ゲーム感覚でとらえる戦争
以前、何人かの20代・30代の知り合い(それぞれ別の知り合い)が、「もし戦争になったら、俺は兵士として戦う」といっていたので、それについて考えてみました。
「侵略された祖国のために戦う」こと自体は、非難されるような内容ではありません。本当に「侵略された」のかどうかは議論の余地があるでしょうが(近現代の国家が起こした戦争は、いずれの陣営にとっても「祖国のため」と言えます)。
動機はともかくとして、問題は「兵士として戦争に参加する」と言うことをどの程度理解しているのか、と言うことです。
まず、「兵士として、敵に殺される危険があること」は当然知ってます。その他「民間人も被害をこうむる恐れがあること」も知ってます。これらの「悲劇」は、ニュースや映画などで話題になりやすいところなので、情報として得やすいわけです。
中でも、「激戦の中で壮絶な戦死を遂げる」危険は、映画やゲームでいやと言うほど見ることができます。
ところが、兵士の死因は「交戦中の戦死」だけではありません。一般的な歩兵の場合を考えてみると以下のような死因が考えられます。
・爆撃など「交戦」できない状況での一方的な戦死
・輸送機での空輸中に輸送機ごと撃墜され戦死
・輸送船での輸送中に輸送船ごと撃沈され戦死
・補給不足による餓死
・野営地での劣悪な環境による感染症・凍傷などによる病死
・補給不足に伴う医薬品不足による戦傷・病気の悪化後の死亡
・味方による誤射
・地雷
・銃器の暴発・交通事故などの事故死
多くの映画やゲームでは、敵が出てきて兵士(主人公)を攻撃します。主人公が、反撃できない状況で攻撃を受けたら、ゲームになりませんし、映画でも限られた演出でしか使えないでしょう。ですが、実際の、特に最近の戦争では、敵の姿を見ることなく攻撃を受けることが多くなっています。
また、第二次大戦中には、兵士を輸送する船が潜水艦の攻撃で多く沈められています。船と言っても客船はほとんどなく多くは貨物船で、甲板の下の船倉に多くの兵士が詰め込まれています。彼らは、もちろん攻撃してきた潜水艦の姿も見ることなく、暗い船倉に閉じ込められたまま溺死しました。ゲームになるような美学はどこにもなく、ただただ悲惨です(反戦映画を作るなら、戦艦大和の沈没よりこういった輸送船の沈没のほうがふさわしいと思う)。
また、戦場や野営地の環境(特に衛生面)は、ひどいものです。たとえば、熱帯雨林の中に3000人の兵士が野営した場合を考えてみます。
まず、3000人分の水・食料を(腐敗しない程度に)随時補給する必要があります。野生動植物で自活すればと言う話も言われますが、野生動物の生息密度を考慮した上で3000人分を養うのに必要な面積があるかどうかを考えれば、非現実的と言えるでしょう(狩猟・採集生活をしていた時代に3000人の人口を抱える村はあったとは考えにくい)。
食べれば、排泄物が出ます。3000人分です。野営地の近くに排泄物を埋める穴を何度も掘らなければなりません。これを怠れば、害虫(ハエ)が大発生し伝染病の原因となります。
風呂には、ほとんど入れません。3000人のむさくるしい男たちの体臭が漂うことになります。これは、においだけの問題ではなく、衛生面の問題でもあります。兵士は、抵抗力の強い青年ですが、補給や排泄物処理・戦況が悪化してくると、戦場でのストレス、栄養不足、害虫の発生などにより、抵抗力が低下し発病する兵士が出てくるようになります。
さらに医薬品が不足すると、伝染病の蔓延は止められなくなります。
南太平洋に出兵した日本軍の中には、餓死したものや赤痢などの感染症によって病死したものが大勢います。
また、19世紀までは戦争での死者は、戦死より病死が多かったというのは、よく知られています。20世紀以降は、病死が減ったのか、というと確かに減りはしましたが、その他に平気の発達による戦死者数の増加という要因もあると思われます。
味方による誤射、もよく起こります。敵との接近戦中に味方の砲兵による敵味方入り混じった地域への砲撃というのが、すぐに想像できます。しかし、敵のいない状況でも起こります。野営地周囲で警戒している兵士に敵と間違えられて撃たれる、という事態です。南北戦争でも、第二次大戦でも、将軍クラスの軍人がこれによって死んでます。
地雷でも、対人地雷では足がなくなる程度ですぐに死には至りません。治療が早ければ助かります。ただし、それが可能な環境であるかどうかが問題ですが。
このほか、銃器の暴発・交通事故などの事故死も少なくはありません。銃器の暴発は、危険物を扱っている以上、当然付きまとう危険で扱う作業が多くなるほど危険は増えます。交通事故についても、平時とは違い交通ルールに対する順法意識は薄くなる(交通ルールに優先する名目が生じるため)ので、交通事故の可能性も高くなります。
上記のような死に方は、映画でもまれ(実際の頻度に比べて)で、ゲームではほぼ皆無だと思います。
「兵士になって戦う」ことを辞さない人には、上記のような死に方もあることを認識しておいてほしいです。(認識している人もいるかも知れませんが、私が聴いた人の中には「今はそんなことないでしょう」と言っている人もいましたので)
