハ概ネ一ケ年ニ相當スルモノ但シ一ケ年以上兵役ニ服シタルモノ
五. 將校及下士ニシテ軍事學ニ素養アリテ體格強健將來有望ノモノハ一,二,三,號ノ職員又ハ日本軍隊ニ附屬セシム但シ下士ハ日本軍隊ニ附スル事ナシ
六. 將校及下士ニシテ軍事學素養ナシト雖モ普通ノ學識ヲ有スルモノハ採用ス
七. 兵器彈藥ノ返納ヲナサシム


○ 別紙 二
軍隊解散ノ方法
第一. 軍部大臣ハ軍部ノ主ナル職員及憲兵司令官·旅團長·歩兵聯隊長·歩兵大隊長·騎砲工兵隊長ヲ集メ詔勅ヲ傳ヘ且ツ解散順序第二項ノ布告ヲ示ス
第二. 前項諸官ハ直ニ各々其部下ニ對シ大臣ヨリ傳ヘラレタル詔勅及布告ヲ達ス此際各隊長ト共ニ日本兵約二中隊ヲ各兵營ニ同行セシメ要スレハ兵力ヲ使用ス

備考 第一項歩兵大隊長中ニハ地方ノモノヲ含ム


「韓國政府ヲシテ之ヲ承諾セシメ」
なんか日本は韓国軍を武装解除する気満々ですな。


「但シ解隊ノ實行前漏泄スレハ危險ノ虞アルヲ以テ本件ハ一切祕密ニ付セラレタシ
そりゃ、韓国人が自国の軍を日本に解散させられると知ったら怒るでしょうからねえ・・・


「此際各隊長ト共ニ日本兵約二中隊ヲ各兵營ニ同行セシメ要スレハ兵力ヲ使用ス
解散に反対すれば、日本軍がこれを鎮圧するということですね。
どの辺が独立国なのだろう?


伊藤は、これに備えて韓国皇帝の詔勅などを出させますが・・・


さて、実際に武装解除しようとすると抵抗した部隊もいたようで。


「統監府文書3>八.日韓協約履行関係>(9)[軍隊解散 及び 一部抵抗軍 措置に関する件」より


往電
明治四十年八月一日 後七時一○分 發
長官
各理事官, 副理事官 營林廠
在京城ノ歩兵六大隊及特科隊ノ中歩兵一大隊ハ皇宮守衛ノ爲ニ殘シ置キ殘リ五大隊ト特科隊ノ内三大隊及特科隊ハ無事解散ヲ行ヒ歩兵二大隊ハ抵抗シタルヲ以テ我カ兵力ヲ以テ之ヲ攻擊シ本日午前中確實ニ兵營ヲ占領シ目下逃歩兵ヲ搜索中
 第六號  水原 竹内   第六號  晋州 和田
 第一○號  仁川 信夫    第六號  木浦 中大路
 第七號  海州 野寄   第六號  光州 佐藤
 第三五號  釜山 松井   第一○號  群山 天野
 第十三號  馬山 三增   第七號  全州 竹寄

京城にあった歩兵六個大隊+特科隊を、歩兵一個大隊のみ残して他(五個大隊+特科隊)を解散させようとしたわけですが、そのうち二個大隊が叛乱を起こしたわけですね。韓国皇帝の詔勅を利用してなお日本の措置に反対する者は少なくなかったということですな。




書いてもないことを読み取ることは読解力とは言わない。

法輪功かぶれの通りすがりの三国人

>大韓新聞社長 李人稙

>右は合邦問題発生以来、李首相及趙農相の手足となり各方面の
>内偵に従事せしが、現内閣より同人を渡日せしめ、日本の朝野が
>合邦問題に関する意向を探らしむるの目的にて、
>今17日午前9時南大門発にて日本に向へりと。

これを受けて

>つまりですな、李人稙が密使として動いたのは、1909年12月、
>日本が韓国併合方針を閣議決定した後なんですな。

と認識するとは、やっぱりどっか頭がおかしいとしか思えません。
少なくとも閣議決定した7月には公に問題が発生している訳で
7月以降ずっと李人稙が動いていたと理解するのが正常です。
それ以前に密使とは事が公になる前に水面下で打診・交渉人間を
言います。つまり、7月に閣議決定をする以前に打診・交渉を
するから密使と称される訳です。


やはり宗教電波に侵されているようですねぇ、この人は。
可哀相に。


そもそも「右は合邦問題発生以来」を勝手に「閣議決定」の時点の7月以来と誤読しているが、ここで言っている「合邦問題」とは、一進会による「韓日合邦を要求する声明書」(1909/12/4)によって韓国内で広がった問題のことです。


この程度の基礎が理解できずに
「7月以降ずっと李人稙が動いていたと理解するのが正常です。」
と言ってのける異常ぶりは、さすが宗教ウヨクといったところですね。

7月なんてことは、どこにも書いてありません。きっと彼はどっかから怪しい電波で受信したのでしょう。


大体、「韓国併合方針」を決定した閣議内容が当時公開されたとでも思ってるんでしょうかね?現在でも閣議の議事は非公開だというのに。


「少なくとも閣議決定した7月には公に問題が発生している訳」


プッ。ほんと、アホですな。


まあ、それでもそう主張したいのなら、7月以前に李人稙が動いていたことを示す資料を提示すればよいのですが、出来ないんでしょうかねえ?



さて、この「韓日合邦を要求する声明書」(1909/12/4)がどのような影響を韓国内にもたらしたかと言うと、
http://db.history.go.kr/front/dirservice/JH_TG/listMainJH_TG.jsp
統監府文書8>二.韓日合邦関係書類>(100) [一進会合併声明後の恐怖雰囲気状況報告の件]


憲機第2456号(1909/12/14)
一進會本部ニテハ日韓合併聲明書發表後地方各支會長ヲ招集シ續々入京シツゝアルカ此外一般會員モ一進會ヨリ合併問題發表新聞紙ニ記載サレタル後無賴漢ノ加害ヲ怖レ資産ヲ有スルモノハ京城ヘ避難スル者日々增加ノ傾向アリト
以上
明治四十二年十二月十四日


一進会による「韓日合邦を要求する声明書」発表が1909年12月4日、その10日後の状況ですね。
(声明書は、「統監府文書8>二.韓日合邦関係書類>(5)日韓合邦問題に関する件」の中にある)


「韓日合邦を要求する声明書」を出した一進会に所属する会員が、加害を恐れて京城に避難しているわけです。
「韓日合邦」が韓国一般大衆の希望なら、避難する必要はないはずですがねえ。


それはさておき、馬鹿ウヨのおかげで、韓国国史編纂委員会のサイトを知ることが出来、以前から見たかった統監府関連の文書をテキスト化された状態で見つけることができたのは重畳。

ありがとう、バカウヨ君。
多分、君の唯一の存在価値が発揮されたよ。


で、何?


なんだか落ちこぼれ中学生に分数を教えているみたいで情けなくなります。
先生はscopedogの今学期の歴史の通信簿は2をつけてあげます。
来学期は小便で顔を洗って出直して欲しいものです。


ふーん、「先生」のつもりなんだぁ。この程度の知能で?
やれやれ。

こんなのがホントに先生だったら、日本の教育が崩壊しているってのはホントかもね。