私は、そもそも戦争には参加したくないですが、家族や友人を守るために敵と戦うのはやむを得ないとも思います。その場合でも直接敵と戦って死ぬのならともかく上記のような死に方はしたくないです。家族や友人を守っている実感が得られないからです。
でも、兵士になってしまえば、死に方を選べません。どんな死に方をするかわからないのです。
「兵士になって戦う」ことを辞さない人は、上記のような事故死・病死にどのような意義を見出すのでしょうか。
議員年金を廃止すると、退職金制度ができるのだろうが・・・
議員年金廃止法案、通常国会成立で…自民・公明が一致(読売新聞2005/9/26)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20050926ia25.htm
「議員年金をなくせ」という発言をネット上でもよく見かけます。特に反自民の人たちに多いような気がしますが、まあ誰が見ても不公平な制度であり、攻めやすいからでしょう。
でも、こういう案が政府から出たことで、攻めにくくなってしまいました。
というわけで、別の攻め口を探しました。
『小泉首相は、この後の自民党役員会で、「まず議員年金廃止を決め、代替案を考えてほしい」と改めて指示。』(上記記事、色・太字は筆者による)
さてこの「代替案」ですが、記事内では(議員年金を廃止し)国家公務員共済年金に組み入れる、ということでこれが、「代替案」であるような流れです。
でも確か、「議員年金は退職金の代わり」(国会法36条によるらしい)になっているんですよね。
だとすると、「代替案」てのは、「退職金」のこととも受け取れます。というよりもらう側の国会議員から見れば、同等の金額を議員年金以外のどういう名目でもらうのか、というのが「代替案」という認識になるのが自然な気がします。
結局、払う金額の名目が変わるだけだったりしそうな気がします。
それどころか、「年金じゃないんだから、掛け金が不要」になって国庫負担は余計増える恐れもあります(共済年金の掛け金は払うでしょうが)。
これも最後には、「議員年金廃止に賛成か反対か」の単純な二択問題にされて、中身に関する議論はされないだろうなと思う。
多発する発砲事件
最近、発砲事件が多発しているが、目的が良くわからない。
弾痕か、フロントガラスにもヒビ…戸田の発砲事件(読売新聞2005/9/27)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050927i204.htm
時速80キロ、1発で命中…和歌山の連続発砲(読売新聞2005/9/27)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050927ic05.htm
バスの窓に銃弾?両側を貫通…神奈川・厚木で回送中(読売新聞2005/9/27)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050927it07.htm
場所が、埼玉の戸田(2005/9/26夜;銀色)だったり、和歌山(2005/9/26午前2時40分;白いクラウン?)だったり、神奈川の厚木(2005/9/26午後11時)だったりで、(時間的に可能ではあるだろうが)同一人物とも思えない。便乗犯にしては、時間が近すぎる。
もし、同一人物だとすると26日は一日中走っていたことになるが、だとすると単純な愉快犯とは考えにくい気がする。
ただ、こういう事件の多発は、以下のような警察の武装強化に対する反対意見を封じやすくする効果はあるだろう。
公務執行妨害が増加、「精強な警察」へ装備強化(読売新聞2005/9/26)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050926i205.htm
(この装備強化の記事に関することは、別に記載するつもり。)
まさかとは思うが、邪推してみたくなる。
経営とスピードについて
TBする気にならなかったので、リンクのみ
http://ameblo.jp/shibuya/entry-10004398494.html#cbox (渋谷ではたらく社長のblog)
なんというか、時間がなかったのかも知れないが、考察が甘い気がします。
組織が大きくなるとスピードが遅れる、というのは正しい。
でも、組織の肥大化が直接に関わるのは、「実行に移すスピード」であって、「意思決定のスピード」ではない。
「実行に移すスピード」は、組織の規模に応じたプロジェクトを実行する上でのチーム編成や環境整備で物理的に時間がかかるのだが、「意思決定のスピード」は、「意思決定に必要な情報の収集」と「意思決定の権限の集中度合い」と「判断に要する時間」によって決められる。
情報収集の時間と権限の集中度合いは、組織の肥大化による影響を受けると言えるが、どちらかと言えば組織の構成上の問題であって、適切な組織編制によって改善可能であろう。(それにベンチャー企業で権限が分散していると言うのは考えにくいのだが。)
というわけで、スピード遅れの要因が社長(あるいはマネジメント)であるとしているのも正しい(過程はともかく)。
でも、やっぱりこの後がよろしくない。
「意思決定や実行に移すスピードが遅れる要因は、ずばり先送りにある。」
って、おかしくないですか?意思決定や実行を遅らせることを先送りと言うのでは?
で、さらにその原因として、以下の2点。
・抱えている課題が膨大になり、優先順位が低いものに手が回らない。
・さまざまな立場の利害関係者に対する配慮や、複雑に絡み合う問題を考えて、面倒になる。
要するに、社長の抱える課題が多い、と言うことだろうが、すべての課題が社長でなければできないことなのだろうか。
私は、彼の会社について詳しいわけではないのだが、参照した文章からの印象ではワンマンな感じを受けます。本来なら、業務内容や課題の性質に応じて、適切に権限を分掌させるべきのことをできていないのではないか、と感じます。
権限の分掌は、権限の範囲・責任・命令系統が明確であれば、組織全体の意思決定のスピードの低下には繋がらず、むしろ迅速化します。逆に不明瞭ならば、「意思決定の権限の分散」となり組織にスピード低下の他さまざまな悪影響を及ぼします。このような事態は、社内の有力者間で権限の分割を行った際に生じやすい現象です(誰も責任は分担したがりません)。また、独裁者が自己防衛を目的として行うこともあります(権限が明確であると部署全体が反旗を翻す可能性が高くなる。責任が曖昧であると恣意的に特定の人間を弾劾できる。)。
ここからは予測です。
彼は組織規模の増大に伴い権限の分掌を行ったが、経営陣内のパワーバランスを重視し、曖昧な権限分担となった。そのため、実行手順が煩雑化し、さらに意思決定に必要な情報も十分にあがって来なくなった。意思決定を行っても、下部機関では、上部にあげなかった情報に対応するため時間が必要になった。
権限の分与にも不十分なところがあり、不要な社長決済は残った。社長自身は、色々な課題を抱えているのにもかかわらず、権限分担が機能していないため全体のスピードは低下。
この予測が正しいかどうかはわかりません。
ただ、会社組織を人体にたとえた場合、脳だけが回転していても意味がないわけで、目耳からの神経情報を受け取り、脳で判断し、手足に命令を出す、時として脳を経ずに反射することも必要なわけです。これらがうまく機能していない場合は、まず全体を見ることが重要であって、脳内だけの自己満足の治療をしても意味はないでしょう。
違和感
過去半世紀のほとんどの期間、政権与党であり、かつ近年まれな4年の長期政権を続けている自民党が「改革」と連呼するのは、すごい違和感を感じる。
自民党に投票した人は、そうは感じないのかな?
「自民党をぶっ壊す」と言うなら、自民党を出てやっても良かったと思うが、それはやらなかった。思うに自分の権力基盤は自民党の中にあることを自覚していたのだろうが、ならば「ただの党内権力闘争」に過ぎなかったことになる。これまでは与党全体で仲良く分け合うことのできたパイが、経済の低迷によってパイ自体が小さくなり取り合いが生じたのではないか。
結局のところ、自民党は保守派であり改革派ではない。彼らのやってきた、あるいはやろうとしている構造改革とは、縮小したパイ(利権規模)の再分配にすぎないと思う。
また、自民党に投票した有権者も、自民党が保守であることは自覚していると思う。ただ、突きつけられた問題(財政の悪化)に対して改革の必要性も自覚している。だから、「改革を止めるな。」というメッセージに惹かれたのだろう。
ただ、保守のぬるま湯の中で、改革を実行している気分に浸っているだけ、にならなければ良いと筆者は思う。
選挙制度について
今回の衆院選における自民圧勝に関連して、小選挙区制の問題点が色々取りざたされているので、選挙制度制度について考察してみます。
民主党支持者(あるいは反自民)の人たちの主張に、小選挙区での得票数(自民:3252万(有効投票数比47.8%)、民主:2480万(同36.4%))をもって、「過半数は自民党に投じていないにも関わらず過半数の議席を得ている」や「議席数(自民:219(小選挙区議席総数比73.0%)、民主52議席(同17.3%))に民意が反映されていない」というのが散見されます。
「民意の反映」を「支持者数の構成比=議席数の構成比」と定義すると、これらは確かに事実です。
しかし、そもそも小選挙区制というのは、(上記定義での)民意を反映しない制度です。
小選挙区制の目的は、「政権政党が多数の議席を占めることにより、政策遂行を容易にすること」にあります。要するに、国会における野党の党利党略による反対票の影響を減らすためのものです。
小選挙区制以前に、党是上不可解な連立政権ができていたことを考えれば、小選挙区制はそれほどおかしな制度ではないと思います。
たとえばもし民主党が政権をとっていた場合、小選挙区制じゃなく自民党と拮抗した議席数であったとしたら民主党はマニフェストに掲げた政策を円滑に実行できたでしょうか?おそらく自民党の党略による反対で多くの法案は可決できず、次回選挙において「政権をとっても何も実現できない」と言われたのではないでしょうか?
思うに小選挙区制とは、「確率上、二大政党制になりやすいと言う性質を持つと同時に、二大政党制であっても国会運営上大きな影響が生じにくいと言う性質も持つ」のではないでしょうか?
こっちだと61%
読売でも同じ世論調査をやっていた。
http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050913i115.htm
こちらの方は、調査方法と調査対象数が記載されているので、まず信用していいでしょう。完全な無作為は作れないので多少の偏りは生じるでしょうが、許容範囲と思います。
ただし統計上、意図的に操作することはまだ可能ですので、判断するときは数社の世論調査を見ることをお勧めします。
たとえば、回答率58%(=[有効回答獲得数989]/[有権者世帯判明数1707])ですが、きわめて意地の悪い仮定をすると、「都合の悪い回答は有効とみなさない」可能性もあります。さすがにこれはやってないとは思いますが・・・
なので、前エントリで「有効回答と基準」もできれば表記してほしいと書いたわけですが。
http://ameblo.jp/scopedog/entry-10004269343.html
内閣支持59%って本当?
2005/9/12-13に実施した共同通信社の世論調査によると、小泉内閣支持率が衆院解散直後の47.3%から59.1%に大幅上昇したそうです。
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=NGK&PG=STORY&NGID=poli&NWID=2005091301005841
でもね、世論調査の基本情報として、調査対象の人数と抽出方法くらいは記載しないと駄目でしょう。仮にも報道機関なんだから、統計学の基本ぐらいはおさえておきましょうよ。
とりあえず、この記事に対する意見としては・・・
「少数標本から全体を推測する推測統計上の基本情報が欠落しているため、何の参考にもならない」
です。
この調査結果を、有権者全体の支持率の根拠として挙げるためには、少なくとも下記2点を示す必要があります。
1.電話をかけた対象者を無作為抽出によって選んだこと
2.調査対象数
さらにできれば、
3.質問項目(項目の作り方(選択肢や質問の順番)によって回答を誘導することは可能です)
4.実施した日付だけでなく時間帯も(家に電話したのなら、時間帯によって調査対象者が偏る可能性があります)
5.有効回答とする基準(選択式ならわかりやすいが、そうでないと調査した人間の主観の影響が生じる)
6.回答者の性別・世代・居住地域・所得などが人口構成に比して不自然にばらついていないことの表示(回答に影響を与えると思われる要因に不自然なばらつきがある場合、全体の結果に偏りが生じる)
もあるといいですが、この辺、紙面の関係上難しいでしょう。
統計結果と言うのは、意図的にうそをつこうと思えば簡単にできます。「それをしてませんよ」という意思表示のために可能な限り、調査条件は載せるべきです。でないと、「操作されている」と言われても反論できません。結果を信じたい人には信じる根拠になる一方、信じたくない人には信じられないことの根拠にもなります。
はっきり言ってこの記事からは、何も判断できません。
選挙結果に対する考察
選挙の結果は出てしまったので、今さらどうこう言っても始まりません。
親自民の方が、親民主(というより反自民?)の方を「負け犬」呼ばわりしているのを見かけたりしますが、親自民の方は、「これで日本が良くなる」と思っているはずで、その恩恵は全国民が平等に享受できるはず(階級別に差別的な処遇をするような政策をとらない限り)です。だとすれば、みんな幸せになるはずなので、「負け犬」という呼び方は適当ではありません。こういう状況での「負け犬」呼ばわりは、特定の人たちに対して不利になる政策をこれからとりますよ、ということを暗示していると解釈できます。政権外のただのシンパが言ったところで大して意味はありませんが。
逆に、親民主(反自民?)の方が、「これで日本の終わり」のような言い方で「有権者は見る目がない(注:穏やかな表現に変えてます)」と言っているのも見かけます。これもどうかと思います。(公職選挙法上はどうか知りませんが)「小泉政権が続いたらよくない」という表現・議論は、投票前に行うべきであって、結果が出た後はあきらめるしかありません。
正直なところ、私も「小泉(自民党)政権が続くのはよくないなあ」と思いますが、これは現時点ではあくまでも予測に過ぎません(過去の実績に基づいているとしても)。
自民党政権が続くことを望んだ人たちが、正しかったのか誤っていたのか、はこれからの歴史が判断することで、現時点で決め付けることはできません。
個人的な気分としては親民主の方同様、鬱ですが、これは「自分の意思に反した政権によって生じるであろう損害を許容しなければならない理不尽さ」を感じるためです。民主主義国家にいる以上、ときとして受け入れざるを得ない理不尽ではありますが、どう感じるかは個人の自由としても、他者の判断を非難するのはよろしくないと思います。(鬱な気分の人をあげつらうような人は問題外)
さて、自民と民主ですが、議席数では296対113で、民主党惨敗といえますが、死票の出やすい小選挙区の219対52に対し、比例区では77対61であることから民主党支持層は結構いたようにもみえます。実際のデータからその辺を考えてみたいと思います。
(以下、ネット上での公開情報から自分で集計した数値を元にしていますので間違いがあるかもしれません)
・小選挙区(票数は1万以下を四捨五入)
自民党:219議席、3252万票
民主党:52議席、2480万票
公明党:8議席、98万票
社民党:1議席、100万票
共産党:0議席、494万票
国民新党:2議席、43万票
新党日本:0議席、14万票
無所属(郵政反対):13議席、206万票
無所属:5議席、118万票
・比例(票数は1万以下を四捨五入)
自民党:77議席、2589万票
民主党:61議席、2104万票
公明党:23議席、899万票
社民党:6議席、372万票
共産党:9議席、492万票
国民新党:2議席、118万票
新党日本:1議席、164万票
新党大地:1議席、43万票
上記の結果で特徴的なのは、公明党の得票数で、小選挙区:98万に対し比例:899万という差です。言うまでもなく自民党との選挙協力の産物と考えられます。この結果からは実際の公明党支持層の規模は判断できません。したがって、自民と公明は別々ではなく、自民+公明でひとつと考えた方が適切な気がします。
自民+公明 対 民主という図式で考えると、以下のようになります。
・小選挙区(票数は1万以下を四捨五入)
自民党+公明党:227議席、3350万票
民主党:52議席、2480万票
・比例(票数は1万以下を四捨五入)
自民党+公明党::100議席、3488万票
民主党:61議席、2104万票
こうしてみると、与党を支持した有権者は、約3500万人で、小選挙区・比例区ともに重複していると判定してよさそうです。一方、民主党ですが、小選挙区での票数が若干(380万票)多くなってます。あくまで予測ですが、この380万人は、親民主ではないが反自民で、小選挙区内に指示する政党候補者がいなかったため、民主に投票した人であろうと考えられます。すなわち純粋な民主党支持者は約2100万人程度でしょうか。
これらから、有効投票した有権者内の与党支持者と民主党支持者の比率は、およそ5対3であろうかと判断でき、実際比例の議席比率は、そのとおりになってます。
今回の民主党敗北の理由ですが、大きく二つに分けられると思います。
1つめは、有権者内の支持者を増やせなかったこと。
2つめは、選挙制度を効果的に利用できなかったこと。
まず、政権交代を狙うなら、与党支持者対民主党支持者の比率はせめて5対4くらいにはなってないと、小選挙区を効果的に運用したとしても難しいでしょう。また、支持者数が不利な場合は損害を最小限にするための戦術を用いるべきで、その点でも失敗したように思います。
ただ、実際に政権交代を目指すという攻勢から、議席を維持するための防勢に転じる判断はかなり難しいとは思いますので選挙期間中に現実的に可能だったかは疑問です。もし、攻勢か防勢かの戦略判断をするとしたら、解散が決まった直後しかなかったでしょう。
戦略判断としては、攻勢「議席激増か激減、ただし激減の可能性が高い」、防勢「議席維持、ただし政権は取れない」の2種類あったものの、民主党党首としては、「政権交代を目指す」と公言している以上、防勢をとるという判断はしにくかったと思います。
結局のところ、民主党の議席減はあの状況では避けられない判断の結果とも思えます。民主党がふがいない、と言えば、そうとも言えるが、それよりむしろ、あのような状況を作り出した自民党側の手際が優れていたと評価したほうがよいでしょう(好き嫌いはともかくとして)。